ひいいの麻雀研究  ひいいの麻雀研究

 週刊あらまあー

 あらまあーさんが刊行してる「週刊あらまあー」です。
 全バックナンバーを揃えています。
 週刊あらまあーの著作権、文責はあらまあーさんにあります。あらまあーさんの了解を得て、ここにバックナンバーを掲載しています。
 

    第19号:「流れ」の問題

    Weekly Aramaa Vol.19
    (June---The 4th week)

    Main Theme:「流れ」の問題

    いやはやホントに暑くなってきましたねぇ。
    本格的な夏の到来ですなあ。。。

    ゆきのさん、3000Po突破おめ!
    ThunderVさん
    東風荘2000R突破おめ!
    あらまあーさんハンゲ大会優勝おめ!(爆!)
    RENさん「おじさんバンド」連載お疲れ様!
    そんなこんなで、Jユーザーの話題には
    事欠かない中、この暑さなんとかしてくれぇ〜
    と叫びつつ、『週刊19号』はいつも通りに
    配信されたのでありましたぁ!
    (≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜

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    目次:

    最初のあいさつ

    あらまあーの瞬間湯沸し記スペシャル
    --モロ辰さんのカキコに端を発した「あらまあー風昭和流行歌略年史」

    メイン・テーマ:「流れ」の問題

    閑話休題:
    (1)RENさん連載終了、お疲れ様!
    (2)野球狂集合!「今年の阪神タイガース、強さの秘密」
    (3)知ってますか?OLって、昔はBGって言ったんですよ。。

    大会報告

    『おじさんバンド奮闘記』〜〜いよいよ最終回!!

    最新トップ率ランキング・ベスト30

    編集後記

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    {いつもとたいして変わりばえしない、あらまあーからのご挨拶}

    いやはや、東京はもう30度を記録しました。
    暑いです。イヤんなります。
    皆様はこのクソ暑い中、いかがお過ごしでしょうか?
    あらまあーは、意地でもまだ健康のためクーラーはつけないぞお、
    というヤセガマンをしつつ、
    汗びっしょりでPCに向かう日々が続いております。(爆!)
    早いもので、あらまあーがJに来てもう3度目の夏が来ました。
    プレイヤーの顔ぶれもけっこう変わりました。
    皆さんもいろんなトラブルはあるでしょうが、んーなコトにはめげずに、
    がんばっていきましょう!  (* ̄0 ̄)/ オゥッ!

    久しぶりに・・・・・
    ( ̄ε ̄)♪〜ちゅうううううううううううううううううううっ
    ε=ε=┏( ・_・)┛ダダダ!!!

    |||||||||_・)

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    あらまあーの瞬間湯沸し記・スペシャル

    {特別企画}

    モロ辰さんのカキコに端を発した
    「あらまあー風・昭和流行歌略年史」

    {序}モロ辰兄ィのカキコ

    『週刊』のホムペの「掲示版」のほうに
    モロッコの辰さんから以下のようなカキコがありましたので、
    ちょっとあらまあー風に「近代流行歌史」でも語ってみようかと
    思い立ったしだいであります。


     最近おかしいぞ! モロッコの辰  2003/06/12 (木) 20:43

    誰かキャロル知ってるやつは、おらんかいのう〜〜
    TV他その関連のホームページ覗くと虫ずがはしるのは、
    俺だけか・・・(多分俺だけかも)
    kiraraちゃんに久々にメールを送って
    憂さ晴らしでもするかいのぅ・・
    しかし・・あの中傷合戦、昔からのファンは
    どう思っているのだろか・
    他メンバーの2人、内海氏、ユウ岡崎氏元メンバーの人達は
    どのように思っているのだろうか・・・?
    ここで言う事じゃないね^^;すんません^^;>あらさん

    いやいや、モロ辰さんのお腹立ちは、ごもっとも、と思います。

    キャロルの登場は、ある時代の「革命」であり「奇跡」でもありました。
    それまで巷(ちまた)に流れていた、いわゆる70年代フォーク、
    かぐや姫の「神田川」や陽水の「心もよう」などに代表される
    『男女の出会いと別れから生じる内面な部分の悲しみ』
    をモチーフにした歌からガラっと変わった
    もっと前向きで活発で元気でなおかつ暴力的でパワフルな歌をひっさげて、
    キャロルは登場してきたのです。
    当時月〜金の夕刻5時ごろからTBS系でせんだみつお司会の
    『銀座NOW』という番組があり、
    そこへまだ無名の新人バンド「キャロル」が
    上下黒の革ジャンにオールバックのリーゼントで登場して来て、
    「君はファンキーモンキー・ベイビー♪〜〜」とか、
    「可愛いあの子はァ〜〜ルイジアーーナ〜〜♪〜〜」
    と歌い出した時には、
    「おおおおおお、なんだこいつら、すげーなあ!」
    と、あらまあーもブラウン管の前にクギづけになったものであります。

    キャロルの登場は、そういった意味において、
    まさに時代の生んだ「奇跡」であり、
    それまでの流れをガラっと変える「革命」だったのです。

    さてそこで、今回の暇なおっさん・あらまあーは、
    戦後の焼け跡時代から
    「80年代ロックバンド・ブーム」の先駆けとなったキャロルの登場までを、
    たどってみようという大それた試みをおこなってみました。
    (キャロル自体は1972年にデビューし、2年ほどで解散したのですが、
    その後のヤザワやジョニーの活躍が80年代ブームの先駆となったという
    観点から、ここではキャロルを「80年代ロックバンド・ブーム」のさきがけ、
    と位置づけることにします)

    名づけて、「あらまあー風・昭和流行歌略年史」!!
    ( ̄o ̄)ほほぉーー


    {一}戦後の焼け跡から

    大東亜戦争が終焉し、焼け野原だった東京がしだいに復興し、
    各地に活気が戻り始めた頃、街には歌が流れ始めました。

    あらまあーの年代で言えばその父母の世代、
    これをお読みになっている読者の皆さんがもっと若い方々なら
    そのお祖父さんお祖母さんの時代ですね、
    その時代の人々が必ず口ずさんだ流行歌、
    『時の流れに』や『東京の花売り娘』、『リンゴの唄』、
    あるいは笠置シズ子の『買い物ブギ』や『野球ブギ』などのブギシリーズ、
    あるいはまた雪村イズミの『東京シューシャイン・ボーイ』などが
    巷のあちこちで聞かれた時代、
    目を見張るようなスピードで日本の街街が復興していった時代でした。
    戦争終結の年(1945年)から、この時代をざっとたどってみます。

    1945(昭和20)年8月15日、日本は全面降伏し、
    アメリカとの戦争に終止符を打ちました。
    8月末、連合軍がやってきて進駐が始まりました。
    9月はじめには降伏調印がなされ、GHQが設置され、
    そしてもちろん、占領軍の総司令官である
    あの、マッカーサー元帥がやって来たのです。
    街中をジープが行き交(か)い、洋モクとともに憧れの的となり、
    日本人は敗戦ショックから無力感におそわれ、虚脱状態でした。

    女性はモンペ、男性は復員服かよれよれの国民服でした。
    中でも半長靴の特攻隊スタイルがカッコいいと、
    流行の最先端を行ったそうです。今では信じられない話です。
    一面の焼け野原に闇市、青空市場が立ち並び、活況を呈していました。
    極端に衣食住が不自由な中、並木路子の「リンゴの歌」が、
    すさんだ人々の心をわずかながらもなごやかにしました。

    昭和22年にはすでに女性の流行としてショートスカートが姿を見せ始め、
    集団見合いがおこなわれ出しました。
    新興宗教の隆盛とともにインフレもかなり進行し、
    戦後復活した宝くじの一等が百万円になったことが話題になりました。
    太宰治の「斜陽」、田村泰次郎の「肉体の門」などの
    いわゆる『斜陽文学』が多くの人々に読まれる中、
    石井桃子の「ノンちゃん雲に乗る」や竹山道雄の「ビルマの竪琴」のように
    本来は児童文学として発表された作品が多くの成人の心をとらえる、
    という奇妙な現象が起こった時代でもありました。
    流行歌は「港が見える丘」「鐘の鳴る丘」「みかんの花咲く丘」と、
    丘をつけた題名の歌が大ヒット。
    爵位制度の戦後廃止によって没落していく旧貴族の姿を描いた
    「安城家の舞踏会」(出演:原節子)、
    「戦争と平和」、「素晴らしき日曜日」
    などの映画作品が、この年次々と封切られました。
    不逞の輩(ふていのやから)というコトバが流行語となった時代でもあります。

    昭和23年にはいるとサマータイムが全国で実施されましたが、
    これがかなりの不評で、4年ほどで姿を消しました。
    男娼、いわゆる「オカマ」が登場したのも(戦後では)この年が最初で、
    同時にまた、リーゼントスタイルという髪型も流行し始めました。
    流行歌は、「湯の町エレジー」、「誰か夢なき」、「異国の丘」
    などが巷に流れましたが、
    なんといってもこの時代のもやもやを吹き飛ばさんばかりの勢いで
    笠置シヅ子の「東京ブギウギ」が爆発的ヒットとなりました。
    黒澤明監督・三船敏郎主演の「酔いどれ天使」が上映されたのも
    この年でした。

    昭和24年にはいると、女性にロングスカートが大流行。
    映画「青い山脈」が主題歌ともども大ヒットしました。
    『若く明るい歌声に〜〜〜♪〜〜
    古い上着よ、さようなら〜〜、寂しい夢よ、さようなら〜〜』
    とは、この時代の人々の多くが望んでいた歌詞だったのかも知れません。
    この年の流行歌としては、「ボタンとリボン」、「長崎の鐘」、
    そして「銀座カンカン娘」などが挙げられます。
    文学としては戦争の傷あとを振り返る「聞けわだつみの声」や
    「この子を残して」などがベストセラーとなり、
    またこの年、芥川賞が復活しました。
    ギョッ、アジャパーなどという不思議な擬声語的なコトバが流行したのも
    この年でした。
    また11月には「湯川秀樹氏ノーベル賞受賞」という日本人にとっては
    おめでたいニュースも流れました。

    昭和25年にはソビエトとアメリカの対立が顕著になり、
    6月に朝鮮戦争が勃発、金づまりと言われていた景気が、一転、
    特需景気となりました。千円札が発行され、パチンコが盛んになり、
    プロ野球がセ・パ両リーグに分裂してナイターが初めて行なわれたのも
    この年でした。
    文化芸術面では、「チャタレイ夫人の恋人」が発刊禁止となり、
    おおいに有識者たちの論議をかもし出しました。
    映画は、「また逢う日まで」「暁の脱出」「聞けわだつみの声」「羅生門」
    などが封切られました。
    また「羅生門」(黒澤明監督作品)は翌年ベニス(ベネチア)映画祭で
    グランプリを獲得! それは、敗戦ショックから経済的に立ち直りつつある
    日本人の、文化芸術面での誇りさえも取り戻した嬉しいニュースでした。
    流行歌は、今で言うところの『癒し系のスローバラード』調の曲がヒット、
    「水色のワルツ」、「白い花の咲く頃」、「夜来香」などが
    人々の心をなごませました。

    戦後復興のこの5年間の出来事を特に詳しく辿ってみましょう。


    昭和20年(1945)から25年までの主な出来事

    昭和20年(1945)
    8月15日:天皇陛下の「終戦の勅」玉音放送が巷に流れ、
    日本国民は敗戦を知る。
    同30日:マッカーサー元帥、厚木に到来する。
    9月2日:ミズーリ艦上にて降伏文書調印
    同27日:天皇陛下マッカーサーを訪問
    10月4日:治安維持法、特高警察の廃止
    11月2日:財閥資産凍結令、解体令。同日社会党結成
    12月16日:近衛元首相、服毒自殺
    同31日:占領軍、修身・日本史・地理の授業中止を通達


    昭和21年(1946)
    1月1日:天皇人間宣言
    5月1日:メーデー復活(11年ぶり)
    同22日:吉田内閣成立
    8月20日:婦人連続殺害犯・小平義雄ついに逮捕
    9月17日:住友(旧)財閥長女誘拐事件
    11月5日:当用漢字1850種決まる


    昭和22年(1947)
    4月1日:教育基本法・学校教育法(6・3制)実施
    同7日:労働基準法公布(施行9月1日)
    同14日:独占禁止法公布(施行7月20日)
    5月3日:日本国憲法施行
    6月1日:初の社会党内閣・片山内閣スタート
    9月15日:キャサリン台風の被害で利根川が決壊、大被害!
    (あらまあー的ちゅうっ、じゃなくて、註:
    当時はまだ台風に女性の名をつけていた。
    以後、台風を女性の名で呼ぶのは差別であるという論議が高まり、
    現在は、アメリカでは交互に男性と女性の名をつけて呼び、
    ----メアリー台風の次はアダム台風、というふうに------
    日本では台風〇〇号という言い方になっている)
    11月15日:刑法改正・施行(不敬罪・姦通罪、廃止)
    12月12日:児童福祉法公布(施行翌年1月1日)


    昭和23年(1948)
    1月15日:もらい子をして子の欲しい人に譲って養子縁組をする
    寿産院にて、199人の赤ん坊のうち169人をも殺し、
    養育費と配給を横流し・着服していたとして、関係者逮捕・検挙される。
    (いわゆる寿産院事件)
    同26日:帝国銀行椎名町支店にて毒殺事件。12人が死亡。
    (いわゆる帝銀事件)
    4月1日:新制高校発足
    6月8日:上野駅地下道の浮浪者一掃に警視庁乗り出す
    同13日:古橋選手、800M自由形で世界新
    同15日:太宰治、玉川上水にて自殺
    7月20日:国民の祝日、決定する
    11月1日:教育委員会発足
    同12日:極東軍事裁判判決、東条以下7名、死刑判決。
    12月1日:年賀郵便の復活


    昭和24年(1949)
    1月1日:家庭裁判所発足
    5月8日:第1回母の日
    7月6日:下山国鉄総裁、轢死体で発見(下山事件)
    8月31日:キティ台風、関東一帯で猛威をふるう。大被害!
    11月3日:湯川博士、ノーベル賞受賞
    同25日:夕刊紙復活


    昭和25年(1950)
    1月1日:年齢を満で数えること実施
    6月25日:朝鮮戦争勃発
    7月2日:放火により金閣寺炎上
    同8日:警察予備隊(現在の自衛隊)創設司令発布
    同17日:軍需景気で株式市場大盛況、株が軒並み急騰
    12月9日:松川事件(貨物列車転覆事件)第1審判決、死刑5名


