ひいいの麻雀研究

 エリカエッセイ集

 エリカさんが当HPの掲示板に連載で書いたエッセイをここにまとめます。
 

    エリカエッセイ 集1 2002年を振り返って

     エリカ(旧HN:エリカ18、現HN:エリカ19)さんが、当HPの掲示板に連載で書いているエッセイを、エリカさんの快諾を得て、ここにまとめて掲載します。

     エリカさんのプロフィールを簡単にご紹介します。
     19歳、女性、東京在住、大学生。
     3歳からセブンブリッジを覚え、小学生の時に英国に留学し、セブンブリッジの世界大会にも参加しました。天性の動態視力の才能と、たゆまぬ努力により、シャッフルしたカードを言い当てることができ、セブンブリッジでの勝率は7割だそうです。セブンブリッジを教えてくれた亡き叔父を師と仰ぎます。
     2002年9月より麻雀を覚え、セブンブリッジで会得した勝負勘を武器に急成長します。
     このエッセイは類い稀れなる才能を持つエリカさんの、麻雀を通して、また、大事故や大会を通しての苦難と葛藤と成長の物語です。


     文章は、私ひいいが、適宜改行を入れたり、句読点を直したり、牌画化したり、一部誤字訂正しました。

     続編:エリカエッセイ集2「歌舞伎町番外地」


    1542   なんだろう、、放心状態、、大会を終えて、、。
    2002/12/22 01:14
       くやしいじょーー、、こんなにくやしいのは、ひさしぶりだよ、、ばぐってるときに、しもちゃ、ふたりのすてはいが、みえなかったとき、おやばい、つもったとき、あるかんせんしゃに、詐欺的つもだって、いわれたいらいだよ、、あのひとは、ぜったいに、ゆるさないけど、今回も、あたしの、力不足にゆるせないよ、、。
     どうすれば、いいのか、もっと、研究するよ。主催者のかたがた、参加者の皆様、ありえりか。18歳のいい思い出になったことに、感謝しまーす。

    【ひいい注】
     これは、エリカさんが初めての麻雀大会(第11期牌王位戦師走杯)に敗れた後の投稿です。この次から、連載が始まりました。
     「2002年を振り返って、、、」の全34回のエッセーです。


    1577   2002を、振り返って、、第1回『出会いと別れ』
    2002/12/28 13:56
       あたしがこのサイトを知ったのは、PCをさわって1週間ぐらいたってから、たまたま見つけた。麻雀がどんなゲームなのか何も知らなかったけど、それを生業にしているおにいちゃんの存在があったから、本を買って勉強しだしたのが、9月1日。
     ほぼ10日間でルールを覚え、R(ロビー:ひいい注)をまわって、最初のメンツを探した。
     どうせなら、かわったHNがいいとおもったから、kishibojinという名を見つけたとき、なぜか、ときめきを感じ、そのテーブルにすべりこんだ。いいぺいこうがなくと役にならないことをおそわった。それから、片っ端から各t(テーブル:ひいい注)にはいってうった。
     3Rで、REGUさんに出会った。とても親切な人で、いろんなことを教わった。やさしいだけじゃなく、打ち方にもきれがあるなあ、と直感的に思った。きれというのは、あたしはずっと3歳から7ブリッジをやってたから、ゲーム上での独特な切り方、そのセンスは何回か遊べば、すぐ分かった。
     むじかさん、だるまさん、たかぱちさん、あひるさん、Kakaさん、六太郎侍さん、a_suさん、ももぱんださん、キャラメルさん、ロンさんらと出会い、あたし流を見つけようと、必死になって打ち続けた。
     100ptにさしかかったとき、1000ptをすくなくとも2か月以内に成し遂げようと目標を作った。そうすれば、きっとうまくなれると思ったことと、ランキング入りしてお兄ちゃんに自慢したかった。
     打ってるときはチャットはしなかったけど(余裕がなかった)、終わるとチャットのおもしろさにはまって、麻雀とはまた別の感慨があることを知った。
     REGUさんは、よくヴァーチャルの世界だからリアルとは異世界だといっていたけど、ネットにも血はかよってると心底思った。
     しもちゃ、ふたりのほーが、みえないばぐにやられて、打つことができなくなったとき、PAANさんが他のRで試してみようと、連れていってくれたときは、涙が出るほど嬉しかった。むじかさんもふくめて、関西人は東京ののりとは、ずいぶん違うことも知った。でも、もーぱいさんやKISHIさんの、懐の深さにもまだまだ、東京だってすてたものじゃない! っておもったけど、、。
     そうして、あっという間に1か月が過ぎ、トップ2に侍さん(六太郎侍:ひいい注)のなまえがのった。あたしは、あたしのことのようにちょううれしくて、侍さんを見つけるやおめでとうを言ったら、なぜか浮かない様子だった。
     どうしたの? ってきくと、ここをやめることにした、プーの生活から脱皮すると、衝撃的な発言が返ってきてびっくりだった。ここで麻雀をしてていても食べれないしな、僕は芸人になる夢もあるから、、、。
     侍さんがとても繊細な人だということはわかっていたけど、話を突き進めていくうちに、楽しい麻雀と楽しくない麻雀が、侍さんのなかでははっきりと分かれていることを知った。それを他のいい方に置き換えれば、楽しい生活と楽しくない生活になるんだろう。そのころのあたしにでも、おぼろげながらわかったことは、侍さんは真剣勝負麻雀につかれちゃったんだろうなあ、と思った。
     侍さんは、あたしに、強くなりたいなら1Rにいかなくちゃ、といった。あそこには、魑魅魍魎どもがうようよしてるよ、、、あたしは侍さんの敵討ちでもするかのように、より強い相手を探して、3Rから旅立った。しかし、あたしを待っていたものは、麻雀の強さうまさではなく、あたしの人生観をかえる衝撃的な出来事だった。to be continued


