ひいいの麻雀研究  ひいいの麻雀研究

 週刊あらまあー

 あらまあーさんが刊行してる「週刊あらまあー」です。
 全バックナンバーを揃えています。
 週刊あらまあーの著作権、文責はあらまあーさんにあります。あらまあーさんの了解を得て、ここにバックナンバーを掲載しています。
 

    第18号:手筋変化の研究


    週刊あらまあー
    第18号
    (5月・第4週号)

    メインテーマ:手筋変化の研究


    すでにご存じの方も多いと思いますが、
    ついに週刊あらまあーのホームページが立ち上がりました。
    お時間のある方、興味のある方は、ぜひお立ち寄りください。
    この場を借りまして、
    ホムペ作成にあたりまして絶大なるご協力ご指導をいただき
    また今後も様々なご協力ご指導をお願いすることになるひとみqueenさん、
    そして、バナーや掲示板レイアウトについてご指導ご援助いただいたふくねこさん、
    このご両名に加えまして、
    BBSの背景や図柄について適切なアドバイスしてくださった
    プロのホムペ評論家の道明寺司さん(爆!)、
    第1回あらまあー的インタビューに快く応じてくださったRENさん、
    また『週刊』のホムペ開設を耳にしていち早くカキコに来てくださった
    涼人さんトヨタのヤスさんを始めとするプレイヤーの方々、
    その他多くの来訪プレイヤーの方々に
    心から感謝の意を表し、ここに御礼を述べておく次第であります。
    皆様、ありがとうございます。今後もよろしくご指導、お願いいたします。
    m(_ _)m

    ----------------------------------------------------------------------------

    いつものご挨拶
    さていよいよ5月、5月といえば東京下町はお祭りの季節です。
    神田祭りに始まり、下谷神社の祭り、そして三社祭!
    あっちこっちで「せいや、せいや!」という元気のいい掛け声とともに
    神輿(みこし)が往来をねり歩く風景が見られる季節です。
    さて今回の週刊あらまあー、月の半ばまでに配信したかったのですが、
    色々とあらまあーも忙しくて、
    気がついたら、またもや月の後半に配信となりました。(;^_^A アセアセ・・・
    今月は、ボス0423さんの『ムササビ杯』、牌王位戦の決勝、
    チームJの『第4回ハンゲ麻雀大会』など、
    大会の話題のつきない月でもありました。
    また、あらまあー自身も、多くの人のご協力により、
    ついに『週刊あらまあー』のホームページを立ち上げる運びとなりました。
    今後ともメールともどもHPの『週刊』を、よろしくお願いします。
    さて今回は、「手筋変化の研究」というテーマで
    ちょっと本格的に叙述してみようかと思っています。
    しかしこのテーマは実際のところ未だ研究途中であり、
    今回はそのテーマの提示という程度に留まっています。
    今後の研究課題となるのは必至でしょう。
    いよいよ暑い季節の予感がしてくる時期ですね。
    体調を崩しやすい頃でもあります。
    皆さん、元気にいきましょうっ!  (* ̄0 ̄)/ オゥッ!


    ----------------------------------------------------------------------------

    目次

    閑話休題
    (1)爆笑! もしJユーザーがヨーロッパ人だったら?
    (2)あらまあー式史的下町見聞録・「歴史の中に消えていく街」
    (3)あのうたかたさんが、求人募集をしているらしい。。。
    (4)週刊あらまあーHP立ち上げのご報告

    メインテーマ:手筋変化の研究

    月間データ・ランキング(4月1日〜5月1日)

    大会報告・・・・・ハンゲ麻雀大会、ムササビ杯、牌王位戦決勝観戦記など

    ぜひ読んでいただきたい、今後の『週刊あらまあー』の配信方法について

    REN作・『おじさんバンド奮闘記』(第7話・前編)

    編集後記

    ----------------------------------------------------------------------------

    閑話休題(かんわきゅうだい)
    え? なんかちょうだい?  |||||||||_・)

    (爆笑!)もしもJユーザーがヨーロッパの人だったら
    以前、ひいいさんのHPの「推定本名」というコーナーが笑わせてくれる、と、
    週刊あらまあーでも報じたが、
    そこで、ヒマジンあらまあーは、(・・・って、オイ!w)こんなコトを考えてみ
    た。
    題して、
    「もしもJユーザーがヨーロピアンだったら、
      いったいどんな本名?」
    ぷぷぷぷ〜〜^^
    (注:このネタは、すでに『週刊』のHPの「私的空間」に掲載してありますが、
    ここではさらにメンバーを増やしてみました。。。。。(≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜)

    会員NO.1:キシボン(kishibojin)さん⇒セルジオ・キシボーネ
    (これはもう、おオナジミ)
    会員NO.2:RENさん⇒フランシス・レン 
    (ぷぷぷぷ〜〜^^)
    会員NO.3:雫さん⇒シズッキー・ショコラ・ダッペーノ 
    (だっぺーの、って。。w)
    会員NO4:どとちん⇒ドトール・コーヒー・カップチーノ 
    ((≧∇≦)ノブハハハ!!)
    会員NO5:mequmi444⇒メグ・アン・ペペロンチーノ
     (・・・なんのこっちゃ! 爆!)
    会員NO6:満願堂さん⇒ムヮングァン・シュトロガノフ 
    (ドイツ系が入ってるw)
    会員NO7:ゆきのさん⇒ユッキー・アンジェラ・ビジョールド 
    (・・・って、よく意味わからんし 爆!)
    会員NO8:ふくねこさん⇒チャンネル・ネッキー・サイキンニューセキー
    (核爆!!)
    会員NO9:ひとみqueenさん⇒ヒトミ・イザベル・パチンコスキーネ
    ((∇≦*)んもぉ〜♪)
    会員NO10:トヨタのヤスさん⇒トヨヤス・オチャメ・チュウパクリーノ
    (あははははは^^)
    会員NO11:ななえさん⇒ナナエー・ノウミソ・グジョグジョーヌ 
    ((≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!)
    会員NO12:群龍さん⇒グン・クロード・ジャイアンツスキー
    (ロシア系苗字になってるw)
    会員NO13:飯田橋さん⇒イイダ・ポール・ジャイアンツスキー
    (実は上の人と兄弟?w)
    会員NO14:ミーコさん⇒ミーコ・ミレイユ・デカケルノスキーネ
    (・・・って長いか?w)
    会員NO15:道明寺司さん⇒ツッキー・アッチコッチ・カキコスキーノ 
    (ぷぷぷ〜〜^^)
    会員NO16:ミーニャン(mienyan)さん⇒ミーニャン・ナタリー・エドガワーヌ 
    (大爆!)
    会員NO17:ボス0423さん⇒ボッス・イチモジアケ・チャットスルーネ
    (わっははは!)
    会員NO18:いなださん⇒イナチャーネ・オフカイ・カンジスキー 
    (くっくっくっく〜〜)
    会員NO19:Melissaさん⇒メリー・アントワネット 
    (どっかで聞いたような・・・w)
    会員NO20:涼人さん⇒リョーチャン・ルイ・ホッカイドー
    (って、そのままやんけw)
    会員NO21:えみりんさん⇒エリミーネ・ヤマグチヒメーヌ 
    ((≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜)
    会員NO22:チポりんさん⇒チッポー・サイキンミカケネーヨ 
    (o_ _)ノ彡☆ばんばん!)
    会員NO23:かずねママさん⇒カズーネ・デートリッヒ 
    (ぎゃははははは^^;)
    会員NO24:英ひでさん⇒ヒデ・ナゴヤ・セニョール 
    (・・・・って、メキシコかスペイン系?w)
    会員NO25:ミキ(gts)さん⇒ミーキー・カーチャンデス 
    (・・・って、ミッキー・カーチスかい^^;)
    会員NO26:キララ(kirara☆)さん⇒キララーネ・ニョ〜ニョ〜〜 
    (┃電柱┃・m・) プププ)
    会員NO27:ブルボン(burubon6)さん⇒フランソワ・ブルボーネ 
    (・・・って洋菓子? (='m')プププゥゥゥ)
    会員NO28:持杉ドラ夫さん⇒モエヨ・ドラオン
    (ヽ(^∇⌒*)キャハハハ☆(o_ _)ノ彡☆ばんばん!)
    会員NO29:KAKAさん⇒アイサツ・カカサネーノ
    ((*≧m≦*)ププッ)
    会員No30:ひいいさん⇒ジャン・ピエール・いひひ 
    ((≧▽≦o)ワッハッハッハ )

    とまあ、すごい顔ぶれが(爆!)そろいました。
    ┐('〜‘;)┌ヤレヤレダゼ
    あっ! そうそう一人忘れてましたぁー。(;^_^A アセアセ・・・
    特別名誉会員:あらまあーさん⇒アラマン・ハンサム・ドロン (・。・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
    おおおおおおぉーo(* ̄○ ̄)ゝーいぃぃぃぃぃぃ!
    みんな、どこ行っちゃったのおぉ? 
    一人にしないで〜〜。おじさん寂しいからぁー。w
    ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタモンデスナー

    つうことで・・・・・・少しは笑えました?  |||||||||_・)

    ______________________

    あらまあー式『史的下町見聞録』
    (第一話)歴史の中に消えていく街
    隅田川を挟んだとある地域の両側に、
    東京23区のうちの二つの区がある。
    浅草という街を抱える下町代表の
    台東区(どうかTaito-kuと発音してください。)と、
    もうひとつは、
    桜で有名な向島(むこうじま)や国技館のある両国という街を包む
    墨田(Sumida)区である。
    隅田川花火大会のメイン会場となる歩行者専用の橋、桜橋を渡ると、
    墨田区側にも台東区側にも小さな野球場がある。
    リトルリーグの試合が行われる少年野球場である。
    墨田区側には、川をもっと下流にくだると
    かの荒川コーチと王貞治が運命の出会いをとげた
    思い出の川べりのグラウンドがあった。(現在は消滅したと聞く)
    世界のサダハル・オーが育った街でもある墨田側の野球場では、
    毎年『王貞治杯』という少年野球大会が開催される。
    王さんがダイエーの監督に就任する以前は、この大会の決勝当日には、
    王さん自身が優勝チームに優勝カップの授与をしていたものである。

    さらに隅田区側の川べりに伸びる墨堤(ぼくてい)通り、
    その目と鼻の先に、永井荷風の『墨東綺談』で有名な、玉ノ井がある。
    かつて遊郭街があった地域である。
    現在は『玉ノ井』という地名は消滅し、
    東向島というなんとも味気のない地名になってしまった。
    なんでも地元のPTAの方々や区議会議員サンの働きかけで、
    「遊郭があった頃の地名はふさわしくない」
    ということで、町を通る京成電鉄の駅名も
    『玉ノ井』駅から『東向島』駅にと変わってしまった。
    時代の流れだから仕方がないことだ,と言えばそれまでである。
    そこで今回の私の試みだが、
    この過去の歴史の中に埋没しやがては忘れ去られるであろう、この、
    『玉ノ井』という場所に皆さんと共にタイムスリップして行きたい、
    と思っているのである。
    大正という時代が終焉し、人々が耳慣れない『昭和』という時代を迎え、
    関東大震災による打撃から東京の街が立ち直り始めた昭和初期、
    西暦で言うならば1930年代初頭の頃、である。
    大震災によって、
    当時東京では最も高い建物と言われていた「十二階」が、崩れ落ちた。
    その十二階の下には『銘酒屋』と通称される私娼窟があり、
    震災によって死んだ私娼も少なくない、と言い伝えられている。
    (注:私娼とは、
    当時おおやけに認められていた吉原などの遊郭街の娼婦を公娼と称し、
    それに対する私娼、つまり、もぐりで商売する売春婦のことである。
    彼女らの多くは、地方の貧しい農家から『年季奉公』の名目で
    ほとんど人身売買同然に親から売られて来たという。
    今日では考えられないほどの悲しい運命を背負った女性たちである)
    震災後、十二階近辺で商売していた私娼たちは行く場を失い、
    隅田川の向こう側(今日で言うと、浅草のある台東区から川を隔てた
    向こう側の墨田区側)に追いやられた。
    川の向こうの玉ノ井や亀戸には十二階下と同様の
    「私娼窟街(=吉原のように公的に認可されていない遊郭街)」があった。
    玉ノ井は、人家の密集した細い道にひと塊(かたまり)となって
    軒をつらねていた。
    狭い路地のような横丁に一歩足を踏み入れれば
    独特のなまめかしい雰囲気の一帯があり、
    外側の両国方面につづく大通りや
    すぐ脇の商店街から比べれば、
    まるで別世界に迷い込んだような地域だったという。
    つい最近、この文章を書くに当たって、
    自転車で隅田川べりのマラソンコースを散歩しながら、
    墨田にいる知り合いの家を訪問がてら、
    この「昔は遊郭街だった場所」を通ってみた。
    もちろん現在は遊郭のゆの字もない民家の建ち並ぶ地域だが、
    一歩大通りから細い道に入って、なるほどと納得したものだった。
    というのも、
    自転車が向こうとこちらから2台通ればもう隙間もなくなるような
    狭い路地のような抜け道の両側に、店が建ち並んでいるのである。
    魚屋、豆腐屋、薬局、床屋、喫茶店、ラーメン屋、和菓子屋・・・・
    なぜこんな細い道の両側にこんなに店が? 
    と言いたくなるほどに店がつらなり、
    またさらに、その道から脇に抜ける裏路地のような道の先にも
    中華屋や薬局がある。
    ちょっと現代の東京では信じられない、
    -------下町ならでは、と言えば言えないこともない------
    そんな光景にお目にかかることができるのである。
    永井荷風の『墨東綺談』はこの玉ノ井が作品背景になっていて、
    そこで暮らすはかない女性たちの姿が浮き彫りになっている。
    さて、この永井荷風の作品から、当時の玉ノ井を眺めてみよう。
    「・・・・すると意外にも、
    そこはもう玉の井の盛り場を斜めに貫く繁華な横町の中程で、
    ごたごた建て連なった商店の間の路地口には、『ぬけられます』とか
    『安全地帯』とか『京成バス近道』とか或いは
    『オトメ街』或いは『賑本通(にぎわいほんどおり)』
    など書いた灯(あかり)がついている。・・・」
    当時は、その裏路地の狭い所に向き合って庇(ひさし)を接し
    ぎっしりと銘酒屋(すなわち私娼宿)が並んでいたという。
    小さな窓からは『窓の女』(私娼の通称)が
    「お兄さん、遊んでいかなぁーい?」やら
    「あがっておいきーよう」やら、
    黄色い声をあげて客を誘っていた。
    路地には敷石が敷かれ、ひやかしの連中が
    金魚の糞のように数珠(じゅず)つなぎに通り過ぎる。
    道の先が行き止まりかと思えば頭上に『ぬけられます』の板看板、
    また袋小路かと思えば、『この先、道あります』の立て看板、
    通路は網の目のように絡み合い、
    一度迷ったら容易には元の場所に戻れないというような
    迷路のような一帯だった。
    さらに永井荷風の世界をたどっていく。
    「路地には久しく人の声も足音も途絶えていたが、突然、
    『アラアラ大変だぁ。きいちゃん、鰌(どじょう)が泳いでるよ』
    という黄色い声につれて下駄の音がし出した。・・・・」
    なぜにドジョウが? と思われる向きもあるだろう。
    隅田川を挟んでこちら側は低地つまり海抜0メートル地帯である。
    少しでも長雨が続いたり強い雨が降ったりすれば、
    当時のことだから下水の捌(は)けも良くないので、
    溝(どぶ)の水が溢れ出し、往来を水びたしにしてしまう。
    いや、往来どころか、台風でも来て隅田川が氾濫した日には、
    街全体が水びたしになるのである。
    大正の頃には、この付近に活動写真つまり映画の撮影所があった。
    硝子(グラス)ステージで有名な日活向島撮影所である。
    当時は、撮影所で夜間の撮影がありライトを多数使用すると
    付近の民家の電燈が点滅したり消えたりして苦情があとを絶たず、
    そこで出来たのがこの硝子ステージであった。
    つまり、天井も周囲もガラス張りのセットで、
    ライトを使わず撮影は昼間のみ行なうのである。
    この硝子ステージは当時この地の名所となり、
    弁当持ちで見物に来る人々が絶えなかったという。
    また、隅田川べりの向島近辺には有名な映画俳優や実業家の
    瀟洒(しょうしゃ)な別荘や邸宅がずらずらと立ち並び、
    かつてはこの一帯は東京の高級住宅地だったのである。
    しかし、台風や豪雨で隅田川が氾濫すると
    ここいらが手の打ちようのない場所であることが判明し、
    やがては豪邸の数も減っていった。
    現在のように高い堤防などなかった時代の話である。
    さて、ドジョウの話に戻ろう。
    大雨で街が水びたしになると、
    湿った場所や溝の底に棲息する泥鰌(どろどじょう)が飛び出して
    往来を跳ね回りのたうち回る、そんな光景も珍しくなかったそうである。
    そんな鰌の泳ぎ回る水の中を、
    遊女たちが下駄履きで裾(すそ)を捲り、
    じゃぶじゃぶと小走りに行く姿もよく見かけられたらしい。