    {二}フィフティーズ("50年代)

    この10年間で日本はめざましい復興をとげました。
    テレビ放送が始まり、テレビという電化製品はあっという間に
    各家庭に入り込んで生活必需品となりました。
    そして1950年代を語るときに、やはり音楽の面からでは、やはり
    『ロカビリー・ブーム』を挙げなくてはならないでしょう。
    昭和26年(1951)には「東京シューシャインボーイ」、
    「高原の駅よさようなら」、「モンテンルパの夜はふけて」と、
    長いタイトルの歌がヒットしました。
    昭和27年(1952)にはそれまで占領軍司令部に禁止されていた
    チャンバラ映画(時代劇)が解禁となり復活、
    この年の映画制作本数の4分の1を時代劇が占めました。

    そして、昭和28年(1953)、この年は
    戦後大衆文化が本当の意味で確立した年とも言えます。
    この年にはいくつかの画期的な出来事がありました。
    この年、映画はシネマスコープ・サイズになり、
    この年、プロレス協会が設立され、
    この年、トリス・バーが開店し、
    この年、テレビの本放送が開始されました。
    そして、それより何より、
    ラジオ放送の分野でひとつの革命的な出来事がありました。
    菊田一夫作の連続放送劇『君の名は』がそれです。

    栃木県の織物地帯で女工たちの生活を取材していた作家の大野力は、
    毎週金曜日になると女工たちがタクシーに乗って帰宅するという事実を
    発見しました。なぜ?・・・・8時に始まる『君の名は』を聞くためです。
    金曜の夜8時、それは銭湯の女湯がガラガラになる時間だ、
    とまで言われたほど、日本全国のティーンエイジャーからオバアちゃんまで
    の女性という女性をすっかり魅了したラジオドラマでした。
    ラジオというものが日本で始まって以来、
    これだけの聴取率を上げた番組はほかにありませんでした。
    やがてこの『君の名は』は映画化が決定、
    岸恵子ふんするヒロイン真知子は長いスカーフで髪をぐるりと包み、
    その端をマフラーのように首から後ろにまわして画面に登場しました。
    この映画を見た日本中の女性がその姿に恍惚とし、
    同じようにスカーフを巻いて街を歩き、
    いつしか「真知子巻き」という名がつけられたものでした。

    また、この年(昭和28年)は各分野でさまざまな変化が生まれました。
    出版界は文庫本から装飾本・全集の時代になり、
    新聞社発行の週刊誌の売れ行きが著(いちじる)しく伸び、
    音楽の分野では、洋楽のジャズが相変わらず根強い人気を保ち、
    ハイティーン歌手の江利チエミが本場アメリカで大活躍!
    また伊東絹子さんがミスユニバース世界大会で第3位となり、
    「八頭身美人」という言葉が流行語ともなり、
    日本女性が海外で面目躍如といった年でもあったのでした。
    司会業が脚光を浴びたのもこの頃で、
    ラジオ番組の人気司会者トニー谷は数々の流行語を生みました。
    お今晩わ〜、さいざんす、家庭の事情で・・・などが、それです。


    昭和29年(1954)になるとレコードはいよいよLPの時代を迎え、
    ハイファイ装置を備えた名曲喫茶が続々開店しました。
    また『ローマの休日』のヒットにより、女性は競うように髪をショートにし、
    ヘップバーン・カットが流行しました。
    翌30年(1955)には、マンボ旋風が吹き荒れた年でした。
    農業は戦後最高と言われる大豊作、
    景気は地固めの段階から順調に拡大し、
    神武以来の好景気と言われました。
    映画制作本数は年間420本という世界記録を樹立、
    映画界は前年比20%増という驚異的な興行収入を記録しました。
    また音楽界では、マンボに続いてチャッチャッチャのリズムが流行、
    マンボやチャッチャッチャを踊る娘たちはズボンの裾を細くして捲り上げ、
    髪型はポニーテールというのが流行のスタイルでした。
    また、歌謡曲では「お富さん」が大ヒットしました。
    文学界では、20歳そこそこの大学生が芥川賞を受賞し、
    青年作家として一躍世の注目を浴びました。
    「太陽の季節」の石原慎太郎(現東京都知事)です。
    彼の芥川賞受賞は各方面でさまざまの論議をかもし出しました。
    文壇ではこれを「不良少年文学」「賭博的作品の一典型」として
    否定する一派があり、またそれに対して反撥する一派とで
    論争がおこなわれました。
    翌昭和31年(1956)に『太陽の季節』は映画化され、
    それに続いて「処刑の部屋」や「狂った果実」などの
    一連の太陽族映画が上映されるや、世の親たちのショックは大きく、
    「これらの映画は青少年に悪影響をおよぼす恐れがある」と、
    法的に取り締まり上映禁止にしようという官僚の動きもありました。
    やがて海の向こうからやって来るロックンロールの熱狂の波、
    その波が到来するまさに「前夜」の時代でした。
    テレビのCMにアンクル・トリスが登場し、
    漫画「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が連載スタートしたのもこの年です。

    昭和32年(1957)に入るといよいよロカビリーが大流行、
    年末にはついに75万台に達したテレビを通して
    その旋風はお茶の間にまで浸透してきたのでした。
    ドリスデイのヒット曲「ケセラセラ」(=なるがままに)は
    そのコトバ自体が流行語となり、
    またカリプソ・ソングの、デーーオ♪〜〜、で始まる「バナナボート」がヒット。
    神武以来と言われた好景気もこの年から下り坂になり、
    いよいよ「なべ底景気」と言われ出しました。

    そして昭和33年(1958)、
    国民全体がアッと驚く出来事がいくつもありました。
    前年度秋に通算8本塁打の六大学新記録をうちたて
    鳴り物入りで巨人に入団した大物ルーキーがいました。
    奇しくもこの年、「打撃の神様」と称された川上哲治が引退を表明、
    彼に替わるようにプロ野球の顔となった青年、そのルーキーこそがあの、
    長嶋茂雄でした。
    また、皇太子様と正田美智子さんが婚約を発表され、
    旧華族・皇族の出身ではない民間からのプリンセス誕生とあって、
    世はまさにミッチーブームに沸きました。
    映画の年間観客動員は未曾有の11億2700万人を数え過去最高、
    また、即席ラーメン、1万円札、スバル360(当時価格42万5千円)
    などが世に出たのも、この年であります。
    また、巷ではフラフープが大流行!
    ロカビリーのブームも頂点に達し、
    東京銀座の日劇では、「第1回ウエスタン・カーニバル」が開催され、
    山下敬一郎(落語家・柳家金五楼さんの息子)、平尾正晃、藤木孝、
    ミッキー・カーチス、飯田久彦などのロカビリースターが
    熱狂的な人気を博しました。
    また、歌声喫茶が続々と店舗を増やしていったのもこの頃でした。

    昭和34年(1959)、フィフティーズ最後の年には、
    キューバで革命が起きてカストロが政権の座に就き、
    チベットのダライ・ラマがインドへ亡命など、
    世界的には混迷の時期でした。
    歌は、「黒い花びら」が大ヒットし、第1回レコード大賞を受賞、
    また、「南国土佐をあとにして」のヒットで四国ブームが巻き起こりました。
    国内の景気は、なべ底から持ち直し、一転、岩戸景気といわれる好景気。
    国民車時代が幕を開けてマイカー・ブームが到来したのです。

    この時はまだ誰もが、来たるべき波乱と激動の10年間、
    『60年代』というものを、予感してはいませんでした。


    {三}シックスティーズ(”60年代)

    1960年代、それは激動の10年間でした。
    この10年間のキーワードは、
    安保闘争、ベルリンの壁構築、ダッコちゃんブーム、ビートルズ、007、
    キューバ危機、ケネディ暗殺、東京オリンピック、ベトナム戦争、
    文化大革命、3億円事件、そして東大紛争、と、
    しぼりきれないほどたくさんあります。

    音楽の分野から見てもさまざまの出来事がありました。

    1961年(昭和36)、坂本九さんの「上を向いて歩こう」が大ヒットし、
    やがてこの曲は「スキヤキソング」として全米でも1位を記録!
    アメリカ屈指の人気音楽番組「エド・サリバン・ショウ」に出演した
    坂本九さんは、文字どおり世界のキュウちゃんと呼ばれるようになります。
    前年から続くダッコちゃんブームの熱狂のまだまだ覚めやらない頃でした。
    この年、ソ連はドイツにベルリンの壁を構築、完全に東西を分断しました。
    翌62年(昭和37)、ビートルズが世にデビューし、やがては
    世界中のティーンエイジャーたちを熱狂の渦に巻き込むことになります。
    イギリスの片田舎の漁師町リバプールから誕生したこのグループが
    やがて世界を席捲するとは、この時誰が予想してでしょうか?
    日本では、「椿三十郎」が上映され
    漫画「おそ松くん」が連載開始された頃の話であります。

    1963(昭和38)年には、梓みちよさんの歌う「こんにちは赤ちゃん」
    が大ヒット、オトナからコドモまで口ずさんだこの唄がこの年の
    レコード大賞になりました。
    またこの年、ジェームズボンド・シリーズの第1作「007は殺しの番号」
    が公開され、007ブームのスタートともなりました。
    普及が進みついに1千万台を突破したテレビのブラウン管からは
    いくつものCMが流れ、この年は植木等さんの「なんである?アイデアル」
    という雨傘のCMのセリフが流行語ともなりました。
    そしてこの11月、誰もが忘れられないショッキングな出来事が
    世界のニュースメディアを駆け巡りました。
    22日、アメリカのダラスで、ケネディ大統領が暗殺されたのです。

    翌64年(昭和39)にはいよいよ東京オリンピックが開催され、
    日本は高度経済成長期へと進むことになります。
    電卓が登場したのも、「ひょっこりひょうたん島」がNHKで放送されたのも、
    「オバケのQ太郎」が連載を開始したのも、この年であります。
    65年(昭和40)2月にはアメリカがベトナム北爆を開始、
    ついに泥沼のベトナム戦争が本格的に始まりました。
    世界各国で反戦・平和デモが激化し、多くの死傷者が出ました。
    国鉄(現JR)にみどりの窓口が誕生したのも、
    新聞の日曜版夕刊が廃止されたのも、
    シンザンが史上初の5冠馬になったのも、この年であります。

    1966(昭和41)年、NHK朝の連ドラ「おはなはん」が大ヒット、
    岩下志麻さん主演で映画化もされました。
    クルマでは、カローラ、サニーが登場し、
    また、加山雄三さんの「君といつまでも」が大ヒット、
    若大将ブームの到来となりました。
    しかし音楽の分野での大きな出来事はやはり、なんと言っても、
    ビートルズの来日でしょう。それはもう熱狂的な歓迎ぶりでした。
    来たる海の日のRENコンでもオープニングで何曲か
    ビートルズ・ナンバーが演奏されますが、最初に演奏される曲
    「オール・マイ・ラヴィング」は、ビートルズ東京公演でも演奏された
    ビートルズナンバーとしては比較的初期の曲と言えるでしょう。

       All My Loving
    Close your eyes and I kiss you 
    Tomorrow I’ll miss you  
    Remember that always be true ・・・・・・・・・


    という歌詞からもわかる通り、これはいわゆる「ラヴ・ソング」です。
    ビートルズが東京公演を終えて日本を旅立つ日に、
    羽田空港から飛行機の向かって手を振って泣いていた少女たちは、
    現在はもう、お孫さんがいてもおかしくはない年齢に達しています。
    そうしたことを考えれば、
    まさに、時代の流れというものを痛感せざるにはいられません。

    翌67年(昭和42)、東京では美濃部革新都政が誕生し、
    クルマは1千万台を突破、リカちゃん人形が巷にデビューし、
    グループサウンズが大流行、
    日劇ウエスタンカーニバルもかつてのロカビリー・スターから
    グループサウンズが主流となってきた時代でした。
    68年(昭和43)には3億円事件が勃発、
    歌は「365歩のマーチ」や「恋の季節」がヒット、
    テレビの人気者といえばコント55号でした。
    電話契約者は1千万人を越え、また、初めてポケベルが登場しました。

    1969(昭和44)年のキーワードはなんと言っても
    東大安田講堂攻防戦でしょう。
    学園民主化と70年安保、ベトナム反戦運動もからんで
    全国で大学紛争が勃発、中でもこの東大紛争がこの年頂点に達し、
    全共闘の学生が占拠した安田トリデを、この1月、
    8千人の機動隊が出動して排除、学生371人が逮捕されました。
    まさに激動の「”60年代」のフィナーレを飾るには
    ある意味ふさわしい出来事だったのかも知れません。
    新宿駅西口ではフォークゲリラと呼ばれる反戦フォーク集会が行なわれ、
    テレビCMの「Oh!モーレツ」が流行語となり、
    おなじみ寅さんシリーズの第1作「男はつらいよ」が上映され、
    アポロ11号が月面着陸に成功した年でもありました。
    この年ヒットした曲といえば「黒猫のタンゴ」と「いい湯だな」が挙げられます。

    こうして激動のシックスティーズはピリオドを打ち、
    いよいよ混迷の「”70年代」へと時代は足を踏み入れていくのです。
    ところでこの「”60年代」を流行歌の面から振り返る時、
    もちろんビートルズの誕生というのが最大のキーワードですが、
    それ以外では、やはり「フォークソングの隆盛」というのが特徴でしょう。
    66年に「帰ってきたヨッパライ」を大ヒットさせた学生フォーク・グループ、
    フォーク・クルセイダーズは、それ以後もアメリカ産の反戦フォークを
    コンサートで歌い続けました。
    60年代の顕著な特徴は、
    その前半においては、「ロリー・ポップ」や「ロコモーション」などの
    50年代アメリカン・ポップスの流れを継いだ
    ポール・アンカやニール・セダカやペトラ・クラークなどの
    ポップス・スィンガーの活躍が挙げられ、
    ベトナム戦争が本格化していった後半においては、
    ジョン・バエズやPPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)に代表される
    反戦フォークソングの流行が挙げられます。
    「花はどこへ行った」「拝啓大統領様」「戦争は知らない」
    などの反戦歌は、日本の若者たちの多くも口ずだんだ曲であります。
    そしてもちろん最大の出来事としてビートルズの誕生があり、
    また、この年代の後半にはサイモン&ガーファンクルもデビューし、
    そういった意味においても、
    さまざまな動き・流れのあった10年間と言えるでしょう。
    また国内でも、フォークルの後に続き、高石ともや、岡林信康などの
    フォーク歌手が登場、若い世代に支持されました。
    特に「ガイコツの歌」をひっさげてデビューした岡林信康さんは、
    それ以後も続々と話題となる曲を発表し、
    60年代の後半から70年代初頭にかけては「フォークの神様」
    と呼ばれるようになり、その地位は不動のものと思われました。

    そして時代は、耳慣れない「”70年代」へと突入することになります。


    {四}そして・・・・キャロルが登場する!

