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 週刊あらまあー

 あらまあーさんが刊行してる「週刊あらまあー」です。
 全バックナンバーを揃えています。
 週刊あらまあーの著作権、文責はあらまあーさんにあります。あらまあーさんの了解を得て、ここにバックナンバーを掲載しています。
 

    第16号:牌王位戦1周年を回顧する

    週刊あらまあー第十六号{前半}

    (3月第3週号)


    今回のメインテーマ:牌王位戦1周年を回顧する

    寒い3月のきょうこの頃、
    冬の名残りの中からひとつひとつ春の兆しを
    見つけることができる季節です。
    そして、いよいよプロ野球が開幕する季節でもあります。
    皆さんいかにお過ごしですか?

    あらまあーも、
    Jサイトでのいくつかの人間関係トラブルや、
    昼間の大会開催のスタッフの任務、
    深夜開催の大会出場、ハンゲの大会出場、
    週刊あらまあーのレギュラー版の作成と並行して
    初級者版あらまあーの作成など、
    また、あるいは
    リアル世界での仕事関係上のいくつかの問題など、
    まぁーーーーー、
    ほんま忙しい時期でございました。
    (∇≦*)んもぉ〜♪

    脳がウニになってとろりチーズのように溶けそうになり(爆!)
    何度かはキレまくってPCの前で大暴れし、(ぷぷぷー)
    そんな中でもなんとか自身を見失わぬようにと心がけ、
    なんとかきょうまでやって参りました。
    どうか皆様も、花粉症に負けることなく、
    日々元気に、頑張って生きていってくださいね。
    (なんのこっちゃ!(≧∇≦)ノブハハハ!!)

    まあ、そんなこんなで
    (どんな?というツッコミ不要w)、
    一ヶ月間お休みを戴いた週刊あらまあー、
    なんとか今回も
    皆さんのもとへお届けすることができました。

    そういった意味も含めまして、-----------------
    (どういった意味?というツッコミは
    ・・・・うーーん^^;

    10点だけ差し上げましょう。爆!)

    ----------------今回も元気にやっていきたいと思います。


    静けさや 岩にしみ入る モンゴル人

     ↑ななえ作 爆!


    ||荒間家||m-*)ぷっ


    ----------------------------------------------------------------------------


    {目次}


    最初の挨拶BYあらまあー

    いよいよ佳境!『おじさんバンド奮闘記』(第5話)

    メイン・テーマ「牌王位戦1周年を回顧する」


    ______________________________________ここまでが前半部

    寄稿:俺と同世代のすごい奴  群龍・著


    大会報告スペシャル・・・・・・・・
    (1)ひとみ&ルフィ杯・詳報
    (2)BLACK STARS ★CUP
    (3)第13期・牌王位戦

    初寄稿:ミニエッセイ:ひとみjackの麻雀放浪記

    あらまあーからのお断わりとお知らせ

    RENさん優勝記念・一挙2話掲載!

    『おじさんバンド・・・』(第6話)


    編集後記

    ----------------------------------------------------------------------------

    お( ̄0 ̄)ひ( ̄0 ̄)さ( ̄0 ̄)で( ̄。 ̄)すぅ〜
    み、な、さ、ん〜〜〜〜〜〜

    お待たせしましたーー。
    『別に誰も待ってないよ』といううすら寒い雰囲気の中、(爆!)
    週刊あらまあー16は、やっとのこと完成、配信の運びとなりました。

    去年の3月号のこの冒頭に、
    確かアカデミー賞の話題とプロ野球開幕の話題を書いたのですが、
    あれからもう1年たつんですねー。^^

    まさにこの1年は、アッという間に通り過ぎていった感じがします。

    さて皆さんもすでにご存じでしょうが、
    3月1日の土曜日、昼間の大会が開催され、
    参加者総勢32名8卓という、かくもにぎやかな催しとなりました。

    優勝者はなんと、あの、『おじさんバンド奮闘記』の著者、
    RENさん!
    ひさびさの大会正規出場でしたが、
    彼の優勝はあらまあーにとってもこの上なく喜ばしいものでした。

    大会当日の試合開始前、
    主催者のひとみJACKさんより優勝賞品の増額が発表され、
    6500円相当のビール券と旅行券は
    RENさんの手に渡ることと相成りました。
    RENちゃん、おめでとう!! 
    ちょっと口惜しい気もするが・・・。(爆!)

    ちなみに、第2回大会は初夏ごろ開催の予定だそうで、
    次回はなんとビール券や旅行券に加えて、
    アッと驚く豪華賞品がつく、とか。。
    またブービー賞も賞品が設定されるとのことで、
    どうか皆さん、
    今後も『ひとみ&ルフィ杯』、よろしくお願いいたします。

    また、Jでは初の試みかとも思われる深夜12時半開始の大会も、
    雫さん主催によって開催され、
    ハンゲではそあらさんの大会が開催され、
    大会の話題が尽きない、きょうこの頃のJサイトであります。

    さらにもうひとつお知らせ!
    去年もこの週刊あらまあーでご紹介したRENコン、
    (RENさんのバンドのコンサート、
    もちろんJユーザーにとっては東京オフ会という形で開かれます)
    今年も開催されるそうで、
    ついにライブハウス側との交渉も決着し、
    日づけが決定した旨、ここにお知らせしておきます。
    今年のRENコンは、7月21日・月曜日(祭日・海の日)
    去年と同じ吉祥寺のスターパインズCAFEにて、
    催されることになりました。
    RENさんともども、プロの幹事のいなださん(爆!)も、
    去年を上回る数のJからの参加者を確保しようと、
    今から張り切っているようです。
    どうかよろしかったら、皆さん、ぜひご参加ください。

    さていよいよ3月、東京はこの時期なぜか寒い日が続き、
    天気予報には雪ダルマのマークも出ちゃったりなんかしていますが、
    (・・・・っと、この部分は3月初旬に書いてます)
    ともかくも、気分は春、
    細かい事は気にせず、前向きに陽気にいきましょうね、皆さん!
    って、自分に言い聞かせてたりして。。(≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜
    いろいろモメゴトがあっても、すべては時が解決する。
    これ、あらまあーの持論です。ま、どうでもいいか。(爆!)

    ビッグNEWSが、もうひとつ!
    3月8日の夜開かれた第13期牌王位戦の決勝で、
    決勝シリーズ初登場の持杉ドラ夫さんが優勝!
    みごと、ついに第13期牌王位の座に就きました。
    心から、♪お(^O^)め(^。^)で(^O^)と(^o^)う(^。^)♪
    おなじみ『いなだシステム』により、再現試合が見れます。

    さて今回は、
    牌王位戦1周年を回顧し、いくつかのエピソードを紹介してみようか?
    というのがメインのテーマです。
    さらにRENさん優勝記念として、『おじさんバンド』の2話一挙掲載、
    「大会報告」スペシャルと題して、ひとみ&ルフィ杯の詳報や、
    ついに持杉ドラ夫さんの登場した牌王位決勝のもよう、
    あるいは、ひとみJACKさん、群龍さんの寄稿など、
    例によって今回も内容盛り沢山の週刊あらまあーであります。
    よいこのみなさんは、
    一気に読むと疲れるので少しずつ間をあけて読んでくださいね。w

    さあ、いよいよプロ野球も開幕の3月、
    群龍さん、飯田橋さん、うーさん、そしてあらまあーがこよなく愛する
    わが『読売ジャイアンツ』のV2も十分期待できます。
    また今年は、金本・伊良部が加入したことによって
    あのおやじくさい20だいのよしXXクン(爆!)が応援する
    『阪神タイガース』もかなり強そうです。
    阪神の強い年のペナントレースはかなり面白そうで、盛り上がること必至!
    いまからドキドキワクワクの野球狂のオジサンさんたち(爆!)です。

    1ヶ月お休みを頂戴しましてパワー全開、
    週刊あらまあー16、発進します!

    ----------------------------------------------------------------------------

    おじさんバンド奮闘記

     第5話 いざライブ!(コツ登場)

    はじめに

     去年(2001年)の10月、職場の旅行で八甲田、奥入瀬、十和田の紅葉を楽しんだ。
    若い頃は何も感じなかった紅葉だが、この年になって見事な風景を目の当たりにして、
    その美しさに心が洗われた。

    貸し切りのジャンボタクシーで弘前に移動すると面白い光景を目にした。
    信号待ちの交差点でタクシーがとまった時のことである。
    歩行者信号が青になったのに、自転車に跨った年輩の方が目の前の横断歩道を横切る
    自動車に邪魔されてなかなか横断歩道を渡れない。
    「あらら、あれはひどいね」
    私が言うとタクシーの運転手が言った。
    「弘前では自動車優先なんですよ。歩行者のために止まろうものなら
    後ろの車からブーブーやられてそれは大変です」。

    これは驚いた。交通法規に明記されているかどうかは知らないが、歩行者優先はどこ
    でも当たり前のことだと思っていた。自動車教習所でもそのように教わった。
    私が路上の卒業試験を受けた時のことだ。
    「次の交差点を左折しなさい」
    助手席の教官に言われ車を左に寄せて減速した。
    すると、歩道に私の教習車よりやや遅いスピードで並行する自転車があった。微妙な
    タイミングになったが、そのまま左折体勢に入り交差点に差し掛かると、その自転車
    は私の教習車に遮られ横断歩道の手前で止まった。
    教官が言った。
    「今の自転車に気づかなかったのですか?」
    「まずい…」
    私は咄嗟に答えた。
    「自転車と車の速度を考えました。交差点でハンドルを左に回したときに歩行者信号
    が青の点滅になったのでそのまま曲がりました」。
    もちろん嘘である。ひやひやしながらバックミラーを見ると自転車はそのまま止まっ
    て信号が変わっていた。
    「あなたは本当にそこまで確認したのですか?」
    「はい」。
    この一言が効いて路上試験は一度で通った。
    弘前ではこの場合どうなるのだろうか。
    そんなことを考えながらタクシー運転手の話を聞いた。

    地域独自の文化や習慣はどこにでもある。
    しかし、知らずに対応すると身を危険に置きかねない交通マナーだけは全国共通で
    あって欲しいものだ。
    五十路に一つ近づいたおじさんバンドの一員の他愛もない独り言である。


    いざライブ!(コツ登場)

    おじさんバンドの初ライブを1月後に控えて、
    キーボード担当のマスミもメンバーに加わり、
    本番さながら熱の入った練習が始まった。
    ジョーから「3月に」と提案されたライブの日取りは、
    メンバーの仕事の都合や会場スケジュールが折り合わず、
    3月、4月、5月、と延びていく。
    「どんどん延びて、あわよくば中止に…」、
    そんな願いも虚しく、ジョーからメールが届く。
    「6月3日(2001年)でどう?」、
    皆の返信は異議がない。
    おじさんバンド結成後初めてのライブは、
    私の気分を代弁するかのような梅雨入り間近の鬱陶しい時期の開催が決まった。
    「ステージは二部構成にする。ビートルズナンバーは第一部、第二部は歌姫中心ね。
    オープニングは“Get Back”。終わったら間髪入れずに“Don’t Let Me Down”
    “I've Got A Feeling”と3曲続ける。1回目のMC(司会)はその後で短めに入れ
    て。メンバー紹介は2回目のMCで。会場がノッてきたところで“君の瞳に恋して
    る”でエンディング。アンコールは“Let It Be”、間奏のリードはシゲ、ショー
    ゾー、RENの3人で回して」。
    好きこそ物の上手なれ、ジョーはライブの組み立てがうまい。「
    MC」という言葉もこの時初めて知った。
    「オカコ、この曲のコーラスに参加して。REN、ギター陣3人の役割分担は大丈夫
    ?」。
    演奏の総監督はナリジだ。
    フェードアウト(だんだんと音が小さくなって終わること。Fade Outを略して
    「F.O.」というらしい)でエンディングを迎える曲がいくつかあった。
    「この曲はこうやって終わらそう」、
    ジョーとナリジが相談して決める。
    私は二人の指揮官に従ってついていくだけだ。

     「MC」と「F.O.」が出たついでに、おじさんバンドに参加して学んだ言葉を
    紹介する。オカコのメールに「ピーカン」と書いてあった。
    初めて聞いたが、「快晴」という意味のかなり有名な言葉だそうだ。
    「“ピーカン”を知らないのはRENくらいよ」
    と言われたので大辞林で調べると、
    なるほど「(屋外撮影現場の俗語から)直射日光の当たる快晴の状態」
    と出ていた。
    悔しいがオカコが言ったのは本当のようだ。
    ジョーが「ハコバン」時代の話をしてくれたことがある。
    「ハコバン」とは、クラブなどで演奏するバンドのことである。
    「1回の演奏でどれくらいもらえるの?」と聞くと、
    「20年以上前だけど、“ゲーセン”くらいかな」と言っていた。
    数を数える時は1がC(ツェー)、2がD(デー)、3がE(エー)、
    4がF(エフ)、5がG(ゲー)、6がA(アー)、
    7がB(ベー)という。
    CからBまでは「ド」から「シ」までの音階を表し、
    ドイツ語で発音する。
    「ゲーセン」とは
    「G(ゲー)」の「5」の意味に「セン(千)」の意味を加えた
    「5,000円」のことだというのだ。
    「7,000円」は「ベーセン」ということになる。
    問題は「8,000」だ。「C(=1)」から「B(=7)」までで
    音階が一巡すると、
    「オクターブ」をつける。
    つまり「8,000円」は「オクターブツェーセン」というのだ。
    ジョーが笑いながら言った。
    「“8,000円”って言った方がよっぱど早いのに」。

     このほかにも芸能界でよく使われる逆さ言葉がある。
    「ベース(ギター)」を「スーベ」、「ギター」を「タギー」、
    「ピアノ」を「アノピ」と言う。
    2文字は単純ひっくり返えせばいいのだが、
    3文字の場合は頭の文字だけを入れ替えて、他2文字はそのまま残すことが多い。
    しかしそれもすべて法則どおりにいかないというからややこしい。
    「今日は雨が降っているね。そば食べる?それともコーヒーでも飲む?」
    という会話は、
    「今日はメーアリーフだ。バーソイクィー?それともヒーコムーノ?」
    (指導=コツ)となる。
    難解でとても日本語とは思えない。
    一昔前に若者の間で「まる文字」がはやったことがある。
    万年筆の書き具合を試すときに、一筆書きのように円をぐるぐると時計回りに右へ右
    へと繋げて書くことがある。
    丸文字の時は、あの流れを文字に反映して今の横書きに対応してできた若者文字と好
    意的に解釈したが、この逆さ言葉には使われている理由も必然性もまったく見当たら
    ない。
    初対面の若者と話すとごく普通に「マジっすか?」と平気で返ってくる。
    理解の及ばない若者文化に懸念を感じる辺りにおじさんの烙印を感じずにいられな
    い。

    「マスミ、走っているよ」「REN、遅れている」、
    ジョーから叱咤の声が飛ぶ。
    “I've Got A Feeling”の間奏で私のギターソロがある。
    ナリジのシャウトの後、全員がブレイク(音を出すのをやめること)し、
    私だけがチョーキングをビブラートさせながら二小節のカウントを刻む。
    2小節の3拍目からジョーのドラムが軽快に加わり、3小節目の頭から全員の演奏と
    ヴォーカルが一斉に始まる、という展開なのだが、
    リズム感が無くなってしまった私はカウントを正確に刻むことがうまくできない。
    ジョーのドラムの入りとタイミングが微妙にずれてしまうのだ。
    「ここがキマらないと格好悪いよ」。
    困った私はジョーの動きに注目した。するとジョーは私のチョーキングのテンポを無
    視して、頭を上下に振って正しいカウントを取っている。
    「これだ!」、
    私はジョーの頭の動きを拝借してカウントを刻んだ。ドンピシャである。
    「一件落着」と喜んだのも束の間、次の練習でこの方法を試そうとすると、私のカン
    ニングに気づいたジョーが頭を振らずに笑っている。
    「しまった、気づかれたか…」。
    またしてもドラムの入りとズレてしまった。
    25年ぶりのジョーは意地悪おじさんに変身していた。
    私はジョーが頭の動きに代えて足でカウントを取っているのを見逃さなかった。
    ジョーのカウントさえ盗めればうまく合うのである。目立つことが嫌いな私に絶好の
    口実が見つかった。
    「本番ステージの陣取りは、ジョーの全身が見えるドラムの隣を確保しよう。ドラム
    は恐らく一番後ろにセットされるに違いない。目立たないで済む。一石二鳥だ」。
    転んでもただでは起きない、競馬でいうところの「古馬のズブさ」である。

     話は逸れるが、競馬用語を引用したついでに私の競馬遍歴を紹介する。
    私が中学2年の時である。ラジオを聞いていると競馬中継が入ってきた。
    それは競馬だけを放送する専門の番組ではなくて、歌などを流していてレース発走間
    際になると競馬中継を放送するという番組だった。
    その番組で競馬クイズをやっていた。
    その日のメインレースに賞金5万円が割り当てられ、枠連予想が当たった全員に5万
    円を均等割りするというのだ。予想は電話で申し込む。
    「電話をかけるだけでいいのか」。
    競馬などまったく知らない私だったが、面白そうなのでやってみることにした。
    新聞のスポーツ欄を見みると、その日のメインレースは有馬記念だった。
    「◎と○が強い馬だな」、
    私は◎印が付いたスピードシンボリと〇印が付いたアカネテンリュウの枠連に決め
    た。
    勇んで電話に向かったが何度かけても話し中である。何十回となくダイヤルを回して
    やっと繋がり予想を告げた。ドキドキしながらテレビの前に釘付けになる。
    結果は8歳馬のスピードシンボリが有馬記念2連覇を達成した。
    アカネテンリュウが2着。
    「当たったのかな?」。私はラジオに聞き入った。
    「今日の当選者はこれまでの最高人数です」。大本命だったのだ。
    「東京都のRENさん、この方は中学2年生ですね」。
    私の名前が全国に流れてしまった。翌日床屋でこの放送を聞いていたという担任教師
    と友人数人から「RENは競馬をやるのか?」と問い詰められた。
    今考えると「床屋で聞いていた」というのも怪しいものだが、何日か経って1000円に
    満たない賞金が私の手元に送られてきた。これが競馬との初めての出会いとなった。

     次の出会いは、それから2〜3年後のことだ。
    仲の良かった競馬好きのハコについて東京競馬場に遊びに行った。
    競馬場に行ったのはこの時が初めてである。
    中山競馬場での開催期間中だったので、
    東京競馬場は場外馬券売り場となっていて閑散としていた。
    私はその広さに感激して思わず柵を乗り越え、ハコと一緒に緑のターフで競争した。
    折角来たのでハコの競馬新聞を借りてバラ券(200円券)を1枚買った。
    「どうせ当たりっこない」
    と高を括って買った無印二つの枠連は99.7倍の高配当になった。
    典型的なビギナーズラックである。
    この時から本格的な競馬人生が始まった。