    荷風の叙述をたどっていく。
    「『今年はいつまでもほんとに暑いな』
    と云った時、お雪は
    『ちょいと静かに』
    と云いながら私の頬に止まった蚊を掌(てのひら)で押さえた。
    家の中の蚊は前よりもいっそう大きくなったようで、
    人を刺すその針も太くなったらしい。
    お雪は懐紙で私の頬と自分の手についた血を拭き、
    『こら、こんなぁ』
    と云ってその紙を見せて丸める。
    『この蚊がいなくなれば、年の暮れだろう』
    『そう。去年お酉様に時分にはまだ居たかも知れない』・・・」
     この地域は前述のように低地であり水捌けの悪いことから、
    溝などから蚊が発生しやすかった。
    これから商売という時、
    どこの店のあがり口にも蚊取り線香が置いてあり、白い煙をあげていた。
    作中の会話で、お酉様の頃まで蚊が出る、と言っている。
    お酉様は11月である。驚いたことに、晩秋の冷たい風が吹く時期まで
    蚊に悩まされていたことがわかる。
    遊女が、ありあわせのおかずでさらさらとお茶漬けをかきこんでいる。
    仕事の前の腹ごしらえ。玄関の窓口からひやかしの客が覗く。
    「『よう姉さん、ご馳走さま』
    『ひとつあげよう。口をおあき』
    『青酸カリか。命が惜しいや』
    『へっ、文無しのくせに、聞いてあきれらぁ』
    『何をっ、この溝(どぶ)っ蚊女郎が』
    と捨て台詞(ぜりふ)で通り過ぎるのを、女のほうも負けていず、
    『ふんっ、ゴミタメ野郎!』・・・・・・」
    映画「墨東綺談」でもこのシーンがそっくりそのままあった。
    荷風の原作では、
    女郎が玄関口の座敷で
    ありあわせのもので茶漬けをさらさらとやっているところを、
    ひやかしの客が覗き、このやりとりとなるのだが、
    映画では、女郎が二階の窓際に腰かけてかき氷を食べているところを
    下から通りすがりがひやかす、というシーンになっていた。
    そもそもこの「墨東綺談」は、
    玉ノ井で出会った『お雪』という遊女に
    『私』(荷風自身)が惚れこんで通いつめ、
    その二人のエピソードがメインのストーリーになっている。
    映画ではお雪を、当時無名だった墨田ユキさんが体当たりで演じ、
    永井荷風を名優・津川雅彦氏が演じていた。
    ところで、このやりとり、
    どう見ても女郎と通りすがりの客が言い争っているふうに取れるのだが、
    実はそうではなく、いわば軽い冗談のやりとりなのである。
    ゴミタメ野郎、と言われたほうの素見(ひやかし)も、
    口のへらねえ女だ、とばかり苦笑いして行き過ぎ、
    この会話を聞いていた通行人たちも後からまた笑って通り過ぎるという、
    この時代のこの地域ではごくごくなごやかな風景なのである。
    盛り場としては高級な銀座の女給と、
    このいわば卑しい玉ノ井のような私娼街地域の窓の女と、
    その双方を比べてみて、荷風はこう記述する。
    「はしたなくも銀座あたりの女給と窓の女とを比較して、
    私は後者のなお愛すべく、そしてなお共に
    人情を語ることが出来るもののように感じたが、
    街路の光景についても、私はまた両方を見比べて、
    後者のほうが浅薄に外観の美を誇らず見かけだおしでないことから
    不快の念を覚えさせることが遥かに少ない。・・・・」
    すなわち、
    銀座の高級女給と下賎な玉ノ井の窓の女とを比べてみると、
    私(永井荷風)は後者の玉ノ井の女のほうが好ましい。
    貧しさ、卑しさをわきまえ、生きることの悲しみが身についたぶん、
    見栄をはらず、人の情けがわかり、
    心を開いて話すことができるものである。
    街並みにしても、玉ノ井のほうがうわべの美しさを誇ることなく
    あさはかさを感じないので、はるかに不愉快さを感じない。
    と、荷風自身は述べているのである。
    まだまだ書き足りないエピソードがあるのだが、
    この割り当てスペースには限りがあるので、今回はここまでとしよう。
    なぜこのような「旧遊郭街探訪記」のようなものを
    ここに皆さんに紹介したのかと言うと、
    以下のような理由からである。
    だいぶ前に、テレビの龍角散のCMでこういうものがあった。
    今は亡き漫画家の滝田ゆうさんがタクシーに乗り込み行き先を告げる。
    「角筈(つのはず)まで」
    それを聞いたタクシー運転手が、
    「ああ、西新宿ね。ハイ」
    思わず滝田氏はがくっと腰くだけになり、肩を落とす。
    というものである。
    角筈という珍しい地名が区画整理で変更され、「西新宿」となる。
    「西新宿」のほうが「新宿の西側の部分」ということがわかるから、
    合理的で実用的な地名ではある。
    が、そう変更されることによって
    古くから住民に親しまれてきた歴史を刻んだ由緒ある地名が
    ひとつ消えていくのである。
    そのことにいくぶんかの寂しさや郷愁の念を感じたことがあるのは
    私ひとりではないだろう。
    玉ノ井⇒東向島 と変更されたことによって、
    かつて永井荷風が愛した玉ノ井なる街は
    もう東京都の「地図」上からは完全に消滅した。
    そこにかつて暮らしていた悲しい運命を背負った女性たちも、
    そこに息づいていた人々の暮らしも、人と人との出会いも、
    それによって生まれた多くのエピソードも、
    すべていくつかの書物の中に封印されてしまった。
    つまり、玉ノ井は『かつては存在したが現在は存在しない街』となり、
    それは言い換えれば『書かれた歴史の一部』となったのである。
    今回の私のささやかな抵抗は、
    やがては人々の記憶からさえも消え去るであろうこの旧街に、
    せめてほんのわずかの時間でも「呼吸をさせて蘇らせたい」
    という思いから、出たものであった。
    しかしそれが充分にできたかどうかは、きわめて疑問である。
    この程度の紙数では不可能であったかも知れない。
    いずれまた、皆さんを、大正や昭和初期の下町へと
    ご招待しようと思っている。
    またご一緒に、紙上の時間旅行、ぜひおつき合いください。
    (歴史の中に消えていく街・了  2003年5月12日脱稿)

    ______________________

    あのうたたかさん、いや、うたかかさん、もとい、うたかたさんが
    6月ミックスジュース杯の求人募集をしているらしい
    うたかたさん、と言えばあの居並ぶ美女隊(?)である「すっちー隊」の提唱者とし
    て、
    またあの「ミックス・ジュース杯」の主催として、
    そしてまたあの「うたかたの宿」というホムペの主として、
    有名なプレイヤーであります。
    そのうたかたさんが求人募集をしていますので、ここにご紹介します。

    週間あらまあー 1000万人の読者の皆様!
    この新聞!何か足りないことにお気付きですか??
    そう。。。。
    そうです!!
    新聞と云うのは購読料と広告収入で成り立ってますはずですね

    そこを 太っ腹のあらまあーさんは購読料無料でみなさんに配
    付されてます。
    ということは。。。。
    広告料も勿論無料!!(勝手に決めてるしィ)
    てなわけで 業界初の求人広告を出させて頂きやすぅ〜
         記
    先行募集
    <<求む!>>
    ミックス・ジュース杯(裏)大会スタッフ!!
    参加者になるんじゃ無くスタッフの経験でハラハラどきどきし
    ませんか?!!
    ミックス・ジュース杯(裏)大会を開催したいと思います。
    つきましては、人数4名(男女各2名)の司会、集計、確認、
    アンカーのスタッフを募集致します
    予定:来る6月中下旬あたりの土曜日21時頃から24名(十
    二組)申込多数の時には32名(16組)4から5回戦の大会
    企画、募集、実行、打ち上げ^^までを 参加できそうな方!

    ノウハウは御指導致します。
    申込およびお問い合わせは 
    utakata1102@yahoo.co.jp  まで。。。

    以上の内容はすでに『週刊あらまあー』のホムペの「大会告知・求人広告」
    の欄でもご紹介してあります。
    どうか、大会スタッフを1度経験してみたい、
    大会の運営サイドの仕事をしてみたい、
    という方は、ふるってご応募ください。
    なお参考までに、うたかたさんのホームページ『うたかたの宿』へは、
    ここからどうぞ!^^↓
    http://members.goo.ne.jp/home/elame

    ______________________


    週刊あらまあーホームページ立ち上げのご報告
    もう皆さんほとんどの方がご存じと思いますが、
    このたび、週刊あらまあーのホムペを立ち上げました。
    『週刊あらまあー』の最新号と最近号(たぶん、ひとつかふたつ前の号)を掲載し、
    またトップの左にあるメニューから『あらまあー言いたい放題』にジャンプすると、
    そこの『日記帳』で「Jプレイヤーズ・エッセイ傑作選」をご覧になれます。
    ちなみに収録作品は、
    「摩訶不思議きらら天然日記」(総集編)作・kirara☆
    「酒と女と借金と」作・LOTO.6
    「家庭教師のホンネ」(総集編)作・★雫★
    「The Basketball Diaries」作・buff
    「電車・駅での思い出深い三景」作・ひいい
    「部屋と麻雀と私」(総集編)作・naba
    「麻雀と私」作・aimama
    「20年前の思い出」作・匿名プレイヤー
    「ひとみqueenの華麗なる職歴」作・ひとみqueen
    「花子」作・mequmi444
    「俺と同世代のすごいやつ」作・群龍
    「楽しい入院生活のすすめ」作・kishibon
    「我輩は黒ネコである」作・ミーコ
    「伝説の雀士の話」作・あらまあー
    「友人の死の知らせ」作・あらまあー
    と、豪華絢爛ラインナップです。
    さらに、『あらまあー式私的空間』には、
    かつて『週刊』に載せた
    「映画談義」や「RENコン感想記2002」、
    あるいはこのコーナーオリジナルの
    「(爆笑!)Jユーザーがヨーロッパ人だったら?」(本号に掲載)
    「柳亭痴楽という落語家を知っていますか?」(新作・『週刊』には未掲載)
    という爆笑エッセイなども収録してありますので、
    お暇な方は、ぜひお立ち寄りくださいませ。
    加えて、『あらまあー的野球談義』や『あらまあー的インタビュー』など
    色々なコーナーがあります。『大会告知・求人広告(Jにおけるw)』もあります。
    どうか、寄っていってください。
    またさらには『初級者版あらまあー』も順次掲載していきます。
    (現在のところ第1部「基礎知識編」を掲載)
    つうことで、『週刊あらまあー』のホームページ、よろしくお願いいたします。
    http://homepage3.nifty.com/aramaa/


    ----------------------------------------------------------------------------

    メインテーマ:手筋変化の研究

    {序:結果がすべてなのか?}
    麻雀は勝負事である。
    勝負事である以上、
    その結果を軽視することはできない。
    いくらプロセス(過程)が良くても、結果に反映されなければ何もならない。
    紙一重でも負けは負けである。
    残酷な言い方だが、それが勝負事である。

    ただし、1試合1試合の対局において、
    「結果、トップだったからこのゲームは良しとしよう」
    という考え方で、果たしていいのであろうか?
    「結果さえよければそれでいいと思う。勝負事は結果がすべてであるのだから。。」
    これも勝負論的には正論には違いない。
    「アガれた待ちがいちばんいい待ち」だ、
    という言い方もある。
    しかし、それらの言い方はすべて
    勝負事の酸いも甘いも噛み分けた末に出てくる台詞であって、
    「どんなひどい打ち方をしても、なんでも結果オーライなら、それでいい」
    という意味では決してない。
    下図は、あるプロの牌譜である。
    ______________________
    {南1局・西家}
    {配牌}
    三四六六七八八(1)(2)57北發  (ドラ:(1))
    (1巡目)ツモ牌:西⇒捨て牌:北 (2巡目) (1) ⇒ (2) (3巡目)(2)⇒ツモ
    切り
    (4巡目)二⇒發
    {4巡目までの牌姿}
    二三四六六七八八(1)(1)57西  (ドラ:(1))
    (5巡目)東⇒ツモ切り (6巡目)(7)⇒西 (7巡目)九⇒(7)
    {7巡目までの牌姿}
    二三四六六七八八九(1)(1)57  (ドラ:(1))
    ______________________
    と、7巡目まででドラ2枚持ちのイーシャンテンである。
    問題は次巡、ここへ6ソウを引き込みテンパイしたのだが、
    二三四六六七八八九(1)(1)57 {ツモ牌⇒6}
    さて、あなたなら何を切ってどうテンパイを取るであろうか?
    半荘戦の南1局、持ち点28000の現在2位である。トップは34000。
    常識的には、九マン打ちのカン七マン待ち、
    ドラドラ・イーペイコウの5200点で恩の字であろう。
    ところが、このプロはここで八マン打ち、シャンポンに取った。
    もちろん、ヤミテンで回す。
    狙いは、言うまでもなく、五マン引きの六マン切り、一・四・七マン待ち、
    一マンで一通という理想形である。
    二三四六六七八九(1)(1)567 {打ち⇒八}
    この着手に問題はないか?
     といえば、もちろん「問題あり!」という意見の出るところであろう。
    九打ちならヤミテンでアガれてしかも5200もあるのに、
    なぜ八打ちなのか?
    五ツモ六打ちで一・四・七マン待ち、しかも一マンで一通になると言っても、
    それはあくまでも打ち手の理想である。理想を追いかけること自体は悪くはないが、
    思いどおりに行かないのが麻雀である。
    四マンツモ・ツモ切り、次のツモが五なら、六切りで、
    いくら3面チャンとは言えフリテンだし、
    七ツモ、九打ちの五・八マン待ちでも、
    高め(イーペイコウ)の八マンをすでに捨てている。
    しかも現在のこの手では、リーチをかけないとアガれない。
    いかにプロの打った手と言っても、この着手には疑問の声が挙がるところであろう。
    以下は、この手を持った某プロ自身の、
    自分の牌譜を見返しての、後日の叙述である。
    『6ソウ・ツモ、打八マンでテンパイの時、
    九を切っておけばカン七マン待ちのイーペイコウでヤミテンで出アガリがきくのに、
    なぜ八マン打ちとしたか? 
    それは私が若い頃から一気通貫が好きだったというのが単純な理由だが、
    ここは私のように一通ネライにいくか、カン七のイーペイコウに取りあえず受けてお
    いて、
    五ツモなら八打ちでピンフ・ドラ2の3面チャンにいくかは、各人の好みによる』
    さて、この後、このプロは4巡ほどツモ切りを続け、
    なんと5巡後に、しびれを切らせたのか、このシャンポンのままリーチに踏み切る。
    なおも以後の牌譜を追ってみよう。
    {8巡目・テンパイ時の牌姿}
    二三四六六七八九(1)(1)567 (ドラ:(1))
    (9巡目)3⇒ツモ切り (10巡目) (6)⇒ツモ切り (11巡目)三⇒ツモ切り
    (12巡目)西⇒ツモ切り (13巡目)1⇒ツモ切り{リーチ!}
    六マンとドラ1ピンのシャンポンのまま、リーチである。
    リーチ後、14巡目に6ピンツモ切り、
    そして次巡になんと、ドラの1ピンをツモるのである。
    {15巡目・最終和了手牌図}
    二三四六六七八九(1)(1)567 {ツモ牌(1)}⇒ツモ和了!
    この試合、このプロが結局トップを取るのだが、
    この対局を振り返って、同プロはこう述懐する。
    『あそこでドラをツモるなんてさすが強いですね、と対局者に言われたりもしたが、
    シビレを切らしてリーチをかけ、結果オーライの麻雀になってしまったことを
    今でも心の片隅では反省している。
    勝ちは勝ちとして私の雀歴に記録されているが、
    勝ったからといって手放しで喜んでいては進歩がない。
    負けるよりは勝つほうがいいに決まっている。が、
    反省・納得を何度も繰り返していき、
    そうした積み重ねによる
    トータルゲームとしての麻雀を打つことのほうが重要である』
    何を隠そうこのあらまあーにしても、Jで打っていても東風でも、またリアル打ちで
    も、
    『勝ちはしたがひどい麻雀を打った。観戦に研究熱心な若手でもいたら、
    さぞかし笑われるだろう』
    という冷汗ものの対局が、数え切れないほどある。
    反対に、負けたが内容のあるいい試合だった、と思えるものもある。
    結果的にトップになれるに越したことはないが、
    結果が良かったからといって素直に喜べない試合もある。
    「いや、それでも結果が良ければ嬉しいんじゃないの?」
    ハイハイ、その通りです。
    勝負事である以上「結果」がすべてではある。
    が、「結果」さえよければ「それで良し」「反省の必要もなし」
    というのでは、『進歩のない打ち手』と呼ばれても仕方がないだろう。
    前述の某プロは彼の著作の中でこう記している。
    『勝った負けたと言い、それを繰り返しながら雀歴を積み重ねていき、
    雀力をつけていく。
    勝った時の満足感より負けた時の敗因分析が大事で、
    どこに敗因があったのか自分で分析できるようになれば一人前である。
    きのうは僅かだが勝った、
    きょうも勝った、
    しかし明日はどうなるか?
    やってみなければ答えは出ない。
    そのこつこつとした積み重ねが、その人その人の麻雀史となる』
    耳を傾けるに値する記述である。