    1970(昭和45)年には大阪で万博が開かれましたが、
    そんなエンタティメントな話題を吹っ飛ばすように、
    よど号乗っ取り事件が起こり、
    また作家三島由紀夫氏が市谷自衛隊駐屯地にて割腹自殺するという、
    衝撃的な事件が起こりました。
    ウーマンリブ運動が活発になり、テレビの人気番組といえば「時間ですよ」、
    また流行歌といえば「知床旅情」や「走れコータロー」、
    といった時代でした。

    71(昭和46)年に開催された「中津川フォーク・ジャンボリー」、
    このフォーク歌手フェスティバルにおいて、ひとつの大きな変化が起きました。
    それまでフォーク界では絶対的教祖と言われていた岡林信康の人気に
    翳りが見えはじめていることが明らかになったのです。
    小室等、六文銭、三上寛、泉谷しげる、古井戸、ケメ、岡林信康
    などが集ったこのフェスティバル、
    メイン・ステージで歌っていた岡林の元から観客がどっと移動を始め、
    隣のサブ・ステージへと動いたのです。
    慌てたスタッフは「メインはあっちだ!」と叫びながら仕切りの柵の所で
    観客を止めようと試みましたが、時すでに遅く、若い観客たちはいっせいに
    サブステージへとなだれ込みました。
    この時、サブステージで「人間なんて」を歌っていた若者こそ、
    あの吉田拓郎だったのです。
    この中津川事件は、後々まで
    「岡林信康の時代から吉田拓郎の時代へと変貌する
    その契機になった事件」として、長く語り継がれることになるのでした。

    さて70年代初頭はまさに、60年代を引き継いだかのような
    フォーク・ソング全盛の時代でした。
    チューリップ(谷村新司がいた)、グレープ(さだまさしがいた)、
    南こうせつとかぐや姫、といったグループ次々と出現し、
    60年代の「学生たちの敗北と挫折」を象徴するかのような
    『悲しい歌』が続々とヒットを飛ばしました。
    しかし後に「四畳半フォーク」と酷評されるよな、「男女の別れと悲しみ」
    ばかりを歌った曲にうんざりし始めた次の世代の若者たちは
    心の奥底で新しいヒーローの登場を密かに待っていたのかも知れません。

    そこへ颯爽と登場して来たのが、キャロルでした。
    それまでのフォーク・グループ、
    髪を長く伸ばしギターを抱えたジーンズ姿の若者とは明らかに異質な、
    リーゼントに黒の革ジャンというスタイルのこのグループの登場は、
    決して大袈裟ではなく時代が待ち望んでいたものであり、
    それゆえ彼らの登場はそれ自体「革命」であり「奇跡」だったと言えましょう。
    彼らのデビュー曲「君はファンキーモンキー・ベイビー」と「ルイジアナ」は
    瞬く間に爆発的ヒットを飛ばし、『時代』は彼らを歓迎したのです。


    さて、冒頭のモロ辰さんのカキコの件に戻りますが、
    今回のジョニー大倉と矢沢永吉のトラブルについては、
    モロ辰さんならずとも失望の念を禁じえない方々が多いことでしょう。
    また、それだけ「キャロル」という存在はそして彼らの生み出した音楽は、
    広範囲の世代に渡って支持されている証明でもあると言えるでしょう。

    しかし、思うのですが、これはファンのとらえ方ひとつでしょう。
    「輝かしい歴史を作っていくのが生身の人間」ならば、
    「作り上げた歴史を壊してしまうのも生身の人間」である。
    残念ではありますが、この「事実」を、
    冷静にきちんと受け止めるべきでしょう。

    今回のトラブル、どう収拾がつくのか、まったくわかりませんが、
    たとえ今回の件が泥沼化したとしても、それで
    キャロルが作ってきたこれまでの輝かしい歴史や
    音楽的業績が消えてなくなるはずもないのですから。。。。


    ☆愛の叫び♪=キャロル

    君 さがし求め So Meny time  
    悲しさに負けて Cryin every night
    愛 捜し求めSo Meny time  
    苦しさに耐えてCryin every night
    恋しい君の名を呼べば
    空しい思い出

    この歌詞のように「キャロル」というものを『空しい思い出』にするもしないも、
    ファンの受け止め方ひとつでしょう。

    キャロルは1972年に登場し、バンドとしての活動は2年半ほどでした。
    しかしその後もヤザワはアーティストとして活動を続け、
    78年には武道館で単独ライブを実現させるまでのし上がり、
    またジョニー大倉は「戦場のメリークリスマス」(大島渚:監督)に出演
    するなど、俳優業としての活動を主体におこなっていきました。
    彼らの行く道は違っても、キャロルとして活動した輝かしい時代の実績は
    決して色あせることはないのです。
    少なくとも、ファンならそう信じるべきでしょう。


    ちなみに今回のトラブルについてご存じない方で興味のある方は
    こちらを参照になさってください。↓

    (ジョニー大倉・公式ページ)
    http://www.nextstagejapan.com/johnny/

    (ヤザワ事務所へ宛てたジョニー大倉サイドの公開質問状)
    http://www.nextstagejapan.com/johnny/public_info.htm

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    メイン・テーマ:「流れ」の問題

    麻雀のみならず、勝負事全般には、
    『流れ』という
    何やら不可解なものが存在するという。
    その『流れ』なるシロモノとは
    いったい何だろうか?
    ここに、あらまあーなりの検証を試みることにする。


    {前提}

    少し前のことになるが、奇しくも同じ時期に二つのホームページで
    麻雀における『流れ』という論議を目にした。
    ある人は自分のホムペの中で、
    「麻雀において一般に言われるような『流れ』なるモノは存在しない」
    という意味のことを主張し、
    また別の人のホムペには、
    「いや、流れという目に見えないモノは確かに存在するのだ」
    という意味のことが書かれてある。
    どちらも、大変熱っぽい、麻雀が本当に好きなんだなと感心させらる、
    一読に値する、レベルの高い理論展開である。

    この相対する二つの意見、
    『流れ』なんてそんなモノないのだ、という意見、
    『流れ』は確かに存在するという意見、
    どちらが正論なのだろうか?

    あらまあーの意見を先に述べさせていただくならば、
    矛盾した言い方だと思われるのを覚悟の上で、・・・・・
    これはどちらも正しい。どちらも正論である。

    いや、もっとはっきり言えば、
    「麻雀において『流れ』というモノは、存在するのか、しないのか?」
    という二者択一論もしくは一元論的な論議は
    それ自体はさほど意味がない、と私は思っているのである。
    「あるのか、ないのか?!」ではなく、その前提として
    「今日現在、かなり広範囲な意味で
    言わば時には便利用語的に濫用(らんよう)されている
    『流れ』という
    広範囲の語義を持つと思われる曖昧(あいまい)な一つの表現があり、
    しかしそれは今のところ『流れ』と表現するしかないシロモノである』
    という事柄を、まず取っ掛かりとして認識してからでないと、
    問題のテーマとしての「本質」を見失うのではないか? 
    ということなのである。

    つまり、
    「あなた方が言うようなそんな『流れ』なんてオカルトであり、
    実際は存在しませんよ」
    というのも一理ある意見だし、
    「いや、麻雀には目に見えない『流れ』と表現されるところのモノは
    必ず存在するのだ」
    という意見も当然、理のある主張である。
    『流れ』なる表現が
    「何やら漠然とした、目には見えないがとにかく勝負事には存在する」
    という不確かなモノを指し示して言うのであるならば、
    これら二つの意見を、
    ことさらに二律背反(にりつはいはん)するものとして
    考えなくてもいいのではないか?
    というのが、あらまあー的な考え方であります。
    これは決して中立的意見という立場ではなく、
    『流れ』という表現がそれだけ広範囲に(もっと言えば大ざっぱに)、
    それでいて不確実に濫用されている、
    というところに原因があるのだ、と、そう考えている。

    ここでは、その前提で話を進めていく。


    {概念論として把握する場合の『流れ』}

    麻雀において、況(いわん)や勝負事において、
    「流れ」という何やらはっきりしない得体の知れないものが
    果たして本当にあるのだろうか?

    「流れ」というコトバは今日現在、
    プロ野球放送の解説でも、
    あるいは将棋・囲碁の対局解説においても、
    よく使用するところのものである。
    (ひとつの「表現」として使用されているものである)

    たとえば、いつぞやの横浜球場、横浜−巨人戦、
    8回表巨人の攻撃はツーアウトランナーなし。
    この回あとひとつのアウトを取り、9回も抑えれば、横浜の勝ちである。
    誰もがベイスターズの勝利を予感した直後のことだった。
    なんでもないショートゴロを石井琢郎がエラーする。
    ツーアウト、ランナー1塁。それでも、次の打者を討ち取ればチェンジ、
    得点差は3点、別にどうということのない場面である。
    ところがところが、なんとこのイニング、巨人は大量一挙10点を取り
    大逆転するのである。この時のテレビの解説者いわく、
    「ひとつのミスが大きく試合の『流れ』を変えてしまいましたねぇ〜」
    ということになる。

    また、囲碁・将棋などのテレビ対局でも、
    勝負の前半では必勝だったはずの棋士のほうが
    ちょっとした緩手または悪手を選択したことによって思わぬ逆襲に遭い
    終盤で逆転負けしてしまうような対局を、解説者が評して
    「前半と後半では盤面の『流れ』がガラッと変わりましたね〜〜」
    と表現する場合もある。
    たとえば将棋の場合でも、感想戦で対局を振り返って、
    「あの115手目の5・五桂が絶妙の手でしたね。あの手を機に、
    攻守ところを替えたと言うか、勝負の『流れ』が一変しましたね』
    などと対局解説者が表現したりする。

    それでは、このちょくちょく使われる『流れ』というシロモノは、
    いったい何なのだろうか?
    ということになる。

    たとえば、
    二三五八(4)(5)359西北發中 (ドラ:西)
    という手に、スコン・スコンと要所の牌をツモってくる。
    四マン、七マン、3ピン、4ソウと立て続けに引いてきて、
    二三四五七八(3)(4)(5)345西
    となる。ここへドラの西でもツモってくれば、打二マンで、
    三四五七八(3)(4)(5)345西西
    という三色出来合いの願ってもない手となる。このように
    ポンポンとカンチャンの牌をツモってきてすぐテンパイするような状態を、
    『ツモの流れがいい』などと言ったりする。

    また、ラス前(東風戦の東3局)で、34000点持ちの現在2着、
    トップだった40000点持ちのトップがラスにハネ満を放銃して
    自分が自動的にトップになり、オーラス(4局)を迎える。
    オーラスも軽い手が入り、難なくタンヤオピンフ手をモノにしてトップ!
    このような時にも、「ラッキー!自分にとって、いい流れだな〜」
    などとひそかに微笑んだりする。

    また、あるいは、
    二三四六六(3)(4)(5)23478 (ドラ:(2))
    こんな手で即リーチとはいかずに1巡まわす。すると、ドラの2ピンが来て、
    二三四六六(2)(3)(4)23478
    5ピンと手替わりして、リーチ! 1発で6ソウのほうをツモり、
    メンタンピン1発ツモ3色ドラ1で、倍満となる。
    こんな時も「うーーん、いい流れだ!」と心の中でニンマリしたりする。

    つまり、『流れ』という表現は、かなり広範囲の意味で
    使用されているのが現状である。
    前出のプロ野球解説のように「勝ち負けの趨勢(すうせい)」
    を『流れ』と称する場合もあれば、
    囲碁将棋の解説例のように
    実力もしくは気力の差から来る「局面の逆転」を
    「流れが変わった」と表現する場合もあれば、
    「展開の利」を『流れが良い』と表現する場合もあれば、
    「自分の思うように試合展開が進む場合」あるいは、
    「麻雀において自分の思ったようにあるいは期待通りに牌が来る状態」
    を『流れが良い』と言う場合もある。

    もっとぶっちゃけた言い方をすれば、かなり広範囲の意味で
    それでいてかなり曖昧(あいまい)な範囲で、
    濫用(らんよう)と言ってもいいほどに、
    『流れ』という表現が
    便利用語のように使用されている。
    それが現状のような気がする。

    つまり、ごくごく大ざっぱにまとめれば、
    「ツイている」・「自分にツキがある」
    という状態を
    『流れがいい』と一般的には表現しているのが通常であり、
    好むと好まざるとに関わらず
    そういう「表現」が日本語として存在する、
    というのが現実である。

    したがって、ここから話を進めていく上で、
    その前段階として、
    「麻雀において『流れ』というものはあるのか、ないのか?」
    という論議は、{前提}で述べたように、
    実は私にとってはそれ自体さして意味がないことなのである。
    つまり、麻雀というゲームにおいて
    「『流れ』なるモノはあるのか、ないのか?」 
    という二者択一論もしくは一元論ではなく、
    「『流れ』という表現がかなり広く曖昧な範囲で使われ、
    それが好むと好まざるとに関わらず、表現として今日存在している」
    ということを認めなくてはならない、と思う。

    以上の事柄を認識した上で、
    それでは・・・・・
    「『流れ』と表現されているモノが何を意味し、どういうケースで
    その表現が使われているのか?」、
    なおかつ、
    「ではそれはいったいどういうシロモノで、それを
    自分に有利に導くことが果たしてできるのであろうか?」
    と話が進んでいくことになる。

    『流れ』という表現がある意味必要以上に広義で使用され、
    またその使い方が余りにも安易に使われているにしても、
    そしてまた、前回の「結果論」のようにある意味「便利用語」的に
    氾濫した使用のされ方をしているにしても、
    『何やら目に見えないモノ』、
    『今日的には「流れ」と称するしか言いようのないモノ』
    の総体的な表現として、また一般的な言い方として、
    それは、厳然として存在するのである。
    (コトバの表現、すなわちレトリックとして存在するのである)
    麻雀が勝負事であり、
    「ツキ」という『何やら得体の知れない不確定要素』が存在する以上、
    そうした表現が存在するのも、また当然のことであろう。