     それからというもの土日となれば、競馬場通いに精を出した。
    資金は特券(1,000円券)で万馬券を当てた時の払戻金を原資に競馬専門口座を設
    け、特別会計で処理した。
    働いてからの話だが、私は役所に勤める競馬好きのNさんと仲良くなった。
    一緒に福島まで馬を追いかけて行ったこともある。
    今から20年前の話である。
    ある時、農林省出身である役所の事務次官をされたある先生に
    「REN君と奥さんを昼食に招待しよう」
    と誘っていただいた。
    その先生の声はとても小さい。食事をしながら話しかけられてもなかなか聞き取れな
    いのだ。会話がかみ合わないで失礼があってはいけないと思った私は自分から話しか
    けることに努めた。勤めて間もない私にとって先生と話す話題など見当たらない。先
    生が農林省出身ということを思い出し、得意の競馬の話をしてみた。
    すると先生は、日本中央競馬会が特殊法人になった時の法律作りを担当されたとい
    う。
    「今度ダービーがあるね。東京競馬場の入場券を取ってあげようか」
    「ぜひお願いします」。
    「何枚ほしいの?」
    「できましたら3枚お願いします」。
    私の頭には、ハコと役所のNさんと私の3人が頭にあった。家内とはレストランで別
    れ、職場に戻ると先生は私の机から日本中央競馬会の理事長に電話をかけて券を頼ん
    で下さった。電話を切ると先生が言った。
    「これだけでは心配だな。農林省にも頼んでおくか」。
    今度は農林省畜産局競馬監督課長に電話された。
    後日中央競馬会と農林省から3枚ずつ合計6枚の入場券が届いた。日本ダービー特別
    観覧席の入場券だ。しかも6枚もある。
    飛び上がらんばかりに喜んだが、逸る気持ちを抑え念のため先生に聞いてみた。
    「先生ありがとうございました。入場券は6枚届きましたが、いかがいたしましょう
    か?」「無駄の無いように使って下さい。私も行きますから」。
    もしやとも思ってはいたが予感は的中した。先生の一言で幼なじみのハコを誘うこと
    は叶わなくなった。先生を含めた6人分の入場券をさばかなければならない。
    私は役所にNさんを訪ね入場券を見せた。
    「お、すげーダービーだ。しかも特観席じゃない」
    「先生が取ってくれたんだ。一緒に行こうよ」
    「え、まさか先生も…」。
    先生はNさんの役所の次官をされた方だった。途端にNさんの表情が曇る。
    私はNさんの部屋にいた顔見知りの何人かに声をかけたが、全員無言のまま首を横に
    振る。
    困った私は職場に戻り、競馬をしたことのない先輩たちや女性職員にお願いして付き
    合っていただいた。
    ダービー当日、私は待ち合わせの「府中競馬正門駅」の改札に早めに行って先生を
    待った。すると先生は約束の時間より30分近く前に到着された。
    「まだ随分時間があるね。あそこで休もうか」。
    先生の視線は屋台風の露店の野ざらしテーブルに向いている。
    どうしたものかとも思ったが私は先生に従った。
    ジュースのようなものを頼んで席につくと、周りには常連客が競馬新聞を手に昼間か
    ら酒を飲んでいる。側に座っていた一人が先生の隣に席を移すといきなり話しかけて
    きた。
    「俺はよー。田舎に帰るとちょっとしたもんさ。町の議員だって皆俺の知り合いよ。
    あんたもただもんじゃねーな。俺にゃ分かる」。
    男は先生の弁護士バッジを睨みながら言った。
    内閣法制局の高官も歴任された先生は弁護士の資格を持たれていた。
    「これは困ったことになった」。
    ふと改札に目をやると幸いにも事務所の先輩たちが到着したのが目に入った。
    「先生、そろそろ行きましょうか」
    「さっきの人は何を話していたのかな。よく分からなかったね」
    先生が言われた。
     特観席の入口は、券馬場正門から入った正面にあった。ガードマンが入り口の両脇
    を固めている。この入り口は、いつも横目に素通りするだけで入ったことなど一度も
    なかった場所だ。エレベーターで上ると、ゆったりとした見晴らしのいい席に案内さ
    れた。周りの人たちも馴染みの競馬客とは雰囲気が違う。レースが近づくと若い女性
    が近寄ってきた。
    「買ってまいりましょうか?」。
    勝手が分からない私は、前の席の人が頼んでいる様子を窺った。すると大金を渡して
    いる。「自分で買いに行きます」。
    私は買い慣れたフロアーに下りて、人混みの中でバラ券を買った。この日のレースは
    ガチガチの大本命ばかりだった。中穴狙いの私には全然出番が無い。
    先生は殆どのレースを的中された。目当てのダービーはミスターシービーがシンガリ
    (最後方)から全馬を差しきって見事に3冠を達成した。
    財布の中身と神経を使い果たした私は、この時を最後に競馬を止めた。
    帰宅の道中先生が私に言った。
    「来る馬を買わなきゃダメだよ」。

     話を本題に戻す。
    1月間で20曲近い曲の構成と、自分のパートを覚えなければならないマスミの奮闘ぶ
    りも大変なものだった。
    「この曲の楽譜があったらFAXで送って」
    「今度の日曜に家で一緒に練習しない?」。
    マスミから連日のようにPCと携帯にメールが入ってくる。ライブ前の一月間に二度
    ほどマスミの家に行って練習したことがあった。
    この頃からスタジオ練習以外の練習を「秘密練習」と呼ぶようになる。メンバーの
    メールで「明日、マスミの家で秘密練習をするから来られる人は来て」
    と全員に呼びかけるのだから、実際のところは秘密でもなんでもない。
    中学、高校時代にテストが近づくと、
    「誰々の家に行って一緒に勉強して来る」と大手を振って出かけたものだが、それと
    よく似ていている。ちょこっと練習しては、「休憩」と称してビールを片手に昔話に
    華が咲く。要するに練習(勉強)した気分に浸って満足するのだ。
     家での練習も似たようなものだ。私はギターを持つと決まって睡魔に襲われる。
    この状態もテスト前の教科書を手にした時とよく似ている。
    あの時は教科書が持つ特殊作用と思っていたが、睡魔を誘った原因は教科書にあった
    のではなく、テスト前という状況にあったようだ。
    今さらそんなことが分かったところで仕方のない話だが、テスト前が本番前に、教科
    書がギターに変わっただけで、何ら進歩のない自分に気づき苦笑する。
    歌姫たちとオカコが歌うZARDや小柳ゆきなど
    イマドキの曲の音取りもしなければならない。
    本番までのカウントダウンも僅かとなった。
    「あ〜ぁ、一体どうなってしまうのだ…」。

     おじさんバンドの人間模様を語る上で欠かせない人物がいる。
    高校時代の小金井公会堂でのライブの仕掛け人、コツである。
    コツはナリジと私の中学時代の同級生である。
    ヒョロっと背が高くガリガリに痩せていた。
    「コツ」のあだ名は、骨のような体型に由来している。
    コツは、楽器の演奏と運動は苦手だったが、機械にめっぽう強かった。
    オーディオとハム(アマチュア無線)のマニアだったコツは、仲間うちで常にメカの
    最先端を走っていた。
    中学時代のことだ。
    コツの部屋は日中でも薄暗く、怪しげな雰囲気が漂っている。本棚や机の下にはハム
    やオーディオの専門誌家が整然と並んでいる。窓際のラックには我々ではとても手が
    届きそうもないオーディオ機器の数々が配置してある。
    「これが同じ中学生の部屋なのか」、
    驚きと憧れの気持ちが錯綜するコツの部屋が私は何となく好きだった。
    ふと机の上に目をやると、何やらスイッチがたくさんついた機械が置いてあった。
    コツがその機械を操作すると、天井から、ベッドの下から、あるいは窓際のカーテン
    の陰からと、ステレオの音の出所がコロコロと切り替わる。
    私は、きれいな銀色のアルミで作られていたこのスピーカー切替機が一目で気に入っ
    た。「すげー、これどうしたの?」
    「ぼくが作ったんだよ。作ってあげようか」。
    コツは同じ機械を私にも作ってくれた。
    「こんなにスピーカー持ってないよ。コツは買ったの?」
    「捨ててあるステレオのスピーカーを使えばいいんだよ」。
    コツがスピーカー切替機を私の部屋に取り付けてくれた。
    「何かトラブルがあったら言ってね」。
    喜びはしゃぐ私をコツは冷静に見守っている。
    私には分かった。表情には出さないが、私が喜べば喜ぶほどコツも嬉しいのだ。
    コツの影響もあって、ナリジやハコや私もオーディオ揃えるようになった。
    指南役はもちろんコツである。バイトやお年玉で貯めた予算に応じて適当な機種を選
    んでくれる。誰かがオーディオを買う時には必ずこの4人で秋葉原に乗り込んだ。
    「これはあそこの店の方が安いよ」
    「うまく値段交渉すればもっと安くなる」、
    コツのアドバイスは的確だ。
    目的の買い物を終えて帰りの電車に乗り込む。
    念願のオーディオアンプ、レコードプレーヤー、
    ラジオチューナー、2本のスピーカーを所狭しと集めて車両の一角を陣取り、
    他の乗客の迷惑も顧みず小一時間の道程を帰ったものである。
    おじさんバンドの初ライブの後で合流するマッちゃんを我々に引き合わせてくれたの
    もコツだった。
    コツとナリジと私は全員別の高校に通っていた。
    高校1年のある時、ナリジとコツの家に遊びに行くと、
    コツが1本の録音テープを聴かせてくれた。それはコツの高校の同級生が演奏しコツ
    が録音したテープだった。
    ビートルズの「ゲットバック」、サンタナの「ブラックマジックウーマン」、キャロ
    ルの「ファンキーモンキーベイビー」を演奏している。
    我々より格段にうまい。驚いたのはドラムの存在だ。
    「ドラムが入るだけでこれほどまで違うものなのか」、
    我々のバンドにはドラムがいなかった。
    このテープに刺激されて、後にジョーをドラマーへと巧妙に誘導することになるのだ
    が、このテープでギターを弾いていたのがマッちゃんだったのだ。
    この翌年、マッちゃんは小金井公会堂で行うライブのために、コツの口利きで我々バ
    ンドに加わることになる。
    私たちがマッちゃんを知ったのはこの時が初めてだった。
    この時のマッちゃんのバンドでドラムを叩いていたのがコンちゃんである。
    コンちゃんはマッちゃんたちのバンドを辞めてからベンチャーズのコピーバンドに参
    加した。そのベンチャーズのコピーバンドと、ビートルズのコピーバンドの我々で
    「合同ライブをやろう」
    と話を持ってきたのがコツだ。
    そのライブこそ、これまでに何度も登場した高校時代の小金井公会堂での最初で最後
    のライブだったのである。
     「コツはどうしているかな?」
    「この前、家の前を通ったら家が無かったみたいだったよ」
    私の問いにナリジが答えた。
    おじさんバンドの話が出た時からコツは探していたがどうしても見つからなかったの
    だ。
    おじさんバンドの初ライブを間近に控えたある日、新たにメンバーに加わったマスミ
    から1本のメールが入った。それはマスミの中学時代の友人で今でもバンド活動を続
    けているイチノセに宛てたメールのCCだった。
    「今度ナリジたちとライブをやるけど来ない?」
    「その前にぼくら(イチノセ)がライブをやる。コツも来るよ」。
    長い間探し求めていたコツの名前がイチノセの返信に呆気なく書いてある。接点が無
    かったコツとイチノセの交友が不思議に思えたが、
    あれほど探していたコツが簡単に見つかった。
    イチノセは30年近く会っていないが昔よく麻雀をした仲間だ。
    私はイチノセにメールを出してコツのメールアドレスを教わった。

    連絡が取れた私は早速国分寺のコツの家を訪ねた。
    家は昔の所にあった。
    ナリジが「家が無くなっていた」と言ったのは、
    ナリジがコツの家の前を通りかかった時が、
    たまたま立て替えのため前の家を取り壊して更地になっていた時と重なっていたから
    であった。
    コツの家は建て直して間もない綺麗な2階建てに変わっていた。
    私が好きだったあの怪しげな部屋はもう無い。
    家に通されると地下にスタジオがある。全室に防音効果が施されている。
    トイレの窓ガラスまでもが二重なのだ。
    「すごい、すごい、すごい!」。私は「すごい」を連発した。
    地下のスタジオにはPAのような大きな機械とPCが並んでいる。
    初めて目にする物ばかりの中でスピーカーだけは見覚えがあった。
    コツが高校時代にコーラルのスピーカーからアップグレードして買ったクライスラー
    のスピーカーだった。あの頃とは比較のできない環境の中で当時のスピーカーが大切
    に使われているのを見つけ、懐かしくもあり、嬉しくも感じた。
    「このスタジオで演奏できるかな?エレキは何本くらい?げるの?」
    「40本くらいは平気かな」。
    「ライブの前日、ここで練習してもいい?スタジオが取れないんだ」
    「いいよ、いいよ。使いなよ」。
    私が「すごい」を連発したのには訳がある。
    コツは昔から自分の持ち物で皆が楽しんでいる姿を見ているのが好きで、それが嬉し
    い人なのだ。いい奴である。中学時代に作ってもらったスピーカー切替機の時とそう
    だった。
    「すごい、すごい!」と言って、皆で感心しながら楽しんでいれば、それだけでコツ
    も嬉しいのである。20年ぶりで会ったコツは昔のコツのそのままだった。

     ライブの前日、仕事があるジョーを除いたメンバー全員がコツスタジオに集合し
    た。
    ナリジの指揮でコーラスの総点検が始まる。
    さすがに本番前日だけあって皆の取り組みも真剣そのものだ。
    「おや、ササキがいないぞ」、
    仕上がりに難のあったキーボードのササキ君の姿が見当たらない。
    私は佐々木君の携帯に電話をした。
    「はい…。な〜んか風邪ひいちゃってみたいで大事をとって寝ています…」
    「皆そろっているから早くきてね」。
    それから1時間が経った。ササキ君は現れない。
    私はまた電話をした。
    「え〜〜と、風邪が…」、まだ寝ている雰囲気だ。
    「とにかく早くおいで」。
    それからさらに1時間ほどしてササキ君が登場した。
    皆と合わせて演奏するが、なかなかうまくいかない。
    「ササキの特訓をしなきゃ」。
    何度か合わせているうちにだんだんと形になってきた。
     練習に精を出すと腹が減る。
    地下のコツスタから1階の応接間に場所を移し、寿司屋の出前を頼んで空腹を凌い
    だ。10人前以上の寿司があっという間に無くなる。
    テレビをつけると日本代表のサッカーの試合をやっていた。
    全員で応援する中、オカコとナリジはテレビに背を向けてライブ会場のスタッフに渡
    す演奏曲の構成表を作っている。
    ジョーから電話が入った。
    「練習どんな具合?」
    「なかなか良かったよ」
    「ササキは来た?」
    「遅れてきたけど何とか形になったみたい」
    「今は何やってるの?」
    「寿司食いながらサッカー応援してる」
    「いいなぁ。まだ仕事だよ」。
    不安と緊張の中でのライブ前日の練習は、寿司とビールとサッカーの代表選の応援で
    すっかりとリラックスムードに切り替わった。
    「腹が減っては戦ができぬ」と言うが、
    「腹を満たしすぎても戦ができぬ」ということをこの時知った。
    満腹になって酒が入ると気持ちが大きくなり目先のことはどうでもよくなる。
    その上サッカーの代表選の応援だ。
    それまでの緊張感もすっかり失せて明日のライブなどどうでもよくなってしまった。

    本番を前日に控え、
    音響のプロで課題曲の配布用MDの作成やスタジオのPAを担当する
    縁の下の力持ち、コツがメンバーに加わった。

    明日はいよいよライブ当日である。

    (「第5話 いざライブ!(コツ登場)」終わり。ふぅ〜…)


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    メイン・テーマ:「牌王位戦1周年を回顧する」

    {序}大会開催の動機

    去年の2月に
    『東風荘』のVIP(有料)サイトで隔週土曜日に開かれていた
    東風VIPナイト(東風銀河団主催)に出場したあらまあーが、
    なんと初出場で初優勝を達成しました。

    思えば、それが発端でした!

    ___________________________

     VIPナイト:成績表

                   2002年2月3日(主催:東風銀河団)

              優勝はあらまあーさん、おめでとう^^

    順位 名前(HN) 合計得点 1位 2位 3位 4位 試合数 平均順位
    1 あらまあー   +62   2 1 0   0 3 1.333
    2 フーテンの中 +51   1 0 2   0 3 2.333
    3 ムームちゃん +15 0 3 0 0 3 2.000
    4 アイスマン武 +3 1 0 1   1 3 2.667
    5 啓優 -8   1 0 1 1 3 2.667
    6 男組☆雀親父 -23 0 2 0 1 3 2.667
    7 東風の狼 -37 1 0 0 2 3   3.000
    8 鹵~宇宙船鹵~ -63 0 0 2 1 3   3.333
    ___________________________

    このVIPナイトは現在は休止中ですが、
    このときの優勝の爽快感は格別なものでした。

    そして、あらまあーが、
    なんとかこうした定期大会をJサイトでも開くことができないものか?
    と思い始めた頃、
    当時よくいっしょに打っていた九州の大学生、k_k_matsuさん(以下Kマツ)が、
    「実は僕もここで大会やったらどうか? って思ってたんですよ」
    と同調してくれて、それでは、やってみようか? ということになったのでありま
    す。

    当時のあらまあーの心境を『週刊あらまあー4』から抜粋してみます。
    _________________________

    「発端・あらまあーの心境」
     将棋サイトから来たあらまあーにとっては、
    麻雀サイトの人たちがみんな親睦的に毎日あいさつをかわすわりに、
    将棋のグループのように
    何か自分たちの手でイベントを行おうという動きがほとんどないことが
    疑問でした。
     ちょっと前までの将棋サイトでは、
    有志一同の掛け声で週末などにリレー将棋や小大会などがおこなわれていて、
    それはそれでプレイヤー間の親睦の一環として役立っていたように思います。
    しかし麻雀サイトにはそれがなく、(少なくともあらまあーが来てからはそれがな
    く) 
    ただポイントを増やしていくだけの毎日でした。
     もちろんゲームサイトですから、それはそれでいんでしょうが、
    ただポイントを増やしていくだけではなく、
    何かイベントのようなものができないだろうか?、
    そう常々考えるようになったんです。・・・・・・

    (週刊あらまあー4より)
    __________________


    さて、しかし、大会を開く、と言っても、問題はたくさんありました。
    どうやって参加者を募るのか? どうやって開催するのか?
    取りあえずの方針として、Kマツ君のホムペと週刊あらまあーで発表し、
    あとはロビをかけずり回って参加者を募る、ということに決まりました。

    まず、どうせ大会を行なうなら、
    最初は、参加人数よりも、中身のある顔ぶれにしたい!
    得点制の大会を行なうのだから、
    各卓の観戦にひとりずつ得点記録係としてスタッフを置きたい!
    というのが、あらまあーの考えでした。

    そして、当時週刊あらまあーがこのサイトのトップと認めていた
    男子は持杉ドラ夫さん、女子はaimamaさん、
    このお二方にはぜひとも出場して戴きたい、
    というのが、あらまあーの率直な願望でした。

    当時持杉さんと親しかったゆいリンさんに持杉さんへの大会出場の打診をお願いし、
    あらまあーはアイママさんの元へ。。。
    あたってくだけろ、ダメモトだ、との思いで、観戦で大会開催の主旨を語りました。
    すると意外や意外、アイママさんはこの申し出に興味を持ってくれたのです。
    そればかりか、第1回大会出場を約束してくれたのでした。

    また、持杉さんへの打診をお願いしていたゆいリンさんからは、
    当日は仕事の関係で出場は無理ではないか?
     という返答がかえってきていました。
    ウーーム^^;
    第1回大会にはアイママさんとドラオさんの出場は不可欠だと思っていたが、
    仕事ということなら、仕方ないか。。。(∇≦*)んもぉ〜♪

    ところがその報告をゆいリンさんから受けた日の深夜、奇跡が起こりました。
    ドラオさんから、出場承諾のメールが! \(@^0^@)/やったぁ♪
    これで持杉ドラ夫さんとアイママさんという2本の軸ができました。
    正直、あらまあーも選手として参加したいくらいの気持ちでした。