    {第1章:「それは結果論でしょう?」という主張について}

    それは結果論ですよ、という言い方がある。
    結果を見てから、こうすれば良かったああすれば良かった、などと論評されても、
    確かにこう言うしかない。
    ひとつの試合というものは対局者四人のものである。
    そこで対峙しているプレイヤーたちのものである。
    自分のその日の調子、ツモ牌の具合、ゲームの流れ等を、
    対局者自身が汲み取り、
    そして出した選牌の結果が裏目に出たとしても、
    そのことはプレイヤー自身が一番わかっているのである。
    たとえ結果が悪かったからといって観戦者に批判をされても、
    『あなたは結果を見てからモノを言っている。つまり、それは結果論でしょう』
    と答えるしかないのは当然である。
    そういった意味において、
    『それは結果論に過ぎないですよ』という主張は正しい。
    ただし、「それは結果論でしょう」という言い方は無制限に正しいのではなく、
    かならず限度があるものだ、と思う。
    以前にこういうことがあった。
    {捨て牌}注:{R}はリーチの意
    東・北・9・一・發・(7){R}・(6)・4・3・白・三・(8)・2・・・・
    Jゲームでの対局で、直後に記憶を頼りに咄嗟にメモしておいたものだから
    100%正確ではないが、確かこんな捨て牌である。
    オーラスの西家、現在持ち点45000とトップのプレイヤーのリーチである。
    ポイントは、
    7巡目の7ピン切りのリーチであるということ、
    リーチ直後に6ピンを持ってきて、
    また数巡後に8ピンを持ってきているということ、
    リーチ後、4・3・2、というソウズのひとメンツを持って来ているということ、
    さらに加えて、6巡目までの捨て牌が手出しの字牌と端牌ばかりで、
    つまり、かなり有効牌を連続して引いてストレートにテンパイしたということ
    である。
    この試合、
    ハネ満、満貫と大物手を2回モノにしたこのプレイヤーが45000点でトップ、
    2位が北家の30000点、3位がラス親の私で14000点、
    4位が南家の11000点、という状況であった。
    流局間近の16巡目にラス親の私が追いかけリーチ!
    結果は、流局であった。
    トップ目のプレイヤーの手は、
    三三四五六八九(3)(4)(5)567
    と、ペン七マン待ちであった。ドラは1ソウである。
    流局後、手牌を見た私は思わず、
    「〇〇ちゃん、そのリーチはないだろ^^」
    とチャットしてしまった。
    もちろんこれは、あまり親しくない間柄の相手であれば、
    お世辞にも愉快なチャットとは言えない。
    それを承知の上でのチャットである。
    と言うのも、この時トップのこの若手プレイヤーは
    以前あらまあーとよく打っていた相手で、
    だいぶ前の『週刊』でも
    「見どころのある若手であらまあー好みの元気のいいプレイヤー」
    として紹介した人物である。
    やや気を許していた相手だけにそう声をかけたのだが、
    返ってきた答えは、
    「え?どうしてですか?」だった。
    私はそれ以上言うとほかの二人の対局者が不愉快に感じると思い、
    そこでチャットを打ち切ろうとした。
    しかし、その場には観戦に知り合いのプレイヤーもいて、
    「やはりペン七マンをきらっていくのが、トップの打ち方ですか?」
    と質問をしてきたので、黙っているわけにはいかなくなった。
    こういうことである。捨て牌をもう1度並べると、
    {捨て牌}注:{R}はリーチのこと。
    東・北・9・一・發・(7){R}・(6)・4・3・白・三・(8)・2・・・・
    である。つまりこの打ち手はリャンシャンテンの時点で發を持ち、
    イーシャンテンの時点でその發を切って手を目いっぱい広げた。
    たとえばこんな手牌となる。
    三三四五六八九(3)(4)(5)(7)56 (ドラ:1)
    この手に7ソウをツモり、巡目も早いことから
    7ピン切り即リーチ、と出たのである。
    オーラスのトップ、2位とは15000の差、6巡目。
    さてこの即決リーチが良いか悪いかは、
    Jにも多くの上級者プレイヤーがいらっしゃるので
    そのご判断はそれぞれにお任せして
    先にあらまあーに結論を述べさせていただけるのならば、
    オーラスでトップ、2位との差が15000でジカ満打ちで逆転する
    という状況において、
    いかに6巡目の早いリーチとは言え、
    このペン七マン待ちのリーチは、悪いリーチである。
    「相手をオロすためにも、早い巡目だし即リーでいいんじゃないか?
    相手を後手に回しておいて、ゆっくりツモればいい」
    というのは100%理のない意見とは言わないが、
    あまりにも自分につごうのいい判断であろう。
    自己本位、我田引水(がでんいんすい)的な考え方は、
    時として予想もしない憂き目を見る。とんでもない結果を呼ぶものである。
    『ペンチャン待ちだから悪い』と言うのではない。
    もちろんお世辞にもいい待ちとは言えないが、それ以上に、
    この、状況判断、決断が悪いのである。
    ちなみに、終盤に追いかけた私のリーチというのは、
    六七七八八(5)(5)(6)(7)(8)678
    と、まかり間違ってトップ目の若手プレイヤーが六マンをツカめば、
    裏ドラを見ずにして親ッパネの手である。
    当然インパチのジカ取りであれば、私が逆転ぶっこ抜きのまくりトップとなる。
    安めの九マンでもほぼ親マン、この試合の構図ががらっと変わるところである。
    だからこそ、「〇〇ちゃん、そのリーチはないだろ^^」とチャットしたのである。
    結果、(このトップ目のプレイヤーにとっては)運よく流局となり、
    1本場に4確アガリが出て、かろうじてトップをモノにしたのだが、
    結果が良かったからこれでいい、というものでは決してないのである。
    さて、そこで話を戻そう。
    「やはりペン七マンをきらっていくのが、トップの打ち方ですか?」
    と観戦から問いかけられたので、会話を続けなくてはならなくなった。
    「もちろん、それはその通りだね。
    それに今は、ペン7マン待ち以外ならどうやってもアガれてた局面だよね。
    つまり、その待ち以外なら
    どうやっても〇〇クンがアガれるような牌勢があった局面だし、
    いくら早いからといって、その即リーは、どうかと思うよ」
    などというごく曖昧(あいまい)な返答をしたように思う。
    というのは、実は私、これ以上この話題を続けなくなかったのだ。
    「〇〇ちゃん、そのリーチはないだろ^^」
    という私のチャットに対する返答が、「え?どうしてですか?」
    と、この時点でこの話は打ち切るべきだったのかも知れない。
    あとは実戦派を自称するこの若手プレイヤーが経験を積んで
    実戦の中から自分で学び取るべきなのだ。
    いまの時点で、この私の心ばかりのアドバイスは、
    彼にとってなんの役にも立たない。
    そうわかっていながら会話を継続してしまったのは、私のミスである。
    これだけでは説明不足かも知れない。
    今回のテーマは「手筋変化の研究」だから、
    その観点から、もう少し説明を加えてみよう。
    くどいようだが、もう1度、捨て牌と手牌図を。。。。。
    {捨て牌}
    東・北・9・一・發・(7){R}・(6)・4・3・白・三・(8)・2・・・・
    三三四五六八九(3)(4)(5)567 (ドラ:1)
    このオーラスを迎えるまで、この若手プレイヤーは満貫、ハネ満と和了し、
    持ち点が45000点ということは、ツモられかぶりもなく、もちろん放銃もなく、
    ごくごく順調に来ていたのである。
    ここでその自分の好調の波を信じて即決リーチと出たわけだが、
    もしもこの手、ペン七マンでテンパイを取らなかったとする。
    7ピンを残して打九マンとすると、
    三三四五六八(3)(4)(5)(7)567
    となる。そして次のツモが6ピン、打八マンで、
    三三四五六(3)(4)(5)(6)(7)567
    2・5・8ピンの3面チャン、タンヤオピンフ1手替わり3色という手になる。
    もちろんこの状況で3色は必要ない。ただゲームを収束させればいいのだから、
    ヤミテンでかまえればいい、と、こういうことになる。
    「でも、テンパイを崩すことはないのでは?
    リーチはかけずとも、とりあえずテンパイさせておくべきだは?
    7マンをツモってくるかも知れないし。。」
    一理はある意見である。
    そこは、こういう風に考えたらどうであろうか?
    仮にいまペン7マンのテンパイを取らずに、打九マンにて、7ピンを手に残した。
    三三四五六八(3)(4)(5)(7)567
    と、この図まで戻ろう。
    で、もしもこの直後に7マンをツモったとする。
    (→o←)ゞあちゃー、ツモってたぁ! などと慌てることはひとつもないのである。
    冷静に手牌を見れば、
    三三四五六七八(3)(4)(5)(7)567
    という手。ここで7ピン打ちで
    三三四五六七八(3)(4)(5)567
    取りあえずは三六九マン待ちのフリテンにとってツモの様子を見るのもいいし、
    また、あくまでもトップなので出アガリのきく待ちがいい、ということで打三マンで
    三四五六七八(3)(4)(5)(7)567
    と7ピン・タンキ待ちの仮テンに取るのもいいし、
    まだ6〜7巡目ということを考えれば、どちらもさほど遜色はないと思うのだ
    が。。。
    いかがでしょうか?
    (普通ペンチャンの七を嫌う場合は、
    八.九という順に切るのが基本セオリーだが、
    この場合は七を事後に引いてきても生かせるように
    九から切って様子を見る、
    ということなのである。)
    また、百歩譲って、テンパイした時点であくまでもペン七マンのテンパイを取り
    リーチはかけなかったとする。
    三三四五六八九(3)(4)(5)567 {打7ピン}
    この後、このプレイヤーは次巡6ピンツモ切り、
    そして2巡後に、4ソウをツモってくる。
    三三四五六八九(3)(4)(5)4567
    さてこうなった時点で、ソウズの伸びを狙って
    ここで初めてペン七マンを嫌っていくとする。打九マン!
    すると、次巡のツモが3ソウ、打八マンで、
    三三四五六(3)(4)(5)34567
    258ソウのタンヤオピンフのテンパイになるのである。
    また、さらに、百歩どころか5百歩、いや千歩ゆずって、
    いったんペン七マンのテンパイに入れたこの手牌の主が
    テンパイを崩すことを嫌って、
    あくまでもツモ切りを続けたとしよう。
    三三四五六八九(3)(4)(5)567
    とテンパイしたのが6巡目、リーチはかけずに、
    ただひたすらペン七マンで押し通す。
    6ピンツモ切り、4ソウツモ切り、3ソウツモ切り、白ツモ切り、
    そして11巡目に三マンをツモってくるのである。
    三三四五六八九(3)(4)(5)567 {⇒ツモ牌:三}
    打九マンで、
    三三三四五六八(3)(4)(5)567
    七マン・八マン待ち。
    さっきまではヤミテンではアガれなかったが、
    今度は門前タンヤオでアガれる待ちとなる。
    手牌はこのように変化していくものだし、
    少なくともこの時点でトップのプレイヤーには、
    好牌が集まってくる状態、
    すなわち、ツモ牌が加勢して和了に導いてくれる状況があったハズである。
    にも関わらず、このプレイヤーは、
    ペン七マンで即リーチという
    「唯一のアガれない戦法」を選択してしまったことになる。
    さて話を戻すと、観戦と私の前述のようなやりとりがあり、
    最終局1本場に突入することになった。
    私ももうこのような意味のない会話は終わらせて対局に集中しようと思った。
    ところが、当事者の〇〇クン(トップ目の若手)が、
    すぐさまこうチャットをしてきたのである。
    「でも、あらまあーさん、いまのは結果論でしょう?」
    私は絶句してしまった。
    (→o←)ゞあちゃー
    また出た! 季節はずれのオバケのように登場する
    「それは結果論でしょう?」
    という定番の言い方。
    またぞろ結果論かあ。。
    いいなあ。結果論ってまるで、
    魔法の杖のようだし、・・・アラジンのランプ?
    使い方によってはこんなに便利なシロモノはないだろうな
    ・・・『結果論』!!
    私はほかの二人のプレイヤーのことも考え、カドが立たぬようにと、
    「そうかも知れないね」
    と返答し、
    あとはゲームに集中したのだった。