    たとえば、その『流れ』という言い方を、
    「牌勢」やら「エネルギー」やら「パワー」やら、
    もっと端的に「ツキ」と呼び替えてみても、
    それらはいずれもひとつの「表現」であり、
    レトリックをどう変えたところで、
    「何やら目に見えない不確定要素」としての
    『流れ』と一般に表現されるところのモノは、
    厳然として存在するのである。

    いや、麻雀が勝負事である以上、
    不本意であろうとも「それが存在する」としか
    言いようがないのである。

    もし仮に麻雀に「ツキ」の要素というものはない、実力差しかない、
    と言うのであれば、
    麻雀の対局も、囲碁将棋のように、
    ビギナーが有段者と対戦した時はほとんど有段者が勝つことになる、
    という「結果」がもたらされなくてはならない。
    ところが囲碁将棋と比較した場合、麻雀においては、
    「必ず上級者がその試合に勝つ」という確率はきわめて低い。
    そこには必ず「ツキの流れ」というものが、存在するからである。
    以下は、あるプロの叙述である。
    『麻雀にはツキというものが必ず存在する。
    しかし、プロという看板を掲げている以上、
    負けた時の理由を、ツキがなかったから、とは
    決して口が裂けても言えない。
    それでも、ツキの波が自分に来ない試合では
    手もなくヒネられてしまうことがある。・・・・・・』

    さて、それでは、この『流れ』という厄介なシロモノ、
    今日現在『流れ』と表現されている何やら得体の知れないシロモノを、
    実戦上で自分の味方につけるにはどうしたらいいか?
    どうにかして自分に有利に利用できないものだろうか?
    というのが重要な問題になってくる。


    {実戦論として把握すべき場合の『流れ』}

    (1)

    第16期牌王位戦、
    準決勝を勝ち抜いて決勝に進めるのはわずか3人、という狭き門である。
    全3試合のうち2試合を終了した時点で、
    トータル・トップはあらまあーの96200、2位が雀麗さん84600、
    3位が出目徳さん75400、4位がアトレイユ2さん74100、
    以下、はまをさん、ナバさん、向台風さん、オハギさん、タンドンさん、
    ツカサさん、英ひでさん、ミーニャンさん、といった順位であった。

    第3戦、主催のひいいさんが発表したボーダーの試算は、
    今回小場のゲームが多かったことも手伝って、108000〜11万。
    トータル96200で最終戦を迎えた私は、このひいい氏の出した数字に
    さらに一万上乗せして、12万点を決勝勝ち残りのボーダーと決めて
    最後の一戦に挑んだ。12万をボーダーラインと決めたからには、
    96000トータルの私は、最終戦で持ち点が24000以上あれば、
    2確だろうが3確だろうが
    アガッて終了させるつもりでいた。

    われわれの18卓が最初に終了し、
    結果は、はまを氏がトップで67600。私は2着で26300であった。
    トータル140200のはまをさんはこの時点で当確、
    2戦までのトータルで2位だった雀麗さんと3位だった出目徳さんが
    それぞれ別卓で最終戦をおこなっているため星のツブシ合いはなく、
    したがって、トータル122500の私の決勝進出の成否は、
    以後のほかの卓の結果次第ということになった。

    まず19卓が終了し、なんとトータル8位だったオハギさん(ohagi88)が、
    6万点を越える大トップを取り、トータル107800点となり、
    いちやく勝ち残り候補に浮上、20卓の結果待ちとなった。

    ところがところが、20卓では19卓を上回る大異変が起きていた。
    なんと、道明寺司さんが72000点だいの大トップを取ったのである!
    あらまあーが勝ち残り候補最有力と見ていた
    向台風氏も、雀麗さんも、
    このツカサさんのパワーにはかなわなかったようで、
    両選手ともここで撃沈された格好となった。

    結局、2戦まででトータル10位だったツカサさんが
    ブッコ抜きで一気に3位に上がり、
    オハギさんの107800点をかわしてトータル117900で決勝進出!
    決勝進出メンバーは、ms1155王、はまを、あらまあー、道明寺司★
    の4名となった。

    さて、ここで注目すべきは、なんと言っても
    最終戦で大トップをモノにした道明寺司さんであろう。
    ツカサさんとはそれほど多くはないが、あらまあーも対戦したことがあり、
    やはり女性雀士特有の勝負強さと
    ツキ出したら止めようがなくなるほどのパワーを持っているプレイヤーだ。
    ややタイプは違うが、ボス0423さん、雀麗などに感じられる、女流特有の
    しぶとさ、勝負強さを持った雀士である。
    もちろん、それに裏打ちされたキャリアと実力を兼ね備えたのが
    aimamaさん、オハギさんクラスであるとすれば、
    まだその域までには達していないものの(失礼w)、
    潜在的に秘めたパワーがどこで炸裂するかわからない、
    どこで火がつくかわからない、という脅威感のある打ち手である。
    この大会の準決勝・最終戦においては、
    見事に彼女のその秘めたパワーが爆発した、ということであろう。
    そしてそれは、今回のテーマに沿って言い換えれば、
    「最終戦においては、ツカサさんにとって最高のツキの波が押し寄せた」
    ということになる。
    おそらくは本人も予期しなかった『心地よい爽快なツキの流れ』
    であったに違いない。

    それでは、この時のツカサさんのような『ツキの流れ』というものを、
    意図的に自分のものにする、
    という方法が果たして存在するのだろうか?


    (2)

    麻雀で絶対負けない人、というのはどんな人か?と考えてみた。
    麻雀をしない人!(爆!) これは当たり前である。
    麻雀をしなければ負けることもないからである。(≧∇≦)ノブハハハ!!
    では、・・・・・
    親なら必ず配牌でアガッていて(天和)、
    子供なら配牌でテンパイしていて第1ツモで必ずアガル人! 
    この人も麻雀は負けるはずがないであろうが、
    そんな人は現実にいるはずもなく、
    もしも、いたとしても、誰もやる相手がいなくなるだろうし、
    こういう人は生涯マージャンの手作りの楽しみを味わえない
    ということになる。いつも手作りする前にアガッてしまうのだから。・・・
    ある意味、不幸な人であろう。
    では、これならば、どうだろうか?
    「自分の不要牌を場に捨てても、
    それが必ず相手のアタリ牌にはならない人」
    これであれば、けっこうイケルかも知れない。
    オヤに早いリーチがかかろうが、誰かがドラをポンしようが、
    とにかく要らない牌をブンブン切っても相手にロンされることなく
    悠々と手作りを進めることができるのである。
    ほとんど「どんじゃら」感覚でゲームを進めることができるのである。

    ところで、このような「ばかヅキ状態」というのは
    決して絵に描いた餅ではなく、
    実戦でも、時たまこれに近いような状況になることがある。
    いわゆる『最高にツキの流れがいい状態』である。
    何を振ってもアタらず、結局は自分がアガッてしまう。
    ほかの3人は手も足も出ない、という状況があり得るのである。
    皆さんの中にも、そんな経験は何度かおありの方がいらっしゃると思う。
    そこで前項(1)の最後に掲げた質問になるのだが、
    『果たして、こうした最高のツキの流れを意図的に自分に呼び込み、
    さらにそれを常に維持させる方法が、あるのだろうか?』
    ということになる。

    結論を先に言ってしまえば、そんな方法などあるわけがない、
    というのが私の意見である。
    たとえネット上限定であろうとそんな方法を見つけ出した人がいたならば、
    その人のトップ率は優に70%〜80%にも達するであろう。
    J麻雀で言えば、たかだか勝率30%前後のプレイヤーが
    「麻雀のうまい人」と称される。
    勝率30%ということは、
    10回打って3回トップ! あとの7回は負けているのである。
    必勝法などというのはないのが麻雀。
    だからこそ面白い、という言い方もできる。

    ただし、今回のテーマである『流れの話』に則して言うならば、
    『なんとかツキの流れを自分に持って来る方法はないものだろうか?』
    と、古今東西の雀士たちが腐心し模索しているのが
    まさにこの点であることは、言うまでもない。

    リアルのマージャンにおいてでもそうであるが、
    なかなかの打ち手であると思わせる人ほど、
    あらゆる意味での『流れ』というものに敏感である。
    敏感と言うか、いわゆる「勝負事のアヤ」というものに対して
    とぎすまされた独特の感覚のアンテナを持っているものである。
    以下に、実例を挙げて説明していきたいと思う。


    (3)

    あらまあーもJや東風荘でネット麻雀を始めて以来、
    めっきりリアルで打つ回数が減った。
    エリカさんがどこぞのホムペに
    「最近はリアルが主体でネット麻雀のほうはややひかえている」
    という意味のことをお書きになっていたが、
    あらまあーはまったくその逆になってしまった。
    そこで以下に紹介するのは、もう半年くらい前のリアル対局である。

    浅草の雀荘、久々に昔のメンバーで打つことになった。
    Aさんはこのメンバーの中でもイケイケ麻雀を打つほうで、
    いつもカモにされていたが、最近はめっきり上達して調子もいいらしい。
    Bさんは大勝ちしないが大崩もしないという、大柄な体格に似合わず、
    腰の重いどっしりとした慎重な麻雀を打つタイプである。
    Cさんは、このメンバーの中では随一、
    プロアマ対抗の試合にも出場し勝ち抜いた経験のある打ち手で、
    あらまあーが最も警戒する相手である。
    「きょうは昔いじめられたリベンジだ!負けないぞ〜〜」
    と宣言したAさん、その言葉どおり、ハンチャン戦の1回戦と2回戦で
    連続トップ! 好調の滑り出しである。

    そして迎えた第3戦、私が出オヤとなった。
    (なお、手牌図は、記憶を頼りに書いたものなので、
    必ずしも正確ではなく、たぶんこんな感じだったという程度のものである)
    7巡目に私の手は、

    二四八八八(2)(2)(3)(4)(5)678 (ドラ:(6))
    となり、ヤミテンで回した。
    すぐに、1・2戦と絶好調だったトイメンのAさんから三マンが出て、ロン!
    オヤの門前タンヤオのみの2000点であったが、
    「くそおおお〜〜〜、リーチしとくんだったぁ!」
    とAさんは叫んで、自分の手牌を開いて見せたものである。
    その手は・・・・・

    四五六(6)(6)(6)(8)(8)22256
    と、なんと、ドラ6ピンがアンコの門前タンヤオ、4・7ソウ待ちだった。
    Aさんはこの手を早い巡目でテンパイし、
    ヤミテンで討ち取ってやろうと息を凝らしていたらしい。
    ところが問題は、、、、
    三四五(6)(6)(6)(8)(8)22256
    この手でテンパイしていたところを、
    六マンをツモってきて、手の内の三マンと入れ替えて、
    放銃してしまったのである。

    Aさんが「リーチしておくんだった」と嘆いたのは、
    つまり、リーチをかけておけば六と三を入れ替えることもなく、
    悔やまれる放銃もなかった、と、
    そういう意味である。
    この時、セミプロ級のCさんがボソッと、
    「このハンチャンは、松ちゃん(あらまあーのこと)を要警戒だな」
    こう言ったのである。
    このCさんの予言(?)が的中したわけではないが、
    この対局はそれから東場で、2000点程度の小競り合いのアガリが続き、
    南場に入ると私が、2600オール、1本場でオヤマンと、
    立て続けにツモあがりした。
    そしてオーラスも軽いタンヤオピンフ手を難なくツモあがりして、
    私がトップになったのである。
    私がトップになったことと東1のカン三マンのアガリに
    因果関係があるかどうかは、わからない。
    『流れ』というものが不確定要素である以上、
    ここで確定的な発言をすることは、差し控えたい。
    ただ、東1の私にカン三マンの和了が
    絶好調だったAさんのドラ爆弾の満貫手をツブしたことは事実であるし、
    上手(うわて)の打ち手であるCさんが私のそのアガリを見て、
    今回マークすべき相手は私である、と言ったのも事実である。

    ただ、ここで言えることは、Cさんのように実戦派の上手(うわて)は、
    『勝負事のアヤ』というか『ツキの流れの変わり目』というものに、
    非常に敏感である、ということである。
    それは実戦の試合数をこなすことによって得た独特の経験則であり、
    またそれによって鍛えられ培われ研ぎ澄まされた
    独特の嗅覚・アンテナによるものなのかも知れない。

    もう一例挙げておく。
    スカパーのテレビ対局などでオナジミの伊藤優孝プロの対局譜から。
    南3局(半荘戦)、現在21800で3位の南家・伊藤プロの手である。
    7巡目、以下の手牌になった。
    六七七(2)(3)(4)(5)(6)34578 (ドラ:3)
    この試合、配牌は悪くないのだがイーシャンテンで手がストップしてしまう
    という状況が続いていた伊藤氏、まだラス親があるということも手伝って
    ここでは目イッパイに手を広げた。
    普通なら六マンの代わりに
    字牌などの安全牌を持っていても良さそうなものだが、
    これまでの「後半に手が伸びない」という状態を考慮して、
    ここでは手を広げたのである。
    やがて、7ソウ引きの打8ソウ、
    六七七(2)(3)(4)(5)(6)34577
    次巡、上家から7ピンが出ると、ためらわずにチー、打七マンで、
    六七(2)(3)(4)34577 {チー}(5)(6)(7)
    五・八マンのテンパイに取った。
    すぐに八マンをツモ。伊藤氏が手を開くと、アガリ牌の八マンを見て
    上家のオヤが、思わず、(→o←)ゞあちゃー
    上家のオヤにはこんな手が入っていた。
    七九(1)(1)(7)(8)(9)789123
    な、な、なんと、ジュンチャン3色のカン八マン待ちである。
    伊藤氏はオヤッパネ6000オールの牌を食い取ってしまったのである。
    結果、オーラスで伊藤氏が連チャンし、逆転トップをモノにするのである。
    上記のような例は、『ツキの変わり目』という観点から見れば、
    非常にわかりやすい一例である。


    (4)

    週刊あらまあーでよく引用するコトバに「バイオリズム」というのがある。
    Biorhythm(バイオリズム)とは、本来、
    生物の環境活動に見られる『周期性』を指すものであり、
    転じて、人間個々の身体・感情・活動などの日常生活リズムの
    一定周期の変動を指してこう呼ぶものでもある。
    ここで引用される「バイオリズム」とは、
    「勝負事における個々の運気の流れの変動周期」と解釈してください。