    ただ、ベテラン強豪のこのお二方に加えて、
    それに対抗する『売出し中の新鋭若手の出場』という問題がまだ残っています。
    ここで若手担当のKマツ君から、朗報が飛び込んできました。
    当時(2002年2月当時)、
    マッキー(macky_ko)さんとナバ(@naba)さん
    という新鋭の雀士が彗星のごとく登場し、
    月間ポイントの1位2位を独占、話題をさらっていた時期でした。
    Kマツ君いわく、このマッキー、ナバ両名の大会出場の受諾を得た、というのです。
    まさに天にも昇るような気持ちでした。

    『牌王位戦』というネーミングを考えたのは、あらまあーでした。
    もちろん、「近代麻雀」という雑誌の初期のタイトル戦第一号と同じ名称です。
    名人戦や最高位戦というネーミングも考えましたが、
    やはり最初の大会にしては名称が重過ぎるような気がして、
    『牌王位戦』に落ち着いた、という次第です。

    こうして、第1回大会は、
    持杉ドラ夫さんにアイママさん、加えて、ナバさんにマッキーさん、という、
    新旧強豪の対決が実現したのでした。

    ナバさんをここでスカウトしたことが、
    その後の牌王位戦に大きな影響をおよぼすことになったことは、
    ここで詳しく記述するまでもないでしょう。
    この後ナバさんは牌王位2連覇、さらについ最近では3連覇と、
    通算で5度の牌王位の座に就くこととなるのです。

    いよいよ、Jサイト初の大会開催に向けて、
    歯車は順調に回転し始めました。


    {一}開催までの準備

    まず、初期の牌王位戦は、
    各テーブルに観戦スタッフが着いてゲームの結果を記録する、
    つまり各自の得点はスタッフが記録する、という形式のものでした。
    そこで、スタッフの確保がまず当面の問題となりました。
    が、この問題はすぐに解決しました。
    貴子さん、ゆいリンさん、そしてMelissaさんが、
    スタッフとして参加することを了解してくれたのです。

    そこでまず、大会形式のシミュレーションを行なってみよう、ということになりまし
    た。
    模擬大会は3回戦制で行ない、
    メンバーは、提唱者のあらまあー、賛同者で大会主宰のKKマツ君、
    すぐさま賛同して参加の意を表してくださった、えみりん☆さん、
    それに、彼もまたいち早く大会の実現を希望してくれた、ドッギーさん(doggy)、
    この4名でした。
    得点の合計により優勝者を決めるというもので、
    順位点は、1位+20、2位+10、3位ー10、4位ー20、(単位千点)
    と決めました。
    当時の懐かしい記録が残っていますので、紹介しましょう。
    得点の記録はあらまあーが担当しましたが、
    4局が終わってもゲーム終了のOKをクリックしないようにと自分自身に言い聞か
    せ、
    冷や汗をかきながらのスタートでした。
    (得点を記録しないうちにゲーム終了のウィンドのOKをクリックしちゃったら
    こりゃもう、大変ですから、ね。w)

    ミニ大会1回戦はドッギー君がほとんどひとりで上がりマクって大きいトップ。
    2位のまっちゃんでさえ最終持ち点が15000点という状況で、
    あらまあーとえみりんさんはほとんどハコ、惨憺たるスタートとなりました。

    1回戦の結果;(マルの中の数字は順位)
             kk_matsu    doggy   あらまあー   えみりん☆
    最終得点    −15A    +68@   −26B   −27C
    順位点      +10     +20    −10     −20
    _________________________________________________________________________________________
    合計        −5     +88    −36     −47  
    ____________(注:100点単位は五捨六入、3万点返し表記)

    第2ゲームは小場ながら、流れをつかんだえみりんさんが、逃げ切って快勝。
    あらまあーはラスでした。

    2回戦の結果;
             kk_matsu    doggy   あらまあー   えみりん☆ 
    最終得点     −9B    −9A   −10C    +28@
    順位点       −10    +10   −20      +20 
    _________________________________________________________________________________________
    合計 −19    +1    −30      +48  
        

    最終戦ではちょっとムキになったあらまあーが(爆!)ラス前のオヤで上がりまく
    り、
    一気に逆転!好調ドッギー君を飛ばしました。

    3回戦の結果;
            kk_matsu    doggy   あらまあー   えみりん☆
    最終得点    −27B  −31C   +51@     +7A
    順位点      −10    −20     +20      +10
    _________________________________________________________________________________________
    合計       −37    −51    +71      +17

    最終結果:優勝doggy +38  2位えみりん☆ +18 
    3位あらまあー +5   4位kk_matsu −61

    さて、この方式で行なう試合がけっこう緊迫感あふれる面白いものだと、
    一同、実感したものでした。
    そしていよいよ、大会開催期日、参加メンバーも決定し、
    第1期牌王位戦開催の運びとなるのです。

    第1回出場者は、
    持杉ドラ夫さん、aimamaさん、めつさん、ドッギーさん、マッキーさん、
    たーぼーさん、えみりん☆さん、朱奈嬢さん、篠芙さん、
    美女と野獣(=さくらママ)さん、そしてナバさん、
    という顔ぶれでした。いまでは懐かしいHNの選手もいます。

    当日までにロビ・ハンティングをし、リハーサルをし、
    スタッフ一同は、大会当日のために万全を期して、
    開催の日を待ちました。

    {二}第1期牌王位戦・再現

    さて、いよいよ第1回大会の当日が来ました。
    ドキドキ、ワクワク。。^^;
    週刊あらまあーの号外版『第1期牌王位には誰がなったのか?』
    から、第1期の牌王位戦の模様を再現してみましょう。

    ________________________


    (週刊あらまあー号外版『第1期牌王位には誰がなったのか?』より抜粋)

    予選結果概説;
     
     予選は東風4回戦を闘って上位4名が決勝進出というルールですが、
    なんと大波乱が起きました。
    必ずどちらかは残ると思われていたビッグ2、
    持杉ドラ夫さんと aimama さんがどちらも予選落ちしてしまったのです。
        
     決勝に進んだベスト4は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     
    篠芙(+102; 予選1位)、美女と野獣(+88; 2位)、
    @ naba(+62; 3位)、子哲(+31; 4位)の4名。

     以下は、あらまあーの決勝観戦記です。
    ただし、篠芙さんはシノブ、@ naba さんはナバ、美女と野獣さんは美女、
    子哲さんは子哲(おんなじやんけ。(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!)
     と、表記します。

    決勝は(今回に限り)予選の各自の得点を引き継いで行なわれ、
    総合トータルトップの選手が優勝者となります。
     なお、決勝は東南戦2回戦です。

    (手牌図は、
    赤の漢数字がマンズ、青のカッコで囲った算用数字がピンズ、
    緑の算用数字がソウズです。)

    決勝第一試合;

    東1局; 東家 ナバ  南家 シノブ  西家 美女 北家 子哲
     決勝1回戦。起家(出オヤ)のナバさんがダブ東をポンし、カン7ソウをチーし
    て、

    東東東(ポン) 678(チー)  六六(6)(7)(8)(9) 2

    というイーシャンテン。
     しかし上には上がいてこの9巡目、
    すでに北家の子哲さんが發をポンしてテンパイ。
    發のみの1000点でしたが、これにオヤのナバさんが振り込んで、
    まずは開局一番、子哲さんがナバさんの親を軽くイナした、といった印象です。

    東2局;北家 ナバ  東家 シノブ   南家 美女   西家 子哲
     東2局、そのオヤを蹴られた北家のナバさんが5巡目という早い段階でリーチ。
    これがなんと、、、

    三四五五六七 (1)(2)(3)(7)(8) 33

    6・9ピン待ち。まず、あがれそうなリーチです。
    ところが南家の美女さんが直後に追っかけリーチ!

    二二六七八(4)(4)(6)(7)(8)白白白

    と、こちらは二万と4ピンのシャンポン。
    スリリングな展開になりましたが、
    テンパイした子哲さんが9ピンでナバさんに放銃。
    ウラドラが1枚のって3900のアガリとなりました。

    東3局;西家 ナバ  北家 シノブ  東家 美女 南家 子哲
     このアガリでリズムを取り戻したのか、
    東3局、6巡目に西家のナバさんはまたも早いテンパイ。

    一六六(3)(3)(5)(5)(6)(6)33白白

     ドラが一万ですから、ドラ単騎待ちのチートイツ・テンパイ。
    ヤミテンでかまえます。
    ところが南家の子哲さんも8巡目、

    五七 (1)(1)(1)(5)(6)(7) 45688

    カン六万で即リーチ! 
    裏ドラ期待ですが、足止めリーチとしては効果充分。
    しかし勝負の女神は残酷なもの、
    子哲さん、一万をツカんで、ヤミテンのナバさんに放銃です。
    ここでのリーチ棒コミでの7400の失点はなんとも痛い!ぅぅぅぅぅ、、。
    しかし予選を素晴らしい打ちまわしで勝ち抜き、
    あの持杉ドラ夫さんをかわしてベスト4に入った子哲さんです。
    ここであきらめるハズもないでしょう。
    まだオヤが2回あります。
    がんばれー、スーパー暇人、こてつうう!(爆!)

    東4局;南家 ナバ  西家 シノブ  北家 美女  東家 子哲
     さて東4局、その子哲さんのオヤ。
     ここで子哲さんにチャンスがめぐってきました。
     トップで局面を早く進めたいナバさんに白がトイツ。
    ところがその白が、なんと、こちらも総合点で現在トップのシノブさんと、
    持ち持ちになっていたのです。
     ところが、さすがに予選を勝ち抜いてきた精鋭です。
    8巡目、南家のナバさんが六万切りでリーチ。待ち牌は・・・・・

    二四 (2)(3)(4) 234678 白白

    なんと、白はアタマにして、スジのカン三万待ち。
    しかも234の3色、最低でもマンガンの手です。
     ところがところが、です、なんと西家のシノブさんも白をアタマにして、
    三三四五五と、イーペーコウのカン四万テンパイ。
    さすがです。観戦が息を呑むような展開になりました。
     しかし、ここを制したのはオヤの子哲さんでした。
    タンピンドラ1の3・6ソウ待ちを難なくツモあがって、2600オール。
    リーチ棒コミの8800点の収入は大きい。
    暇人が息をふきかえしました。(爆!)

    東4局1本場;南家 ナバ  西家 シノブ 北家 美女  東家 子哲 
    1本場、流れが変わり始めたことを敏感に察知したのか、
    南家のナバさんがドラの八万をアタマにして、

    一二三五六七八八 (3)(4) 345

    と、この手をヤミテン。2・5ピンが出れば3900、ツモれば1300−2600
    と、
    固唾を飲んで、かまえます。
     しかし微妙に流れは変わり始めていました。
     この局をさばいたのは、シノブさん。
    東をポンして積み場コミで1300のアガリですが、流れを引き寄せました。

     南1局;東家 ナバ 南家 シノブ  西家 美女 北家 子哲
     南1局、リズムをつかんだシノブさん、
    二人リーチをかわして食いタンドラ1を美女さんから討ち取り、
    合計4000点の収入。
    この人、やはり流れをつかむのがウマイです。

     南2局 ;北家 ナバ  東家 シノブ  南家 美女  西家 子哲  
     南2局を迎えた時点でナバさんが持ち点31700と、
    かろうじてトップ。急上昇のシノブさんが27700と2位に着け、
    以下、3位子哲22200、4位美女18400と、
    まだまだ予断を許しません。
     この局、シノブさんのオヤ。
    11巡目に南家の美女さんがペン7ピン待ちのリーチ。(ドラ8ピン)
     すぐに西家の子哲さんも4・7ピン待ちのテンパイ。
    タンピンドラ1で4ピンならイーペーコウといった、ヤミでも7700点の手。
    しかし、この局を制したのもシノブさんでした。
    發をポンしてドラ1、リーチ棒コミ3900点のアガリ。
    なんと、3局連続和了。
    しかもトップのナバさんに100点差まできました。すごい馬力!!

     南2局1本場;北家 ナバ  東家 シノブ 南家 美女 西家 子哲
     2局1本場は流局、ナバさんひとりノーテンで3000点の出費。
    これは痛い!ついにトップが逆転、シノブさんが首位です。

    あらまあーの(-。-)ぼそっ
     実はこの時点であらまあーは、
    もう90%以上の確率でシノブさんが優勝するだろうと確信していました。
    (;^_^A アセアセ・・・
    ところが、南3局にナバさんが、
    アアアアアーッ!と驚く、ウルトラ技を披露するんです。

     南2局2本場;北家 ナバ  東家 シノブ  南家 美女 西家 子哲
     2局2本場は南家の美女さんが發をポンして積み場コミ1900点の和了。
    放銃はオヤのシノブさん。

     南3局;西家 ナバ 北家 シノブ  東家 美女 南家 子哲
     南3局、西家のナバさんが、
    これがトップを引き戻すラストチャンスと言わんばかりに、
    動きます。

    東東東(ポン)白白白(ポン) (1)(3)(5)(8)北中中

     この手に7ピンをツモってきて、北捨て、さらに6ピンツモ8ピン切りで、
    以下の手になりました。

    東東東(ポン)白白白(ポン) (1)(3)(5)(6)(7)中中

     カン2ピンのテンパイ。ところがこの時点で南家の子哲さんに2ピンがアンコ。
    和了の芽はないかと思われました。
    ところが次に4ピンをツモってきたナバさん、ためらうことなく1ピン打ち。
    2・5・8ピンの待ちに受けました。
    ですが、おおおい。ちょと待てよー、
    8ピンは自分で捨ててるじゃんか。
    このトップ争いのきわどい場面でツモ専でいいのかあー?
     しかしこれが大正解、またまた8ピンをツモってきてナバさんが和了!
     再逆転でトップに立ちました。

     南4局;南家 ナバ 西家  シノブ  北家  美女  東家 子哲  
     オーラス、流れをふたたび取り戻したナバさんが
    オタ風の北をポンしてダブ南の中づけ態勢。
    ラスオヤの子哲さんからその南が出て、ポン。
    6ピンをカンチャンでチーして・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    四五66北北北(ポン)南南南(ポン)(5)(6)(7)(チー) 
     三・六マンの待ち。すぐに六万を引きあがって、
    ゲーム終了となりました。
    お見事です、ナバさん。^^

    {第一試合・結果}

     ナバ+46 篠芙+9 美女−33 子哲−22       

    あらまあーの(-。-)ぼそっ
     決勝第一試合を終わっても、総合得点はまだ、
       篠芙 +111、  @ naba +108、  美女  +55、 
    子哲  +9、と、シノブさんがかろうじて首位。
     ここでもまだ、あらまあーはシノブの逃げ切りを予想してたぞー。
    なんせ予選の勢いが凄かったから。むむむむ、、、、

    決勝第二試合(最終戦);

     最終戦も勝負のポイントは南3局にありました。
     最終戦は、この南3局にいたるまでを、
     勝負の流れは誰に有利に傾いているのか?
     という観点から記述していきたいと思います。
     まずは1局からの得点経過です。
     第二試合は東家子哲さん、南家美女さん、西家シノブさん、
    北家ナバさん、という並びで開始されました。
     
     東1局はメンゼンでじっとかまえた南家の美女さんが
    タンヤオドラ1の2600点をナバさんからあがって先制、
    自らオヤを引き寄せて流れをつかんだか、に見えました。
     
     ところが直後の東2局、
    南家のシノブさんがリーチ!
    難なくツモあがって表ドラ1枚と裏が1枚乗って
    2000−3900(計7900)のアガリ。
    せっかくオヤを引き寄せた美女さんが3900のマイナスとなりました。
     
    ここでは誰の目にも、流れはシノブさんにあるように思えました。
    予選からのいい流れをここまでずっと保っていたからです。

    ちなみに、シノブさんの予選成績は・・・・・・・・・・・・・・・
    第一戦がラスのー33、しかしここから地力を発揮して、
    2戦+37、3戦+54、4戦+45、
    と、3連続トップ。
     結局、予選をトータル+102で、トップで通過しました。
    そのいい流れをここまで保っているように見えたのです。

     東3局、子哲さんがチートイツを、ドラの6ソウタンキでテンパイ。
    シノブさんに傾いた流れを引き戻そうと、必死の抵抗です。
    この手に美女さんがフリこんで、子哲さん6400の収入、
    まだ勝負を捨てていません。
     予選では、この子哲さんと美女さんの健闘が光っていました。

     東4局、
    ここまで音なしの構えだっだナバさんがオヤで食いタンヤオをあがって参戦表明。
    1500を子哲さんから討ち取ります。

     その1本場、ちょっとした事件が起きました。
     このゲームはここまで、トップがシノブさん、以下、子哲、ナバ、美女という着
    順。
     今大会、
    予選第一試合のラス以外は素晴らしい打ちまわしでミスなく順調にいっていたはずの
    シノブさんが、
    このゲーム2位につけている子哲さんに放銃。
    3900をジカ取りされてしまったのです。
    この局、シノブさんは東をポンしてペン三万のテンパイ。
    しかし、中をポンしてドラ2枚の子哲さんのほうに分がありました。
     さて、子哲さんがこれでトップに立ち、勝負の流れは微妙になってきました。
     
     南入、各自の持ち点は・・・・・・・・・・・・
     トップ子哲32100、2位シノブ28700、
     3位ナバ21900、4位美女17300
     と、まだまだ予断を許さぬ展開です。

    あらまあーの(-。-)ぼそっ
     ここでもまだ優勝にいちばん近いのはシノブさんだよなあー。
    なんせ、ナバさんより順位が上で終了すれば、優勝だし。
    無理にトップを取りに行かなくてもいいし。
    (゜ー゜)(。_。)(゜-゜)(。_。)ウンウン・・・・
    まさか南3局にあんな事件がおきるとは、、、、、

     南2局はシノブさんが九種倒牌、南3局に入ります。
    オヤの美女さんには気の毒でしたが、これも勝負。
    シノブさんはあと2局、たった2局を凌ぎきれば、優勝なんです。

    ところが、南3局、冒頭で述べたように勝負のポイントになった局、
    大事件が発生しました。
     
     さあいよいよラス前です。
    オヤはシノブさん、南家にノバさん、以下、西家子哲さん、
    北家美女さん、という並びで、
    まず美女さんがピンフドラ1の手でリーチ。
    ウラがのればマンガンです。
     ところが、ところが、その直後、
    南家のナバさんにとんでもない手が・・・・・・・・・・・・・・・
     
    白白白 發發發 四四 (6)(6)(6) 78

     69ソウ待ちの三暗刻でき合いです。
    そしてこの9ソウがリーチの現物。
    もちろんヤミテンでかまえます。

     このナバさんの手に、なんと、こともあろうに、トップの子哲さんが放銃。
    仕方ないとはいっても、なんとも痛恨のフリコミ!
    ラス前にきてのマンガン放銃は、、痛タタタタァー! という感じです。
     まさに息をひそめて勝負どきを待ったナバさんが
    少ないチャンス(唯一のチャンスだったかも知れません)を生かして
    もぎ取った勝利だと言ってもいいと思います。

     オーラスはもう勝負の帰趨は見えていました。

    オヤになったナバさんが發をポンして(ドラ1)すぐテンパイ、
    この36ソウ待ちに美女がフリこんで2900点。
    アガリやめトップでゲーム終了です。
    第一期牌王位が決定しました。
    ナバさん、優勝、おめでとう!