    {第2章:あらまあー的『結果論』論}
    思うのですが・・・・・
    第1章の冒頭でも述べた通り、『それは結果論に過ぎませんよ』
    という主張は、基本的には正論である。
    しかし無制限に、どんな場合でも正しい主張なのかと言うと、
    きわめて問題である。
    極端な例を挙げれば、
    ????  123{チー} 中中中{ポン} 發發發{ポン}
    という手の相手に対して、流局寸前で、ション牌の白を強打!
    相手からロン!の声。
    (9)(9)白白  123{チー}中中中{ポン}發發發{ポン}
    というヤクマンを放銃。
    誰かに
    「いくらなんでもそりゃ暴牌だよ」
    と言われて、
    「でも、それは結果論でしょう。
    相手が白2枚持って大三元のテンパイだったなんて、
    手を開いてからわかるんですよ。それは結果論です」
    という主張! この主張も、
    『それは結果論でしょう?』
    という言い方がいかなる場合でも無条件に無制限に正しいとするのであれば、
    これも正しい主張だと認めるしかなくなるのである。
    もしそうであればスーパーどんじゃらクンにとって、
    この「結果論でしょう?」という言い方はまさに、
    魔法の杖、アラジンのランプ、打ち出の小槌となるに違いない。
    これほどの便利用語はないのである。
    ハイテイでション牌のドラをふって
    シャンポン待ちにモロぶち当たっても結果論!
    ピンズの染め手(ホンイツまたはチンイツ)に走ってる相手に
    どんどん上家でピンズを食わせて、あげくの果てにフリ込んでも結果論!
    踊り踊るなら〜〜チョイト結果論音頭〜〜あ、ヨイヨイ♪〜〜
    思うに、あまりに拡大した『結果論』というコトバの濫用(らんよう)、
    この言わば『拡大結果論の濫用』こそが、
    麻雀の手筋変化の「柔軟さ」を「固定化」させ、
    もっと広く言えば、
    麻雀というゲームにおける
    あらゆる可能性というものを否定していくのではないだろうか?
    もうひとつ例を挙げておく。つい先日のJでの観戦である。
    ラス親の現在トップ目のプレイヤーが35000、2位の西家が28600、
    3位の南家が18400、4位の北家が18000、
    という各持ち点の、オーラスである。
    現在ドベを引く北家が、なんと5巡目にこんな手になった。
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)378{ツモ牌⇒(9)}(ドラ:3)
    ドラは3ソウ。この北家、「ラスは避けよう!」とチャットして、
    なんとこの3ソウを切って即リーチに出た。
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)(9)78
    観戦で見ていた私はもちろん無言だったが、
    胸の内で思わず、(→o←)ゞあちゃー
    以後、この打ち手はすぐ4ソウを引いてきてツモ切り、
    さらに数巡後にはなんと5ソウをもツモってくるのである。
    結局、テンパイした3位の南家が9ソウを勝負して、ロン!
    2000点の和了で、宣言どおりラスは避けられたが、
    果たしてこのプレイヤー、
    トップを取るチャンスがあったことに気づいているのだろうか?
    参考までに捨て牌をメモしておいた。
    {捨て牌}(14巡目まで)
    東・西・北・一・3{R}・4・中・(9)・(7)・西・8・白・5・六
    (最終手牌図)=15巡目・南家の捨て牌9ソウで、ロン和了
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)(9)78 {ロン:9}
    上級者には説明不必要かとは思うが、いちおう説明しておく。
    5巡目に、
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)378 {ツモ牌⇒(9)}
    となった時点で、69ソウのテンパイを取らずに、あくまで345の3色を狙う。
    ドラ3ソウを残して打7ソウ(または8ソウ)で、
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)(9)38 (ドラ:3)
    次巡に4ソウを引き打8ソウで、
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)(9)34
    と、25ソウ待ちのピンフ、5ソウで三色という手になる。
    ここで即リーなら、捨て牌は以下のようになる。
     東・西・北・一・7・8{R}・・・・・・・・・
    やがて13巡目に高め5ソウをツモ!
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)(9)34  {ツモ和了:5}
    リーチ・ピンフ・ツモ・ドラ1でハネ満である。
    3000−6000、計12000の収入。トップ目だった東家が親カブリして、
    最終持ち点はこうなる。
    東家29000、南家15400、西家25600、北家30000
    ラスだった北家がぶっこ抜きで劇的な「まくりトップ」となるのである。
    もちろん以上のことは理想的シミュレーションであろう。
    7ソウ、8ソウ、と切っていくうちにその牌が下家に食われるかも知れないし、
    誰かにポンされるかも知れない。
    ポンチーが入れば次からツモ牌が変わるので、こううまくは行かないのかも。。
    しかし、あくまでも可能性を追求するという意味においては、
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)(9)78
    という単に「ラスを避ける」ためのテンパイよりは、
    二二三四五(3)(4)(5)(7)(8)(9)34
    この最終形のほうがいいに決まっている。雲泥の差である。
    思うに、『(拡大版)結果論でしょう?』の濫用によって
    こうした麻雀という競技の可能性を、また手筋変化の柔軟性を
    否定し消去してしまうことは、空しさを通り越して寂しささえ感じるのだが、
    皆さんはどうでしょうか?
    この章の最後に、
    前号の「突撃!となりの麻雀卓」から、
    もうひとつだけ例を挙げておく。
    ???? 中中中{ポン}發發發{ポン}234{チー}
    牌王位戦準決勝1回戦での話。
    東2局、南家の雀麗さんが上図のように仕掛けていた。
    ここに、最後のツモで東家の持杉ドラ夫さんが3ソウをツカむ。
    形式テンパイを取っていたドラ夫さん、この3ソウが切りきれず、
    ここで手を崩す。
    結果、流局。雀麗さんの手は、
    456北 中中中{ポン}發發發{ポン}234{チー}
    と、ドラの北待ちであった。
    しかし、この3ソウが切れないのは当然である。
    雀麗さんが染め手に走っていたのは明白で、彼女の手が
    45北北 中中中{P}發發發{P}234{C}
    でないとは誰も言い切れないのである。
    この時、流局後に、観戦にいた誰かが、もしも、
    「3ソウなんか通ったじゃん〜。勝負だよー」
    などと言ったとしたら、
    これこそがまさに、『結果論』である。
    日本語で言うところの正しい意味での『結果論』とは、このコトではないか? 
    このような"完璧な結果論"に対しては、
    「それは結果論でしょう?」
    という言い返し方が
    100%正当であると思うのだが、いかがだろうか?


    {第3章:あらまあー反省記的自戦録(1)}

    さて、第1章でも述べた通り、オーラスでトップがかけるリーチというものには
    細心の注意が必要である。
    かつて、Jの対戦でも、ほかのサイトのネット麻雀でも、
    またリアルの対局においても、
    オーラスまで順調にトップで来た者がオーラスにひどいリーチをかけたために、
    あとから追いかけリーチを食らって、1発でフリ込み、
    トップの座から転落してしまう・・・・などというケースは、ゴマンとある。
    以下は過去の牌王位戦の記録である。
    第3期牌王位戦決勝の、ある試合、オーラスでトップに立ったプレイヤーが
    5巡目に早くもテンパイする。(あえてプレイヤーのHNは記さない)
    六七(5)(6)(7)11234789 (ドラ:6)
    トップとは言っても持ち点29000だいで、4位のプレイヤーも20100と、
    四人が接近した状態である。
    ここでこのプレイヤー、1巡回して、なんとリーチに出てしまうのである。
    2位、3位、4位と得点が接近している中でのこのリーチは疑問であろう。
    ドラの6ソウを持ってきても9ソウと手替わりできるし、
    8ピンツモ5ピン打ちで678の3色目もある。
    いや、ここはトップだからそこまでは必要ない。
    何よりも、リーチをかけて場を重くすることはないのである。
    早いからツモれるだろう? 相手を後手後手に回すことができる?
    どちらもきわめてつごうのいい自分本位な考え方だと言わざるを得ない。
    このケースも例外ではなく、数巡後、絵に描いたような結果が待っていた。
    リーチ者が二マンをツモ切ると、下家から、ロン!の声。
    三四七八九(7)(7)(8)(8)(9)(9)66 (ドラ 6)
    ピンフ・イーペイコウ・ドラ2、7700プラス・リー棒の出費で、
    このプレイヤーは目の前のトップの座を失い、
    そればかりか一気にラスに転落! 
    天国から地獄とはこのことであろう。
    この実例のように、オーラスでトップ者の取る手段というものには
    選択ミスは許されないのである。
    勝負事の厳しさ、辛さ、というのは、まさにこのオーラスの「詰め」にある。
    勝負事は最後の詰めが大事、とは、けだし名言である。
    うたた姫さんの名言(迷?w)ではないが、
    オーラスでトップを逆転されてしまった者の吐くセリフは、
    まさに、砂糖のワシづかみ、である。
    そのココロは・・・・・・ツメが甘い。 
    φ(。。) メモメモ(爆!)

    ところで、こんなに偉そうなコトをほざいているこのあらまあーにしても、
    いま思い出しても恥ずかしい、みっともない対局は数え切れない。
    局後に、観戦に人がいなくてよかった、
    とホッと胸を撫でおろすことがしばしばある。
    研究熱心な若手でもいたら
    自分のひどい麻雀を見られてきっと顔が赤くなっただろう、
    と反省することが多々あるのである。
    私は東風荘の「牌譜記録システム(=MJスコア)」を利用して
    自分の対局を見返すことがある。ひとり反省会(爆!)である。
    東風荘用の無料DL便利ツールには、
    皆さんの中にもご存じの方は多いと思うが、
    「できすぎクン」や「雀譜」などがある。
    この『雀譜』を使えば、東風荘のMJスコアをそのツールに読み込ませて
    自分の試合を画像再現することができる。
    あらまあーはそのすぐれモノを使って時たま自分の試合を再現してみるのだが、
    なかなか参考になるのは、相手3人の手が見える、ということである。
    あっ、あのとき相手のリーチはこんな待ちだったのかぁ!
    あのときドラを強打してきた相手にはこんな手が入っていたのかぁ。。
    おっ、この手なら勝負にいくわなーー、ウーム。。。
    σ(・_・ )も、きわどいところでアガリを拾ってるなー。アブナイ、アブナイ。^^

    などと、とても参考になるのである。
    もちろん、自分がトップを取った試合も再現して見るが、
    大事なのは、「負けた試合を見返してみる」、ということなのである。
    勝った試合を再現して見返せばそれは気持ちがいいが、
    負けた試合を繰り返し検討し、自分のどこかにミスがあったのか?
    あるいは、
    これはこれで最善をつくしたがどうにも牌勢我(われ)にあらずで
    仕方のない試合だったのか?
    そうした研究をしてみることが、非常に大事である。
    さて、前置きが長くなったが、
    この章では、このMJスコアの中から私自身の対局をご紹介する。
    以前、この『週刊』で、
    「保存対局譜から試合を再現してみよう」というテーマで、
    ひいいさん、Melissaさん、buffさん、などの対局譜を紹介した。
    ここでは、私が反省の意味もこめて、以前の私自身の試合の中から
    『最終的にトップになったが、ホントにこれでよかったのか?』
    という対局をご披露する。
    できれば本文をお読みになっている皆さんの
    忌憚(きたん)のないご意見を伺いたいところなのである。
    正直、今でもこの試合の最終局面を思い出し、
    雀譜を使って何度も見返し、本当にこれでよかったのだろうか?
    と思うことが何度もある。
    Jでの高勝率を誇るひいいさん、ナバさん、持杉さんなどであったら、
    ここはどう打ったであろうか?
    また東風で高レーティングを保持するaimamaさん、向台風さんなどであれば、
    ここはどう打ったのであろうか?
    また、かつて牌王位に輝いた雀士の方々であれば、ここはどう打つのか?
    またその他にも研究熱心な若手の方々がJにはたくさんいる。
    お一人お一人に意見を伺いたいというのが私のホンネでもある。
    それでは、しばし、東風荘のあらまあーの対局におつき合いください。

    {第4章:あらまあー反省記的自戦録(2)}
    もう、だいぶ前の試合になる。去年の9月の対局である。

    ==== 東風戦ランキング超上級 551卓 =====
    開始 2002年9月13 日、午後12時27分
    対局者:
    外因性躁鬱病(以下、外因)R2073
    あらまあーR2055
    ☆銀☆狼☆☆(以下、銀)R2215 
    場 R1867
    起家順:場、外因、あらまあー、銀
    まずは前半の東2までの、得点の動きを紹介する。
    東1局;
    あらまあーのひとりノーテン。
    場、外因、銀:各+1000、 あらまあー:−3000
    1局1本場;
    あらまあー、リーチのみ和了。放銃:外因、リーチ棒:銀
    あらまあー+2600(リーチ棒、積み場コミ)
    外因 −1600   銀 −1000
    東2局;
    外因、白ポン混一色和了。 放銃:場
    外因+5800  場 −5800
    2局1本場;
    場、リーチ1発、和了。 放銃:外因
    場+2900(積み場コミ) 外因 −2900

    さて東3局、
    ここまで外因が29300でトップ、2位があらまあーの27600
    3位に銀で26000、 4位に場の25100、と
    ほぼ四者横並びである。
    この局、オヤのあらまあーにダブ東が2枚という配牌が入った。
    一五五六七(2)(3)(4)(7)(9)18東東(ドラ:5)
    第1打に一マンを選択した。
    1ソウとどっちが良かったか、微妙なところであるが、
    ごくごくデリケートに考えれば、ドラが5ソウであることを考慮した上で
    こちらの選牌のほうがやや正しいか?
    ソウズを5、3、とヨレてツモってきた場合の
    いわゆるリャンカンの橋渡しか?
    しかし、仮に1,3,5とソウズを持った場合でも、
    ダブ東をポンした場合、以後ほかでアタマができて
    このソウズのところで最終待ち形を組むとなった場合、
    常識的には打5ソウのカン2ソウとは取らず打1ソウのカン4ソウであろう。
    それゆえ、1ソウは重ならない限り、どのみち切ることになるかも。。。
    図々しい考えではあるが、さらに5ソウをツモりこれを雀頭とした場合、
    カン2ソウのタアツが必要にならないとも限らないが。。。。。
    まあ、それは絵に描(か)いた餅(モチ)に過ぎないだろう。
    すぐに8ソウに7ソウがくっつき、打1ソウ。
    ここからツモの伸びは私の予想とはまったく別の報告に進むのである。
    次巡2ピンツモ、ここで7・9のピンズのタアツをはずしに出てみた。
    以後8ピンツモなら、(→o←)ゞあちゃー、だが、
    あくまでも東が鳴けると想定しての選牌である。
    この2ピン残しが結果的には幸いし、以後、
    2ソウツモ9ピン打ち、9ソウツモ2ソウ切りで、早くもイーシャンテンとなった。
    五五六七(2)(2)(3)(4)789東東
    次巡の6巡目、3ピンをツモってきて、
    五五六七(2)(2)(3)(3)(4)789東東
    親でもあり早い巡目でもあるので、私は五マン切り即リーと出た。
    ダブ東のヘッドがもったいない気もするが、
    待ちは14ピン、4ピンでイーペイコウという手である。
    五六七(2)(2)(3)(3)(4)789東東{リーチ!}
    ちなみに捨て牌は、
    一・1・(7)・(9)・2・五{R}
    この手に8巡目、外因が1ピンで放銃!
    なんとラッキーなことに裏ドラが東で、7700の思わぬ収入となった。
    1本場は
    ふたたびあらまあーの四マン切り1マンとのシャンポン待ちひっかけリーチに
    外因がフリ込み、表ドラ裏ドラ各1枚づつの点パネ9600の和了となる。
    2本場、この配牌が結果的には2600オールの和了になるのだから、
    ここへ来て『牌勢は私にあった』と言ってもいいだろう。
    四五六九22467南白發發 (ドラ:南)
    この手ですぐ發が鳴け、南がトイツり、カン3ソウが入り、
    という、コタえられない絶好調パターン、
    四五六23467南南  發發發(ポン)
    この手に10巡目、4枚目の發を引き、調子に乗って手拍子で、カン!
    カンドラが5ソウとなった。
    四五六23467南南 發發發發(明槓)
    (ドラ:南 槓ドラ:5 裏ドラ:(2) 槓裏ドラ:(2))
    お世辞にもこのカンは良いカンとは言えない。
    というか、間違いである。
    現在46200点も持っているトップ目の私が、(2位26000点)
    ここでカンする必要は何もないのである。
    Jでも東風荘でも、リーチ者にはカン裏ドラが乗る。
    相手に逆転のチャンスを与えることはないのである。
    すぐに難なく8ソウをツモったものの、この局の手拍子カンは反省である。
    牌勢われにあり、を実感していたものの、しょせんこれは、
    勢いに任せてのお調子カンだ、と酷評されてもいた仕方ないであろう。
    しかし、もっと反省すべきは次局であります。