    もちろん、ここで言う「勝負事の運気の変動周期」というモノに
    規則性・法則性をはっきりと見出せるはずもなく、
    正直、手探り状態であるのが事実である。

    あらまあーの言う「バイオリズム論」とは
    決してそんなにこむずかしいモノではなく、むしろ単純明快である。

    『麻雀というものは、
    どんなに正解手を打っても勝つことができない日もあれば、
    どんなにひどい悪手を打っても最後にはトップになれるという日もある。
    したがって、
    前者のようにバイオリズムのあまり良くない時期には対局数を減らし、
    後者のようにバイオリズム好調の時期には対局数を増やしていく。
    それが可能であれば、トップ率は見る見る上昇していくに違いない』

    ↑こんな単純な話である。
    じゃあ実際にそんなことができるのか? と言えば、答えも単純明快、
    「そんなコトができるわけはない!」というのが答えである。
    ヽ(^∇⌒*)キャハハハ☆(o_ _)ノ彡☆ばんばん!
    なぜなら、あらかじめ自分の今日のバイオリズムが良いか悪いか、
    判断する術(すべ)など、ないからである。
    できないコトをなんでわざわざ言うんだあ? と怒られそうだが、
    つまり、これは理想論なのである。
    しかし、理想論ではあっても、
    暗中模索の中から、何やらその取っ掛かりと言うか、
    糸口というものが発見できないものだろうか? と真剣に思っている。

    実例を挙げてみる。

    (A)あらまあーがかつて2期連続で牌王位戦決勝に出場した時の
    予選。この日は前前日まで不調であり、
    大会に出れる状態ではないと思えるくらい出来の悪い日が続いた。
    ところが前日の夜、もうあと2,3回打ってやめようと思った試合で
    2連勝し、何やら少し吹っ切れた感じがし、
    また、おぼろげながら上昇気運の予感さえもした。
    翌日、あらまあーは大会予選を3戦のうち2回トップで準決勝出場、
    準決勝でも3戦連続トップで、堂々1位で決勝に勝ち抜けた。

    (B)今期の牌王位戦、予選前日までは不調の日が続き、
    久々に出場する牌王位戦に不安感さえをも感じていた。
    ところが前日の深夜、やっと3回打って2回トップということがあり、
    ほんのわずかながら、上昇気運を感じた。
    翌日、あらまあーは予選、準決勝と勝ち抜き。決勝出場を果たした。

    (C)かつての牌王位戦の決勝前日、ミーコさんは不調で悩んでいた。
    あらまあーがミーコさんの卓に入っていくと、
    「この調子ではとてもじゃないが、明日の決勝が思いやられる」
    と嘆いていた。ところが、それからあらまあーと打って3連勝!
    「やっと気持ちよく寝れます」と言い残して去っていった。
    翌日の決勝、ミーコさんは女性初の牌王位の座に就いた。

    これら(A)(B)(C)の三つの事柄、
    (A)あらまあー不調ながらも前夜にやっと2連勝⇒翌日の大会、勝ち残り
    (B)あらまあー不調ながらも前夜に2勝⇒翌日の大会、勝ち残り
    (C)ミーコさん不調ながらも前夜に3連勝⇒翌日の決勝、優勝
    という結果から、
    何やらおぼろげながらではあるが、
    自己のバイオリズム把握のヒントがありそうな気がするのは、
    私だけであろうか?


    {最後に}

    思うに、麻雀の強い人というのは、
    囲碁・将棋に近いレベルの大局観を備えていて、
    なおかつ麻雀の持つバクチ性・勝負事性というものを
    じゅうぶんに理解した人ではないか? と思う。

    麻雀におけるバランス感覚とは、攻めと守りのバランスのみならず、
    囲碁・将棋に近い感覚の洞察力・推理力そして大局観を備えた上で
    麻雀のバクチ性というものを謙虚に認めて受け入れ、
    その上で攻める・引くのコンビネーション・ブロウの的確におこなえる人、
    そして「勝負事のアヤ」というものを熟知した人、
    これを一流の打ち手というのではないか? と思う。

    そして、そのライン上において、
    『流れ』という不確定要素をも味方につけることができれば
    鬼に金棒である。
    が、それは、「言うに易く行なうは難し」であろう。

    この『流れ』という厄介なシロモノをなんとか自分の有利に利用できるよう、
    皆さんも頑張ってください。
    もちろんこの私も日々努力を続けていきたいと思っています。


    {『流れ』の問題=2003年・6月24日、脱稿}

    ----------------------------------------------------------------------------

    閑話休題(かんわきゅうだい)


    RENさん連載終了!! お疲れ様


    RENさんの『おじさんバンド奮闘記』が連載を開始したのは、
    去年の11月の「週刊・13号」のことでした。・・・・・・・・
    _________________

    Jのプレイヤーの方々に「週刊あらまあー」への寄稿をお願いしてみよう、
    と思い立ちました。
     普段は麻雀を通してでしか互いを知らない者同士ですが、
    『そのプレイヤーの人となり』を
    その人の書いた文章から知ってみたい、
    と考え、
    まずは栄えある第1回は、RENさんにお願いしました。

    RENさんは世代的にあらまあーに近い人であるということ、
    Jゲーム随一の人格者であり紳士(?)である
    (まあ、そういうことにしといてください。w)ということ、
    そして音楽というジャンルを通して旧友と若き日の夢を追いかけている・・・
    言わば、あらまあーと同じ
    『永遠の青年』であるということ(爆!)、
    これらの理由から、
    あらまあーの独断で、彼にお願いしてみました。
    寄稿を快諾してくれたRENさんに心から感謝します。

    おじさんバンド奮闘記

    はじめに

     JGameの大先輩あらまあーさんと妙な取引をした。

    内容は明かせないが、私が投稿することで交渉が成立した。

     何を書こうか迷ったが、
    JGameの皆さんに何かとお世話になった
    バンド活動について触れることにする。
    取り敢えずは旧友との再会までを記してみる。


     何分、小心で気まぐれな性格ゆえ、罵声におののき、
    または気分が乗らずに
    第1回にして未完のまま最終回となることが
    十分にあり得ることを
    あらかじめご容赦いただきたい。(REN)・・・・・・
    ______________________


    これが、栄えある第1回の原稿「第1話・再会」の書き出しでした。
    あれからもう8か月が経過しました。
    長いようでアッという間だったような気がします。
    RENさん、ありがとう。そしてお疲れ様でした。

    「おじさんバンド・・・」のシリーズは、最初に短いエピソードがあり、
    それから閑話休題、という形で
    本文に入っていくというスタイルのもので、
    あらまあーもそのエピソードを読むのが毎回楽しみでした。
    そのいくつかを、ここにご紹介しましょう。

    _____________________

    この連載の第1回目を書く前のことだ。
    森山良子をはじめたくさんの歌手に愛唱されている

    「ざわわ ざわわ」で始まる名曲------------
    あの「さとうきび畑」を作詞作曲した寺島尚彦先生に
    仕事の関係でお会いした。

    この曲の誕生秘話は新聞や先生の著書で紹介されているが、
    ご存じのない方もおられると思うので
    簡単に触れてみたい。

     昭和39年に沖縄を訪れた寺島先生は、南部戦跡を案内される。
    そこで沖縄戦終焉の地・摩文仁(まぶに)の丘へと続く
    一面のさとうきび畑と出会う。
    先生が畑の中の路を歩いていると,案内の人が先生に言った。
    「この土の中に戦没者の遺骨が埋もれたままになっています」。
    それを聞いた先生は衝撃を覚え、
    決して忘れてはならない沖縄での悲惨な出来事を作品を
    作ることで伝えていきたい
    と考えられた。
    こうしてできたのが、
    あの「さとうきび畑」である。
    先生が語られた。
    「声に出した言葉は,左の耳から右の耳へと抜けてしまいがちになる。
    耳を通過する間に意味が変えられたり,尾ひれが付いて,
    正確に伝わらないこともある。
    文字は正確に伝わるが,読まなければ何も伝わらない。
    その点、歌は歌われさえすれば
    少なくとも風化することなく
    確かに残ってくれる」。

    「文字は正確に伝わる」、これは才に長けた先生ならではの言葉で、
    未熟な私にとって最も苦労するところだが、
    問題は「読まれなければ何も伝わらない」
    の部分である。
    書いても読まれなければ、ネット麻雀を我慢して費やした執筆時間も
    「週刊あらまあー」に載せていただく貴重なスペースも、
    すべて無駄となってしまう。

    では、読まれるにはどうしたいいか、
    私なりに考えてみた。
    私のできることは「書き出しの工夫と一気の勢い」しかないのではないか。

    先生の一言は、
    この連載を書く上で貴重な教訓となった反面、
    重いプレッシャーとなっている。

    (第3話『過去と今の連鎖』より)
    ______________________

    去年(2002年)の暮れのことである。
    総理官邸の赤坂側の隣にできたビルの地下で
    職場の忘年会を行った。
    このビルは今年の3月からNTTドコモの本社ビルになる。
    忘年会の会場となったお店の仲居さんが言った。
    「普通ですと、『店内では携帯電話はご遠慮下さい』
    となりますよね。ところがここでは違います。
    『携帯電話どうぞお使い下さい』です。
    何しろお客さまのほとんど全員がドコモさんの方ですから」。
     携帯電話が普及した近頃、至る所で
    「携帯電話の電源をお切り下さい」
    という文句をよく耳にするが、ここだけは違うようだ。
    郷に入っては郷に従え、ということだろうか。
    ドコモの本社ビルと思えばもっともなことであるが、
    この日の我々のように
    ドコモ以外の人間も自由に利用できる店である。
    このビルの中では一般的な非常識が常識に、
    常識が非常識に逆転するのだ。
     総理官邸の霞が関側の隣には内閣府本府がある。
    この庁舎が総理府本府の時によく出入りしたが、
    1階のエレベーターの側にたばこの自動販売機が置いてあった。
    そのコインの投入口に
    「新500円玉は使えません」
    と表示してある。
    世間の自動販売機とまったく逆だ。
    玄関前で面倒な入場手続きを踏んでまで
    悪さする人もいないということなのだろうが、
    世間の馴染みとは異なる役所の風を感じた。
    総理官邸を挟んだ官と民の小さな世相雑感である。
    (第4話『小さな思い出の復活』より)
    ______________________

     去年(2001年)の10月、職場の旅行で八甲田、
    奥入瀬、十和田の紅葉を楽しんだ。
    若い頃は何も感じなかった紅葉だが、
    この年になって見事な風景を目の当たりにして、
    その美しさに心が洗われた。
    貸し切りのジャンボタクシーで弘前に移動すると
    面白い光景を目にした。
    信号待ちの交差点でタクシーがとまった時のことである。
    歩行者信号が青になったのに、
    自転車に跨った年輩の方が
    目の前の横断歩道を横切る自動車に邪魔されて
    なかなか横断歩道を渡れない。
    「あらら、あれはひどいね」
    私が言うとタクシーの運転手が言った。
    「弘前では自動車優先なんですよ。
    歩行者のために止まろうものなら
    後ろの車からブーブーやられてそれは大変です」。
    これは驚いた。
    交通法規に明記されているかどうかは知らないが、
    歩行者優先はどこでも当たり前のことだと思っていた。
    自動車教習所でもそのように教わった。
    私が路上の卒業試験を受けた時のことだ。
    「次の交差点を左折しなさい」
    助手席の教官に言われ車を左に寄せて減速した。
    すると、歩道に私の教習車よりやや遅いスピードで並行する
    自転車があった。
    微妙なタイミングになったが、
    そのまま左折体勢に入り交差点に差し掛かると、
    その自転車は私の教習車に遮られ横断歩道の手前で止まった。
    教官が言った。
    「今の自転車に気づかなかったのですか?」
    「まずい…」
    私は咄嗟に答えた。
    「自転車と車の速度を考えました。
    交差点でハンドルを左に回したときに
    歩行者信号が青の点滅になったのでそのまま曲がりました」。
    もちろん嘘である。ひやひやしながらバックミラーを見ると
    自転車はそのまま止まって信号が変わっていた。
    「あなたは本当にそこまで確認したのですか?」
    「はい」。
    この一言が効いて路上試験は一度で通った。
    弘前ではこの場合どうなるのだろうか。
    そんなことを考えながらタクシー運転手の話を聞いた。
    地域独自の文化や習慣はどこにでもある。
    しかし、知らずに対応すると身を危険に置きかねない
    交通マナーだけは全国共通であって欲しいものだ。
    五十路に一つ近づいたおじさんバンドの一員の
    他愛もない独り言である。
    (第五話『いざライブ!』より)
    _____________________


    なお、本文の中では、あらまあーが個人的にいちばん好きなのは、
    以下のくだりであります。
    『さすがにこの年になると買うとなれば本物でなければ納得できない。
    エレキを物色する目は自然とギブソンとフェンダーを追いかけていた。
    「どうぞ音を出して弾いてみて下さい」、
    店員に声をかけられた。
    恥ずかしくてとても音など出せよう筈もない。
    ギターには25年ぶりに触れるのだ。
    まずは自分の技量を正確に把握することが先決だ。
    私は客と店員から見えない所を探して、
    こっそりとエレキに触れてみた。
    エレキと言えばハイコード(フレットの高いポジションで押さえるコード)と
    ハイポジションである。
    ハイポジションのアドリブなどできる筈もない。
    取り敢えずは5フレットのAコードを押さえてみた。
    するとどうだろう、まったく音が出ないのだ。
    何しろ25年ぶりだ。
    ある程度は予想していた。
    気を取り直してローコード(初心者が最初に覚えるコードの押さえ方)
    を試すことにした。
    Cコード、やはり音が出ない。
    まさか。Dコード、え、やっぱり出ないぞ。
    焦りながらも冷静に原因を分析した。
    1弦を押さえた指が微妙に2弦に触れている。
    この25年間で体だけではなく指までもが太ってしまったのか。
    25年振りにギターを持った体は、当時より25キロも太っていた。
    「25年振りのギター」に「25キロの体重増」。
    1年に1キロの年輪を刻んだ、
    と考えれば大したことないのかもしれないが、
    「25年」に「25キロ」。
    いかに解釈を操作したところで
    不名誉からの脱却が不可能な語呂合わせである。』
    (第二話・「悪戦苦闘の楽器店通い」より)

    いかにもRENさんらしい軽妙な表現ですよね。

    さて、8か月にわたって連載してきた「おじさんバンド奮闘記」も、
    いよいよ今回が終了となりました。
    RENさん、本当にお疲れ様、そして、ありがとう!