    1586   2002年を振り返って、、第2回『青天の霹靂』
    2002/12/30 08:00
       人はいつでも迷っていると思う。どんな時代の人も、どんなに優れている人も、迷いながら決断を下していったと思う。それが吉と出るか凶と出るかは、紙一重の時の流れに左右されたにちがいない。

     あたしが小学校2年生の時、あたしの家は戦場だった。8つ上のお兄ちゃんが暴れだした。家族には手を出さなかったけど、すさまじい暴力で家の窓ガラスを割り、教頭先生の腕を刺し、友人の鎖骨を砕いた。退学処分、家裁へと送られ、少年院送りは見送られたものの、それでも暴力は衰えず、チーマーのリーダーとなって、新宿界隈でお兄ちゃんを知らない者はいないほど、全身が刃と化した。
     超有名進学校のお兄ちゃんが狂気化した理由は、親友の裏切りと受験システムの欺瞞性に抵抗していると母からきいたが、幼いあたしにはこの変貌ぶりは理解できず、また、お姉ちゃんもお兄ちゃんに同調するように、その美しさを利用して援交の世界に身をひたし、高級車に乗ったおじさん連中が送り迎えする生活に溺れていた。
     父も母もそれぞれの仕事が忙しく、二人の家政婦さんと二人の家庭教師に家をまかしている。ほったらかしだ! わずか9歳とはいえ、あたしはこんな家が大嫌いだった。あたしはこの家を出ようと決心した。ある出版社の主催で行われた7ブリッジの小学生部門での優勝をきっかけに、いつかヨーロッパ選手権に出場したいと考えていたあたしは、留学したいことを両親に告げた。両親は気の強いあたしの性格を察知して、すんなりと受け入れてくれた。この席であたしはこうも言った。「留学できないなら、高層ビルから飛び下りる!」これは口からのでまかせじゃなくて、あたしの覚悟だったと今でも思う。
     それからの3年間、あたしは異国での寮生活をへて、7ブリッジにかぎらず、生きていくには知恵と愛情と勇気が必要なことを覚え、どんなことにも果敢に攻める、仮につまづいても、すぐ立ち上がるあたしが生まれたと思う。