    {最終試合・結果}

    ナバ+44 篠芙+9 子哲ー19 美女ー34

    _____________________________________________________

    予選・決勝 全成績

    予選試合結果;
         1回戦2回戦3回戦4回戦 合計 トップ2位3位4位 順位率 トップ率
    @篠芙−33 +36 +54+45 +102  3  0  0 1 1.75 75 %
    A美女と野獣+53+7+40−12+88  2  1   1  0 1.75 50
    B@ naba+45−21+55−17 +62   2  0  2  0 2.00  50
    C子哲 +2 +50 −30 +9 +31   1  2  1  0 2.00 25
    (以上、上位4名は決勝進出)
    D持杉ドラ夫+47−36−34+43+20  2  0  0  2   2.50 50
    Eaimama−22+54−31+4  +5   1  1  1  1  2.50 25
    Fめつ +7 +12 −22 +7   +4   0  3  1  0  2.25  0
    Gdoggy_ −32−44+20+47 −9    1  1  0  2  2.75 25
    Hmackyko−33+6+2−34  −59   0  2  0  2  3.00 0
    Iたーぼー +7−22−17−32 −64   0  1  2  1  3.00  0
    Jえみりん−19−27+8−40  −78   0  1  1  2  3.25  0
    K朱奈嬢−22−15−45−20−102   0  0  3  1  3.25  0

    決勝戦・結果

             第一戦 第二戦 決勝合計  最終総合得点
    優勝;@ naba  +46  +44   +90       +152 
      A篠芙    +9    +9   +18      +120
      B美女と野獣ー33  −34   −70        +21 
      C子哲    −22  −19   −41       −10 

    予選・参考記録;
            
    トップ獲得数 ベスト3;@篠芙3
    A美女と野獣2A@ naba2A持杉ドラ夫2
            
    トップ率ベスト3;(%)@篠芙75
    A美女と野獣50A@ naba50A持杉ドラ夫50
            
    順位率ベスト3;@篠芙1.75@美女と野獣1.75
    B@ naba 2.00B子哲2.00

    注:順位率とは平均順位のこと。
    順位の数字そのもの(トップなら1、ラスなら4)の総和を試合数で割ったもの。
    _________________

    かくして、2002年2月に開催された栄えある第1回大会、
    第1期牌王位戦の優勝者は、
    ナバさんと決定しました。

    優勝したナバさんから週刊あらまあー掲載のための本人のプロフィールを戴いた時、
    あらまあーはある親近感を覚えました。
    ナバさんは「プロ雀」という組織の初段の免状を持っているのですが、
    その「プロ雀」という組織の会長は灘麻太郎氏、
    あらまあーには、ペンネームの灘さんというよりも
    本名のAさんと呼ぶほうが親しみがあるのですが、
    実は若き日のあらまあーが師匠と仰ぎ尊敬して止まぬ人物、
    その人こそ、この灘さん(当時のAさん)でした。

    あらまあーは学生時代、ふとした縁から、
    当時東京の神田に本部があった
    日本麻雀道連盟というところでアルバイトをしていました。
    お茶汲み、遊戯料金の頂戴、各雀士の成績カードの配布と管理、
    対局内容の記録、というのが主な仕事でしたが、
    そこでバイトをしながら、
    あらまあーは19歳の時、連盟の初段の免状を取りました。

    当時、この組織でトップと目されていたのが、A七段、
    つまり現在の灘麻太郎さんだったのです。
    Aさんは当時、東京の赤羽にアパートを借りていらっしゃいました。
    麻雀放浪時代のあらまあーも、何度かそこに泊めてもらったことがあります。
    当時そのアパートには今や伝説の人となった〇〇七段も同居していて、
    また後に近代麻雀からプロ雀士としてデビューした何人かの若手も、
    Aさんを心から慕っていました。

    後にA(灘)さんは独立して、
    『日本プロ麻雀連盟』を発足させるに至るのですが、
    そうした縁のある人の組織の初段の免状を持っているナバさんには、
    何か懐かしさと親近感を感じたものでした。

    {三}悲運の雀士たち

    翌3月、
    第2期牌王位戦の予選・準決勝リーグ、弥生杯が開催されました。
    参加選手は、

    留美、向台風、たーぼー、朱奈嬢、koshibojin、ぴぐもん、ひいい、keeperhiro、
    aimama、拓郎、和研、持杉ドラ夫、u001、マッキー、甲子園、鈴姫

    という、前回にも増して面白い顔ぶれです。
    とくに、ひいいさん、鈴姫さん、留美さん、
    また拓郎さん、和研さんの登場や、
    若手スラッガー地獄甲子園クンの参加、
    さらには当時まだ新鋭と目されていた
    u001さんkishibojinさんの参戦によって、
    多彩なメンバーとなりました。
    _________________

    まずは予選3回戦の結果からです。
     @aimama+96 A鈴姫 +94 B地獄甲子園 +51 
    Cu001 +44 D和研 +39 (以上5名・準決勝進出)
    E持杉ドラ夫 +34 Fmackyko +29 G拓郎 +5 
     以下、留美、向台風、たーぼー、朱奈嬢、koshibojin、
    ぴぐもん、ひいい、keeperhiro という順位で予選が終了しました。
     この結果を見て、あああああーっ、というかたも多いでしょう。
     な、なんと、前回僅か11ポイント差で
    子哲さんに決勝進出を譲ることになったあの持杉ドラ夫さんが、
    今回も、5点差で和研さんに届かず、
    またも予選敗退だあああ!!
    なんでやねん、なんでこんなことになるんやねん。
    ぅぅぅぅぅぅうううううううう〜〜〜!
    (週刊あらまあー5『弥生杯では誰が勝ったのか?』より抜粋)

    _________________

    この持杉ドラ夫さんの2連続惜敗によって、
    これ以後、「大会に弱いドラオちゃん」というありがたくないニックネームを、
    ゆいリンさんなどから付けられてしまいます。(爆!)
    しかし、奇しくも、
    この屈辱の日からちょうど1年後の、この3月、
    持杉さんはそれまでの屈辱の日々を顧みて余りある栄光の座を、
    手に入れることになるのです。
    持杉さんの今期牌王位奪取の情報は、
    この後の大会スペシャルで詳しく報告することにします。

    さて、アイママさんの予選トップ通過は、さすがという感じでした。
    また鈴姫さん、地獄甲子園さんの活躍が目を引いた大会でもありました。
    予選を勝ち抜いたアイママさん、鈴姫さん、甲子園さん、ユーさん、和研さん、
    この5名に、前回決勝まで進んでナバ王に敗れた3名、
    篠芙さん、ボコちゃん(美女と野獣)、子哲さんのシード選手3名を加えた
    合計8名で、準決勝3試合(上位3名勝ち残り)が行なわれました。
    まずはその結果から。。

    優勝:u001 +122 
    2位:鈴姫 +68 3位:凹(^-^@) +40(ここまでが牌王位戦決勝進出)
    4位:甲子園 +15  5位:和研 −32 6位:子哲 −38 
    7位:aimama −64

    ユーさん、鈴姫さん、ボコちゃんの3名が勝ち残り、
    決勝でナバ王と対決することになりました。

    決勝(当時は6試合制)シリーズでは鈴姫さんが絶好調、
    最終戦を残して、

    鈴姫+117、ナバ+63、ボコちゃん−58、ユー001−122、

    と、鈴姫さんの優勝は確実かと思われました。
    ところがところが、最終戦でナバさんが+85の大トップ!
    −29で3着の鈴姫さんをかわして、逆転優勝!
    この大会では終始華麗な牌さばきを披露した鈴姫さん、準優勝に泣き、
    連覇王ナバが誕生しました。

    (決勝・結果)優勝 @naba +148  2位 鈴姫 +88 
     3位 凹(^-^@) −51 4位 u001−185

    まさに、当時大会運がないと言われた持杉さんと並び、
    鈴姫さんも『悲運の牌姫』という表現がぴったりのような印象でした。
    しかし、あらまあーの個人的な印象では、この大会、
    「鈴姫さんが一番強かった」というのがホンネです。
    しかし勝負は勝負、出た結果は冷静に受け止めなくてはならないのでしょう。

    第3期牌王位戦でも、悲劇のヒロインが誕生します。
    おそらくは前回の鈴姫さんより口惜しい思いをしたのは、
    この篠芙さんではないでしょうか?
    第3期、決勝まで勝ち進み、連覇王のナバさんに挑んだのは、
    ウサギさん(usagi000)、ユーさん(u001)、篠芙さん の3名でした。
    5試合制の決勝、4試合まで終了した時点で、
    トータルトップは篠芙さんの+32、2位がウサギさんの+28、
    3位がユーさんの+3、4位がナバ王の−63と、
    意外にも無敵のナバ王のひとりマイナスという状況で、最終戦を迎えます。
    この最終戦の模様は、
    週刊あらまあー7の『観戦記』が
    いま読んでも笑えるので、ここに抜粋・再録します。

    __________________


    第5試合{起家順の並び:ユー、ウサギ、シノブ、ナバ }

     東1局、起家のユーさんが食いタンの500オールをツモって連荘、
    その1本場にまず仕掛けたのは南家のウサギさんでした。

    二二三三八九(4)(5)(6)4 白白白{ポン}(ドラ 二)

     ドラの二マンがトイツです。
    やがて6ピンツモで、八、九マンと切っていくんですが、
    ツモ牌は比較的順調で、3ピン、5ソウ、とツモってきて、
    三マンのトイツ落とし。
    3ソウをチーして以下のように変化します。

    二二(3)(4)(5)(5)(6) 345{チー}白白白{ポン} 

    4・7ピンの待ち。
    このとき、逆転優勝を狙う親のユーさんも、リーチ! 
    ところが、その手が・・・・・・・

    (5)(6) 234456678 北北 

     なんと、こちらも4・7ピン待ち。
    オナテン(同じテンパイ)です。この両者のツモりっこかな? 
    と思っていたら、とんでもない伏兵がいました。
     今シリーズ好調のシノブさんです。
    牌王位の座に王手がかかっています。
    その彼女が1ピンをポンしてテンパイ、、

    五五五七七(2)(2)(8)(8)(8) (1)(1)(1){ポン}

    この手に、不運にもウサギさんがフリ込んで、
    シノブさん2600プラス積み場プラス・リーチ棒で、
    3900の収入。

    ハズミをつけたシノブさん、東2局も好調です。

    二二六八八(2)(4)(5)(5)688南(ドラ 八)

     これが配牌。この手が、7巡目、7ソウをチーした時点で以下のように変化、

    二二八八(4)(5)(5)(6)(7)白 678{チー・7ソウ}

     なんと直後、ドラの八マンがすぐに出て、ポン!

    二二(4)(5)(5)(6)(7) 八八八{ポン}678{チー・7ソウ}

     リズムのいいテンパイのしかたですねー。^^
     この食いタンドラ3に親リーチをかけていたウサギさんがフリ込み!
     ウサギさんはトータルで+4差の2位、
    その2位の立場でトップのシノブさんにジカ打ちは、痛い!!
     シノブさん、嬉しい嬉しい7700、プラス・リーチ棒の収入です。


    「ちょっと、イップク」 ○o。.○o。○o。.○o。.○o。.( ̄▽ ̄=)v-~~

     実はこの時点で、スタッフは勝負の趨勢に確定的なものを感じていました。

     共同メッセでの会話。
    ひいい氏:        うさぎさん、これで死にましたね。
    たんどん(tandon)氏: トップへのジカ打ちは痛いですねー^^
    あらまあー :      いよいよ女流牌王位の誕生かも。。。

     実は正直、あらまあーの気持ちは踊っていました。
    いよいよ、あの鈴姫さんさえもが達成し得なかった、
    女流牌王位が誕生するのです。
    それも繰り上げ出場というラックを拾った、シノブさんの手によって。。
     あらまあーの脳裏を、さまざまな思いが流れていきます。
    { ここ、BACKにタイタニックのテーマ ♪〜〜(爆!) }

     さて、東3局です。
     9巡目のナバさんのリーチ。

    三四四四(4)(5)(5)(6)(7)234 (ドラ 4)

     この手にユーさんが1発放銃!ウラが乗ってハネマンです。

     しかしユーさんナバさんには申し訳ありませんが、
    すでに我々スタッフの目はすでに、シノブさんがオーラスをどう逃げ切るか、
    だけに向いていました。
    ナバさんがトップでもシノブさんはウサギさんより上位なら、優勝です。。。

     オーラスを迎えた時点、トップはナバさんの37500、
    2着がシノブさんで37100、
    総合トータルでしのぶさんに+4差と迫っていたウサギさんが
    なんと12900の3位、、、つらい!!
    ラスがユーさんの12500、という展開です。
    さあ、シノブさんの牌王位奪取が秒読みです。
    がんばれえ〜〜〜〜、しのぶうううううう。

    「ふたたび、ちょっとイップク」 ~(-^-^)~  |||||||||_・)( ̄o ̄)・。・

     それにしても今回のナバちゃんは、ふるわんなあ。
    いつもの攻めのキレの鋭さと場の捌(さば)きの妙味が伝わってこない。
    ナバでもこういう時はあるのか。フーーム。・・・・・・・

     しかしこの時、あらまあーの脳裏を、
    イヤーーな予感がかすめました。
    { ここ、BACKにダースベーダーのテーマ♪(爆!) }

     ま、ま、待てよお? ホントにこのまま決まるんだろうか。
    過去2回、いずれも最終試合にどんでん返しが、あったんだよなー。

    {あらまあー的・牌王位戦決勝最終試合の逆転ドラマ記録(爆!)}
     @第1期牌王位戦決勝、最終試合のラス前まで篠芙さんがリード、
    しかしナバさんが唯一のチャンスをモノにして逆転!
     そのまま逃げ切って初代牌王位になる。
     A第2期牌王位戦決勝、
    スタッフの誰もが鈴姫さんの優勝を確信したが、
    最終試合でナバさんが大トップを取り、
    まさかまさか、の逆転! タイトルを防衛する。

     って、2度あることは3度ある、かあ?? 
    あーあ、イヤなことを思い出しちゃった。。(;^_^A アセアセ・・・ 
    しかし今回はシノブさんの持ち点37100、
    ウサギさんが12900というのを見ても、
    ちょっと逆転は不可能だよなー。
    たとえば、ウサギさんが倍満をあがっても、
    シノブさんからの直撃以外は3着で、
    シノブさんが2位以上だし。。やっぱ、決まりだろう。

    というわけで、その、まさかまさかの大逆転ドラマが今回も起こってしまった、
    最終局です。(爆!)
     この局は3人リーチ、まずは9巡目、ユーさん。

    四五五(2)(2)(5)(5)6699發發(ドラ(3))

     つらいリーチです。裏ドラ期待の四マン・タンキのチートイツ。
    終局宣言とも言えるべきリーチでしょう。
    ところが、その直後に、ウサギさんナバさんと、立て続けに追っかけリーチ!
     ウサギさんの手が綺麗です。

    一二七八九(1)(1)(7)(8)(9)123

     待ちはペンチャンですが、ジュンチャン。
    裏ドラがもう1枚乗っても、シノブさんから直撃以外はダメ。
    ツモってウラが1ピンで倍満でも届かず3着という、
    これも苦しいリーチです。
     しかしここは親のナバさんが1・4ソウ待ちのピンフ手をツモあがり。
    1300オール・プラス・リーチ棒2本の収入です。

     ところで、ここでナバさんがトップ。
    あがりやめの権利がありましたが、当然放棄してレンチャンします。
    ここは、こうするしか仕方ないでしょう。
    ナバさんにしてみれば役満をツモって3人飛ばしで+100以上のトップを取れば、
    大逆転の可能性があるんですから。

     そしてこの1本場、
    最大の悲劇というか、逆転劇が待っていました。
    ふうー。まったく決勝の最後はいつもどうして、こうなんでしょう。
    ・・・・・・・・何かが起こる牌王位戦、ですか、ねー。
    (;▼▼A アセアセ・・・」

    最終局1本場、シノブさんが6巡目にテンパイ。

    二三四四四(1)(2)(3)(6)(6)(7)(8)(8)(ドラ(6))

     カン7ピンで、ドラドラ・イーペーコウのテンパイです。
    待ちはドラそばで、ユーさんがすでに1枚切っています。
     もちろん、シノブさん、ヤミテンでかまえます。
     ところが、ウサギさんに物凄い手が入っていました。
    オタ風の北を暗カンして、数巡後にテンパイ、即リーチ。

    (1)(1)(1)(3)(3)(3)2277北北北北{暗カン}
    (ドラ(6)カンドラ(3))

     なんと、四アンコーのテンパイです。
    2ソウと7ソウのシャンポン、
    3ピンがカンドラでモロ乗りですから、
    出て倍満、ツモればもちろん役満です。
    このアタリ牌の2ソウを、皮肉にも、シノブさんがつかみました。

    二三四四四(1)(2)(3)(6)(6)(7)(8)(8)⇒2{ツモ牌} 

    ここで、あらまあーから、みなさんに質問です。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・あなたは、この2ソウが、止まりますか?
    シノブさんは2ソウをツモって、二マン打ち。手を崩しました。エライ!

    三四四四(1)(2)(3)(6)(6)(7)(8)(8)2

    こうなりました。さすがです。
    ところが次のツモが、三マン! 
    ふたたび2ソウを切れば、テンパイ復活です。

    三四四四(1)(2)(3)(6)(6)(7)(8)(8)2 ⇒三{ツモ牌}

     悪魔の声が、
    「これだけ牌のほうがイケイケと来てるんだから、テンパイしちゃえよ。
    2ソウなんて通るかも」 と、囁きます。
     さあ、シノブさんはどうするか?

     ここで、あらまあーから、もう一度、みなさんに質問です。
    ・・・・・・・・・・・あなたは、この2ソウが、止まりますか?
    (1)止まる (2)止まらない (3)その状況になってみないとわからない
    (4)途中退室する(爆!)
      ファイナル、アンサー??

    直後、おそらくPCの前でシノブさんは、
    大きく息を吸い込んだことでしょう。
    そして徐(おもむろ)に、2ソウを勝負!

    ウサギさんから、ロン、の声。16000点の倍満です。

     この瞬間、
    鈴姫さんさえもが成し得なかった女流牌王位誕生の夢は露と消え、
    第3期牌王位戦決勝は、
    前2回に続いて最終試合での劇的なドラマを生み、
    そして、・・・・・・・・・・終了しました。
     
    直後のシノブさんの、
    ぎゃああ〜〜〜、というチャットは今もあらまあーの目に残っています。
    あらまあーもPCの前で、(→o←)ゞあちゃー !!!

    第5試合の結果:
     naba:+54    usagi000:+7    篠芙:-21    u000:-40


    試合が終わって

    試合直後のあらまあーとスタッフ貴子さんのメッセ会話
    あらまあー:くそおおおー、なんでいつもこういう結末が待ってるんだああ^^
    貴子:シノブちゃん残念やったなー^^;そやけどあの2ソウはしゃあないわ。
         貴子ならもっと早くふってるわー
    あらまあー: うむ、あの2ソウが止まるのは、あらまあークラスでないと。。(ぷ
    ぷぷ)
    貴子:えええええ〜〜〜〜、師匠、あの2ソウ、止まるん?
    あらまあー:( ̄x ̄;)ウッ !  ふっとるかも。。(;^_^A アセアセ・・・
    貴子:ヽ(^∇⌒*)キャハハハ☆(o_ _)ノ彡☆ばんばん!