    六七 (4)(8) 1223467899 (ドラ:(5))
    東3局3本場、なおも連荘を続ける私の配牌が、上図である。
    ここから私は染め手に向かう。4ピン8ピンと切っていき、もちろん、
    六マン七マンとぶった切っていくのである。
    8巡目、私の手は、
    1223477  678{チー} 999{ポン}
    と、ペン(カン)3ソウ待ちになった。
    やがて12巡目、北家の外因がリーチ!
    外因はこの時点で8900点持ちの断ラス目である。
    私はこのリーチをソウズ待ちの一本にしぼり、向かっていった。
    17巡目に4ソウツモで現物の1ソウ打ち、待ちは変わらず3ソウ待ちである。
    2234477  678{チー} 999{ポン}
    やがてツモ切りを続け、ハイテイで運命の三マンをツカむ。。
    リーチには六マンが通っていた。
    そこで、エイヤっとその三マンを切ると、リーチ者の北家ではなく、
    トイメンの西家が、ロン! タンヤオ・チートイツの三マン・タンキである。
    ハイテイのオマケがついて6400のプラス3本場900の出費、
    レースをやや面白くしてしまった。
    ここのハイテイ・フリ込みも大きな反省材料であろう。
    ちょっと調子に乗りすぎた観がある。
    ただひとつつけ加えておくならば、
    ここの反省材料は、
    西家のテンパイに気を使わなかったこと、
    ハイテイで三マンが止まらなかったこと、この2点である。
    決して「染め手」を選択したことではない。
    たぶん、かなりの上級者でも
    この局での私の「染め手」選択を『疑問』視する向きは多いと思う。
    何も55000近くも点棒を持っていてムキになって染める必要はない、
    というのも正論であるし、それを承知の上でひとこと言わせていただくなら、
    こういうことである。
    かなり麻雀のうまい方の中でも見え見えの染め手を嫌う人は多いと思う。
    しかし私は、見え見えだろうがなんだろうが「染め手」が好きなのだ。
    たとえば、オヤが白を1鳴きする。ピンズが高い捨て牌である。
    やがて中盤、ピンズがオヤからポロっと捨てられる。
    まずい、テンパったな? と感じ、
    別のピンズをツカんだ者は回し打ちを余儀なくされる。
    ところが、別の種類の牌を切ったら、ロン!
    あ、ホンイツじゃなかったのかあ、くそおおおおお!!^^;
    和了点は1500だが、ショックが大きい!
    とまあ、よくある話である。
    この類いの話は市販の戦術書にもゴマンと載っている。
    しかし、
    確かに回し打ちしてトイツ落としかなんかで別の種類の牌で放銃すれば
    意外性もあるしショックも大きいかも知れないが、いかんせん、
    1500かチャンタがらみで2900程度の場合が多い。
    この手のプレイヤーには確かにうま味やレベルの高さを感じるものの、
    なんと言うか、迫力をそして威圧感を感じないのである。
    「こいつはイモヅキすると何すっかわからんから警戒しなくては。。。」
    といったような警戒心を相手に植えつけさせることも
    麻雀では大事なのではないか?
    あくまでメンタル面の話ではあるが、麻雀をひとつの勝負事として捉えた場合、
    メンタルな部分は絶対に軽視できないだろう。
    その点、1色手は、たとえオヤのバカホンでもドラが1枚あれば5800、
    ドラがなくてもチャンタや一通と複合したりしても5800、
    されに飜牌ポンならオヤマン級というふうに、得点効率の良さというか、
    役に威圧感があるというか、とにかく広い意味でのパワーがあり、
    相手を警戒させ伸び伸びとした手作りの余裕を与えない、
    という利点もあるのだ。
    もちろん、この局面での私の点棒から言って何も染めることはない、
    という意見はもっともである。
    ただ、私は東風荘での対局を
    ある意味リアル実戦のシミュレーション的に考えているので、
    相手がうんざりして「もうこの回はいいから早く終局させよう」と思うまで
    アガリまくるくらいの気概も必要だと思っている。
    この局面で言えば、
    実は私は染め手に仕掛けながらも、
    手にクズの字牌を残してリーチがかかったらそれを切り、
    オリながら、のんべんだらりと回していこう、
    と思っていたことも事実である。
    ところが意外にツモが良く、早目にチンイツをテンパイしてしまったのである。
    つまり、言いたいのは、
    「これだけ断トツなのに染め手なんかに走るからハイテイで三マンをツカみ
    放銃の憂き目を見たんだ!」
    というご批判はごもっともだが、
    それ自体『結果論』の部類に入るのではないか?
    ということである。
    私が反省すべきは前述のように、
    リーチに対してかなり強い牌を切っていた西家を対して警戒していなかったと、
    ハイテイでツカんだ三マンを六が通っているとは言え切ってしまったこと、
    この2点である。
    (実際この三マン、イヤな予感がして、制限時間ギリギリまで迷ったのである)
    とは言え、いくらイイワケしてもフリコミはフリコミである。
    ここは謙虚に反省すべきでしょうね?w^^;
    リーチ者は8900残りの断ラスの北家であった。
    私は断トツの54600持ち、
    マンガンのひとつくらいどうと言うことはないと思って
    半分は差込(振り逃げ)の気分でいったことは反省しなくてはいけないだろう。
    勝負事は終盤、どこで何が起きるかまったく予測のつかないモノである。
    いい気になって点棒の無駄づかいは禁物である。
    さて、そしていよいよ局面は東4局へと向かう。
    私が今でも「勝ちはしたがこの打ち方でホントに良かったのだろうか?」
    と今でも思い返すことのある局面の登場である。

    {第5章:あらまあー反省記的自戦録(3)}

    東4局、各自の持ち点は、
    トップの北家あらまあーが47300、2位の南家の場(HN)が29600、
    3位はラス親の銀で、23200、4位が外因の7900、
    となっている。
    まずは、ラス親の銀がリーチをかけ、ツモリ三暗刻のシャンポン待ちを
    南家の場(HN)から出アガリ。2400点の和了である。
    1本場、さらにオヤの銀が
    三三(1)(2)(3)(4)(5)(7)(8)(9)789 (ドラ:三)
    というキレイな手を外因から3ピンで出アガリ。
    5800プラス積み場の収入である。
    ここへ来てオーラスまでミスなく打ってきた銀が、2位に浮上してきた。
    あらまあーが47300、ラス親の銀が32700と、
    ジカ打ち7700でトップ交替というところまで来たのである。
    実は、当然のごとく、あらまあーにはイヤな予感がしてきていた。
    この流れは、逆転されるパターンなのである。
    そして迎えた(結果的には最終局となった)東4局2本場、
    私にはこんな配牌が来た。
    二四六七(3)(3)(4)(4)(7)(8)27東 (ドラ:五)
    ひと目見て、チャンスだと感じた。
    そして、ここで決めなければトップはない、と確信もした。
    そして、そして問題の9巡目、
    六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(8)(9)78{ツモ牌⇒五}
    上図のごとく変化した牌姿に、ドラの五マンをツモってきた。
    あなたなら、何を切るだろうか?
    おそらくは8ピン打ちで、
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(9)78
    となるのが自然だと思う。
    以後に1・4ピンを引けば、打3ピンで、6・9ソウ受けのピンフ・ドラ1、
    五六七(1)(2)(3)(4)(4)(7)(8)(9)78
    3ピンを引いても4ピン打ちで6・9ソウ待ちピンフ・ドラ1、
    五六七(2)(3)(3)(3)(4)(7)(8)(9)78
    7ソウなり8ソウが重なれば、2・5ピン受けのピンフ・ドラ1イーペイコウ含み、
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(9)77
    あるいは2・5ピンを先に引けば、7ソウなり8ソウを切っての取りあえずの
    タンキ待ち、と、テンパイ確率の広いイーシャンテンとなる。
    打8ピンで、なんの遜色もない。
    ところが、ここで私が選択したのは、打7ピンだった。
    7ピンをはずして手牌は以下のようになった。
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(8)(8)(9)78
    ええええっ? と驚かれる向きも少なくないであろう。
    つまり私は、ここで、
    確率の悪いほうを選び、雀頭を8ピンに固定したのである。
    なぜそうしたのかは、後述する。
    結果を先に述べると、次巡、絶好の6ソウを引き込み、打9ピンで
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(8)(8)678 (ドラ:五)
    直後、ラス親の銀が高めの2ピンをツモ切り、
    7700の和了(タンピン・イーペイコウ・ドラ1)で、
    私がトップとなり試合終了した。
    1位:あらまあー+44 2位:場+2 3位:銀−9 4位:外因−37

    しかし、勝ったからと言って素直に喜べない部分がある。
    本当にこの打ち方で良かったのか? という疑問が残る。
    なぜ私が、確率の悪い8ピンのアタマ固定の道を選んだか? と言うと、
    「イーシャンテンなら雀頭を固定せよ」
    というインチキ格言に従ったわけではない。(爆!)
    ここは、私が
    六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(8)(9)78{ツモ牌⇒五}
    の手から7ピン切りを選択した9巡目、
    この時点の『場況』を提示しなくてはならないだろう。
    9巡目までの各自の捨て牌図を以下に紹介する。
    東家:銀
    西・9・北・1・中・8・白・中・二
    南家:場
    一・北・東・(9)・一・發・南・八・四
    西家:外因
    3・(2)・九・中・西・發・南・南・九
    北家:あらまあー
    東・2・白・四・二・發・六・西・(7)
    場をざっと眺めて気づくことは、端牌の1ソウ、9ソウ、一マン、九マン、
    さらには9ピンが、どれも最低1枚は顔を見せているのにも関わらず、
    1ピンが1枚も姿を見せていないことである。
    通常、1・3と持っているタアツに4が来れば、1は場に出るものである。
    9巡目とはいえ、この1ピンが姿を見せない理由としては、
    (1)誰かにアンコで持たれている。あとの1枚は、山か、あるいは
    別の誰かがメンツで使っている。
    (2)誰かにトイツで持たれ、あとの2枚は、
    山か、別の誰かにメンツで使われている。
    (3)すべて4枚が(あるいは、ほとんどが)山の中にある。
    大別すればこんなところであろう。
    そこで私には、上家の切った2巡目の2ピンが、
    どうにもきらきら光って見えてならなかったのである。
    (1)(1)(2)とあって(1)をアタマに決め、2ピンを切った?
    (1)がアンコになり、2ピンを早目に切った?
    あるいは、2ピンはまったくの浮き牌で、手の内に1ピンは1枚もない?
    私にはどうしても、
    『この西家の手に1ピンがトイツかアンコになっている』
    と、そう思えてならなかったのである。
    もし、もしも、である。
    そうであるとするならば、
    六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(8)(9)78{ツモ牌⇒五}
    とドラの五マンを引いた9巡目、
    打8ピンとすれば、
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(9)78
    となり、
    以後、7ソウか8ソウがヘッドになればまあまあだが、(下図)
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(9)77(または雀頭、88)
    こうはならずに、もしも6・9ソウを引き込んだ場合、
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(9)78{ツモ牌⇒9}
    ここは打3ピンといくしかないであろう。
    五六七(2)(3)(4)(4)(7)(8)(9)789
    この1・4ピン待ちピンフは、必ずしも好形ではない。
    アガリ牌の4ピンを自分で2枚も使い、なおかつ、
    1ピンは上家にアンコもしくはトイツと私は読んだのである。
    前出の捨て牌図でもわかるように、ピンズの高い場である。
    自分の和了牌自体の4ピンが他者の待ち牌となることも想定できる。
    そこで、まず、この手順を避けたかった。
    つまり、6・9ソウツモ1・4ピン待ちとなる手順を、避けたかったのである。
    さらに、もうひとつ重要な理由があって、
    あらまあーいう雀士が必ずしも確率優先派ではない、ということがある。
    9巡目に打8ピンとし、
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(7)(8)(9)78
    この後、2・5ピンを先にツモった場合のことである。
    2ピンならまだ手の内出来合いイーペイコウになるが、
    5ピンをツモってきて、7ソウか8ソウ切りのスッタンキには悲しいものがある。
    仮に、8ソウが場に見えているので、7ソウのタンキに仮受けしたとする。
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(5)(7)(8)(9)7
    タンヤオでもなければイーペイコウも崩れていて、況(いわん)やピンフでもない。
    何やら空しいというか、うすら寒い牌姿である。
    不調でツモはヨレてる時にはこのあとに6ソウを持ってきたりする。
    まして、この直後に親リーでもかかったら四苦八苦である。
    対局後にMJスコア(牌譜)を雀譜ツールに入れて再現してみて
    思わずゾっとした。
    この最終局に2ピンツモ切りで私に放銃したラス親の銀(HN)の
    最終牌姿である。
    五六七七八九(5)(6)4456北
    もしもここで銀がツカんだのが私のアガリ牌の2ピンではなく、
    7ピンだったら?北打ちヤミテンで、
    五六七七八九(5)(6)(7)4456
    となる。私が前出のように7ソウ・タンキの仮テンでテンパイしていて、
    待ちを変えたら?
    ピンフ三色ドラ1、11600のジカ打ちでトップ交替となる。
    また、あるいは、私が
    五六七(2)(3)(4)(4)(7)(8)(9)789
    と九巡目に『打8ピン説』を選択して
    上図のように1・4ピン待ちのピンフになっていたとする。
    ラス親の銀が、
    五六七七八九(5)(6)4456北
    ここへ7ソウを引き北切りで即決リーチに出たとする。
    五六七七八九(5)(6)44567 (ドラ:五)
    私の一発目のツモが、7ピンだったら?
    五六七(2)(3)(4)(4)(7)(8)(9)789{ツモ牌⇒(7)}
    手を崩さぬ限り、一発フリ込みは避けられない。天国から地獄である。
    もちろん悪いほうのシミュレを考えたらきりがないが、
    ツイていない時というものは得てしてこうした悪いパターンにハマるのが
    麻雀という競技である。
    しかし、しかしである。
    前述の私の9巡目の7ピン打ち8ピン雀頭固定という打ち方が
    必ずしも8ピン打ちより優(まさ)っているとは、誰にも言い切れない。
    むしろ、テンパイ確率を狭くする悪いイーシャンテンの決め方である。
    最終形にしても、
    五六七(2)(3)(4)(4)(7)(8)(9)678
    よりも、
    五六七(2)(3)(3)(4)(4)(8)(8)678 
    のほうが優秀だと言い切れる根拠など、どこにもないのである。
    確かに下図のほうが和了点は高いが、ここは和了点の高さは必要ない。
    いかにして、トップ者が試合を収束させるか? という局面なのだ。
    もっと単純に・・・・・・アガレたからいい待ちでしょう?
    それこそ結果論である。
    また、雀譜を見てわかったことだが、
    実は、1ピンが誰かの手に固まって持たれているという私の読みは
    100%読み違いで、4枚とも誰も持っていず、
    4枚ともまだ山の中であった。
    それならば、2・5ピン待ちになっても1・4ピン待ちになっても
    結局はあらまあーがアガれたろう?
    それでは、あまりに希望的観測に過ぎるのではないだろうか。。。
    ここJ麻雀は、
    フリテンの牌でも食われてしまえばフリテンではなくなりロンができたり、
    小三元が時たま大三元になったり(w)、
    同順フリテンでもロンできたり、
    四槓子でもないのに四槓子のヤクマンが成立したりする
    おんぼろサイトである。(爆!)
    仮に1ロビから12ロビまで80人の満員になったとしても、
    合計で960人。。
    アクセス者の総計が4万8千〜9千人もいる東風荘などと比較したら、
    (また、東風にはお忍びで芸能人も多数アクセスしているという噂もある)
    数の上では雲泥の差であろう。
    しかし、しかしである、
    どうしてどうして、ここJ麻雀にも、
    かなりツブの揃ったプレイヤーたちがやって来ている。
    今回、私が提示したのは、
    そういう人たちにぜひ意見を聞いてみたいと思う
    『変化する手筋の問題』の中のひとつなのである。
    正直、私には、
    その細部(牌勢というものを意識したメンタルな部分も含めて)までは
    未(いま)だにはっきりとした結論が出せない問題でもあるのだ。
    ま、それだけに「麻雀」という競技は奥が深いとも言えるのだが。。
    思えばこれは、
    全雀士たちの共通のそして永遠の命題なのかも知れない。