    ____________________________

    野球狂集合!
    阪神タイガース今年の強さの秘密

    遅ればせながら、
    「週刊あらまあー」の『野球狂掲示版』を盛り上げてくださった
    陰の管理人・雀帝大先生(w)に、
    この場を借りまして、
    心からの御礼を述べさせていただきます。

    m(_ _)m アリガトォ雀帝さん〜〜〜

    さて、阪神タイガースの今年の強さの秘密を
    あらまあーの目から見れば、
    やはり補強した戦力が揃って活躍しているという点、
    さらに、若手が伸びて実力をつけてきたという点、
    この2点に尽きるのではないでしょうか?

    前者の代表が、
    金本、伊良部、そして去年の屈辱から今年は発奮した片岡であり、
    またウィリアムスであるのは言うまでもないことでしょう。
    そして後者の代表が、赤星、藤本、そして浜中であるのです。

    はっきり言います! 
    いまの阪神に死角はありません。
    ですから、ここに言っておきましょう。

    阪神、優勝、おめでとう〜〜〜!

    これでもしも優勝逃したらショックも大きいだろうなぁ〜〜(-。-)ぼそっ
    (≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜(≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜(≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜

    ____________________________

    知ってますか?
    OLって昔はBGと言ったのです

    東京オリンピック(1964年開催)が近づいていた日本国のお話である。
    当時、日本では会社勤めをする女性のこと(現在のOLのこと)を、
    BGと言った。
    BGとは、ビジネスガールのこと。モチロン和製英語である。
    ところが東京オリンピック開催間近の中、
    英会話ブームが高まり、
    やがて、重大な問題が生じてきた。
    なんと、ビジネスガールというのは、
    アチラでは「商売女」つまり「娼婦」を意味する、ということが
    明らかになったのである。
    社会は騒然となり、
    天下のNHKは
    早々と「BG」という語句を放送禁止用語にしてしまった。
    さあ大変!どうしよ〜〜??

    そこで当時(1962〜63年当時)女性に人気のあった週刊誌
    『週刊女性』『女性セブン』などが音頭を取って、
    「BG」に替わるコトバを一般から募集した。
    WG=ワーキングガール、OG=オフィスガール BL=ビジネスレディ
    など、いくつかの候補に搾られ、
    さらにそこからアンケートを取り、その結果、
    多数の支持を得た「OL=オフィスレディ」が、
    BGに替わるコトバとして、やっとのこと決定したのである。

    したがって、昭和38年(=1963、東京オリンピックの1年前)
    以前の日本映画(とくに若い世代むけの青春映画など)では、
    『彼女、丸の内でBGしてるんだってさ〜』
    などという若い人たちの会話のセリフが見られるが、
    これ以降は、BGという表現はおおやけの場所から消えていく。
    替わってその座にはやがて「OL」が就くことになるのである。

    コトバというものは時代とともに変わっていく、と言ってしまえば
    話はそれまでである。
    昔ヅカガール今タカラジェンヌの例もあるが、
    日本で初めてオリンピックが開催されるということで
    国民全体が沸いていたムードの中、
    わが国にやって来る外国客の皆さんに失礼がないように、と、
    これだけいいオトナたちが知恵をしぼって
    新しい和製英語を考え、決定したという例も珍しい。

    でも・・・・・・
    「BG=ビジネス・ガール」⇒「OL=オフィス・レディ」って、
    これ進歩したんかなぁ?^^;
    (;^_^A アセアセ・・・
    なんとも微妙な感覚ではある。。

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    大会報告

    第1回「巨人ー阪神オープン戦」麻雀大会
    (主催:Bear510 元気181)

    ▼ 実施日…6月2日(月) PM1:00開始。場所9ロビ。


    ▼ 各回の対戦組合せ&結果(敬称略)

    セット名 序盤戦 中盤戦 後半戦
    攻防回数 1回の攻防 2回の攻防 3回の攻防 4回の攻防 5回の攻防 6回の攻防 7
    回の攻防 8回の攻防 9回の攻防
    使用卓 18卓 19卓 20卓 18卓 19卓 20卓 18卓 17卓 16卓
    巨人 元気181
    grupoo yasu516
    BOUBO mienyan
    あらまあー 元気181
    grupoo yasu516
    BOUBO mienyan
    あらまあー mienyan
    あらまあー yasu516
    BOUBO 元気181
    grupoo
    11得点 6得点 7得点 1得点 4得点 3得点 2得点 3得点 3得点
    阪神 Y_Ichida
    いんてる (σ∵ ̄;)
    ウルフ金串 Barbie0403
    Bear510 (σ∵ ̄;)
    ウルフ金串 Barbie0403
    Bear510 Y_Ichida
    いんてる (σ∵ ̄;)
    ウルフ金串 Y_Ichida
    いんてる Barbie0403
    Bear510
    2得点 2得点 1得点 7得点 4得点 5得点 6得点 5得点 5得点


    ※1回の攻防の巨人の11得点は、 grupooさんの役満によるボーナス得点が含ま
    れています。
    ※4回の攻防の巨人の1得点は、元気181さん&grupooさん同時落ちのため、そ
    れぞれ0.5打点ずつで計算されています。
    ※5回の攻防は、Bear510&BOUBOさん同時落ちのため、それぞれ0.5打点ずつで
    計算されています。また、-自動-の暴走?のため、Barbie0403さん&yasu516さん
    に、それぞれ3.5打点ずつで計算されています。

    最終結果「巨人40点−37点阪神」で、

    見事に巨人の勝利!!!

    ___________________________

    第4回
    チームJ・ハンゲ麻雀大会 
    (主催:そあらuz31)
    結果発表

    優勝 あらまあー

    準優勝 そあらuz31

    3位  ふくねこ

    ダントツでの、あらまあー選手の優勝!!
    今回はσ(゜▽゜)までもが決勝入りだったので、
    気がひけましたw
    第一戦から、ダントツやったから、
    手がつけられませんw
    次回は、まだ、
    入賞してない方たちに期待したいですね(・o・)
    第6回は、7月上旬開催予定です。 
    参加くださった皆様、本当にお疲れ様でした。 
    そあら
    _____________________

    第16期・牌王位戦、予選・準決勝

    【予選合計】

    予選第1戦合計 予選第2戦合計 予選第3戦合計  
    1 向台風 67900 ohagi88 126800 ohagi88 181600 準決勝進出
    2 アトレイユ2 63000 アトレイユ2 95800 アトレイユ2 161800 準決勝
    進出
    3 ohagi88 60700 道明寺 司★ 94100 mienyan 126100 準決勝進出
    4 出目徳 60300 出目徳 91200 向台風 117800 準決勝進出
    5 mienyan 49000 向台風 90600 道明寺 司★ 117700 準決勝進出
    6 雀麗 37000 あらまあー 73400 雀麗 116400 準決勝進出
    7 y-tu 36200 mienyan 69700 出目徳 107700 準決勝進出
    8 道明寺 司★ 32900 y-tu 66800 英ひで 102300 準決勝進出
    9 any 31500 トモー 61800 あらまあー 96600 準決勝進出
    10 雀帝 27900 雀麗 56700 y-tu 93800  
    11 英ひで 25000 any 55700 any 86500  
    12 正樹^^ 25000 雀帝 53700 トモー 82400  
    13 あらまあー 25000 s.yamane 48800 雀帝 75300  
    14 s.yamane 19400 Bear510 48600 Bear510 68600  
    15 satokim 18100 英ひで 44600 s.yamane 58200  
    16 ipo-3 14100 ipo-3 31500 ipo-3 50000  
    17 ミーコ 9400 ミーコ 31000 ミーコ 43600  
    18 トモー 8400 正樹^^ 28200 satokim 42700  
    19 Bear510 -5000 satokim 18400 正樹^^ 40200  
    20 雀くん -5800 雀くん 11600 雀くん 28700  

    【準決勝合計】

      準決勝第1戦合計 準決勝第2戦合計 準決勝第3戦合計  
    1 あらまあー 49700 あらまあー 96200 はまを 140200 決勝進出
    2 はまを 49600 雀麗 84600 あらまあー 122500 決勝進出
    3 アトレイユ2 48800 出目徳 75400 道明寺 司★ 117900 決勝進出
    4 @naba 27700 アトレイユ2 74100 ohagi88 107800  
    5 雀麗 27400 はまを 72600 出目徳 96300  
    6 英ひで 25200 @naba 52100 アトレイユ2 90000  
    7 道明寺 司★ 25000 向台風 48500 雀麗 89400  
    8 向台風 24700 ohagi88 46200 tandon777 70200  
    9 ohagi88 23500 tandon777 45900 @naba 67700  
    10 出目徳 22200 道明寺 司★ 45800 向台風 67300  
    11 tandon777 21000 英ひで 40400 mienyan 60100  
    12 mienyan 15200 mienyan 38200 英ひで 51600  

    今回はσ(゜予選の、特に第1戦と第2戦が荒れただけに、
    準決勝も荒れるかと思いましたが、
    予想は当たらず、
    準決勝第1戦は、どの卓も僅差接戦となりました。

     このような僅差接戦では小場を制する者が勝ちます。
    準決勝第1戦、18卓ははまをさんが29600点で逃げます。
    同卓4位の出目徳さんが22200点でした。
    19卓ではアトレイユ2さんが28800点でトップ。
    4位のtandon777さんが21000点。
    20卓ではあらまあーさんが29700点でトップ。
    というこれだけ僅差、すべて2万点台でトップを制する、
    というスタートになりました。

     予選の方は観戦していなかったのですが、
    準決勝の方は観戦していました。
    立直をかけたらまず出ないような堅い雰囲気が感じられました。

     第2戦も、小場は続きました。
    18卓では出目徳さんがトップ、19卓では雀麗さんがトップ、
    20卓ではあらまあーさんがトップを取り、
    トータルでは、1位あらまあーさん、2位雀麗さん、3位出目徳さん、
    4位アトレイユ2さん、5位はまをさん、となりました。

     第3戦、勝負をしかけたはまをさんが見事に大きなトップを得て、
    トータル1位に躍り出ました。
    トータル2位は堅調に点数を守ったあらまあーさん、
    第2戦までトータル10位でしたが第3戦で図った大きなトップを得て
    3位に食い込む大まくりを見せたのは、道明寺 司★さんでした。
    ohagi88さんは一歩及ばず、準決勝敗退となってしまいました。
    それに次ぐ出目徳さん、アトレイユ2さんも惜しかったです。
     第16期牌王位戦予選・準決勝リーグ(水無月杯)を制したのは、
    はまをさん。
     準優勝はあらまあーさん、3位が道明寺 司★さんでした。
     ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆おめでとう☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆。
     3名の方は、決勝戦進出となり、
    また、次回の牌王位戦の準決勝シード権を得ます。

     はまをさんとあらまあーさんは決勝経験者、
    道明寺 司★さんは牌王位戦の決勝戦初体験です。

     決勝戦で待ちかまえるのは、現牌王位@ms1155王(第15期)です。

     新たなる顔ぶれでの、決勝戦、とても楽しみです。▽゜)ま
    (主催ひいいさんの総評)
    ___________________________

    あらまあーから、いくつかの新しい大会について

    ちょうど1年ちょっと前くらいでしょうか?
    ここJゲームでは「大会ブーム」があり、ほとんど毎土曜か日曜には
    大会がおこなわれているという現象があり、
    プレイヤーたちも大会にはやや食傷気味でウンザリ、
    といった時期がありました。
    しかしJユーザーたちも次の新世代のプレイヤーたちが順調に育ち、
    ボス0423さんやひとみjackさんBear510さんなどを始めとする方々が
    次々と大会を開催したことは記憶に新しいところですね。
    ここのところへ来て、ふたたびJにおける(第2期)大会ブームが
    巻き起こっている、といっても過言ではないでしょう。
    この6月にも、前半にはBear510さん元気181さん主催の
    「巨人阪神対抗戦」があり、そこから新企画として「12球団対抗戦」
    が現在検討されています。
    と同時に従来からある定期大会、
    Jでは最もメジャーなタイトル戦であるひいいさんの牌王位戦や
    ダイしんちゃんの大会なども、
    順調に回を重ねています。
    また後半には、Jパーティがあり、
    うたかたさんのMJ杯と牌王位戦とが同日開催され、
    この6月後半から7月上旬にかけても、
    6−26「つばめ倶楽部VS薔薇バラ倶楽部・対抗戦」
    6−28「牌王位戦決勝」
    7−5「MJ杯(第2予選)」
    7−6「J−フレンド杯」(1975takaさん主催)
    と、日程が目白押し状態であります。
    また7月上旬にはそあらさんの第6回ハンゲ麻雀大会も計画されており、
    まさに大会ブームといった観は否めないところですね。
    これらの大会について興味のある方はそれぞれの主催者の
    ホームページをご参考になってください。ちなみに、
    牌王位戦⇒ひいいさん主催「ひいいの麻雀研究」
    MJ杯⇒うたかたさん主催「うたかたの宿」
    J−フレンド杯⇒1975takaさん主催「J Friend Room」
    となっています。
    また「薔薇バラ倶楽部」の情報は主催のBear510さんのホムペを、
    「つばめ倶楽部」情報はひとみqueenさんのホムペを、
    それぞれご参照になさってください。

    いずれも『週刊あらまあー』にリンクがあります。↓
    http://homepage3.nifty.com/aramaa/

    トップページの左側のメニューから、
    「10」のリンク集をクリックして、各々のHPにお進みください。

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    おじさんバンド奮闘記(最終回)

    第7話 「拡がり続ける仲間の輪(後編)」

    Jgameユーザーとおじさんバンドの距離を
    ぐっと身近にした功労者が
    きしぼん(ハンドルネーム=kishibojin)である。

    第1回ライブが終わってしばらく経ったある深夜,
    Jgameで,たまたまきしぼんと麻雀をする機会があった。
    きしぼんがミュージシャンであることは,
    Jgameユーザーのさくらママから聞いて知っていたが,
    卓を囲んだのはこの時が初めてだった。

    「RENのバンドはどんな曲をやっているの?」
    「今度(第2回)のライブでは,こんな曲をやるよ」

    私は麻雀テーブルのチャットに演奏曲のリストを貼り付けた。

    「おおおおおおお」

    懐かしい曲の数々にきしぼんが歓声をあげた。

    「メンバーはどんな人たち?」
    「高校時代に組んでいたバンドの仲間たちがメインで,
    職業はバラバラ。
    レコード会社の人もいれば,医者や自営の人たちもいる。
    やりたい,って人はみんな入れちゃうから,
    全部で20人くらいはいるかな。
    親子や夫婦で参加している人たちもいるよ」
    「楽しそー。おいらも参加したい」