     試合直後の篠芙さんへのメッセ・インタビュー
    (本来はヒーローインタビューのつもりが、残念インタビューになってしまったあ
    あ)
    以下はメッセのコピペです。^^
    (篠芙さんご本人の了解を得ています。^^)

    あらまあーの発言 :こらあああああああ 喜んでたのにいいいいいいい
               優勝だと思ってさあああああ
    篠芙 の発言 :オリるつもりだったのに、牌がいけいけってくるとさ
    あらまあーの発言 :女流王位はいつだあああああ?
    篠芙 の発言 :つい、突っ張ってしまう
    あらまあーの発言 :うん、わかるけどね^^
    篠芙 の発言 :(゜-゜*)(。。*)ウンウン でも、やっぱり大会は面白い
    あらまあーの発言 : あの2そうはおれもふってるさあ
    篠芙 の発言 : そう??
    あらまあーの発言 : うん
    篠芙 の発言 : いくよね〜〜〜
    あらまあーの発言 :しゃあないさぁ^^
    篠芙 の発言 :そういってもらえると、嬉しい!!!(*>▽<*)ノ
    篠芙 の発言 :でも、あんなに高いとはおもわなかった
    あらまあーの発言 :シノブに勝ってほしかったさああああ
    篠芙 の発言 : ^^
    篠芙 の発言 :でも、やっぱり、無謀だったかなー?

    というわけで、結果の発表です。

    優勝 usagi000 +35  2位 篠芙 +11
                
                               
     3位 @naba −9    4位 u001 −37


     優勝はウサギさん、おめでとう! 攻めと守りのバランス感覚のいい、
    素晴らしい麻雀だったと思います。
     ちなみにトップは1回だけですが、2着3回、3着1回と、
    ラスのない麻雀、素晴らしいですね。
     最後に逆転された篠芙さんがトップは2回もあったのに
    ラス2回3着1回という激しい(らしいw)内容であったのとは、まさに対照的でし
    た。
     
    ウサギさんの優勝には大きな意味があります。
    あらまあー的にはこう考えます。
     
     これは週刊あらまあーにも責任があるんですが、
    このJサイトではポイントのほかにトップ率しかランキングに発表されないので、
    まさに昨今ではトップ率至上主義のようになってしまっていて、
    トップ率の高い人=神様とさえ称されるような雰囲気があるんですが、
    (もちろんトップ率が高い人は強い雀士であることに間違いはないんですが、)
    実はトップ率という数字だけには反映されない雀力というものが絶対にあるはずだ、
    と、あらまあーは考えています。
    まさに、得点制の試合を行なったことの意義は、
    (おたがいのプレイヤーの親睦をはかること以外には、)
    この点にあったのかも知れません。
    つまり、ランキング表の数字には反映されていないその雀士の雀力が、
    正当に発揮され、ちゃんと結果に出て、評価された、ということでしょう。
    今回のウサギさんの優勝は、
    そういった意味でとても喜ばしいことだと思っています。
     
    余談ですが、今大会にウサギさんに出場してもらえないか?
     と、ひいい氏に打診したのは、何を隠そうこのあらまあーでした。(爆!)
     わが目に狂いはなかったと、自画自賛しています。(大爆!!)
     ともかくも、おめでとう!! 
    次回からは防衛の立場です。がんばってね〜〜〜^^

    (週刊あらまあー7より抜粋)
    ________________

    こうして、持杉さんや鈴姫さんとともに、
    篠芙さんも『悲運の雀士リスト』にその名を連ねることとなりました。(爆!)

    考えてみれば勝負の世界は残酷、
    勝者の影では多くの悲運の雀士たちが涙を呑んでいることでしょう。

    {四}ひいい氏への依頼

    さて、3期まで牌王位戦が終了した後、
    あらまあーにはちょっとした心境の変化というか、
    『このままではいけない』という想いが芽生えてきていました。

    そのひとつとして、
    あらまあーと大会開催パートナーを組んでいたある若手プレイヤーが、
    「牌王位戦のほかにも雀聖位戦、名人戦、牌聖位戦、最強位戦など、
    いくつものタイトル戦を作って、そのすべての主催をやりたい!」
    と言い出したのです。

    ん? それは、ちょっと違うんじゃないか?
    少なくとも、大会をやろうと言い出したことの動機は、
    普段対局する機会がないプレイヤー同士が親睦を深め、
    交流の場とし、
    なおかつお互いが優勝めざして真剣に対局するという
    共通の目的を持った、
    そういう場所を持ちたい、
    といった点からではなかったのか?

    少なくとも、ひとりの大会開催マニアを作るために
    大会をやろうと思い立ったわけではない!

    あらまあーはそう思いました。

    さらに、そのプレイヤーが開催側に立つことになってから、
    その行動パターンに顕著な変化が見え出しました。
    ランクイン目前だった彼は、
    Jで麻雀をほとんど打たなくなり、
    ロビに来ると皆に挨拶してから、楽しくチャット会話し、
    メインで自分のホムペの宣伝をして、麻雀をしないで落ちる、
    という行動パターンの日々が続きました。
    (もちろんどういう行動をしようと彼の自由です。
    ただ、お互い麻雀が好きで集まってきたサイトにおいて、
    大会の主催はするが、自分は麻雀は打たない、
    というのは、どんなものかなー?、と思いました。
    ま、似たような行動パターンのかたは
    今日でもいらっしゃいますが。。w)

    そこで、あらまあーは自分の率直な考えを、彼に伝えました。
    彼から明快な返答はかえってきませんでしたが、
    加えて、彼には、あまりサイトにばかりは来てはいられない
    幾つかの個人的問題が生じ、
    このままパートナーとして大会開催を続けていくことが困難になってきたのです。

    また、あらまあー自身の中に、
    選手として大会に出場したい、
    という願望が沸きあがってきていました。
    さらには、
    誰かこの『牌王位戦』の主催を安心して任せられる人物はいないか?
    ということを考え始めてもいました。

    そこで、あらまあーが白羽の矢を立てたのは、
    当時『ひいいの麻雀研究』という素晴らしいホームページを立ち上げていた
    ひいい氏だったのです。
    ひいいさんには、あらまあーから直接、依頼に行きました。

    当時のあらまあーの思いを
    週刊あらまあー7の『編集後記』に綴っていますので、
    ここに引用しましょう。
    ________________

    さて、ここにあらまあーからお知らせしたいことがあります。

    次回から牌王位戦大会の主催をひいいさんにお願いしました。

    理由はいくつか、あります。

     (1)拓郎杯や名人戦などの開催などによって大会ブームが起こり、
    あらまあーの当初の目的である、
    普段対局する機会がないプレイヤー同士が親睦を深める、
    ということに、いちおうは成功したこと。
    これによって、言い出しっぺであるあらまあーの役目は、ひとまず終わったと思う。

     (2)大会を主催する側にいると、
    何か権威的で評論家的立場であるかのような誤解をしてしまい、
    本来のゲームプレイヤーである自分自身を取り戻したい、
    と感じたこと。(まだまだ現役じゃいっ!ヾ(@゜▽゜@)ノあはは)

     (3)あらまあーというキャラは本来、
    キレやすいが涙もろく、スジの通らないことが大嫌い、
    という江戸っ子キャラなのだが、
    大会の主催側にいると、あまりモノがはっきりと言えない
    八方美人的な自分自身を発見し、
    それがどうしてもイヤで、
    ふたたび言いたいコトが言えるあらまあーに戻ろうと、考えた。(爆!)

     (4)牌王位戦の名づけ親であり大会提唱者であるあらまあーとしては、
    今後の牌王位戦を誰に任せるか?
     という難問に突き当たったが、
    それはやはり、ひいい氏以外にいないと確信し、
    同氏に打診したところ、快諾を得ることができた。

     (5)大会というのは開催する側と参加する側のバランスによって成立するもの
    で、
    開催だけをやり参加はしない、とか、
    参加するがスタッフはやらない、というのではなく、
    もっと柔軟にかんがえるべきだと痛感した。
    また開催側が参加者よりも偉い、などというのは、とんでもない間違いであると思
    う。
    開催者やスタッフが参加者に高飛車に命令口調でモノを言うなんぞは、
    あってはならないコトだろう。

    今後また大会をやろう、と思い立つこともあるかも知れないし、
    もっと色々な大会に参加しようと思うかも知れない。
    そのへんは固定的に考える必要は、ない、と思う。
     
     というわけで、突然ですが、
    次回5月25日土曜日の牌王位戦・予選(五月杯)は、
    あらまあーも出場することにしました。
      (≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!もう選手かいな。。
     
     今後もみんなで大会を盛り上げていきましょう。

     なお今回から牌王位戦はルールやシステムが大幅に変わるようですが、
    詳しくはひいいさんのホームページをご覧になってください。

    (週刊あらまあー7『編集後記』より)
    __________________
     
    こうして牌王位戦の主催は、
    あらまあーからひいいさんへバトンタッチとなったのです。

    ここで、最後まで書こうかどうか迷っていた事柄があるのですが、
    今回は裏エピソードをつつみ隠さず話そうと決心したので、
    記すことにしました。

    実は、あらまあーがひいい氏に牌王位戦の主催を依頼しようという段になって、
    あらまあーの周囲では反対した人たちも少なくはありませんでした。
    「ひいい氏よりも、もっと親しい人に任せるべきではないか?」
    というのが主な反対の理由だったと思います。

    しかし、
    この時点であらまあーが牌王位戦の主催を委ねられる相手については、
    あらまあー自身、一歩も譲れぬ決心がありました。

    すなわち、
    このさい、自分に親しい人間か否か、
    自分に近いグループの人間か遠いグループの人間か、
    あらまあーと合うタイプか合わないタイプか、
    もっと言えば、好きか嫌いか、
    などという要素は100%度外視して、
    あらまあー自身と同等かあるいはそれ以上に、
    麻雀という競技をこよなく愛している人物、
    麻雀という遊戯に情熱を持って接している人物、
    なおかつ、大会の主催という任務に興味を持っていて、
    それがこなせる人物、
    そういう人に依頼しよう、と思っていたのです。

    それらを綜合すると、
    ひいい氏というひと以外に、
    あらまあーには思い当たる人物はいませんでした。

    普通こういうケースでは、自分に親しい人間にバトンタッチする、
    というのがごく常識的な、自然な、日本人的な行動でしょう。
    それゆえ、あらまあーのこの決断は、ある意味、
    超人的、非日常的、非日本人的(爆!)だったかも知れません。
    実際、
    なぜ、あらまあーからひいいに? 
    という声も何度か耳にしました。

    しかし、しかしです。
    あらまあーのこの英断が決して誤りではなかったことは、
    1年を経過した今、
    ひいいさん自身の手によって証明された、と思っています。

    今日、牌王位戦はJでは最もメジャーなタイトル戦となり、
    王座に就いた数々のプレイヤーたちは、誰もが素晴らしい雀士であります。
    正直、ひいいさん以外の誰にバトンタッチしても、
    今日のような牌王位戦の姿はなかったと思いますし、
    ひいいさん以外の誰かに主催を委託していたとしたら、
    あらまあー自身が命名したこの『牌王位戦』というタイトル戦自体が、
    今日、すでに消滅していた可能性も大です。
    その点においては、
    あらまあーはひいい氏に100%感謝の念を惜しむべきではないでしょう。

    ともかくも、こうした経緯によって、
    第4期からは装いも一新した牌王位戦がスタートしたのでした。

    {五}王座に就いたプレイヤーたち

    ここで第4期以降の牌王位の座に就いたプレイヤーの皆さん、
    そして決勝に勝ち進んだ選手の面々を
    ご紹介しましょう。いずれも素晴らしい打ち手です。

                        王位(優勝) 準優勝  決勝3位 決勝4位
    第 4期牌王位戦 2002年5月   u001 ts2707 みよたつ mon444
    第5期牌王位戦 2002年6月   およねさん u001 狂虎 mon444
    第6期牌王位戦 2002年7月   デルガド およねさん mon444 ミーコ
    第7期牌王位戦 2002年8月   ミーコ 向台風 雀帝 デルガド
    第8期牌王位戦 2002年9月   buff 幻想 サンテ ミーコ
    第9期牌王位戦 2002年10月  buff 英ひで ミーコ 幻想
    第10期牌王位戦 2002年11月 @naba あらまあー buff 英ひで
    第11期牌王位戦 2002年12月 @naba あらまあー 銀痔郎 yasu516
    第12期牌王位戦 2003年1月  @naba 向台風 tsunoちゃん あらまあー
    第13期牌王位戦 2003年2月  持杉 ドラ夫 英ひで s.yamane @naba

    第4期はユーさん、第5期にはおよねさん、6期はデルガドさん、
    そして7期には、ついに初の女流牌王位が誕生しました。
    週刊あらまあー11号でのミーコ牌王位の特集は、
    記憶に新しい方も多いと思います。
    8期9期は若手スラッガーのバフさんが素晴らしい活躍を見せ、
    10期から12期までは復活ナバさんの3連覇があり、
    そして今期、第13期には、
    待望の持杉ドラ夫王が誕生しました。

    今や誰もが認めるメジャータイトル戦となった『牌王位戦』、
    今後ともよろしくお願いします、
    という言葉とともに、
    あらまあー自身もがんばって、いつの日か、
    王座に就きたいと望んでいます。

    それでは最後に、
    初の女流牌王位となったミーコさんに宛てた
    週刊あらまあー11号のあらまあーのエッセイをもう1度紹介して、
    今回のメインテーマを終わらせようと思います。
    _________________

    あらまあー式エッセイ・「夢が叶った日」(再録)

     思えば長い道のりだった。

     Jゲームきっての女傑アイママさんが何度か挑戦して、
    なぜか決勝まで勝ち進めなかった、この大会。。。

     Jゲームきっての華麗な牌さばきを誇るあの鈴姫さんさえも、
    最後の1試合で逆転されてしまった、この大会。。

     Jゲームきっての切れ味を持つ攻め型麻雀の篠芙さんにいたっては、
    最終戦の最終局でウサギさんに倍満を放銃し、
    99.9%まで手中にしていたその座を奪われてしまった、この大会。。。。

    Jゲームでは大会になるといつも強いあのメグモン姉妹も、
    新鋭女流の中ではその雀力に定評のあるあいなさんも、
    獲得することができなかったこのタイトル。。。

     もう女流牌王位の誕生は不可能なのか? とさえ思われた。

     しかし、夢は実現した!
     初代女王は、ミーコ!
     心から、おめでとう。

     夢が叶(かな)った夜、彼女は自分自身の優勝に、こんな花を添えた。

    中中中東東北北 南南南{ポン}發發發{ポン}

     なんと、誰もがアガってみたいと思うヤクマン、
    字一色(ツーイーソウ)のテンパイである。
     驚くべきことに、彼女はこの手を最終試合の最終局でモノにしたのだ!
     
     彼女がテンパイした時点で、
    「東」は、逆転優勝を狙うトータル2位の向台風さんと、持ち持ち。
     北を、デルガド王が、フリこんだ。
     決勝戦で役満が出るのも初めてなら、
    放銃者が現牌王位であることも、モチロン初の出来事に間違いない。

     思い起こせば、このあらまあーにしても、
    『大会』と名のつく場での決勝戦での女流選手の役満和了にお目にかかるのは、
    実に、この正月東風荘VIPでおこなわれた『サクセス杯』以来のことである。
     タレントの佐野貴子、伊集院光、
    そして女流プロ雀士の二階堂姉妹といった面々に
    予選から勝ち残った東風の精鋭たちが挑んだこの大会、
    決勝シリーズで二階堂亜紀・女流プロが大三元をアガって優勝した。
     それ以来の快挙である。

     トータル2位の向台風さんに実に9万点近い差をつけての、
    ぶっちぎりミーコさんの優勝。
     そこには爽(さわ)やかな笑顔があった。
    快挙を成し遂げた女流雀士の、
    隠すこともない溢(あふ)れんばかりの喜びがあった。

     しつこいほどに繰り返し語り合っていいと思う。
     何度も喜びを噛み締めていいと思う。
     この年齢になると口に出すのも恥ずかしい青くさいフレーズが、
    それでも思わず浮かんでしまう。
     
    ・・・・・あきらめなければ、夢は、かならず、叶う!(うわあーハズカシ! 爆
    !)

     ミーコさんの快挙は多くの女流雀士に希望を与えたことだろう。

     あらまあーがこの対局記録を見返すとき、
    そこには、トップ率がいくつであるとか、
    ポイントがいくつでランキング何位であるとか、
    東風のレーティングがいくつであるとか、
    そういった数字にはまったく関係なく、
    ただ精魂こめて必死に闘った雀士たちの爽やかな健闘ぶりが、
    そして全力を出し切って勝利したミーコ女王の止めどない喜びと満足感が、
    ひしひしと伝わってくるのである。

     私たち麻雀という世界最高の競技を愛する者たちは、
    初の女王となったミーコさんに、
    そして全精力を集中して闘牌した決勝進出プレイヤーたちに、
    心からの賛辞と拍手を惜しまない。

     何度も繰り返すけれど、ミーコさん、本当におめでとう! よかったねー。

     そして・・・・・・・・・
     すでに神々の定めた『時』は、新しい刻限をきざみ始めている。 

     あらまあーの頭上、イメージの中で、
    勝負の神の化身であろうか不死鳥に姿を変えた猛禽(もうきん)が、
    羽ばたきながら、こう叫ぶ!
    「次のヒーローよ、出て来い! 次のヒーローよ、出て来い!」

     次の舞台、つわものどもの夢の戦場で華麗な勝利の舞いを舞うのは、
    いったい誰だろうか?
                                          
                                (了)

    (あらまあー11『史上初の女流牌王位は誕生したのか?』より)

    _____________________

    この大会が今後も
    末永くJの最もメジャーなタイトル戦として存続することを願いつつ、
    このあたりで筆を置くことにしましょう。
                                 (了)

    週刊あらまあー第十六号 {後半}
    (3月第3週号)

    寄稿:
    『俺と同世代のすごいやつ』 BY 群龍

    今回は、
    ファンでもあり同世代の尊敬する一人の「男」について、
    勝手ながら心いくまで語らせていただきたいと思いつつ、
    そして、恥ずかしながら最近感じたことを述べさせていただきたいと考え、
    この群龍、筆を取った次第でございます。

    幼少の頃から巨人に入るのを夢見てきた一人の男が、
    あるシーズンおわった後に、
    スポーツ新聞の手記でこう語った。

    「長嶋監督を胴上げする輪の中にいることが不思議やった。
    あこがれた巨人に来て、何でゃと、つらいばかりやった。俺のあこがれって何や。
    あこがれたところは、こんなところかって後悔したこともあった。
    やっと素直に喜べる時がきた。
    このまま逃げたら、どんなに楽やろうか。こんなに、へこんだ経験は、なかった。
    巨人での3年。不本意な成績で嫌というほどたたかれた。
    見返したる。その気持ち。血を吐くまで精神修行。肉体改造した。
    でもオーバーワークで故障。
    開幕2軍で、復帰後は代打要員。前半はマルティネスに実力で負けた。
    子供の頃から、野球で負けた事がなかった。それが初めて力でへこまされた。
    ショックやった。
    周囲の人間に「邪魔しなければいい」とまで言われた。
    KOされてマットに倒れているのに、まだパンチ、キックを浴びた。
    これが結果の世界、宿命やとわかっていても、
    クソッと起きあがる気力を失いかけたこともあった。
    限界やった。独身やったら投げだしとったかもしれん。
    悪夢にうなされて起きると横で結婚したばかりの亜希が寝てる。
    どことなくやつれてみえる。その顔を見るたびに涙が出た。
    「何があってもついていく」
    ともいってくれたがその言葉が、逆につらく感じたこともあった。
    ここで負けたら人生負けや。このままでは、死なれへん。
    気づいたら、部屋でバットを振っとった。
    電気屋のせがれがバット一本でここまできたんや。
    俺の人生野球しかあらへん。我慢してチャンスを待った。
    ストレスで右手親指の爪が真っ二つに割れた。
    「俺は絶対に復活する」自分にもいい聞かせた。
    それで、やるだけのことは思い切ってやったろうと思って、
    それでもあかんかったら、しゃあないと思い、いい意味で開き直れることができた。
    今まで結果にこだわりすぎた。
    1打席でも俺の生きざま見せたろ!の気持ちになって、楽になった。
    ファンのあの球場が揺れんばかりの歓声 
    応援で打席に立つたびに鳥肌が立った。
    この世の中には、俺より苦しんでいる人達がたくさんいる。
    そんな時代やのにファンの方々が勇気をくださった。
    だからどんな球が体にきても逃げへん。何があろうと逃げへん。
    そんな姿勢でファンには、恩返しがしたかった。
    感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
    次は日本一、、その時は血へど吐くまで飲むで。。」       清原和博