    {終章}今回は『テーマの提示』に過ぎない
    いくつもの牌姿例を挙げて、長々と論じてきたが、
    今回の私の駄文は、これで終結ではなく、
    『発端』というか、取っ掛かりに過ぎない。
    本来『手筋変化の研究』という
    大それたタイトルで皆さんにお読みいただくのであれば、
    これでは内容が薄っぺら過ぎる。
    「変化する手筋」というのは、単に市販の戦術書などにあるように、
    ここでこの牌を切らなければ、三色になっていた一通になっていた、
    などというような選牌の問題に留まらず、
    「変化」していく「場況」に手牌がどう変化し、その結果がどう変わるのか?
    までを論じなくてはならないだろう。
    つまり具体的に言うと、
    MJスコア(東風荘牌譜)やいなだシステムに収録された牌王位戦決勝の中から流局
    した局を抽出し、
    配牌姿を記録し、ハイテイまでのツモ牌順を記録する。
    そして、もしもここでAさんが食いを入れなければ(あるいは食っていたら)、
    それ以後の各自のツモはどう変わり牌姿はどう変化していくのか?
    を、検証していくのである。
    俗に、
    「フリ込んだあとの次の局にポンチーすると、
    ほかの人に好牌が流れて、いいことはないよ」
    と言う。
    この話の根拠は、おそらく、
    フリ込んだ⇒ツイていない⇒ツイていない者が動く⇒いい結果にはならない
    というものであろう。
    これがどれだけ信憑性のある話なのか?
    また、オヤのAさんは1枚目の發をポンした。
    南家のBさんは1枚目の中をポンせずに見送った。
    この、『Aさんは1枚目ポン、Bさんはポンせず』
    という状況を
    『Aさんは1枚目ポン、Bさんも1枚目をポン』
    というふうに変化させたら、
    それ以後の各自の手牌とツモはどう変化し、結果はどうなるのか?
    などを検証してみたいのである。
    なぜ「流局」した「局」だけを対象にするのかというと、
    残念ながら現行のシステムでは、
    誰かがその局で和了してしまうと、
    それ以後のツモ牌の並びはわからないから、である。
    さらにもっと言うならば、上記の例で、
    『Aさんはポンせず、Bさんはポン』という状況や、
    『AさんもBさんもポンしなかった』場合についても、調べるべきであろう。
    すなわち、1点変化した状況のみならず、変化の変化、
    そしてまた変化の変化のまた変化、という状況についても
    調べ上げなくてはならない。
    リアル麻雀を行なったことがある人ならご存じであろうが、
    麻雀というものは、
    上家から出た牌を食えば、それ以後は上家がツモるはずだった牌を引いてくることに
    なる。自分が次巡よりツモるはずだった牌は下家に流れる。
    これを、食い下げと言う。
    また下家が捨てた牌をポンすればそれ以後は、次巡からは下家がツモってくるはず
    だった牌を自分が引いてくることになる。自分がツモるはずだった牌は、自分の上家
    に流れてしまう。これを食い上げ、と称す。
    トイメンの牌をポンした場合は、それ以降はトイメンがツモるはずだった牌を引いて
    くることになる。自分のツモるはずだった次巡以降の牌はトイメンに行く。
    このように、「ひとつの食い」が入ることによってそれ以後の展開は一変する、とい
    うのが麻雀なのである。
    その結果、牌姿も変化し、和了者も変化するかも知れない。
    もっと言えば、ゲームの勝者も変わるかも知れないのである。
    こうした「状況変化」によって
    たとえば『流局』ではなく『大物手の和了』があれば、
    ゲームそのものの各自の順位も変わるかも知れないのである。
    たとえば将棋の世界では、
    ここで先手が3七銀と上がった場合、どうなるのか?
    あるいは、3七銀と上がらずに3七桂と上がった場合、どうか?
    などとというふうに、いくつもの変化が研究されている。
    それに対する後手番の応手によって、またそこからいくつもの変化があり、
    その変化図(分岐図)は、いくつも枝分かれされ、
    あたかも樹形図のようになっている。
    ところが麻雀の場合、「手筋変化の研究」と言えば、
    単なる「上級者の手筋論」の段階に留まっていて、
    状況変化を加味した「変化する手筋」については、ほとんど語られていないし
    巷にゴマンと溢れる戦術本にも、
    その事柄についてきちんとデータを採取し結果を出したものなど
    いまだかつて一冊もない。(少なくとも私の知る限りでは。)
    それはなぜか? と言えば、膨大に手のかかる作業であり、
    根気を必要とする作業だからであろうか?
    そして、その分野についてのきちんとしたデータ資料を揃えぬうちは、
    『手筋変化の研究』などというタイトルをつけるのは、おこがましいであろう。
    それゆえ、今回の拙文は、単なるテーマの提示に過ぎないのである。
    次回、このテーマでお会いする時には、
    真の意味での『手筋変化の研究』の成果を報告できれば、と思っている。
    さして内容のないモノに長々おつき合い戴いた。
    読者の皆さんには、ただただ、感謝するばかりであります。

    {2003年5月19日脱稿} え?脱腸? ちゃうちゃう(爆!)・。・


    ----------------------------------------------------------------------------

    月間データ・ランキング(4.1〜5.1)
    ポイント・勝率 各部門ベスト30
    {ポイント部門}
    (4月1日早朝現在でランキング表にランクインしているプレイヤーのみを
    対象としております。)
    1.benz200 4134.75⇒4480.75  (+346)
    2.ニッシークン 4474.5⇒4795.5 (+321)
    3.満願堂  2630⇒2933.75 (+303.75)
    4.ロンちゃん 2179.5⇒2475.5 (+296)
    5.燕     3250.5⇒3537.5 (+287)
    6.yamasasi 2915⇒3190.25 (+275.25)
    7.ゆきの   2321.5⇒2572 (+250.5)
    8.tsugu200166 2113.25⇒2356.75 (+243.5)
    9.ms1155  2237.25⇒2475.75 (+238.5)
    10.アトレイユ 2532⇒2765.75 (+233.75)

    11.あきしゃん 2061.25⇒2289.5 (+228.25)
    12.chyuko  2283⇒2502.75  (+219.75)
    13.coro14  2827⇒3045.25  (+218.25)
    14.yo_ssya  2711.25⇒2929 (+217.75)
    15.じじうさぎ  2848.25⇒3063.25(+215)
    16.J−BOY 5197⇒5410 (+213)
    17.a_su    2224.5⇒2435.75 (+211.25) 
    18.まさすぅ  2872.5⇒3081.25 (+208.75)
    19.esakagu 2793.5⇒2999 (+205.5)
    20.satokim 3434.5⇒2637.75(+203.25)

    21.篠芙      3325.25⇒3525.25 (+200)
    22.mequmi444  2145.75⇒2342.75 (+197)
    23.ohagi88  3429.75⇒3618.25  (+188.5)
    24.y-tu    2182.75⇒2362.75 (+180)
    25.春雷    2133.5⇒2300.25 (+166.75)
    26.kishibojin 2836.5⇒3002.25 (+165.75)
    27.shio777  2240⇒2405.5 (+165.5)
    28.かんぶる  2712.5⇒2858.75 (+146.25)
    29.動く標的  2064.75⇒2206.75(+142)
    30.時継    2587⇒2727.5 (+140.5)

    以上が4月1日から5月1日までのポイント・ベスト30です。
    ベスト20までには、
    benzさんニッシークンyo-ssyaさんJ−BOYさんなどの常連組と
    ロンちゃんyamasasiさんアトレイユさんsatokimさんなどの新鋭組が、
    バランス良く顔を揃えたという感じがします。
    昼も夜もひたすら打ち続けたゆきのさんが(爆!)、7位と健闘!^^
    また、先月に引き続き満願堂さんがポイントを大幅に伸ばしました。
    むわんぐぁんどおおお〜〜〜〜〜! 好調やのう、おヌシはぁ。。w
    燕さんが5位、あきしゃんが11位と、こちらも大健闘、
    そして、新牌王位のms1155さんが9位、さすがといった感じです。
    新鋭組、tsuguさん、chyukoさん、coroさんといった面々も
    大躍進の一ヶ月でした。
    17位にa_suさん、18位には老体にムチ打って頑張る(爆!)まさすぅさん。
    先月ポイント部門と勝率部門の両方でトップに立ったあのesakaguさんが
    今月も19位とポイントを伸ばしました。
    皆さん頑張っていますね〜。
    今回あらまあーの注目プレイヤーは、15位のじじうさぎさん、
    あらまあーとの対局は数えるほどしかないのですが、
    1局1局を非常に丁寧に打たれるベテラン雀士、
    という印象が残っています。
    トップ率も29%だいと、とても高く、
    今後の活躍が注目・期待されるプレイヤーの一人でしょう。
    彼のように土台のしっかりした打ち手が上位に上がってきてくれるのは、
    とても喜ばしいことです。
    21位から30位までは、
    奇しくも上位にシノブさんメグミさんオハギさんといった
    男性陣顔負けの強豪女流三羽ガラスが並び(爆!)、
    春雷さん動く標的さんといったベテラン勢に肩を並べて、
    y-tuさん、shioさん、かんぶるさんの名が見えます。
    コンサートを間近に控えたセルジオ・キシボーネさん(爆!)が26位、
    先日のムササビ杯で当日急遽参加して戴いた時継さんが30位、
    こちらも頷けるメンバーが顔を揃えています。
    _______________________

    {トップ率部門}
    (上昇数値が同じ場合は、
    5月1日早朝現在のトップ率数値の高いほうを上位とします)

    1.満願堂 27.47⇒28.42 (+0.95)
    2.あきしゃん 26.88⇒27.34 (+0.46)
    3.ニッシークン 24.48⇒24.92 (+0.44)
    4.時継  23.94⇒24.35 (+0.41)
    5.氷の貴公子 27.87⇒28.26(+0.39)
    6.アトレイユ 25.66⇒26.03 (+0.37)
    7.tohrunrun 25.78⇒26.09 (+0.31)
    8.ひいい  30.66⇒30.94 (+0.28)
    9.ロンちゃん  28.17⇒28.4 (+0.23)
    10.chyuko  26.64⇒26.85 (+0.21)

    11.はまを  28.67⇒28.87(+0.2)
    12.モカ   20.73⇒20.9 (+0.17)
    13.まさすぅ 26.24⇒26.4 (+0.16)
    14.春雷  27.99⇒28.13(+0.14)
    15.まこちゃん26.29⇒26.43(+0.14)
    16.えみりん 21.36⇒21.47(+0.11)
    17.たれちゃん33.76⇒33.86(+0.1)
    18.イヴ   29.02⇒29.12(+0.1)
    19.yamasasi28.05⇒28.15(+0.1)
    20.REN 27.99⇒28.09 (+0.1)

    21.Gm7 24.36⇒24.46 (+0.1)
    22.北の狼 25.51⇒25.6 (+0.09) 
    23.mequmi444 24.01⇒24.1(+0.09)
    24.元気181 24.48⇒24.56(+0.08)
    25.手裏剣  28.73⇒28.8(+0.07)
    26.愛子だよ 21.82⇒21.89(+0.07)
    27.kiyobegg 27.83⇒27.89(+0.06)
    28.naoshi  25.61⇒25.67(+0.06)
    29.しゅしゅあ 29.13⇒29.18(+0.05)
    30.とらのこ  27.99⇒28.04(+0.05)
    (以下参照、30位と上昇数値同数プレイヤー)
    31.J−BOY 24.41⇒24.46(+0.05)
    32.ゆきの 24.25⇒24.3 (+0.05)

    4月は満願堂さんの月でした。上昇数値0.95は、
    2位のあきしゃんが0.46であるところから見れば、
    まさに独走といった観の否めない一ヶ月だったと言えます。
    30%プレイヤーでは、ひいいさんが8位と大健闘、
    J麻雀勝率1位選手のたれちゃんが、17位に。。^^
    おじさんバンドの著者であり「ひとみ杯」優勝のわが盟友RENさんも
    20位に健闘。RENさんはいよいよ28%だいに上がってきました。
    やはり地力のある方は必ず上がってきますね。
    女流では、ポイント部門にも顔を出していたメグミさんが
    こちらでも23位に。好調の4月だったようですね。
    皆さん、お疲れサンでしたぁ。
    また今月も、そして来月以降も、頑張ってください。
    ______________________
    {4月1日〜5月1日の消滅クンと新米クン}

    (消滅クン=ランクアウトされたプレイヤー)
    赤いたぬき、ノンノ、 kanekko777、popo310、史君1112

    (新米クン=ニューランカーもしくは再ランクイン選手)
    kiso_cchi、PRGR、いすけまる、geogeo27、mariのパパ

    4月1日〜5月1日の新米クンの中では、
    やはりmariパパさんが注目株でしょう。
    勝率30%だいでのランクイン、おめでとうございます。
    また、あらまあーとほぼ同時期にランクインした赤いたぬきさんがランクアウト、
    ちょっぴり寂しい気もしますが、
    まあ、替わりにポチコロさんが頑張ってるからそれも良し、としますか。w^^ 


    ----------------------------------------------------------------------------

    大会報告

    {牌王位戦(主催:ひいい)}

    第15期牌王位戦決勝は5月16日金曜日の午後10時に
    Jゲーム麻雀ロビにて開催されました。
    ナバ(@naba)王に挑むは、
    (1)若手ではかなりレベルの高い麻雀を打つことで定評のある
    タンドン(tandon777)さん、
    (2)そして、こちらもかなりしぶとい麻雀を打つと評されるMS(ms1155)さん、
    (3)さらに、Jでは常連古株組で、牌王位戦はモチロン初出場、
    その雀力は誰もが認めるスラッガー、はまをさん、
    というフレッシュな顔ぶれになりました。

    {第1試合}
    ナバ、はまを、タンドン、MS(起家順)
    東1:流局、全員ノーテン
    東2:はまをリーチ、流局、ひとりテンパイ
    2−1:はまを(親)、リーピン即ツモイーペイコウ。+12300
    2−2:はまを、メンホン一通イーペイコウ。+18600 放銃ナバ
    2−3:ナバ、タンヤオピンフ。+2900 放銃はまを
    東3:MS、リーヅモ東。+4000
    東4:MS,中ポンのみ、ツモ。+2100(点パネ)
    4−1:タンドン、リーピン即ドラ1。+8000 放銃MS
    はまを76300 タンドン24200 MS18000 ナバ1500
    2局2本場のはまをさん、インパチの和了は見事でした。
    先行リーチ(MS)に7ピンが通っていて、
    はまを氏も4ピンを捨てているという場況、
    7ピントイツ切りのナバ王も、(→o←)ゞあちゃー でしょうね。^^
    この1打で、緒戦、はまをさんがこのシリーズの主導権を握りました。

    {第2試合}
    はまを、タンドン、ナバ、MS(起家順)
    東1:タンドン、食いタンのみ。+1000 放銃MS
    東2:タンドン、ひとりノーテン。
    東3:流局、MS、はまを、二人テンパイ。
    東4:MS(親)ツモ・ドラ1。 +3000
    MS49500 はまを25500 ナバ23500 タンドン21500
    2戦目はMSさんが、なんと1000点オール1回のみの和了で、
    効率のいいトップ。ナバ王の元気のなさがちょっと心配です。^^;

    {第3試合}
    はまを、MS、タンドン、ナバ(起家順)
    東1:MS、ピンフドラ3。+7700 放銃ナバ
    東2:MS(親)、ピンフドラ1。+2900 放銃ナバ
    2−1:ナバ、MS、二人テンパイ
    2−2:MS、食い一通ドラ1。+3500 放銃タンドン
    2−3:MS、リーヅモドラ2。+12900
    2−4:ナバ、リーチ中。+3800 放銃はまを
    東3:MS、リーヅモドラ3。+8000
    東4:ナバ(親)、リーピンツモドラ1。+7800
    4−1:荒局終了、MSひとりテンパイ。
    MS81900 ナバ24100 はまを8800 タンドン5200
    いやーー、MSさん強いーー!^^
    ここへ来ての2連勝は大きい!!
    皮肉にも3戦トータルトップがMSさん、2位がはまをさんという
    新鋭組の優勢になりました。
    対して常連出場組のタンドンさんナバ王が3位、4位という
    まさに意外な展開(失礼w)になりました。