     10月20日、1Rで、もーぱいさんらと打っている時、配牌で三元牌が全て暗刻で来た。そして数巡後に5ぴん頭の1、4わんまちとなった。
        【ひいい挿入】
     オーラス、トップとの差は2万点強、場には4ワンが一枚だけみえている。逆転役満だとわくわくしていると、5ぴんが来て暗刻になった。
        自摸: 【ひいい挿入】
     まだ8巡目、あがったことのない四暗刻単騎だと決断し、3わんをきってドキドキしていると、6ぴんが来た。
        自摸: 【ひいい挿入】
    これでいい、4、6、7の三面待ち、やすめでも大三元!
        【ひいい挿入】
     すると、対面が4ぴんを暗かん、あっと思ったけど、逆に出やすいかもと目を光らせていると、9ぴんが来た。
        自摸: 【ひいい挿入】
     場に8ピンが2枚、9ピンも、一枚きれている。2枚のドラは、両方ともそうず。あたしはこのひっかけリーチは成功するだろうと、6ぴんを切ってリーチをかけた。
        【ひいい挿入】
     四暗刻大三元単騎、心臓が爆発寸前で待っていると、対面も追っかけリーチ。ヤバいよと思った矢先、1わんをつかみ、リーチそく三暗刻ドラ5に放銃した。待ちは、奇しくも1、4わんだった。がっくりして1Rを去り、3RにいたREGUさんらにしくっちゃったと今の心情を伝えると、欲張ったなと誰かにいわれた。
     あたしは放心状態のまま、それでも、もうすぐ500ptになるので打ち続け、400戦目を何戦か打ったことのある、たかッチさんと小学校6年生のhimaxjp君と打ち、そして、休憩している時にさっきの単騎待ちの話をした。
     この時、たかッチさんは、何か似たような話をされていたが、あたしはメインに出入りする人に挨拶をしていたので、上の空だった。もう一度、打つことになって始めると、たかッチさんがリーチをかけてきた。おやのあたしはべたおりを避けたかったので、たかッチさんのほーに捨てられていた3、9わんをたよりに、6わんのあたまおとしに出た。
     そして、それは、とおった。結局、場は流れ、たかッチさんの手牌をみると、ぎょっとなった。かん6わんの待ち、それも、567の三色だった。えええ!!!
     あたしは、急速に今さっきの休憩中に話されていた、たかッチさんの言葉を思い出した。僕は、昔、麻雀で生計を立てていた。今は普通の仕事をしている。麻雀が好きでねー、ここに来て遊んでいる。ただ、僕は僕を律するために僕だけのルールを作った。だまではあがらない、ひっかけもしない。仮にひっかけになったとしても、あたりはしない。つもるだけさ、、。
     あたしは、あたまのなかでは、ゲームでの出来事、他人の考え方の一例と理解しながらも、あたしのほくそえんでいたひっかけ6ぴんぎりと、あがらなかった6わんの差に仰天し、たちまち心臓も体も震えだし、止めどなく溢れ出る涙にうずくまった。
     あたしって誰だろう? あたしは、いつからこんな風に生きるようになったんだろう? あかつきの青くなった空を、きらめく涙を呪い、泣き叫んだ。それから、1週間、あたしは麻雀はもちろん、学校も食事もできないまま、過ごすことになる。to be continued


    1605   2002年を振り返って、、第3回『暗中模索』
    2003/01/01 21:30
       イギリスに留学して3年目、11歳のあたしは7ブリッジのヨーロッパ選手権 予選会場の最終卓にいた。イギリス国内からの参加者、3700人から4人までしぼられ、枠は2人。優勝か準で、パリの本大会への出場権を得られる。
     3歳から、うちこんできた7。下手な人がカードをシャッフルすれば、どこに何があるかあたしには、一目瞭然だ。動態視力も自信がある。ここのサイトでは好きな賽の目を出すこともできる。あたしは1000人以上の観衆を、ぐるりと見回した時、昨年のチャンピオン、ピーター伯爵が話し掛けてきた。「おじょうちゃん、極東はるばる、ご足労だったね。これも縁だから、いい話をプレゼントしよう。gentlemanなる言葉の由来をね。なーに、勘違いしてもらっては困るからだ。紳士とは、我々貴族階級が催す社交パーティでの、ダンスの不得手な人物、、それが本来の意味だった。つまり、ただの数合わせだ。わかるかね、おじょうちゃん、手段を選ばないトリッキーな勝負ごとの世界では、紳士なぞ、何の役も立たない。ここは戦場なんだよ。わたしは30年この戦場で戦ってきたことを誇りにしているんだよ。おじょうちゃん、わたしのいってる意味がわかるかね?」
     あたしは、キッと睨み付け、最速でカードを左手から、右手、右手から、左手へと、空中シャッフルし、ハートの3、スペードの2、とめくる前に告げ、20枚ほど全て言い当て、そして「時代はかわる、今まで、先頭に立ってきた者が一番最後に回る。あたしは、今日、それを伝えにきたんだ。」ピーター伯爵の顔つきがかわった。、、、、、、、
     3日目の暗闇の中で、ピーターとの壮絶な戦いを思い返した。少しでも怯んだら、あの戦いはできなかった。そう思っても、まだ、涙腺は壊れたままだ。