    日刊スポーツの切り抜きです。
    貴重な枠をあらまあーさんからいただいているので
    簡単に省略したかったのですが
    どうしても全文書きたかったので、その辺はご勘弁を^^;

    そんないばらの道のなか清原のいる巨人は、昨年、原監督のもと日本一になった。
    しかも4連勝で・・クックックッ・・そのなかで清原は、2本のホームランを放って
    いる。
    その中の1本のホームランについて群龍の勝手な解釈と清原のすごさを説明したい。

    昨年の日本シリーズの第3戦、西武ライオンズ1点リードで向かえた2回裏、
    バッター清原、カウント0-3。
    通常この展開であれば1球見送るケース。
    清原は、次の球を強振・・・ホームランを打ってしまった。
    おそらくサインも『待て』のケース。
    なのになぜ打ったか・・
    己の足の調子が悪いことを知っている彼は、
    ここで四球を選んで1塁にでてまともに走れないリスクをしょうならば、
    おそらくストライクを置きにくるであろうこの展開に
    一発できめるという大博打にでたのだ、と群龍は思う。
    そこで打ってしまったのだから、すごい!
    (外国人の選手にたまにみられる展開では、あるが・・・)

    結局このシリーズは、その後第4戦も巨人が制して日本一になった。
    あっけない幕切れにも見えた。
    だが清原にとって、先に述べた日刊スポーツにおけるコメントから数年経つ今年の日
    本一は、或意味吹っ切れた優勝であったろうと思う。
    果たして血へ吐はくまで飲んだのかな^^;
    ちなみに翌日のテレビの特番では、
    当日朝まで飲んでいたらしく収録中にもかかわらず寝ていましたねぇ^^

    清原は毎年神社にお参りした際に絵馬に「心願成就」と書いているが、
    まさにその達成感を感じたテレビに映る姿に、
    群龍は、感銘をいだきました。
    言わせてもらえば、この人のホームランは記憶に残るホームランがなぜか多い。
    今でも鮮明に覚えているのが、
    まだ清原が高校生だった時の甲子園大会、
    高知商の中山投手(後に横浜ベイスターズ入団・・後に猥褻物陳列罪で逮捕^^;)
    から放ったレフトスタンド直撃の一発!
    プロ入団後初めての巨人との日本シリーズ桑田から放ったバックスクリーンへの一発

    その他、西武時代も含めての、サヨナラホームラン!
    そして昨年西武松坂投手から放った東京ドーム看板直撃の一発!!
    どれをとっても実に豪快な一発である。
    なわけで、これからも一打席一打席を大事に清原選手を応援したいと思います。
    なんせ同年代にこれだけすごい男がいるのですから
    ・・・己の励みになりますから。

    実は、数年前、群龍の実妹の結婚式披露宴のとき
    前巨人の宮本選手が招待されていた。
    そして、なんと、そのあとの2次会で宮本さんと会話できるチャンスがあったので
    す。
    その際だめもとで
    「今度清原選手とお会い出来るチャンスをいただけますでしょうか」
    と頼んだことがあるのです。(僕の知人同席のもとですけど・・^^;)
    「彼も今、週刊誌とかに叩かれていそがしいからねぇ」
    とは、宮本さんから返ってきた言葉でした^^;
    まあだめもとでしたからいいのですけど。
    そんなチャンスは、自分みたいなトーシロさんにはそうそう巡ってこないですからね
    ^^;

    余談なのですが、
    その2次会の途中で、
    妹の友人である銀座のクラブのお姉ちゃんとツーショットで六本木の街に宮本選手が
    消えていったのを、ここで暴露しておきます^^;

    話がずれてしまったので戻します。

    さぁプロ野球開幕も近づいてきました。
    ご承知のとおり群龍は、根っからの巨人ファンです。
    今年我が巨人軍は、連覇がかかっています。
    しかし群龍の気持ちの中では、
    実現するにはかなり難しいハードルだと思うのです。
    松井選手が抜けたからとかいうのではなく、
    球団名をあげれば、阪神と中日、
    この2球団のバランスの取れた補強は、かなり脅威です。
    とくに阪神は、かなりいきそうな感じがします。
    でもここの球団(阪神)がガンガンくると楽しいんですよねぇ。見てるほうも・・・
    ^^;
    しかし清原選手がまた、いいとこで一発かましてくれることでしょう。
    そして早く、
    セリーグで再度実現する清原選手と伊良部投手(今年阪神に移籍)
    の対決を見たい気持ちでいっぱいです。
    また仕事そっちのけでテレビに囓りつくんだろうなぁ^^;

    てなわけで、清原選手の今後いっそうの活躍と巨人連覇を願いつつ・・・・・
    一巨人ファンの能書きもこの辺にしておきます。

    最後に野球に興味のない方、
    アンチ巨人ファンの方、
    長く能書きをいってしまい、この場をかりてお詫びいたします。
    尚、麻雀を打っている際には、決して巨人ネタは言いませんので、
    今までどおりこの群龍と遊んでやってください。
    宜しく御願いいたします。有り難うございました。

            乱筆多謝     群龍  Jユーザーの皆様 参る

    ----------------------------------------------------------------------------

    [大会報告・スペシャル]

    (1)第1回・ひとみ&ルフィ杯

    3月1日、土曜日、
    普段夜の大会に出れないJプレイヤーの方々のために、
    午後1時から「ひとみ&ルフィ杯」が開かれ、
    総勢32名(8卓)の選手が参加しました。
    以下に全成績を記しておきましょう。

    {予選・全成績}

    なお、HNのあとの数字は、
    各試合の得点(3回戦)と、その後のカッコ内の数字が勝ち点、
    最後の赤い数字が総得点と{勝ち点合計}です。
    HNは省略形になってマス。m(_ _)m ^^;

    1.REN 58200 (5) 57000 (5) 58500 (5) 173700 {15}
    2.SIMA 66600(5) 31600 (2) 79700 (5) 177900 {12}
    3.うたかた 53200 (5) 71300 (5) 22800 (2) 147300 {12}
    4.かっぱ魔王24500(1)77000(5)56100(5)157600{11}
    5.いなだ 63000(5)23900(1)56300(5) 143200{11}
    6.雀八 35200(2) 53000(5)24800(2) 113000{9}
    7.AREA 51600(5) 23000(2) 22500(2) 97100{9}
    8.篠芙  23400(1) 29600(2)54300(5)107300{8}
    以上が、8名決勝進出。

    9.かんぶる 31700(2)50400(5)23000(1)105100{8}
    10.のぶえ 58500(5)27000(2)18000(1)103500{8}
    11.ちょこぱふ 26500(2)64300(5)21000(0)111800{7}
    12.mariパパ 21000(1) 54800(5) 22400(1) 98200{7}
    13.風鈴崋山 18300(1) 14200(1)62100(5) 94600{7}
    14.aimama 60200(5) 21000(1)14700(0) 95900 {6}
    15.marting 19600(0) 52300(5) 18100(1) 90000{6}
    16.スー君 21600(2) 25000(2) 28000(2) 74600 {6}
    17.ロンちゃん 16100(0)18500(0) 54700(5) 89300{5}
    18.ボス 12700(0) 18700(0) 53100(5)  84500{5}
    19.ms1155  54700(5) 7200(0) 15800(0)77700{5}
    20.piko3 27200(2) 23700(1) 26000(2) 76900{5}
    21.mequmi 16100(1) 27300(2) 25700(2) 69100{5}
    22.akira-mm 22100(2)10900(0)28400(2)61400{4}
    23.Ktaka 23700(2) 23500(2) -200(0) 47000{4}
    24.Bear 27200(2)20300(0)16300(0) 63800{2}
    25.okkammy15500(0)22000(1)24700(1) 62200{2}
    26.のびび 23500(1)22400(1)10800(0) 56700{2}
    27.火輪 8000(0) 26600(2) 21900(0) 56500{2}
    28.オルステド15300(0)20100(1)21100(1)56500{2}
    29.taka315 13900(0)13700(0)26500(2)54100{2}
    30.天下布武 22300(1) 9400(0)14800(1)46500{2}
    31.ゆきの 22600(1) -1000(0) 22600(1) 44200{2}
    32.雀麗 5600(0) 21300(1) 15100(0) 42000{1}

    予選突破は8人なら勝ち点8の総得点勝負がボーダーライン、
    12人勝ち残りなら勝ち点7がボーダーラインになるのではないか?
    という事前のあらまあーの予想はぴったりでした。

    ボーダーの勝ち点8に、
    篠芙さん、かんぶるさん、のぶえさんの3名、
    総得点で上回った篠芙さん、さすがの決勝進出となりました。
    かんぶるさんとのぶえさんからは、
    「なぜ7位のAREAさんより得点が上なのに予選敗退なの?」
    と文句が出そうですが、
    これが『勝ち点制』というこの大会の特色です。
    丸写しのような同じ得点形式の大会が多い中、
    これはこの大会の『個性』とご理解いただき、
    なにとぞご容赦くださいませ。^^

    さらにつけ加えれば、
    トップ・2位・2位と、
    きちんと順位を拾ったAREAさんに軍配が上がったのも、
    当然と言えるのでは? とも思っています。

    もっとも、総得点のことを言えば、もっと悔しいのは、
    11位のちょこぱふさんでしょう。
    7位AREAさんを上回る111800点という総得点を叩き出しながらも、
    勝ち点で1点およばず、11位となりました。
    最終戦、21000点ありながらラスを食ったことが響いたようです。

    予想外に不振だったのが雀麗さん、
    この方はいつも大会には強いのですが、
    今回はふるわず、思わぬ最下位となってしまいました。

    さらにあらまあーが個人的に残念だったのは、
    ほかの誰あろう、最強女流のaimamaさん。
    第1試合で6万点のトップを取り、さすが、と周囲を唸らせましたが、
    2試合目、3試合目と、牌運がなかったようですね。
    観戦にも、
    普段あまり見ることのできないアイママさんの手筋を勉強しようと、
    多くの新鋭選手が集まっていました。
    それでも、14位という成績は中間より上位、
    次回、機会があれば、ぜひまた参加してください。

    ブービーはゆきのさん。これも意外な結果でした。
    なお次回からは、
    ブービーにも(最下位から2番目)賞品を設けるとのこと、
    どうも調子が出ない選手は、逆にこのブービーを狙ってみるのも、
    面白いかも知れません。^^;

    決勝・全成績(2試合)

    優勝:REN
     総得点94600・勝ち点合計7

    準優勝:かっぱぎ魔王 76800 勝ち点6
    3位:雀八 73000 勝ち点5
    4位:篠芙 63900 勝ち点5
    5位:AREA88 42500 勝ち点3
    6位:SIMA 48500 勝ち点2
    7位:うたかた 44000 勝ち点2
    8位:いなだ  37500 勝ち点2

    決勝一回戦 決勝二回戦 決勝結果
    19卓 名前 得点 勝ち点 19卓 名前 得点 勝ち点 順位 名前 合計得点 合
    計勝ち点
    REN 68900 5 かっぱぎ魔王 54700 5 1位 REN 94600 7
    うたかた 19700 1 雀八 17500 0 2位 かっぱぎ魔王 76800 6
    いなだ 9700 0 いなだ 27800 2 3位 雀八 73000 5
    AREA88 21700 2 AREA88 20800 1 4位 篠芙 63900 5
    20卓 SIMA 28200 2 20卓 SIMA 20300 0 5位 AREA88 42500 3
    かっぱぎ魔王 22100 1 篠芙 49700 5 6位 SIMA 48500 2
    雀八 55500 5 REN 25700 2 7位 うたかた 44000 2
    篠芙 14200 0 うたかた 24300 1 8位 いなだ 37500 2

    ということで、RENさん、優勝おめでとう!強かったですねー!
    予選3試合はすべてトップ、決勝もトップ・2位という成績は、
    文句のつけようがありません。

    準優勝は、かっぱぎ魔王さん。32人中2位はお見事です。

    3位は、雀麗さんの無念を晴らすべく頑張った雀グループの、雀八さん、
    4位に女流トップで篠芙さん、
    どちらも、さすが、といった感じの成績です。

    さらに大崩れしないタイプのAREA88さん、お見事でした。
    SIMA(向台風)さん、うたかたさんのベスト8入りは、
    その実力からして当然のことでしょう。
    さらにいなださんの決勝勝ち残りも、快挙と言えるでしょう。
    決勝まで進んだ皆さん、お疲れ様、そしてありがとう!

    あらまあーは最終戦(決勝第2試合)を20卓で観戦しました。
    優勝者RENさんのいた20卓の対局内容を
    以下に掲げておきます。

    決勝第2試合:20卓

    対局者:うたかた 篠芙 SIMA REN (以上、起家順)

    東1:門前タンヤオ・ツモ 和了REN:(500−1000)2000点
    東2:メンホン中  和了うたかた:8000点 {放銃SIMA}
    東3:リーピン・ツモ・ドラ1 和了:篠芙(1300−2600)5200点
    東4:リーチ・七対子・ツモ 和了:篠芙(1600−3200)6400点

    篠芙49700 REN25700 うたかた24300 SIMA20300

    ポイントは東3局にありました。
    篠芙さんのピンフ・リーチは六九マン待ち。
    飜牌をポンしてテンパイしていたRENさんが、1発で九マンをツカみます。
    やばいRENちゃん! と観戦でのあらまあーの心配もなんのその、
    RENさん、冷静にアタマの西をトイツ落とし。
    さすがでした。
    もしこの九マンを1発放銃していると、7700の出費。
    おそらくこの試合、RENさんがラスを食った可能性が大です。
    そうなれば勝ち点は5のまま。
    隣の卓でトップを取ったかっぱぎ魔王さんが勝ち点6で、
    大逆転優勝となったところでした。
    RENさんの攻守にバランスの取れた麻雀、お見事です。

    _____________________

    (2)第1回・BLACK STARS★CUP

    雫さん主催で、
    3月1日の深夜に(正確には日付が変わって3月2日・日曜日の午前)
    CLUB★の第1回大会が開催されました。
    優勝は★ちゅうっ★さん、予選・決勝とも見事な成績でした。

    【予選】上位4名⇒決勝へ!

    順位 HN 1戦 2戦 3戦 合計
    1 ★ちゅうっ★ 69600 30700 61200 161500
    2 あひる隊長 63500 -2900 76100 136700
    3 Kaka☆ 18300 57900 55300 131500
    4 ★おゆう★ 25000 28500 75700 129200
    5 tomochan1 39600 56600 30600 126800
    6 道明寺 司★ 72300 4000 31700 108000
    7 ★カリン★ 62300 34700 7600 104600
    8 ★HGB★ 80200 18000 5800 104000
    9 ★英x2★ 24400 60500 13800 98700
    10 えころー 18200 62700 13700 94600
    11 ★砂嵐★ 3900 18600 53900 76400
    12 よしxx -18000 65300 25000 72300
    13 スー君 30200 10400 30500 71100
    14 ★自由人★ 37300 1800 29800 68900
    15 ★いづみ★ 2100 37500 27100 66700
    16 kishibojin 25000 25600 15000 65600
    17 明松怒涛 34300 16200 6100 56600
    18 雨宮凛 17300 21200 8000 46500
    19 学舎 -4200 29100 16700 41600
    20 えみりん☆ -2300 23600 16400 37700

    【決勝】★ちゅうっ★さんが4連続トップという離れ業で、ぶっちぎり優勝!
    2位にあひる隊の★おゆう★さん、3位にKaka☆さん、4位にあひる隊長
    という順位になりました。

    順 HN 1戦 2戦 3戦 4戦 合計
    1 ★ちゅうっ★ 58400 59500 56800 66300 241000
    2 ★おゆう★ 36700 36000 18700 46000 137400
    3 Kaka☆ 7500 6000 23400 17300 54200
    4 あひる隊長 17400 18500 21100 -9600 47400

    この★ちゅうっ★さん、
    ポイントは低いのですが、素晴らしい牌さばきを見せたそうです。

    優勝発表のさい、雫さんが「キス魔です・・」と紹介していました。(爆!)
    なんでもかなりポイントの高い常連の人の別HNらしいのですが、
    いったい誰なのでしょう?
    普段あまりロビでお見かけしないのですが・・・・。

    どなたかこの★ちゅうっ★さんについて情報のある方、
    せひ週刊あらまあーまでご一報ください。

    おおおおおおぉーo(* ̄○ ̄)ゝーいぃぃぃぃぃぃ!
    いいかげんにしろー!あらまあー!
    という声が聞こえてきそうなので、きょうはこのぐらいにしといてやらぁ!
    (≧∇≦)ノブハハハ!!
    [壁])≡サッ!!

    ______________________

    (3)第13期牌王位戦

    [予選]以下13名が準決勝進出
    1.threemile150000 2.狂虎141100 3.持杉ドラ夫133300 4.ミーコ111000
    5.みたりんこ109000 6.Kaka105800 7.英ひで101200 8.ながっちゃん100900
    9.ms1155 100700 10.或未完100600 10.satokim 100600
    12.s.yamane95400 13.雀麗94800

    {準決勝}以下3名が決勝進出
    1.s.yamane145600 2.持杉ドラ夫135500 3.英ひで128400

    [決勝]
    第1戦:持杉55600、ナバ33000、ヤマネ17600、英13800
    第2戦:英64400、持杉29100、ヤマネ13600、ナバ12900
    第3戦:持杉53600、ヤマネ22900、英22700、ナバ20800
    第4戦:ヤマネ58100、英31500、持杉15800、ナバ14600
    4試合トータル:
    持杉154100、英132400、ヤマネ112200、ナバ81300

    最終戦を迎えたところで、トータル首位の持杉さんと2位英ひでさんとの差は、
    僅か2万1千七百点。
    英ひでさんが最終戦でトップを取れば、この差は逆転可能です。
    そうしたぴりぴりしたムードの中、最終戦は開始されました。

    まずは南家の英ひでさんがメンゼン南のみをナバさんから和了するや、
    オヤになった東2局、
    タンヤオ・ツモ・ドラ1、食いタンのみ、メンゼン・ツモのみ、
    白ポン・ホンイツと、
    なんと立て続けに6連続和了!
    この時点でトータルトップは逆転し、
    英ひでさんが、牌王位の座に最も近づきました。

    ところが、『最終戦の終盤に何かが起こる牌王位戦』のジンクスは
    今大会も生きていたようです。

    流局オヤ流れの東3局、
    あと2局を凌ぎきれば英ひで牌王位誕生というところで、
    英ひでさん、
    ナバさんのメンホン・リーチに放銃してハネマンの出費をしてしまうのです。
    英ひでさんの足元がグラッ、と、きました。
    しかし、まだチャンスはあります!
    微差で持杉さんにトータル再逆転されたものの
    今後の和了のしかたによっては、
    持杉さん以外がトップなら、
    英さんは2着でも、持杉さんとの点差しだいで
    優勝の可能性がまだ残っていました。

    ところが、ところが、目に見えて牌勢が衰える、とはこのことでしょうか?
    東4局1本場、オヤのピンフ・リーチに英ひでさん、放銃!
    ここでの5800(プラス積み場)の失点は痛い!