    {第4試合}
    タンドン、はまを、ナバ、MS(起家順)
    東1:はまを、東ポン・ホンイツ、ツモ。+4000
    東2:MS、リーヅモ。+2000
    東3:はまを、ひとりノーテン。
    3−1:はまを、ピンフのみ。+1300 放銃タンドン
    東4:MS(親)、タンピン・リャンペイコウ。+12000 放銃ナバ
    MS59000 はまを28300 タンドン21200 ナバ11500
    MSさんが3連勝!
    ここへ来て、優勝争いは、 
    完全にMSさんとはまをさんの二人にしぼられた観がありました。
    (あとのお二方には失敬w)
    いよいよ残るは、あと1試合、
    NSさん、はまをさん、どちらが優勝しても、初の栄冠となります。

    {第5試合(最終戦)}
    さて最終戦の東1、はまをさんがネバーギブアップの精神を見せます。
    發アンコ、安めの1ソウをツモ和了せず、ツモ切り。
    タンドンさんのリーチをかわして高め4ソウ、ツモ!
    満貫のアガリで、いくぞーーー! という気合いを示します。
    2局、はまをさんが門前タンヤオをタンドンさんから出アガリ。
    和了点は1300ですが、
    やはりタンドンさんナバさんの元気のなさ牌勢の弱さが、
    ここへ来て目立ちます。
    点差からいえば、やむをえないといったところでしょうか?
    東3、ついにはまを氏にエンジンがかかりました。
    門前タンヤオドラ1をナバ牌王位から和了! 3連続和了です。
    まだ点差はあるものの、MSさんもウカウカしていられなくなりました。
    1本場、しかしここは冷静にMSさん、白ポンドラ1をタンドンさんから和了、
    いよいよMSさんの優勝が秒読みになります。
    東4、MSさんがタンヤオドラ1を当面のライバルはまをさんから討ち取り、
    この和了が最終局の最終和了となり、
    これにて15期牌王位戦全日程が終了しました。
    はまを57200 MS25300 ナバ19100 タンドン18400
    {総合計}
    MS233700 はまを196100 タンドン90500 ナバ79700
    というわけで、ms1155さん、
    本当に見事な試合運びでした。
    優勝おめでとう!
    次回からはあなたが頂点、
    タイトル防衛の立場になるわけですが、
    頑張ってください!^^
    _______________________

    {第1回ムササビ杯(主催:ボス0423)}
    優勝:デルガド 179900
    2位:スー君 179600
    3位:☆パワー☆ 172300
    以下HNのみ提示します。
    4位雀帝 kou_hb (同点) 6位Bear510 7位Kaka 8位うたかた
    9位篠芙 10位ちょこぱふ 11位ひいい 12位すいす 13位kyay
    14位道明寺司★ 15位英ひで 16位☆ゆうゆ☆ 17位kiyobegg
    18位kishibojin 19位雀麗 20位火輪 21位サンテ 22位時継
    23位自動 24位m--s  (以上24名出場)
    上位3名とブービーの自動さん、さらに1局最高得点を出したひいいさん、
    さらに主催者賞として時継さん、
    これらのプレイヤーにボスさんから賞品が授与されました。
    4位の雀帝さん5位のコウさん6位のベアーさん、
    そして、ブービー付近のm--sさんサンテさん火輪さん雀麗さん、残念!!
    ぜひ賞品をゲットしてほしかったです。^^; 次回は頑張ってねー!^^
    つうことで、デルガドさん、
    さすがはJの若手プレイヤーでは
    実力ナンバーワンという定評どおりのご活躍でした。
    優勝おめでとう!
    __________________
    {第4回ハンゲ麻雀大会(チームJ、主催:そあらuz)}

    ついにそあらさんのハンゲーム大会も、はや4回目を迎えました。
     優勝 みき   2位 あひる 3位鈴っち
    今回優勝はめきめき腕をあげてきた、みきさん。
    2位にあひるさん、3位に鈴っちさんと、女性軍の強い今大会でした。
    そあらクンの大会も、回を増すごとに、
    彼の個性が出た、楽しい、それでいてみんなが真剣な、
    そういった雰囲気の大会になっていくようですね。
    ちなみにあらまあーは
    準決勝であひるさん鈴っちさんと当たり、この両女性にカモられて、
    前回同様、準決勝敗退となりました。
     (▼▼メ)って、文句あっかい!w
    ちなみにちなみに、鈴っちさんとは、あの〇姫さんのことです。(爆!)
    次回は6月開催の予定です。
    ううううううう〜〜勝ちたい!(;^_^A アセアセ・・・
    そんなこんなで、みきさん、優勝おめでとう!
    お会いするたびに強くなっている気がします。^^
    次あらまあーと当たったら手加減するように。(-。-)ぼそっ
    _________________
    {大会詳報ならびに次回大会に関する情報}
    牌王位戦⇒ http://www.ix3.jp/hiii/ (ひいいの麻雀研究)

    ハンゲ麻雀大会(そあらのお部屋)

    http://members.goo.ne.jp/home/soarer_uz31

    ムササビ杯↓(ムササビの館)
    http://homepage3.nifty.com/musasabi0423/

    6月のミックスジュース杯↓(うたかたの宿)
    http://members.goo.ne.jp/home/elame

    各主催者のHP、ご参照になさってください。
    まだ次回開催については未発表のページもあるかも知れませんが。。。w


    ----------------------------------------------------------------------------

    あらまあーから皆さんにぜひ読んでいただきたい
    今後の『週刊』の配信方法について

    時代の進歩とともに、様々なシステムも進歩して行きます。
    私たちの生活空間もひと昔前と比較して、格段、便利に快適になりました。
    ところが、進歩とともに失っていくものも多いのではないか? とも思えます。
    たとえば炊飯ジャーは現代人の生活には欠かせないモノですが、
    昔ながらの本当においしいご飯の炊き方は
    『絶対に竈(かまどを使ったものだ』と、言い張る人も少なくないでしょう。
    週刊あらまあーは、
    これまで多くの人に『新聞』と通称されていたように、
    画像や写真を使用しない「手作り」の個人メルマガとして
    皆様に親しまれてきました。
    週刊あらまあーの生命線とは、
    (1)オリジナリティーがあること
    (2)あくまで写真・画像を用いない手作りメールであること
    (3)皆さんがどこかのホムペを見たいと思い立ったときには、
    皆さん自身が IE を開いてアクティブな行動を起こし、
    そこのページへジャンプするという能動的行為をおこなうわけですが、
    『週刊』はそうではなく、
    こちらの意志で、こちらから、皆さんのお手元にお届けし、
    皆さんが居ながらにして楽しむことができるという、
    いわばデリバリー形式の媒体であること
    この3点だったと思います。
    しかしご周知のごとくホームページを立ち上げて牌画像などを導入してみると、
    やはりこちらのほうが見やすいといった観は否めません。
    加えて、つい先々月のような「文字化け騒動」のさいには、
    かなりの容量の大きい文字化けメールが送信され
    多くの皆さんにご迷惑をおかけしたことも、まぎれもない事実です。
    そこで、何度も迷った末、こうしました。
    (A)次号からは、目次と「最初のご挨拶」と「内容の説明」を載せ、
    以下ににその『号』の直アドを掲示し、そこをクリックしていただいて、
    ホムペで読んでもらうという形式の、「ダイジェスト・メール」版をお送りする。
    (B)従来のようにメール版をお送りする。
    この2方法を取り、
    原則的には、容量負担でご迷惑をおかけすることのない(A)の
    『ダイジェスト・メール版』をお送りし、
    ご希望の方には従来どおりの『週刊あらまあー』をお送りする。
    ということに決心しました。
    従来どおりのメール版『週刊』をご希望の方は、ぜひご遠慮なく、
    あらまあーまでご連絡ください。(本号末尾アド)
    今後とも「週刊あらまあー」を、よろしくお願いいたします。
    m(_ _)m


    ----------------------------------------------------------------------------

    おじさんバンド奮闘記

    第7話 拡がり続ける仲間の輪(最終回)

     第1回ライブが終了してからというもの,
    しばらくギターに触る気が起きない毎日が続いた。
    中学・高校時代に試験が終わって,教科書を開きたくない気分と一緒だ。またしても
    「試験」が「ライブ」に,「勉強」が「ギター」に置き換わっている。人間いくら年
    を重ねたところで変わりようのない一面があるようだ。

     余談だが,スタジオ練習が終わると参加者全員でスタジオ代を清算する。若者は1
    時間100円を負担し,残額をあとのメンバーで均等割りする。人数が多いので4時間
    借りても一人1,000円少々の出費で済む。
    「イマドキ1,000円ちょっとでこれだけ楽しめる遊びはそうはないだろう」
    と自慢したいところだが,練習後には必ず飲み会が控えている。スタジオ代と飲み会
    をセットにすると,そこそこの遊び代になってしまう。
    「スタジオ代は一人1,400円ね」
    ジョーから告げられ2,000円を渡すと,ジョーはズボンの右ポケットから小銭を掴み
    だし,600円のおつりを返してくる。誰かが10,000円を差し出すと,今度はズボンの
    後ろポケットから千円札を取り出し,右のポケットから小銭を取り出してくる。
    ジョーは財布を持たないのだ。
    「面倒臭いし,無くすと嫌だから」
    これが理由らしい。ズボンを履き替えるたびに,いちいちお金を移し替える方がよっ
    ぽど面倒だと思うが人それぞれである。ポケットの中は汚れてしまうにきまってい
    る。
    高校2年の時のことである。ジョーと竹橋の共立講堂に行ったことがあった。古井
    戸,泉谷しげる,ケメが出演するコンサートがあったのだ。学校帰りに制服姿で直行
    した。竹橋駅に着くと,
    「着替えてくる」
    ジョーがトイレの中に入っていった。外で待っていると,ジャラジャラジャーン,小
    銭が飛び散る音がした。しばらくして,びっしょりとなった両手いっぱいに濡れたお
    金を乗せて,罰が悪そうに顔をひきつらせながら必死で笑顔を繕うジョーが出てき
    た。
    「着替えていたら,お金が便器の中に落ちちまった。よっぽど諦めようと思ったけれ
    ど,もったいないから全部拾ったよ」
    あの時は何でお金が落ちたのか理解できなかったが,おじさんバンドを始めてから財
    布を持たないことを知って,30年前の出来事が納得できた。お金をポケットに詰め込
    んでいるが故の失態は,これだけでは済まないはずだ。普通なら凝りそうなものだ
    が,未だに財布を持たないあたりが,ジョーの変わらぬ一面らしい。最近のことだ
    が,この出来事をメンバーに話すとジョーが言った。
    「REN,面白く話を作るなよ」
    すると,娘のリカちゃんがつぶやいた。
    「この前なんか,差し歯をトイレに落としたのよ。洗ってまた使っていたけど……」

     話を戻す。第1回ライブが終わった直後から,メンバーのメールラッシュで賑わっ
    た。多い時には1日で優に20本を超えたこともある。たまたまアメリカ出張を控えた
    オカコからメールが入った。
    「今日からしばらく会社のPCでメールを受信できないので,明日の成田出発までは
    携帯に送ってね」。
    オカコは会社のPCでメンバーメールを受信していたのだ。すると,追いかけるよう
    にコツからメールが届いた。
    「オカコが携帯のメルアドをリストからはずして欲しいと言っているよ。何でも数が
    多すぎて,受信しきれないうちにバッテリーが無くなるみたい」

    オカコが出張から帰ると,ジョーの家でホームパーティを開いた。ライブのビデオを
    酒の肴にした慰労・打ち上げ会である。ジョーと奥さんのミッコちゃんが見事な手料
    理を振る舞ってくれた。ジョーはハコバンをやっていた頃,昼間は洋食店で調理の仕
    事をしていた。
    「変な店で食うより自分で作った方がよっぽどうまい」
    と言うだけのことはある。メンバーの面々は大満足だ。
    ライブハウスからもらったビデオの上映が終わると,次に山ママ(山ちゃんの奥さ
    ん)と子供たちが撮影したビデオが流された。
    「これこれ,“I’ve got a feeling”のショーゾーのイントロ。
    絶対にやり直しかと思ったよ」
    「うんうん,でも途中で止める訳にいかないからね」
    「“Woman”のRENのギターどうしたの?練習でもこんなことなかったのに」
    「山ちゃんと子供のやりとり最高!」
    「カオちゃんは相変わらずうまいねえ」
    いつまで経っても話題は尽きない。この日,山ちゃん親子が撮影したビデオが全員に
    配られた。ライブハウスが収録したビデオとCDも渡された。このCDは2枚組で,
    1枚目の最後の部分が曲の途中で終わり,2枚目の最初が曲の途中で始まっていた。
    それを知った音響のプロのコツが,ビデオに収録されている音を使って,途切れた箇
    所を見事に修復してくれた。
    「自分でもどこを繋いだか分からない」
    というほどの完璧な仕上がりである。去年(2002年)の第2回ライブでは,ジョーの
    知り合いのCM制作に携わるプロカメラマンが,みんなで撮ったライブ画像を集めて
    編集し,まるで4カメを使って収録したかのような見事な編集映像に仕上げてくれ
    た。それぞれが培ったノウハウと技術を提供して思い出を最善の形にして残す。ライ
    ブが終わった後にも,新たな楽しみが待っていた。これぞ「大人の遊び」である。

     「そろそろリハビリを兼ねて練習を再開しようか」
     ライブが終わって一月が過ぎると,陰のバンマス・ナリジからメールが入った。久
    しぶりで手にしたギターは弦が錆びている。指はすっかり柔らかくなり,ちょっと弦
    を押さえただけで痛くて堪らない。ライブに向けて1年間も練習したのに,所々忘れ
    てうまく弾けない曲もある。「根気の習得,一瞬の衰え」,これは「大人の教訓」で
    ある。
    練習が再開すると,ナリジからまたメールが届いた。
    「メールの法則に従ってSミュージックに送信したら,マッちゃんから返信が届いた
    よ。マッちゃんがついに見つかった」
    メールの法則とは,マッちゃんのフルネームの後ろに「@」(アットマーク)をつけ
    て,会社のドメインを続けるメールアドレスの形式である。マッちゃんとは連絡が取
    れなかったが,Sミュージックに勤めていることは分かっていた。
    「昔の仲間とおじさんバンドを組んでビートルズなんかをやっている。マッちゃんも
    良かったら参加しない?」
    「久ぶりー。いいおじさんたちが何やっているのさ。ケラケラ」
    ナリジからマッちゃんのメールが転送された。おじさんバンド結成当初から探し続け
    ていたマッちゃんがついに見つかった。

     マッちゃんと初めて会った話は,コツの紹介(第5話)の中で触れたので省略す
    る。高校2年の小金井公会堂でのライブでは,私がリードギターを担当し,マッちゃ
    んがサイドギターを担当した。マッちゃんはリズム系のカッティングがメチャメチャ
    うまい。もちろんリードの腕前も私など足元にも及ばなかった。あの頃赤いセミアコ
    を使っていたマッちゃんは,吉祥寺南口の駅前の料理店で住み込みのバイトをしてい
    た。
    「マッちゃん,何か食べさせて」
    「またか,ケラケラ」
    吉祥寺に出向いては,バイト先に顔を出してご馳走にありついた。お金がかからない
    で具合がいいと思っていたが,今にして思えばマッちゃんが食事代を負担してくれて
    いたに違いない。

     大学時代のことである。高校2年の小金井公会堂のライブでギターをやめた私に,
    知り合いの紹介と名乗る人から電話があった。話を聞くと,
    「中野公会堂でライブをするがリードギターがいない。ぜひ手伝って欲しい」
    という。私はギターもやめ,義理もないので断った。するとその後も何度となく電話
    がかかってきた。
    「どうしても見つからないんです。助けて下さい」
    ライブ当日がどんどん迫り,引くに引けない状況に追い込まれた。
    「ぼくにはとてもできませんが,心当たりがないでもないから一応あたってみましょ
    うか?」
    そう応えると,頼りのマッちゃんに電話して事の次第を説明した。
    「マッちゃん,お願い。手伝って」
    「どんな曲やるの?今はお金にならない演奏はしないんだけどね。まっいいか」
    この頃のマッちゃんはプロギタリストの道を歩んでいた。
    電話の主とは事前に会うことも練習することもなく,ライブ会場の中野公会堂で初対
    面の挨拶を交わした。
    「マッちゃんは本当に来てくれるだろうか……」
    そんな不安の中,約束の時間にマッちゃんが現れた。マッちゃんは,待合室で腰掛け
    るとケースからフェンダーのテレキャスターを取り出した。
    「すげー,本物だ!」
    本物のエレキを間近に見たのはこの時が初めだった。とても感動した。ぶっつけ本番
    は,マッちゃんの見事なリードで無事に終了した。
    いつもニコニコしていて,「ここぞ」というときはバッチリきめる。小金井公会堂で
    のライブでも,この時のライブでも,おじさんバンドのライブでもそうである。進歩
    の無い私は,未だにマッちゃんに頼りっぱなしである。それにしても,電話の主と紹
    介した人とは一体誰だったのだろう。中野公会堂で何を演奏したのだろう。頼もし
    かったマッちゃんと,初めて目にしたテレキャスター以外,ほとんど記憶に残ってい
    ない若き日の思い出である。