    きしぼんはプロミュージシャンである。
    「参加したい」とは言ってくれたものの,
    話の勢いということもある。
    私は実際におじさんバンドを見てもらった上で,
    きしぼんの気持ちを確かめようと考え,
    ライブに招待することにした。

     昨年(2002年)の第2回ライブには,
    Jgameから15人のユーザーが応援に駆けつけてくれた。
    開場前にライブハウスの入り口で涼んでいると,
    ミーコさんたち一行に混じって,
    長身で若風の出で立ちのきしぼんがいた。
    きしぼんは,かつては大手レコード会社に
    所属していたことがある。
    現在は新宿などの店でミュージックチャージを取って
    演奏しているプロバンドのヴォーカリストである。
    音楽分野はラテン音楽で,
    アルバムはすべてオリジナルが収められている。
    おじさんバンドの印象はまずまずだった。
    楽しさだけは十分に伝わったようだ。
    そこで,
    今度は私がきしぼんバンドのライブに行ってみることにした。

    きしぼんバンドが演奏する店は,
    新宿の西口の駅から5〜6分ほどの距離にある。
    広すぎず狭すぎず,落ち着いた雰囲気の南米料理店である。
    お目当てバンドの演奏日に合わせて来店する客が
    ほとんどのようだ。
    裾を折り返したジーンズとTシャツ姿をエプロンで覆い,
    いかにも打たれ強そうなボクサータイプといった風貌の
    ウエイターが,店内を小走り動き回り注文を取っている。

    きしぼんバンドは予想どおり素晴らしかった。
    きしぼんの歌声は澄んでいて美しい。
    ソロは言うまでもなく,
    ハーモニーも女性ヴォーカルの声に見事に溶け込んで,
    心地よく耳の奥に響いてくる。
    きしぼんの実力を目の当たりにして不安になった私は
    確かめてみた。
    「本当にうちのバンドに参加するの?」
    「ええ,やってみようと思って。よろしくお願いします」

    私はきしぼんのことをメンバーに話し,
    きしぼんライブのツアーを呼びかけた。
    するとジョー,山ちゃん,シゲ,オカコの4人が
    応じてくれた。
    「うまい。さすがにお金を取るだけのことはある。いえーい」
    酒が入るにつれてジョーがノッてきた。
    「うまいなぁ。本当に参加してくれるの?」
    山ちゃんが不安そうに言う。
    「ラテン音楽ってバリエーションがあって面白いですね」
    シゲが感心する。
    きしぼんは演奏の合間の空き時間に私達の席に来て,
    メンバーたちと雑談を交わしながら
    おじさんバンドへの参加を約束した。
    こうしてきしぼんがメンバーに加わった。

     きしぼんの加入が転機となって,
    メンバー構成が劇的に展開し,
    メンバー間の新しい繋がりも生まれた。
    その代表的なのが,きしぼんバンドとコツとの出会いである。
    きしぼんバンドは,
    制作中だった2枚目のCDのレコーディング作業が
    大詰めを迎えていた。
    時間に関係なく仕上げ作業に打ち込める録音スタジオを
    探していたのだ。
    おじさんバンドに加わったのは,ちょうどそんな時だった。
    それを知った私は,
    自宅の地下をスタジオにしているコツのことを話してみた。
    すると,即座にきしぼんが反応し,
    スタジオの使用を申し入れた。
    コツスタを使うようになってから,
    滞っていた2枚目のCD制作が一挙に加速した。
    何度となく行われたコツスタでのレコーディングが実を結び,
    待望のきしぼんバンド(Navios)のセカンドアルバム
    “Sol”が3月23日に完成した。

    アルバムを見せてもらうと,
    表紙にコツも写っているではないか。
    アルバムの帯には
    「国分寺コツスタジオ」のクレジットまである。
    私はアルバム完成のお祝いを兼ねて,
    コツ,ナリジ,エーちゃんと,きしぼんバンドの
    「ニューアルバム完成記念ライブ」に顔を出した。
    きしぼんバンドの面々とコツが
    嬉しそうに会話を交わしている。

    「アルバム完成の打ち上げはウチ(コツ宅)でやろう」
    「私の手料理を披露するわ」
    「コツさんは6人目のメンバーです」

    コツはきしぼんバンドの身内となった。
    人間関係の拡がりに思わず表情が和む。
    それにしても,適当に付けた「コツスタ」が
    アルバムに印刷される固有名詞になってしまうとは……。
    もう少しマシな名前を考えれば良かったと反省している。

     きしぼんが練習に参加するようになった頃から,
    ジョーの長年の夢が叶うようになる。
    念願のブラスセクションの相次ぐ加入だ。
    はじめにナリジが
    早稲田大学時代のジャズクラブの仲間に呼びかけて,
    トリちゃんがトランペット担当としてメンバーに加わった。
    トリちゃんは後に編成されるブラス部の中心的存在で,
    ブラスセクションのとりまとめとブラス譜起こしを
    担うことになる。

    ジョーの娘さんのリカちゃんが,
    友達のイリアちゃんの家で
    第2回ライブ映像のネット配信を見ていると,
    「楽しそう,お父さんも参加したら?」
    家族に薦められ,
    トガちゃんがアルトサックスとフルート担当として
    メンバーに加わった。
    トガちゃんは,「原信夫とシャープス&フラッツ」
    の一員としてテレビの歌番組などで活躍していた
    元プロミュージシャンである。
    現在は,都心で雑炊の専門店を経営している。
    10年ほど前,近所の会社に勤めていたエーちゃんが
    偶然にも常連客だったという。
    先日エーちゃんと店に行ってこのことを話してみた。
    すると,トガちゃんはエーちゃんの顔を見つめながら
    首をかしげた。
    サイレントが売りのエーちゃんは,
    10年前も店の空気に同化して,
    トガちゃんの記憶の中で透過しているようだ。
    トガちゃんのお店は,バンドメンバーの集まりや
    Jgameユーザーのオフ会などで利用させていただいている。

    ブラスセクションの充実を相談していたある時,
    きしぼんから携帯にメールが入った。
    「おいらの同級生で,
    高校時代のバンド仲間の子供が
    高校でブラス部に入っていたそうです。
    誘ってみましょうか?」
    きしぼんの口利きで,
    親友・タッちゃんの娘さんのミワコちゃんが
    トロンボーン担当としてメンバーに加わった。
    さらにミワコちゃんの誘いで,
    同級生のムトウちゃん(テナーサックス)と,
    サカイちゃん(アルトサックス)も加わった。
    この二十歳トリオは,
    高校のブラス部で大きなコンクールに出場しては
    優秀な成績を残していた強者達である。
    ジョーが恋こがれたブラス部がついに編成された。

     プロヴォーカリストきしぼんの加入で,
    これまでヴォーカルを担当していた山ちゃんのことが
    気になっていたが,
    どうして,どうして。
    きしぼんの参加に刺激を受けた山ちゃんは,
    きしぼんをはじめメンバーのアドバイスに
    積極的に耳を傾ける一方で,
    進んでヴォイストレーニングに通い,
    ヴォーカルテクニックの向上に努めだした。
    きしぼんの加入がいい方向に作用したのだ。

    一昨年の第1回ライブで
    リードヴォーカルを務めた親父の勇姿に仰天し,
    すっかり洗脳されてバンド遊びまで始めだした
    山ちゃんの息子のケータローも,
    はちきれんばかりの若さ爆発,
    高音域シャウト専門ヴォーカルとして
    ライブに参加することになった。
    ケータローが歌うビートルズの「Birthday」と
    「Oh!Darlin’」は,極端にキーが高い。
    練習でも声が出たり,出なかったりの一発勝負状態だ。
    心配したメンバーが
    何度となくメールで山ちゃんを通じてたしなめた。
    「無理をしないでキーを下げたら?
    ケータローに言ってみてよ。喉をつぶしても大変だから」
    当のケータローは一向に聞き入れない。
    「キーを下げるんなら,
    パパやきしぼんさんが歌ったらいいじゃないか。
    ぼくなんかよりずっとうまいんだから」
    「山ちゃん,いい若者じゃないか。気持ちいいねえ」
    ナリジのレスに思わず表情がゆるんだ。

    ある練習後の飲み会でジョーがきしぼんに言った。
    「ミワコちゃんのお父さんも
    昔一緒のバンドで歌っていたんでしょ?
    きしぼん,誘ってあげなきゃ。
    娘も参加しているし,絶対やりたいはずだぜ」
    ジョーは,きしぼんに潜む気持ちを察して
    背中を押してあげたのかもしれない。
    その後すぐにタッちゃんがヴォーカルとコーラス担当として
    メンバーに加わった。

    今年の第3回ライブの演奏曲は,すでに20曲を超えている。
    曲数減らしに苦慮していたジョーからメールが入った。
    「トガちゃんの娘さんのイリアちゃんが
    『もらい泣き』を歌いたいそうだ。
    ほかならぬトガちゃんの娘さんだ。みんな,よろしく」

    イリアちゃんがヴォーカルとコーラス担当で
    メンバーに加わった。
    ジョー,ナリジ,山ちゃん,タッちゃんに続いて
    5組目の親子参加となる。

    第1回のライブに応援に来てくれた
    小・中学校時代の同級生の娘さん・りょうちゃんも,
    きしぼんの参加と時を同じくして,
    コーラス担当として加わった。
    りょうちゃんは,高校生でメンバー最年少である。
    一気に充実したヴォーカル陣の取りまとめ役を
    きしぼんが担うことになった。
    こうして,部長きしぼんが率いるコーラス部が編成された。

     また一方で,Jgameで親しくさせていただいている
    篠芙さんとの繋がりが縁で,
    娘さんのリオちゃんがコード譜起こしと
    ブラス譜のアレンジで協力してくれることになった。
    芸大の4年に在学するリオちゃんは強力な助っ人である。
    私はリオちゃんを仲間に引き込もうと考え,
    ライブの出演を誘ってみた。
    「キーボードで参加しない?」
    最初は固辞していたリオちゃんだが,
    コード譜起こしを手伝ううちにメンバーともすっかり馴染み,
    またコツの後押しも功を奏して,
    難しいキーボード曲の専門奏者として
    ライブに参加することになった。

     作曲科で学ぶリオちゃんは,
    映画音楽の作曲家を目指している。
    50本を超える映画の音楽プロデューサーを務めたナリジと,
    音響の仕事をしているコツは,
    バンド活動を離れてもリオちゃんの良きアドバイザーである。

    「この前作った曲を今度は悲しい響きにアレンジしてごらん」
    ナリジから課題が出され,リオちゃんがチャレンジする。
    「新しい曲ができたので送りましょうか?」
    リオちゃんは新作ができるとメンバーに知らせてくれる。
    私はリオちゃんの軽快な作品が大好きだ。

    「もう1本ペットがあるといいんだけど」
    トリちゃんの希望もあって,
    ペット部門の補強に乗り出した。
    ミワコちゃんに高校時代のブラス部仲間を当たってもらったが,
    それぞれの活動で目一杯のようだ。
    「芸大ならいるんじゃない?」
    スタジオ代の清算の時,
    冗談まじりでジョーの耳元で囁くと,
    ジョーがスピーカーになってリオちゃんに伝えた。
    「芸大でペットやってくれる人,誰かいないかな?」
    「うーん,いないことはないと思いますが。探してみますか?」

    何日か経って,リオちゃんから朗報が届いた。
    リオちゃんは大学のペットの部屋に
    手書きのチラシを貼ってくれたのだ。
    チラシを見た2年生のチヒロちゃんが
    ライブに助っ人として参加してくれることになった。
    何と芸大生が2名も
    おじさんバンドに参加してくれることになった。

    5月4日,初めて練習に参加したチヒロちゃんの演奏は,
    素人の私が聞いても素晴らしかった。
    トリちゃんに聞くと,チヒロちゃんの演奏が「正道」らしい。

    「トリちゃんの演奏は『邪道』なのか……」
    勝手に納得して頷いた。

    この日の練習の後で,
    チヒロちゃんとイリヤちゃんの歓迎飲み会を開いた。
    その席できしぼんが聞いた。
    「チヒロちゃん,何で参加しようと思ったの?」
    「はい,楽しそうだなぁって思いました」
    次の瞬間,チヒロちゃんは,
    リオちゃんが作ったチラシをカバンから取り出し,
    両手で広げて皆に見せてくれた。
    「おおおお,見せて,見せて」
    「えええ,ちょっと待って下さい。
    変なこと書いてないかしら……」
    「7月21日にライブをやります。
    30歳から40歳のおじさんたちがメインで
    たくさんの人たちが出演します。
    楽しいと思います。一緒に参加しませんか」
    カラフルに彩られたチラシには,
    可愛いシールが所々に貼られていた。
    あれなら誰でも参加したくなってしまうだろう。
    チラシを見たきしぼんが言った。
    「金ちゃん,金ちゃん,30歳の金ちゃんも
    これでおじさんってことが証明されたね!」

    京大法学部出身の金ちゃんは,
    ナリジの会社の法務部に勤めている。
    ナリジは,社内バンドを作ろうとしていた金ちゃんを
    第2回ライブに誘った。
    この時の「面白そうですね」の一言が縁になって
    メンバーに加わった。
    ぽっちゃりとしていつも笑顔の金ちゃんは,
    年に似合わず70〜80年代の音楽がお気に入りだ。
    四人囃子のファンであることを知ったコツが,
    ライブチケットを手配してあげた。
    コツのチケットはゲスト用で,
    ライブ後の立食パーティーと,
    メンバーの打ち上げまで同席できたそうである。
    金ちゃんは舞い上がった。
    「BOφWYやGLAYをプロデュースした佐久間正英さん,
    日本のデビッド・ギルモアといわれた伝説のギターリスト
    森園勝敏さん,
    凄いドラマーの岡井大二さん,
    凄いキーボーディスト坂下秀実さん,
    オリジナルメンバーのベーシスト中村真一さんのメンバー
    全員にサイン・握手・お話など
    していただいちゃったりしました」
    興奮さめやらぬ金ちゃんからメールが届いたが,
    最初の佐久間氏,森園氏に比べ,
    あとの3人の形容が「凄い」というわりには,
    すごく感じないのは私だけだろうか。