    ついに、ここに来て、トータル着順はおろか、
    勝敗の趨勢が完全に再逆転した、と言えるでしょう。

    このチャンスを持杉氏が見逃すはずもなく、
    その2本場、
    オヤ・リーチをかわして持杉さん、ヤミテン・ピンフ・ツモ!
    4確ですが、優勝を決めた格別の和了となりました。

    『大会では弱いドラオちゃん』と呼ばれ続けていた(爆!)
    持杉ドラ夫さん、
    その屈辱の期間を顧みて余りある栄光の座を、
    自らの手で、しっかりと、もぎ取りました。

    『終盤の魔物』の力に押しつぶされてしまったか?英ひでさん!
    最近の彼の各大会での活躍ぶりを見れば、
    『自滅』という表現で片づけてしまっては
    あまりに気の毒な、終盤でした。
    実際、東3、東4の点棒の流れを見れば、
    まさに奇跡的と言うしかない「運命の逆転」でした。

    第5戦:ナバ52700、英ひで27200、ヤマネ26800、持杉13300

    総合トータル:
    持杉ドラ夫:167400 (優勝)
    英ひで:159600 (準優勝)
    ヤマネ:139000
    ナバ :134000

    ということで、持杉ドラ夫さん、優勝おめでとう!
    いよいよ次回からはタイトル保持者という立場で
    防衛する側になりました。
    次期、連覇王となることを期待しています。

    第12期牌王位戦決勝全5試合と、今期(13期)牌王位戦決勝は、
    『いなだシステム』により、以下のアドで再現試合を見ることができます。
    またRENさん著「おじさんバンド奮闘記」のバックナンバーも
    ここで読むことができます。ご覧ください。
    (ただし、13期牌王位決勝はファイル紛失のため、第1〜第3試合のみです)
    いなだシステムによる再現映像はこちらから。↓
    http://loose&beat.d-files.com/index.html

    (今回からアドが変わりましたので、ご注意を!)
    ( ̄o ̄)ほほぉーーw

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    寄稿:ひとみjackの麻雀放浪記

    いつかくるとは思ってました・・。
    とうとうあたしのとこに週刊あらまあーから原稿依頼が!!
    ううう・・・。
    断れないじゃないですかー!文才ないのにいい・・。
    トホホ・・・。
    この前の大会のことでも書こうかと思ったのですが、
    それはまた別の機会に譲って、
    あたしの麻雀に対する熱き思いでも書いてみようかと思います。
    題して、ひとみjackの麻雀放浪記!!ぎゃはははは^^

    私、麻雀が三度の飯より好きです。
    麻雀の次にパチンコが好きです。
    一応職業は専業主婦なのですが、
    優先順位からいきますと
    1、麻雀。2、パチンコ。3、家事です。
    考えてみると最低な主婦だなぁ・・・。
    ネットの中で麻雀をやりたいが為に、
    30歳の誕生日に旦那にねだってPCを買ってもらい
    J-gameにデビューと至ったわけですわ。
    しかーーーし、ほんとはリアルで麻雀打ちたいっす。
    今は福岡に住んで3年になるのですが、
    実は宮崎生まれの宮崎育ち。
    全く関係ないのですが、宮崎といえば巨人軍で有名ですよね〜。
    あたしゃ巨人が大嫌いです。(ヤクルトとロッテのファン)
    宮崎に住んでるころはそりゃー毎日といっていいほど打ってました。
    雀荘でもバイトしてました。
    お茶をいれながらお客さんの手牌を覗き込んでたもんでした。
    皆さんも徹マンしたことある人、多いかと思います。
    最高で何時間打ち続けてましたか?あたしは3日です。
    (爆)あぁ、でもこれって
    ずーーーっと麻雀してたわけではないんですけど。
    1日目。いつもの麻雀仲間が集まり夜の11時から打ち始めました。
    気づけば外が明るくなり朝の8時になっています。
    とりあえず腹が減っているので朝食をとります。
    そして・・・、
    新聞の折込にパチンコの新台入替の情報がーーーーー!
    この頃って昔のCR機の全盛期なんですよねー。
    パチンコやらない人はわかんないと思うんですけど、
    CR黄門ちゃまとか、
    九州では熱かったCR浜ちゃんシリーズ。
    もちろん麻雀終わった後にみんなでパチンコいきましたとも。
    収支は覚えてませんが負けた記憶しかありません。
    宮崎は10時半閉店です。
    で、その後にまた雀荘に行っちゃった・・・。
    この頃一緒に打ってた麻雀仲間はみんな同じ会社の人だったんです。
    年に2回、会社が3連休のときがあるんですが、
    その時にこんなばかなこと、やってたんです。
    んで、また朝まで打ってました・・・。
    このくらいになると意識ももうろうとしてきますねー。
    そして変な汗がでてくるんですよぉ。

    そして勢いだけでパチ屋に足を向けるあたし達。
    閉店。
    それから雀荘。
    連休最終日だけはさすがに爆睡しましたけどね。

    麻雀とパチンコの繰り返しで3日間起きてたのがあたしの最高記録です。
    結婚してしまってから転勤で宮崎を離れることになり
    昔のようには打てなくなりましたが、
    今でもこのメンバーとは時々打っています。

    ネット麻雀もおもしろいですけど、
    キーボードだけでは物足りなくなることありませんか?
    点数だって勝手に計算してくれるから
    符の計算忘れてしまいそうになります。

    福岡にきて最後に雀荘にいったのは・・・

    ああああ、去年の10月、
    あい1112さんと打ったのが最後ではありませんかーー!
    それもあたし、あいさんに負けてるし・・。
    機会があったらリベンジさせてください。

    牌を握りたくてしょうがない欲求不満ぎみのひとみjackでした。

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    あらまあーからのちょっとしたお知らせ

    今回、月間データ・ランキングはスペースの関係上、お休みします。
    次回、スペシャルとして、1月〜4月までの好調プレイヤーをピックアップし、
    数字の推移を検証してみようか、と思っています。

    また去年の年末号で予告した『初級者版あらまあー』の
    第1部・「基礎知識編」、完成間近となりました。
    何人かの方々に優先配信し、あとは希望者配信とする予定です。
    『初級者版あらまあー』は、
    「基礎知識編」と「初級戦術編」の2部に分けるつもりでしたが、
    どうしても初心者のネックとなる「点数計算」の部分を
    詳しく説明したいので、
    「基礎知識編」・「得点計算編」・「初級戦術編」の3部作にしました。

    「基礎知識編」では、リアルの麻雀も含めて麻雀をするさいに、
    最低これだけは知っていてほしい、
    と思われる事柄(手役も含めて)について説明してあります。

    「得点計算編」では、いっしょに計算しながら点数の仕組みを覚えていこう、
    という形式を取り、得点早見表も付載してあります。

    「初級戦術編」では、基本的な手作りの考え方を始めとして、
    相手にリーチがかかった場合の対処の仕方としての
    ごくごく基本的な事柄、いわゆる読みスジとしての、
    五の裏スジ、カベの原理、あいだ四間、などについて説明し、
    また実戦的な状況での取るべき手段について、
    実例を挙げながら説明します。
    また、
    なぜオーラスでトップの時はヤミテンでアガれる手をリーチしてはいけないのか?
    なぜオーラスでは、アガリ方によっては相手が怒るのか?
    なぜ、やたらとカンをしてはいけないのか?
    などの初級者の率直な質問にも、ここで答えようと思っています。

    本屋さんで高い本を買うくらいなら、
    初級者版あらまあーのほうが無料だし、わかりやすい!
    と言われるぐらいのモノにしたいのですが・・・・。
    はたして、そうなるかどうか・・・・・・・。
    (;^_^A アセアセ・・・

    今回はその第1部『基礎知識編』
    を配信する予定です。(3月下旬〜4月上旬ごろ)

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    RENさん・大会優勝記念(爆!)
    2話一挙掲載!

    おじさんバンド奮闘記

     第6話 6.3初ライブ

    はじめに
     「週刊あらまあー」のあらまあー編集長からの依頼を受けて軽い気持ちで引き受け
    たこのエッセイも今回で第6話を数えた。
    去年の10月、あらまあーさんから「何か原稿を書いて欲しい」との話があった時、
    私は「『おじさんバンド奮闘記』を書きましょう」と即答した。
    構想などあった訳でもないが、ごく自然にこのタイトルが出てきた。
    実際に筆を取ってから、
    「バンド活動に絡めて私を取り巻く素晴らしい仲間たちを紹介しよう」
    と思いついたのである。
    旧友との再会から始まったおじさんバンドの活動は今年で丸3年になる。
    確かに音楽が好きな仲間たちではあるが、果たしてそれだけなのだろうか。
    バンマスのジョーに怒られるかもしれないが、
    私は仕事が終わって帰宅するとギターの練習そっちのけでネット麻雀に精を出してい
    る。
    たまに弟のシゲの家を覗いても、
    玄関から入った廊下の正面に練習から帰ったまま放置されたギターが置いてある。
    麻雀好きな私と医師の仕事が忙しいシゲを一緒にするのは気の毒ではあるが、
    ただ音楽を楽しみたいというより、
    練習を通して仲間たちと会えることが楽しい
    というのが本音ではないだろうか。
    だからこそ3年続いているのだと思う。

    去年からJgameの常連のきしぼんもメンバーに加わった。
    今年になると同級生女性のお嬢さんも参加されるという。
    一年に一度の発表会のライブも年中行事になった。
    バンド活動と、このエッセイを通して、懐かしい人との再会、新しい人との出会いに
    恵まれたことを嬉しく思う。
    いい機会を与えて下さったあらまあー編集長とおじさんバンドの仲間たちに
    紙面を借りて心から感謝の気持ちを申し述べたい。

    6.3初ライブ

     2001年6月3日、いつもと変わらぬ朝を迎えた。
    今日はおじさんバンドの初ライブである。
    「うまくいきますように」、
    まじないめいた願いを込めながらギターの弦を張り替えてチューニングする。
    午後2時過ぎ、言いようのない不安を引きずりながら家内と一緒に会場へ向かった。
    ライブ会場がある吉祥寺に行くには千駄ヶ谷から中央線に乗車する。
    中野駅を過ぎると高架となり途端に窓の向こうの風景が拡がる。
    進行方向の西側に目を向けると山並みが見える。
    そこは関東平野の南西の端だ。
    奥から見下ろすように富士山が顔を覗く。
    南端が丹沢である。
    都心のビルに囲まれた空間からこの場所に移ると空がやたらと広く感じる。
    上を向かないと望めなかった空が、目線の高さでいくらでも飛び込んでくるのだ。
    本番の3時間前にスタジオに着いた。
    「ラッキー、いいタイミングに着いたぞ」。
    マスミのキーボードとジョーのドラムの搬入は終わったようだ。
    私は太りすぎのせいもあって、腰に難を抱えている。
    これまでに二度重いぎっくり腰になっているのである。

    初めてのぎっくり腰は、今から15年前のことだ。
    ある時、高校時代の同級生のアラハタ君から突然連絡があった。
    「久しぶりで会いたい」という。
    真面目に勉学に勤しむ模範生のアラハタ君とは同じクラスだったが、
    いつも遊び回っている私とは目立った交遊が無かった。
    アラハタ君は隣町の小金井市に住み、マスミと中学時代の同級生だったことを後で
    知った。私は近所でアラハタ君と会った。話を聞くと、社会科の教師として母校(高
    校)に赴任したという。
    アラハタ君が言った。
    「同窓会の担当になった。創立15周年なので何かしないといけないけれど、同窓会名
    簿ができていない。名簿作りの請負業者もあるが、お金もかかるし個人情報だから出
    来れば自分で作りたい」。
    突然の相談だった。
    それにしてもアラハタ君と会うのは高校卒業以来である。
    なぜ親しい訳でもなかった私を訪ねたのだろう。不思議に思った。
    私は、「母校」と「名簿作り」と聞いて二つのことが頭に浮かんだ。
    恩師の母校初代校長と、印刷屋を営む親友のハコのことである。
    私が手伝って名簿ができれば、校長も喜んでくれるに違いない。
    ハコの会社に印刷の仕事が回わればハコも喜ぶはずだ。
    私は校長への恩返しとハコへのささやかなプレゼントのつもりで、
    一つの条件を出して名簿作りの協力を引き受けた。
    「ぼくの友だちの印刷会社を使ってくれるのなら手伝ってもいいよ」。
     作業場はハコに頼んで国分寺にあったハコの会社の一室を貸してもらった。
    これでハコの会社を使うことが約束される。
    この日から、朝は家がある原宿から勤務先の霞が関へ、
    仕事が終わると霞ヶ関から1時間ちょっとの時間をかけてハコの会社がある国分寺
    へ、
    作業が終わると1時間かけて原宿に帰る、
    という生活が半年近く続くことになった。
    母校ができてから15年間、同窓会名簿は一度も作られていなかったのだ。
    名簿作りの経験などもちろん無かったが、私は作業内容を頭に描き工程表に整理し
    た。
    予定どおり行けば半年後に完成する。
    ポイントはいかに無駄なお金をかけないで計画どおり進めるかだ。

     初めに同窓生の現住所の確認作業に着手した。
    卒業時の名簿に記してあった住所に宛てて同窓生全員に往復葉書を発送したのだ。
    その葉書の宛て名には、同窓生の名前に並べて「ご家族さま」を併記した。
    往信の文面には、
    「創立15周年を控えて同窓会名簿を作成しているので現住所を記入して欲しい、宛て
    名の同窓生が不在の場合にはご家族さまの代筆でお知らせ願いたい」旨記載した。
    すると、一期生、二期生に宛てた葉書のおびただしい数が「転居先不明」などで返っ
    てきたのである。ある程度予想はしていたが、その数の多さに驚く。
    私は仕事の関係で知り合ったワープロ入力の得意な女性に、名簿データの入力をアル
    バイトで依頼した。
    「とにかく判っている分からでもどんどん入力していこう」と考えたのである。
     次に最初の葉書で返信のあった同窓生全員に封書を送った。
    文書の件名は、
    「同窓会名簿作成に係る住所不明者の照会について」である。
    卒業の年とクラス毎に整理した住所不明者の一覧表を同封して、
    「この中で消息が分かる人がいたら連絡してほしい」
    と書いたのである。併せて名簿が完成した時の名刺広告の募集と、
    購入を希望するかどうかのアンケートも実施した。
    名刺広告の募集は、自前の手作業とはいえ5,000人を超える同窓生に発送する郵便代
    と、ワープロ入力のアルバイト代だけでも大変な出費だったからだ。
    たとえ僅かでも収入の足しにしようと考えたのである。
    購入希望のアンケートは、闇雲に名簿を印刷して発生する経費の無駄と、
    大量の売れ残りが出て置き場に困るといった事態を避ける狙いがあった。
    印刷を発注するときの部数の目処(めど)を付けたかったのである。

    この名簿作りは、アラハタ君と私のほかに、当時私の職場の近くに勤めていた同級生
    のシマ君も巻き込んで取り組んだ。
    アラハタ君の奥さんも家事に余裕ができた時には手伝いに来てくれた。
    私を含めたこの4人はボランティアである。
    第二弾の封書作戦で返信封筒を同封したが、無駄が出ないように返送された封筒だけ
    に郵便料金を後納する手続きを取った。
    この手続きには高校時代の同級生で郵便局に勤めているケイちゃんが協力してくれ
    た。
    封書作戦は功を奏し、転居先不明者の連絡通知が連日のように届きだした。
    同級生からの名刺広告の申込みもたくさん届いた。
    データ入力もほぼ終わり名簿の完成が見えてきたときのことである。

    職場で仕事をしていると、私の椅子の後ろを先輩が通りかかった。
    通りやすいように腰掛けていた椅子を横に回した瞬間だった。
    腰に衝撃が走ったのである。
    「捻ったか!」。
    痛みはどんどん増して遂には動けなくなってしまった。
    半年にわたった名簿作りの疲労が腰に蓄積されていたのかもしれない。
    私はタクシーですぐに家に帰ったが、あいにく家内は買い物で留守だった。
    やっとの思いで部屋に辿りつき、すぐさま横になったが痛みはさらに増していく。
    もう動くことも立つこともできない。
    痛みを必死で堪えていると電話がかかってきた。
    家には誰もいない。
    私は激痛に耐えながら部屋を這って何とか電話機に辿り着いた。
    電話はアラハタ君からだった。
    「職場にかけたら帰ったって言うので、こっちにかけたんだ」。
    私は痛みに我慢できず、「またかけて」とだけ告げると電話を切った。
    それから5日間はまったく動くこともできなかった。
    やっとの思いで楽な態勢をみつけてもすぐに激痛に襲われる。
    次の姿勢を探そうとするが、体の向きを変えるにはさらに激しい痛みに耐えなければ
    ならない。あの痛みはプールでふくらはぎを攣(つ)った時に似ている。
    腰全体の筋肉が攣ってしまったような痛みなのだ。

    二度目のときは、2〜3年前のことだ。
    職場で荷物を持った時だ。
    腰に激痛が走り、その瞬間から立てなくなった。
    痛みは一度目の時と異なった。
    神経が剥き出しになった虫歯に物が触れたような痛みだ。
    とにかく痛い。
    立つことも歩くこともできない。咳やクシャミもできない。
    汚い話だがトイレもままならない。
    この時もその状態が一週間続き、図らずも年を取った時の疑似体験をすることになっ
    た。
    腰に不安を抱えている人にはトイレシャワーを勧めたい。
    あの状況で腰を捻って後始末することなど到底不可能だからである。
    いずれの時も職場には大変な迷惑をかけてしまったと深く反省している。

    データ入力もほとんど終わった。
    ここまでくれば、あとは印刷すればいい。
    名簿の完成が近づいた時、私はアラハタ君に一つのアドバイスをした。
    「名簿はたくさんの先生に関わってもらってできた形にした方がいいよ」
    と言ったのである。
    教師の世界のことは分からないが、一人で全部をやり遂げた形にするより、多くの先
    生たちの手が入って仕上げた形にした方が、同窓会に対する理解が多少なりとも深ま
    るのではないかと考えたのである。
    何しろ一度も名簿が作られていなかったのだ。
    彼の職場での立場も慮(おもんばか)った。
    恐らく同窓会のことは教師の仕事とは直接関係が無いに違いない。
    半年もの時間を費やしたのである。
    どこかに歪みが生じているような気がしてならなかった。
    また、「あれは彼が一人でやっている」と遠目にはばかられるような立場に追い込ま
    れては気の毒だと思ったのだ。
    私は初代校長が「全員スポーツをする」を主唱されていたことを思い出した。
    「クラブの顧問にお願いして、クラブ活動状況を書いてもらってはどうだろう。すぐ
    作れるように部員の人数や活動内容を書き込めるような様式をこっちで作って、そこ
    に埋めてもらえばいいのさ。クラブ活動の写真も入れたらいい。ミニアルバムにして
    載せよう。母校らしくていいじゃないか。あと題字の揮毫(きごう)も書道の得意な
    先生にお願いしよう。次のときのメンテも考えて、住所が変更になったときの連絡葉
    書も名簿に折り込もう」。
    昭和63年11月、約束どおりアラハタ君はハコの会社に印刷を発注して同窓会名簿が完
    成した。