     この後からマッちゃんとの連絡は,バッタリと途絶えてしまった。マッちゃんは,
    吉祥寺駅前の料理店を辞めてからコンサート会場でパンフレットを売るバイトをしな
    がらギタリストとしての腕を磨いていたらしい。そんなマッちゃんに転機が訪れる。
    天才ギタリストCharとの出会いである。Charのコンサート会場でパンフレッ
    トを販売したのがきっかけとなって,マッちゃんはCharのマネージャーになっ
    た。
    「Charさんと出会ってギタリストの道を諦めた」
    「Charさん」という敬称付きの響きの中に,マッちゃんとCharの身近さが感
    じられる。Charはナリジが勤めていたレコード会社に所属していた。販促会議で
    Charの宣伝を担当していたナリジとマネージャーのマッちゃんがバッタリと出く
    わし,「あれ?何でこんな所にいるの?」と互いに顔を見合わせたというから世間は
    狭いものである。
     その後マッちゃんは,米米CLUB(コメコメ・クラブ)を作ってマネージャーと
    なった。かの有名な米米CLUBは,マッちゃんが一人一人メンバーを集めて作った
    のだ。大所帯の米米CLUBは,ライブのPAに大変な経費がかかったらしい。そこ
    でマッちゃんは昔の仲間だったコツにPAを頼んだという。その後,大手レコード会
    社・Sミュージックに米米CLUBを売り込み,自らも入社して,現在はプロデュー
    サーの職にある。奥さんは,米米CLUBで華やかなコスプレを身に纏い,華麗に
    歌って踊っていたシュークリームシュの元一員である。その奥さんが学生時代にコツ
    と親交があったというから,またしても世間は狭い。
    第1回ライブを終えたある日,吉祥寺のスタジオで練習をしていると,マッちゃんが
    Sミュージックの元部下・チョロ山を伴ってスタジオに現れた。この日からマッちゃ
    んとチョロ山がおじさんバンドに加わった。

     マッちゃんと師弟関係にあるチョロ山は,20代後半の若者でプロギタリストの経歴
    を持つ。スタジオ練習では正面の大きな鏡を常に意識して,ギターアクションを細か
    くチェックしている。昨年(2002年)に行った第2回ライブのビデオを見ると,チョ
    ロ山の動きがやたらとかっこいい。
    「若いっていいね。体の動きのキレが違う」
    私が言うとチョロ山が反論した。
    「年じゃないすよ。Charさんなんかもっとかっこいいす」
    演奏曲を覚えるだけでキャパがオーバーしている私には,アクションに気を回す余裕
    などまったくない。

     ギターポジションだが,一般的に若者は低い位置に持ち,年配になると高い位置に
    上がっていく傾向がある。私が高校の頃は,低い位置にギターを構えたジミー・ペー
    ジ(レッド・ツェッペリン)の演奏スタイルがかっこいいと評判になっていた。第1
    話で触れたジョーが伝説のハートブレーカーを披露した時もかなり低い位置だった。
    「ギターが高い位置だと弾きにくい」
    一端(いっぱし)のことを言っていたが,どう見ても弾きやすそうには見えない。ズ
    ボンを落として履く流行が私たちの中学時代に始まり未だに続いているが,本人の満
    足度と反比例した周囲の冷ややかな視線が存在する。ジョーのギターポジションはこ
    の関係に似ていた。いかにも弾きにくそうで見た目もいいとは言い難かったが,巷の
    天才ギタリストに意見などできようはずもない。
     去年,シゲの同僚の医師が六本木のキャヴァンクラブに出演するというので,おじ
    さんバンドのメンバーたちと応援に駆けつけた。キャヴァンクラブとは,無名の頃の
    ビートルズが演奏していたイギリスのクラブの名称で,六本木の店はそれに因んで名
    付けられたビートルズナンバーを専門に扱うライブハウスである。店に入るとアマ
    チュアバンドのイベントが行われていた。滑稽だったのは,頭の薄くなったおじさん
    達が,揃いも揃ってギターポジションと演奏スタイルまでジョン・レノンを真似して
    いたのだ。若い頃のジョンは,体の中央のやや高目の位置にギターのボディーの中心
    を置いて,ガニ股に立った膝を前後に小さく屈伸させながらリズムを取って演奏して
    いた。その姿はどうひいき目に見てもかっこいいとは言い難い。しかし,ジョン役は
    必ずといっていいほど,あのスタイルを真似していた。若さと人気の絶頂にあった
    ジョンだからこそ見過ごせたが,おじさん達が真似すると,かっこ悪さを通り越して
    ギャグになる。あれに比べれば,ジョーのジミー・ページスタイルは,まだマシだっ
    たかもしれない。
    チョロ山のギターポジションは程よく低く,体の動きはリズムに乗って細かくキレ,
    お世辞抜きでかっこ良かった。プロともなると,演奏技術以外の視覚的要素も要求さ
    れるようである。

     第2回ライブで浜崎あゆみの
    「Depend on you」を演奏した。
    この曲はバリバリの打ち込みが使われている。曲のインターバルで,ドラムの13連打
    (アップテンポの6連符+6連符+次の拍の頭)と,それに重ねるキーボードの速い
    フレーズがあり,生での再現が非常に難しい。とてもマスミのキーボードではできそ
    うもなかった。そんなある時,ジョーからメールが届いた。
    「朗報!浜崎あゆみのCDでキーボードを弾いていて,ツアーにも参加している人が
    チョロ山の知り合いらしい。その人がうちらのライブ用に“Depend on y
    ou”のキーボードを打ち込んでくれるそうだ。チョロ山でかした」
    浜崎あゆみのキーボードを弾いている現役プロの打ち込みが第2回ライブで使われ
    た。ライブ後の打ち上げの時,ギャラリーとして会場に来ていたきしぼんが私に言っ
    た。
    「右側の方で“Depend on you”を弾いていたキーボード,相当うまい
    んじゃない?」
    きしぼんがそう思ったのも無理はない。マスミはこの曲の最中,口パクならぬキー
    ボードパクに終始し,会場にはホンマモンが演奏した打ち込みが流れていたのであ
    る。
    マッちゃんによると,チョロ山は半年に一度の頻度で仕事と彼女絡みの大事件が勃発
    するらしい。どれも腹を抱えずにはいられないユニークな話だが,チョロ山の名誉に
    配慮してここでの紹介は差し控えることにする。

     マッちゃんたちの参加と前後してメンバーになったのがエーちゃんである。エー
    ちゃんは,ジョーの強引な誘いに屈して加わることになった。私とは,幼稚園,中学
    が一緒だった。ナリジ,コツ,オカコとも中学が一緒である。私はエーちゃんとほと
    んど遊んだ記憶がない,まったく話したことがなかったと言った方が正直かもしれな
    い。エーちゃんは,第1回のライブの時にギャラリーとして来てくれた。打ち上げに
    も参加してくれたようだが,覚えていないのだ。エーちゃんとの微妙な距離が計れ
    る。そのエーちゃんと,私の高校時代の同級生・ジョーが親しいというのだから,ま
    たまた世間は狭い。高校を卒業してからバンドマンの道を目指していたジョーは,
    マッちゃん,エーちゃんたちとバンドを組んでいた時期があったのだ。
    第1回ライブを終えたある練習日,エーちゃんがケーキを手みやげに練習スタジオを
    訪れた。その後も散々悩んだようだが,ジョーの執拗なプッシュについに俵を割り,
    ベースとパーカッション担当としてライブに挑むことになった。
    エーちゃんはいつも物静かで,練習後の飲み会でも隅っこにちょこんと腰掛け,ほん
    のり紅く染まった顔に穏やかな笑みを浮かべながら皆の会話の聞き役に徹している。
    デザインの仕事をしているエーちゃんは,第2回目ライブのチラシを作ってくれた。
    「顔が分からないように写真をたくさん入れて,かっこよく作ってよ」
    ジョーの無理な注文に応えてできたチラシは,誰もが認めるプロの仕事だ。
     第2回のライブの映像で,エーちゃんは顔を赤らめながら気持ち良さそうに体をく
    ねらせてパーカッションを叩いている。後にこの姿を「エーちゃんのタコ踊り」とい
    うようになる。エーちゃんは,隠し持ったウイスキーのミニボトルを口に含み,ほろ
    酔い気分で一人恍惚の世界に浸っていたのだ。ライブが終わる頃にはボトル一本がき
    れいに空になっていた。最近になってきしぼんが言った。
    「エーちゃんのパーカッションって,叩く瞬間に一番力が抜けていましたね」
    そのとおりである。ビデオを何度見てもパーカッションの音など聞こえてこない。
     第2回のライブが終わるとエーちゃんは会社を辞めて独立した。あまりもの忙しさ
    に第3回ライブを2カ月後に控えた今になっても,練習に参加できずにいる。仕事の
    ラッシュで連日のように事務所に泊り込む日々が続いている。この不景気の時代に羨
    ましい限りだが,その忙しさが私との距離を縮めることになった。
    「忙しいぞー。REN手伝いに来ない?」
    「やっと昼だ。仕事している?」
    「今日も泊まりだー。まだ麻雀してるんでしょ?練習しなさい」
    エーちゃんからの定期便メールである。
    一月ほど前,エーちゃんから電話が入った。
    「バンドのブラスとコーラスに若者が入ったでしょ。デザインの仕事を目指している
    人っていないかな?バイトしてもらえれば助かるんだけど」
    連絡を受けた私は,メンバーメールでブラスとコーラス担当の若者たちにバイトの求
    人を呼びかけた。その一方で,Jgameで親しくさせていただいているミーコさん
    に相談した。
    ミーコさんは去年のライブにも来てくれた。Jgameユーザーへのライブチケット
    販売にも協力してくれている大恩人である。ネット麻雀ではロビーに待機することが
    ほとんど無く,あそこで打っていたと思うと今度はここで,と常に時間の無駄なく
    ネット麻雀を楽しんでいる。メッセのチャットでは,
    「そうか」
    「おー」
    が口癖だ。
    「ミーコさんのお嬢さんにデザインを目指している方はいませんか?バンドのエー
    ちゃんがバイトを探しているんです」
    「いないなあ」
    「あ,ちょっとまって」
    「にばんめのむすめがやってみたい,っていっている」
    ミーコさんのメッセは,すべて平仮名で統一され,女性らしい実際とは対照的な男言
    葉が使われている。女性ということを隠しているのか,ただ面倒なだけなのか,正解
    は後者のようだ。
    エーちゃんが探し求めていたバイトがついに見つかった。ミーコさんの二番目の娘さ
    ん・カズちゃんである。こうしてJgameユーザー・ミーコさんの娘さんが,エー
    ちゃんの事務所でバイトすることになった。
    大学2年生のカズちゃんは,細身でおとなしく,可愛いらしい知的な女性である。
    整然としているが女っ気ゼロのエーちゃんの事務所に一輪の可憐な華が備わった。
    何とも不思議な縁で拡がった人間関係である。
    物静かなエーちゃんとおとなしいカズちゃんのサイレントコンビだ。
    一言も言葉を交わすことなく1日が過ぎてしまうようなことだけはないことを願いた
    い。

    (「第7話 拡がり続ける仲間の輪(前編)」終わり。
    次回(最終回)は、いよいよ
    きしぼんといなちゃんの登場です。)


    ----------------------------------------------------------------------------

    編集後記
    最近、雀鬼流でおなじみの桜井章一さんのエッセイを読んでいて
    思わず笑ってしまいました。
    『私は友人と酒を飲んだり食事をしたりしていて、
    相手のモノの言い方がひっかかると、思わずカッとなり、口論してしまう。
    相手が悪気でいったのではないことがわかっていても、
    どうにもこうにも止まらずに、コトバにカドを立ててしまう。・・・・』
    というくだりがあって、それが以前のあらまあーにそっくりだったからです。
    もちろん最近ではあらまあーはだいぶ性格も丸くなりましたが、
    桜井さんは、今でもそういうことがある、とのこと。
    桜井さんといえば、
    ご存じ雀鬼流の開祖、「牌の音」の主宰として
    若手雀士の育成にも心血を注いでいる方なのですが、
    やはりこのカッとなりやすい性格というものは、
    そう簡単には治らないのでしょうか?ぷぷぷぷ。。^^;
    さて、いよいよ次号はRENさんの連載エッセイ『おじさんバンド・・・』も
    最終回を迎えます。
    RENさんにメッセで寄稿を依頼し快諾を得たことが、
    まるでつい昨日のことのように思い出されます。
    次号は最終回スペシャルとして、
    「おじさんバンド」の各回の
    あらまあーの気に入った部分を辿って回顧してみようか、
    とも思っています。
    だんだん汗ばむ日が多くなってきました。
    ファンヒーターの季節がやっとのこと通り過ぎたと思ったら、
    もうクーラーの季節ですね。
    あらまあーもいよいよJゲームで3回目の夏を迎えます。
    では皆さん、また次号でお会いしましょう。

    ----------------------------------------------------------------------------

    「週刊あらまあー」ラインナップ
    創刊号:ポイント上位者はかならずしもトップ率が高くないのはなぜか?
    第2号:トップ率変動から個々のバイオリズムを判別できるか?
    第3号:J−game の最強女流雀士は誰か?
    第4号:J−game 麻雀サイトで大会開催は可能か?
    号外版:第1期牌王位戦では誰が勝ったのか?
    第5号:3月月例大会・弥生杯では誰が勝ったのか?
    第6号:歴史的観点から麻雀の得点の仕組みを語ってみよう
    第7号:麻雀に疲れたらゲームサイトツアーにでかけてみよう
    第8号:キミもプロ組織の麻雀検定問題に挑戦してみよう!
    第9号:「麻雀に強い頭脳」とはどんな「頭脳」か?
    第10号:麻雀の東西南北の並びはなぜ実際の方角と逆なのだろうか?
    第11号:史上初の女流牌王位は誕生したのか?
    第12号:保存対局譜(牌譜)から試合を再現してみよう(1)
    第13号:保存対局譜(牌譜)から試合を再現してみよう(2)
    第14号:通常の麻雀とはひと味ちがう『変則ルール麻雀』をご紹介しましょう(1)
    号外版:1周年記念臨時増刊号『JP・エッセイ特集』
    第15号:通常の麻雀とはひと味ちがう『変則ルール麻雀』をご紹介しましょう(2)
    第16号:牌王位戦1周年を回顧する
    第17号:あらまあー的『マナー論』および『人間関係論』
    第18号:手筋変化の研究

    『週刊あらまあー』バック・ナンバーおよび最新号は、
    ひいいさんのホームページでもご覧になれます。
    「ひいいの麻雀研究」↓
    http://www.ix3.jp/hiii/
    『週刊あらまあー』最新号のカラー・牌画像版は、
    ホームページ「週刊あらまあー」にて。↓
    http://homepage3.nifty.com/aramaa/
    『週刊あらまあー』に関するご意見・ご感想・テーマ提案など、
    あるいは、「初級者版」・「通常メール版」のお申し込みなども、
    下記アドまで。↓
    m_aim64@hotmail.com

    (『手筋変化の研究』=2003年5月22日初版配信)

ホームひいいの麻雀研究ホーム メールhiii@pd6.so-net.ne.jp