    最近,ミワコちゃんの妹さんの同級生・コータ君が
    練習の見学にスタジオを訪れた。
    すると,ジョーが言った。
    「コータ君,“ヨーロッパ”叩いてみない?」
    「え,リズム音痴のぼくはジョーとのアイコンタクトで
    修正しながらギターを弾いているんだよ。
    人が代わると弾けないよ……」
    私の不安を余所にジョーはコータ君に
    “ヨーロッパ”のドラムを委ねてしまった。
    ケータロー,りょうちゃんに続いて
    3人目の高校生・コータ君がメンバーに加わった。

     ほかのバンドには無いおじさんバンド特有の
    ユニークなセクションが,楽器を持たず歌わない
    「特殊部隊」の存在である。
    去年のライブが終わると,
    自宅サーバを開設しているJgameユーザーのイナちゃん
    (ハンドル名=いなだ)が,
    ライブ映像をネットで配信してくれた。
    さらにバンドのホームページまで厚意で立ち上げてくれた。
    お礼を申し出ても
    「楽しませていただいていますから」
    と頑なに拒むイナちゃんを私は仲間にしようと考えた。
    メンバーに紹介すると全員快く受け入てくれた。

    こうして,コツの音響班に続いて
    イナちゃんのIT班が編成された。
    音響班とIT班を総称して「特殊部隊」という。
    IT班の設置は,
    おじさんバンドに産業革命ならぬバンド革命をもたらした。
    練習内容を振り返るには,録音を確かめるのが一番効果的だ。
    しかし,録音データは20分の演奏を圧縮しても
    優に40MBを超えてしまい,
    とてもメールなどでは送信することができない。
    いなちゃんが
    自宅サーバのFTPを提供してくれたことによって,
    その日の練習がその日のうちに各自の自宅PCで
    確認できるようになった。
    さらにいなちゃんは,バンド活動を離れても
    クリーニング店を営むジョーのホームページ作り,
    きしぼんの自宅PCのトラブル,
    シゲの自宅PCのADSL接続,
    ナリジの自宅PCのネットワークトラブルなどに,
    気持ちよく出向いて解決に努めてくれた。
    イナちゃん大活躍である。
    また,私の兄がこの5月10日から始めた
    ローズ・カフェのホームページ作りにも
    積極的に協力してくれている。

    昨年からは,デザインの仕事をしているエーちゃんが
    カメラマンのマスミに声をかけて,
    一緒に仕事をするようになった。
    エーちゃんは,自宅外壁塗装の塗り替えを,
    塗装工務店を経営する山ちゃんに頼んだそうだ。
    さらに,エーちゃんの紹介で,
    コツがCM制作のプレゼンテーションを手がけることになり,
    その音楽収録にきしぼんとイリアちゃんが参加するなど,
    エーちゃんが核となって
    メンバー間の仕事の輪も拡がりつつある。

     子供たち憧れの音楽業界,映画業界で活躍し,
    ITのベンチャービジネスで成功を収めているナリジは,
    高校の広報委員を務めているJgameユーザー・
    ミーコさんの取材の申し出を快く引き受けてくれた。
    また,きしぼんバンドのニューアルバムが,
    ナリジの会社のインディーズ部門(indiesmusic.com)で
    販売される日も近づいている。

     ジョーの不可解な年賀状から始まったおじさんバンドは,
    今年で4年目を迎えた。
    当初ジョー,ナリジ,ショーゾー,私
    の4人でスタートしたメンバーは,
    27人に増殖した。
    年齢層は16歳から61歳まで。親子5組,夫婦1組を数える。
    夫婦あり,親子あり,兄弟あり,同級生あり,
    ネット仲間あり,会社関係あり,子供の友だちあり,
    その他何でもありのありありである。
    今年で3回目となるライブは,
    恒例の年中行事として定着しつつある。
    Jgameから50人近い人が来るのでは,との話もある。
    今度はどんな出会いが待っているのか,
    どんな繋がりが生まれるのか。
    社会は人によって築かれている。
    小さな集まりにすぎないおじさんバンドだが,
    時間のブランク,プロとアマ,ネットと実生活,
    職業,世代,すべての壁を超えて豊かな人間関係が
    展開している。
    波紋のように拡がり続ける仲間の輪に
    人生の面白さを感じずにはいられない。

    最高の時間を共有している
    最高の仲間たちに
    感謝の意を込めて声高らかに叫びたい。
    おじさんバンド万歳,家族万歳,そして,友だち万歳。

     最後に2003年3月26日,
    The Loose & Beatホームページの掲示板に
    意を決して書き込んでくれたこのエッセイの影の主役・
    ジョーの言葉を紹介して
    この連載を終えることにする。


    Jgameの皆様,初めまして。
    「おじさんバンド奮闘記」でおなじみのジョーです。
    RENの名誉と,
    昔と違って仕事柄か,異常に謙虚になったことに
    敬意を表して
    書かせてもらいます。
    RENと初めて会ったのは高校時代ですが,
    「奮闘記」にあるとおり,確かに当初はわたしの方が,
    ギターがうまかったかも知れません。
    が,あっという間に追い越されて
    手の届かない所に行ってしまいました。
    「おお,こいつこそ天才だ!!」と思ったものです。
    例を上げれば,
    わたしが何度聴いてもコピーできない音を
    あっという間にコピーしたり,
    ピアノを習った事ないのに,
    何時の間にかピアノが弾けるようになっていたり,
    早いフレーズ(ギターです)を弾いているのに,
    手は早く動いてなかったり
    (俗に言う
    エリック・クラプトンのスローハンドってやつです。
    ライブ時にはRENの手元に注目!
    未だに当時の片鱗は伺えます)。
    もったいないことに,奮闘記にも書いてある通り,
    努力するのがあまり好きではないようで,
    高校時代を最後に音楽やめてしまいました。
    あのままやっていて精進すれば,
    いっぱしのプロになっていたでしょう!
    野球に例えると分かりやすいかと思いますので,
    さすがに松井,イチロークラスまでは
    行かないかも知れませんが,
    わたしのドラムが
    高校野球の地区予選の1,2回戦で負けるクラスだとすると,
    RENは本人の努力次第では
    プロの1軍クラスまでは行けたのではないかと思われます。
    お〜もったいない,もったいない^^
    高校時代はわたしがよく怒られていましたが,
    今では長年のブランクにより,
    すっかり立場が逆転してしまいました(^^;
    本物の野球でも彼は相当凄かったらしく,
    プレイは見た記憶ありませんが,
    良く自慢されました(今の謙虚さからは考えられない)。
    重ね重ねもったいない!
    今ではすっかり普通のおじさんになってしまいました。
    でも,相変わらず耳は良いです(音のコピーの事です)。
    てな訳で,みなさんRENの応援よろしくお願いします!
    乱文にて失礼しました……。
                  (完)


     ジョーありがとう。

    良い機会を与えて下さったあらまあーさん,
    長い間お付き合い下さった下さった
    「週刊あらまあー」の愛読者の皆さま,
    本当にありがとうございました。
                       REN

    _________________________

    RENさん本当にお疲れ様でした。
    思えばRENさんがこのJへ来た最初の頃、
    よく画面がバグっていて「南と西の表示が逆に出る」なんて
    嘆いていましたよね。あれがまるで昨日のことのようです。
    RENさんの連載は去年の11月にスタートし、
    この6月をもって終了ということになりました。
    8ヶ月におよぶ連載、本当にありがとうございました。

    最後に、この「最終回」を2回に分けて掲載するにあたって
    RENさんとかわした打ち合わせのメールのやりとりの一部を
    ここに紹介し、RENさんへのねぎらいの言葉に花を添えたいと
    思っています。

    {あらまあーからRENへ}
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    閑話休題、余談になりますが、
    今回RENさんに連載を依頼し快諾を受け、
    お忙しい中、原稿を書いてくださったこと、心から感謝しています。
    と同時に、
    RENさんに頼んで良かった、これは絶対正解だった、と、
    われながら、RENさんに白羽の矢を立てたことに、大満足しています。
    もうひとつ言わせて戴ければ、
    RENさんの書いたものを読ませて戴いて、
    この私、大変勉強になった、というのが偽りのない本音なのです。
    RENさんとJゲームで同時期にゲームをしていたという運命に
    大袈裟ではなく、感謝している、というのが今の率直な実感です。

    個人的に、ここで改めて御礼を述べておきたいと思います。
    RENさん、どうもありがとう。
    そして、これからもよろしくお願いします。

    違う時代に生まれていたら大文豪となっていたかも知れぬ盟友へ
                  永遠の青年・あらまあー こと 松本英明


    {RENからあらまあーへ(返信)}
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    あはは^^;;
    ちょっと過大評価していただいちゃって照れています^^;;
    こちらこそ大変いい機会に恵まれました。
    本当にありがとうございました^^

    折角ですので、このエッセイ全編を印刷製本して、
    それにメンバー紹介や演奏曲の案内なども加え、
    記念パンフのようにして、
    当日会場で500円くらいで販売しようかという計画が出ています。
    Jgameユーザーは遠くからいらっしゃる方が多いので、
    私からプレゼントさせていただければと考えています。
    まだ計画の段階ですが^^

    RENさん本当にお疲れ、そして、ありがとう!
    ライブのほうも頑張ってください。期待しています!

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    最新トップ率ランキング・BEST30
    (6月26日早朝現在・ランカー対象)

    1位:shotglass    33.32
    2位:としかお     31.63
    3位:持杉ドラ夫   31.57
    4位:ひいい      31.04
    5位:あらまあー    30.61
    6位:狂虎       30.38
    7位:うたた姫     30.22
    8位:ThunderV    29.92
    9位:benz200     29.89
    10位:越前雀     29.87

    11位:HIRO184   29.87
    12位:Mariのパパ   29.85
    13位:コナン2世    29.77
    14位:ms1155     29.55
    15位:雀鬼一号    29.32
    16位:じじうさぎ     29.20
    17位:しゅしゅあ。    29.18
    18位:はまを      29.08
    19位:usagi000     29.03
    20位:s.yamane    28.95

    21位:手裏剣 28.93
    22位:満貫堂     28.89
    23位:向台風     28.87
    24位:3ちゃん     28.86
    25位:けんかんとう   28.63
    26位:飯田橋     28.61
    27位:kishibojin    28.58
    28位:tomochan1   28.54
    29位:pichikoro    28.50
    30位:kyay       28.38
    ____________________
    以下、・・・・・
    31位:aimama      28.27
    32位:tsugu200166   28.25
    33位:geogeo27     28.19

    ・・・・・・と続いております。

    なお、たれちゃん♪、ナバ(naba@)両氏は、現在ランクアウト中ですが、
    たれちゃん(推定33%)ナバ(推定31%)と、
    どちらも潜在ベスト10ランカーであります。

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    編集後記

    Jユーザーの皆さんの中にはもうすでにご存じの方も多いかと思いますが、
    「おじさんバンド・・・」の著者として、また長い間J麻雀の人気者として、
    あるいはJサイトきっての紳士・人格者として親しまれてきたRENさんが、
    今月、そのハンドルを削除されました。
    「RENはもうやめにして新しいハンドルでいきたいと思います」
    という趣旨の報告をメッセで戴き、実はあらまあーも一瞬驚いたのですが、
    それもまたRENさんの選んだ道、今後も頑張ってほしいと心から思います。
    RENさん、新HNになっても、よろしくね〜〜!^^

    『週刊あらまあー』ホムペはこの4月下旬に開設されましたが、
    はやもう2か月が経過しました。
    予想以上のご来館者の皆様、ありがとうございます。m(_ _)m ペコリッ
    新コーナーも続々と誕生し、
    雀帝さんが影の管理人となった「野球狂集合」や、
    群龍さんDOTOCHINさんの「競馬狂(万馬券を当てよう)」コーナー、
    また好評「クイズ・アラマアーネア」や「大会告知専用掲示版」など、
    盛り沢山となりました。今後の維持管理が大変ですが。。
    (;▼▼A アセアセ・・・
    これからも、メール版ともども、よろしくお願いいたします。

    それから、二つほど、お断わりしておく事柄があります。
    ひとつ目は、今回「月間データ・ランキング」休みます。
    次号「週刊あらまあー20」にて、『上半期のJデータを検証する』
    というテーマで、今年度1月1日から6月末日までの推移を
    検証しようかと思っています。
    もうひとつ、「週刊あらまあー」7月は夏休みをとらせていただき、
    次号は8月上旬〜中旬(あくまで予定w)に配信させていただきます。

    最後に、ひとつ、訂正があります。

    トヨタのヤスさん、burubon6さん、mienyanさん、
    倉木麻衣さん、道明寺司★さん、ボス0423さん、
    kirara☆さん、えみりん☆さん、ミーコさん、
    mequmi444さん、☆ゆきの☆さん、ひとみqueenさん、
    ふくねこさん、みきさん、チポりんさん、雀麗さん、
    その他の皆さん、〜〜〜〜〜〜!!
    ゴメンナサイ!^^;m(_ _)m
    先日配信した『初級者版あらまあー第2部・得点計算編』の中に
    一部記述に誤りがありました。
    以下の通り訂正させていただきます。

    訂正箇所は、・・・・・

    {第6章}まずは麻雀史の観点から
    麻雀の点数の仕組みの基本を語ってみよう
    の、・・・・・・
    (30符と40符の場合の得点計算について)
    の項目の中の、・・・・40符のツモあがりのところで、
    一二三七八九(9)(9)(9)56779 {ツモあがり:8}
    上図は間違いです。正しくは、・・・・・・
    一二三七八九(9)(9)(9)6679 {ツモあがり:8}
    これが正解です。申し訳ありませんでした。m(_ _)m
    HPでアップする時点では正しく直しておきます。^^;

    さて、じめじめとした梅雨が去れば、いよいよ本格的な夏到来です。
    次回は、おそらくカンカンと日の照るクソ暑い中、(爆!)
    「週刊あらまあー20号」でお会いしましょう。
    (*⌒∇⌒*)ノ::・’゜☆。.::・’゜★マタネー♪

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    週刊あらまあー創刊号からのバック・ナンバー、および最新号まで、
    ひいいさんのホームページで見ることができます。
    また麻雀を基礎からきちんと覚えたいというビギナーの方にも、
    このHP「ひいいの麻雀研究」はお勧めです。↓
    http://www.ix3.jp/hiii/

    {第19号・『流れ』の問題=2003年6月26日初版配信}

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