    先日ジョーに「同窓会名簿のことを思い出してエッセイに書いたよ。ぼくも係わって
    いたのを知らなかったでしょ」と電話をすると、
    ジョーは「RENが名簿を送ってきたじゃないか」と言っていた。
    忘れてしまったが、多分名簿の完成が嬉しくてジョーに送ったのだろう。
    第3話の中で、校長と一緒に母校を訪ねたときのことに触れたが、校長はこの時の労
    をねぎらって、母校の現職の校長に引き合わせてくれたのではないだろうか。
    現職の校長から「お世話になりました」と丁重なお礼を述べられたことを覚えてい
    る。
    話は前後するが、名簿作りの主役アラハタ君と郵便局の料金後納の手続きを踏んでく
    れたケイちゃんもこの日のライブに駆けつけてくれた。

    「リハ(リハーサル)をやるからスタンバイして」。
    思ったほど緊張感はなかった。
    ジョー、ナリジ、ショーゾーなどは、
    いつもよりむしろ、にこやかで晴れ晴れしく見える。
    ギターをアンプに繋ぎ、あらかじめ打ち合わせしてあったスタンドポジションにスタ
    ンバイする。
    私の立ち位置は、打ち合わせでは客席から向かって左側の最前列だった。
    この場所を決める時、私は大いに抵抗した。
    「こんな目立つ場所は絶対嫌だ」
    「リードが目立たないでどうするの」。
    どうしても変えてくれない。かくなる上は強硬手段しかない。
    私は楽屋のドアを開けてステージに入った第一歩目の場所を真っ先に陣取った。
    ステージの一番左奥で、ジョーのドラムの真横である。
    一歩下がれば楽屋のドアがある。
    「楽屋で弾いていても、会場に音が聞こえていればいいんじゃない?」、
    冗談のつもりで言うとジョーは真に受けた。
    「だめ、だめ。REN、前に行けよ」
    「嫌だ」私はテコでも動かない。
    「ジョーが見えないとカウントが取れない。この場所しかうまく弾けないよ」。
    相変わらず私の主張には説得力がない。
    ジョーは「これ以上言っても無駄」と思ったのだろう。
    ついに折れて私の立ち位置は主張どおり一番奥に決まった。

    いよいよ本番間近である。
    楽屋で開演時間を待っていると、オカコが言った。
    「外すごいわよ。人がいっぱい並んでいる」。
    意外な気がした。
    私は「来てくれる人なんているのかな」と思っていた。
    開場時間を過ぎると会場のざわめきが楽屋まで聞こえてきた。
    「よし、いくぞ!」誰からともなく声がかかる。
    照明を落して真っ暗なステージにスタンバイした。
    オープニングは「Get Back」だ。
    「ジョー、ゆっくり、ゆっくりね」私が声をかけると、ジョーが頷いた。
    本番ではアドレナリンが出て、いつもよりテンポが速くなるらしい。
    「プロでもそうなんだよ」とジョーが言っていたのを思い出したのだ。速くなりすぎ
    ると私のソロの「たたったたん、たたったたん」という間奏のリズムに指がついてい
    かなくなる。「ワン、ツー、スリー、フォー」、
    ジョーのカウントで「Get Back」が始まった。
    「あれ?緊張しないぞ」。
    苦労して確保した立ち位置が功を奏したようだ。
    1曲目、2曲目と無難に終わった。
    オープニングは打ち合わせどおり間髪入れずに3曲を演奏する。
    次は「I’ve Got A Feeling」である。
    ショーゾーが担当するこの曲のサイドギターは、左手をいっぱいに拡げて固定したま
    ま演奏する。曲の終わり頃には指が痺れて感覚が無くなるという厄介な曲である。
    曲のイントロは、ショーゾーの2小節のソロから始まる。
    うまく音が出ていない。弦の押さえ方を失敗したみたいだ。
    私は「ショーゾー、頑張れ」と小さな声をかけた。
    隣のジョーを見ると、焦るショーゾー尻目に笑っているではないか。
    不謹慎にも私までつられてしまった。

    前日の練習場所を提供してくれたコツは、
    「皆と同じ3時には会場に行く」と言っていたのに、本番が始まっても姿が見えな
    い。
    オープニングからの3曲が終わり、一度目のMCに差しかかった時である。
    会場にコツの姿があった。客席の合間を縫うようにデジカメを手に行ったり来たりし
    ている。さらに2曲の演奏が終わって2回目のMCとなった時である。
    突然ジョーが会場に向かって手を振りながら叫んだ。
    「おお、コツだ!コツ!おーい」。
    ジョーは仕事の都合で、前日の練習に参加していなかった。
    ジョーとコツの対面はこの時が26年ぶりだったのである。
    ライブが終わった後でジョーが言った。
    「ライブハウスのおっさんがウロウロしているから邪魔だなぁ、
    と思っていたら、そうだ!あれがコツだ!って急に思い出したよ」。

     第3話で書いた高校時代の中学校での録音に参加したクボちゃんも
    この日のライブに来てくれた。
    クボちゃんは名古屋への出張の帰路に立ち寄ってくれたのである。
    おじさんバンドのメンバーではないが、
    大先生となって活躍しているクボちゃんの思い出を紹介する。

     クボちゃんはナリジと私の小中学校時代の同級生で、
    コツとオカコの中学校時代の同級生である。
    小学1年の時、同じクラスでよく遊んだ。
    昔から勉強がよく出来る神童だったが、勉強だけでなく相撲も強く、テニスもうま
    かった。
    小学校の高学年までよく相撲をとった。
    クボちゃんは太っている訳ではないのに腰が重く、
    勝負はいつも勝ったり負けたりの五分五分だった。
    中学2年の時も同じクラスになった。
    クボちゃんの机を見ると、分厚い教科書が置いてある。
    日本史の教科書だ。
    「同じ教科書なのに何でこんなに厚さが違うんだ」。
    不思議に思った私は中を見せてもらった。
    開くと一面に鮮やかな彩りが施されている。
    教科書を読むたびに、色鉛筆の色を変えて線を引いているのだ。
    何度も線を引いているうち破れてくる。
    するとセロテープを貼って、その上からまた色を変えて線を引く。
    私は芸術的に彩られたクボちゃんの教科書が気に入った。
    「ぼくも、ああしよう」。
    12色の色鉛筆を使って真似するものの、
    どうしてもクボちゃんのように綺麗にならない。
    何度も線を引いているうちに、私の教科書は見るに耐えなくなってしまった。
    「REN、いくら線を引いても覚えないとダメなんだよ」、
    クボちゃんのアドバイスが心に突き刺さった。
    「分かってはいるけれどこんな汚いの二度と見たくもない…」。

     クボちゃんは中学卒業後、名門私立武蔵高校に進学した。
    中学校でのバンドの録音に参加したのは2年の時だ。
    私は「こういう楽しいバンド遊びもあるんだぞ」と教えたくて誘った気がする。
    前からクラシックギターを習っていたクボちゃんは、私の誘いに応じてくれた。
    クボちゃんは、ビートルズの「And I Love Her」のクラシックギターの部分を担当し
    た。
    間奏のソロが無事終了すると、次は歌に合わせてアルペジオを入るのだが、クボちゃ
    んは不覚にも転調を忘れてしまう。
    このときのミスがそのまま第4話で触れたマスミが見つけたテープの録音に残ってい
    る。

     その後クボちゃんは東大の文科1類に入学する。もちろん現役である。
    法学部第3類を4年で卒業し、卒業したその春に東大法学部の助手に採用された。
    オラが町の神童は日本の最高学府でも大変な存在だったのである。
    その後、筑波大学社会科学系の講師となった。
    コーネル大学の歴史学部に客員研究員として赴く前のことである。
    アメリカに旅立つクボちゃんに、私は
    「何か欲しいものがあったら送るよ」と言った。
    すると意外にも「コボちゃん」のリクエストが返ってきた。
    私はアメリカ滞在中のクボちゃんに、「コボちゃん」の単行本を何回か送った。

    その後クボちゃんは帰国してから慶應義塾大学に職場を移し、
    法学部の助教授を経て36歳の若さで教授になった。
    その後、朝日新聞などで日米問題をコメントするクボちゃんをちょこちょこ目にする
    ようになる。
    ライブを行う前のことだ。職場で外務省が編集協力している「外交フォーラム」が回
    覧されてきた。中を捲(めく)ると、クボちゃんが新しく誕生したブッシュ政権につ
    いて外務省北米局長や日本政治学会の著名な先生たちと対談しているではないか。
    写真を見ると一番若いのに腕組みなんかしている。
    その後で、小泉首相の諮問機関「首相公選を考える懇談会」の政府委員に就任したこ
    とを新聞で知った。
    今や大先生となったクボちゃんだが、私はライブの案内を送ってみた。
    クボちゃんはそれに応えて出張の荷物を持ったまま会場に駆けつけてくれたのだ。

    クボちゃんはライブ終了後の打ち上げにも最後まで付き合ってくれた。
    「昔から頭が良かったけど、未だに良いとは何て進歩の無いやつなんだ」、
    私のつまらないジョークにも爽やかな笑顔を返してくれる。
    この打ち上げの席で私はクボちゃんにあるお願いをした。
    私の職場で行っている研究会の講師をお願いしたのである。
    クボちゃんは「仕事の話は後で」と言いながら快く引き受けてくれた。
    私の職場の研究会は昭和48年から続いている歴史のある会合である。
    これまでの講師は日本を代表される大変な先生ばかりだ。
    出席者も政府関係者が多い。
    講演の当日、クボちゃんの到着を待っていると、エレベーターが開き、少し前かがみ
    の姿勢で私を探すクボちゃんが目に入った。
    その姿勢と顔に見覚えがあった。
    「そうだ、中学校でやった録音の時と一緒だ」。
    中学校の音楽室でナリジやジョーたちと録音していると、クボちゃんはギターが入っ
    たハードケースを手に少し遅れて音楽室に現れた。あの時と一緒だったのである。
    講演の最初の挨拶でクボちゃんが言った。
    「後ろにいるREN君と私は小中学校時代の同級生です。小学校の入学式の時、彼は
    一番背が高く、私が二番目に高かったので、二人で手をつないで入場したことを覚え
    ています。時を経てお互いの仕事を挟みながらこのような機会に恵まれたことを大変
    嬉しく思います」。
    講演の内容は漏れなく機関誌に収録しているが、さすがにこの部分は省略した。
    恥ずかしくもあったがクボちゃんの心遣いが嬉しかった。
    ブッシュ政権の外交政策についての講演は大好評だった。
    講演が終わると役員から
    「RENさんはいい友だちを持ったね」
    と温かい声をかけていただいた。
    クボちゃんありがとう。

    去年(2002年)7月に行った二度目のライブでは、1年前から決まっていた神戸大学
    での集中講義とぶつかって残念ながら出席できなかったが、
    年賀状に「ライブに行けなくて恐縮です」と丁寧に書き添えてくれた。
    今年の3回目のライブには是非とも来ていただきたいものである。
    どんなに勉強ができても、どんな有名校に進学しても、
    どんな大先生になってもいつも出来の悪い私に気持ちよく付き合ってくれたクボちゃ
    んの
    さらなる活躍を陰ながら応援していきたい。

     ライブは順調に進行していく。
    山ちゃんのMCは機転がきいて実にうまい。
    去年のライブでも山ちゃんがMCを務めたが、
    念を入れてあらかじめおしゃべりの段取りを整理していた。
    何も用意しなかった一昨年の方が良かったと感じたのは私だけだろうか。
    観客の笑いが絶えないのだ。
    それにも増して強力な助人が現れた。山ちゃんの二人の子供である。
    山ちゃんのMCに合わせて絶妙のあいの手を入れてくる。
    山ちゃんの子供が何かしゃべるたびに会場は爆笑の渦となった。
    去年のライブでもこのやりとりを期待したが、
    二人とも大人になってしまったのか、残念ながら元気な声は聞こえてこなかった。

     オカコのMCで第二部が始まった。
    最初はオカコが歌うアン・ルイスの曲「ウーマン」である。
    この曲はハードな音色の私のイントロから始まる。
    第一部のビートルズが比較的うまくいったこともあって気持ちが緩んだ訳でもないの
    だろうが、出だしのイントロで不覚にもつまずいてしまった。
    すると、それまで忘れていた緊張感が一気に全身を覆った。
    頭の中が真っ白になる。
    この曲は間違ったことがなかったので、あまり練習していなかったのだ。
    間奏になるとさらにひどいことになる。
    チョーキング(弦を持ち上げる演奏法)するポジションを1フレット(半音)間違っ
    てしまったのだ。
    むりやり弦を持ち上げて帳尻を合わせようとするが、
    どんどん泥沼にハマっていく。
    「歌だけはどうにか無事に歌い遂げて…」必死で願った。
    針の筵(むしろ)の「ウーマン」がどうにか終了した。

     オカコが終わるとおじさんバンド自慢の歌姫たちの登場だ。
    ジョーのお嬢さんのリカちゃんを皮切りに、ナリジのお嬢さんのアズミちゃん、
    ジョーのご近所さんのカオちゃんと続く。
    「リカちゃ〜ん、おじさん来たよ〜〜」。
    会場の消防団員から熱い声援が飛ぶ。
    この消防団には、ジョーの地元商店街の人たちが参加している。
    全員根っからの酒好きのお祭り好きで、大騒ぎが大好きな人たちだ。
    何歳になっても青年のような楽しい面々である。
    騒ぎの度合いもハンパじゃない。
    おじさんバンドのメンバーは、練習後の飲み会で団員が現れると畏敬の念を抱いて
    「消防団だ!」と恐れおののく。
    「佐々木〜!マジメにやれ〜!」すでにかなりの酒量入っていることが想像できた。

     とれあれ、
    おじさんバンド結成後の初めてのライブは、
    多少の失敗はあったものの
    和やかに幕を閉じた。
    第2話で書いたジョーのグレコのレスポールを燃えないゴミに出してしまった中学・
    高校時代の同級生、イッケイの姿もあった。
    小金井公会堂でのライブのメンバーで、おじさんバンドに参加できなかったキーボー
    ド担当のツカも忙しい中を駆けつけてくれた。
    ツカは私とジョーとオカコの高校時代の同級生である。
    成績一番で入学したツカは、入学式で新入生代表の挨拶をした。
    高校時代からキーボードがとにかくうまくジャズが好きだったツカは、おじさんバン
    ドの話が出た時に参加を呼びかけたが、残念ながら叶わなかったのである。
    ツカは第4話で書いたジョーの彼女の高校で一緒にライブをやった一人・アツオと一
    緒に来てくれた。
    中学時代にクボちゃんと仲が良かったナカジマ君も来てくれた。
    少女漫画家として活躍している中学時代の同級生の奥さんも一緒だ。
    「今年からペットで高校生の娘をおじさんバンドに参加させたい」
    と言ってくれている小中学校時代の同級生女性も、
    今年横浜市議会議員に立候補するという同級生の女性も、
    青春時代を共に過ごしたハコも来てくれた。

     「一族郎党の大集会」
    兼「出演者それぞれのクラス会」
    兼「地元商店街、消防団の大親睦会」
    ともいうべき「おじさんバンドの第1回のライブ」が終了した。
    心地よい達成感と何とも言えない楽しさが心地よく全身を包む。
    忙しい中をご足労下さった皆さんと、
    楽しいひとときを共にできたおじさんバンドの面々にただただ感謝するばかりであ
    る。

    (「第6話 6.3初ライブ」終わり。
    いよいよ終わりに近づいたぞ…)

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    編集後記:

    先日、みーげんさんと和だもんさんに久々にロビで会いました。
    「たまには俺のことも週刊あらまあーに書いてーー」(みーげん談)
    と言われたので、ここに記しておきます。(爆!)
    しばらく見かけなかったこのお二方、なんでもEBにハマり込んでいる、とか。
    それも、ひいいさんのところから発展して、今では、
    あの有名な百鬼静流のEBサイトにずっぽり、らしいです。
    まあがんばってください、としか言いようはありませんが。(爆!)

    次号からは
    従来の「瞬間湯沸し記」や「閑話休題」のコーナーなど、
    復活させたいと思っています。
    また、『突撃!となりの麻雀卓』は、
    だいぶ前に採録した「ミーニャン・バービー・ツノちゃん・ルフィ」編が、
    スペースの関係上載せられないままになっていましたので、
    これも次号でご紹介しようと考えております。
    また、雀帝さんから来た嬉しいお便りメールなども、
    (もうだいぶ以前に戴いたのですが、)次号でご紹介する予定です。

    ところで、皆さんの中にもご存じの方はすでに多いと思いますが、
    Jの玄関口で、
    ランクイン前のプレイヤーでも自分の成績が見れるようになりました。
    新しく出来た『あなたの順位』という項目をクリックし、
    ゲームの種類(麻雀なら麻雀)を選択すると、
    現在の順位と月間順位が一目瞭然、というシステムになっています。
    ただし、これはポイントに関する順位情報で、
    残念ながら、勝率(トップ率)は表示されません。
    こちらの情報のほうが知りたい、というユーザーも多いのでは?

    さて、前述のみーげんさんや和だもんさんの例ではありませんが、
    Jプレイヤーの中には、
    麻雀以外のゲームにハマっている向きも少なくないと思います。
    ハンゲの7ポーカーや二人花札、ハイ・ロー、RPGの天上牌など、
    ハマってしまいそうなゲームは多々ありますが、
    最近あらまあーがよく行くのは、ここJサイトの「バンカース」!
    あらまあーは小学校時代に
    実際にボードゲームでこのバンカースをやった世代なので、
    懐かしい思いでハマっています。
    いままでにσ(・_・ )が
    バンカースで対戦した麻雀プレイヤーの顔ぶれと言えば、
    越後屋さん、ひとみJACKさん、ルフィさん、ゆきのさん、IIKANJIさん、
    道明寺司さん、エマールさん、チポりんさん、ラグランさん、だるまさん、
    ブルボンさん(よく落ちたなあこの人はw)、砂塵の王国さん、Kakaさん
    と、まさに多彩な顔ぶれです。

    思うに、「バンカース」という場所は、
    将棋・五目グループ、麻雀グループ、億万のボードゲーム・グループ、
    ダイフ・ドボン・7ブリなどのカードゲーム・グループ、
    それらの異種ゲーマーの交流接点という感じがします。
    (ま、いわゆる、異文化コミュニケーション、つうやつやねー。w)
    したがって、麻雀サイトの常識、たとえば、
    『観戦にひとがいる場合は上から入らないようにしよう』
    などというしきたりは、まったく通用しない場合もあります。(爆!)
    けっこうポイントの高い人でも、いきなり上から割り込んできたりもします。
    (≧∇≦)ノブハハハ!!

    ま、Jのしきたりに慣れてしまうと、
    他のサイトに行って面食らうこともありますから、
    ここで、これからほかのゲームサイトでも遊ぼうか、
    と思っているユーザー諸氏に
    ぜひご承知していただきたいと思うことは、
    YAHOOの将棋に行ってもハンゲのマージャンに行っても、
    『無言クン』は掃いて捨てるほどいる、ということ、
    また、ハンゲの麻雀のテーブル募集などでは
    あらかじめ『無言で打つこと』を条件に募集をかけてる場合もある、
    ということです。

    そういった事柄は必ず心に留めておくべきかな、と思います。
    つまり、不愉快な気持ちでゲームをすることのないための、
    あらかじめの心構えですね。
    ま、あんまりあらまあーの好きな格言ではありませんが、
    郷に入れば郷に従え、といったところでしょうか?^^;

    やっと春の兆しが見えはじめてきたきょうこの頃、
    それでも東京はまだ寒い日が多いです。

    それでは、次回、また、4月の上旬に(あくまでも予定です。爆!)
    また会いましょう!

    久々のセリフですが、・・・・・でわ、さらばぁ!
    (≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜

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    第7号:麻雀に疲れたらゲームサイトツアーにでかけてみよう
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    第13号:保存対局譜(牌譜)から試合を再現してみよう(2)
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    (2)

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