     あの日、気が動転していたあたしは、PAANさんから聞いていたRENさんに、メールを送り相談した。RENさんはこう言った。「ひっかけは、全然卑怯な手じゃない。ひっかけで、待ちを作り、それを見破るところにも、麻雀の楽しさがある」また、「麻雀は暇つぶしでやっているよ。真剣にやるときって、としかおと打つときぐらいなんだ」
     kishiさんからもメールが来た。「人の物事に対するポリシーや価値観は多種多様。本来、ゲームっていうのは、優劣が付く、ルールに反さなければ何をやっても文句を言えない性格の遊び。人間だって、法律すれすれの間で葛藤しながら生きている。僕だって人を裏切りたくないけど、家族や恋人を守るためだったら、目をつぶって法を犯すかもしれない。」
     ほかにも、むじかさん、Kakaさん、REGUさん、a_suさん、たかぱちさん、だるまさん、himaxjpくんから励まされ、あたしは暗闇から這い上がろうと、歯を食いしばった。でも、何かが足りなかった。、、、、。
     あたしは、いつもリーチをかけるとき、あるおまじないをかけている。リーチだけが持つ不思議な力。だって、「あたしは、てんぱいしました!」と叫ぶのは、この役と裸単騎だけ。この宣言する特殊な役割を持った役に、あたしは勝つぞ、まくるぞ、引き離すぞ!と、強い意志を込める。あの四暗刻大三元単騎リーチも、あたしのその瞬間に出せる力を100%出し切っている。宣言イコール決意のあかし。
     しかし、他人の考え方とはいえ、ひっかけでは、人から当たらない方法論は、あたしの思考回路をたたき壊した。信じられない潔さと感じた。それに比べて、あたしは卑劣だ。ひっかけが卑怯な手じゃないことは、あたしなりに雀友との対話でつかんだ。けれども、筋を利用して相手の当たり牌を誘うことでしか、ダブル役満を完成させようとしなかったあたしが、余りにも幼いと思った。強い人はたとえ3枚目でも切らない、地獄待ちなどにはひっかからない、筋ひっかけなんか、論外だ!  と言っている。あたしには、あたし流が全くなかった。ここが悲しみの根源だ。虚しい。あたしという名ばかりのあたし、、、。
     5日目、何か食べなきゃ死んじゃうなと思い、ジュースとパンを一枚おしこんだが、メンタルショックは大きかった。すぐ、もどしてしまった。母がみかねて医者を呼んだ。青白く痩せ細ったあたしは、点滴を受けた。「どこもわるくない。失恋でもしたか?」とドクターは言った。あたしは軽くうなづいた。勝負事の神様に失恋したんだなあーと思った。、、、、。
     7日目、あたしの部屋を誰かがノックした。あたしはふらふらと扉を開けると、お兄ちゃんが入ってきた。「なに?」ときくと、「バカヤロウ! 心配かけやがって!」と、怒鳴った。あたしは、びっくりした。
     あたしが今まで見たことのない優しいまなざしを向けていたからだ。「お兄ちゃん!」あたしは、はじめて、お兄ちゃんの胸に顔をうずめた。to be continued


    1620   2002年を振り返って、、第4回『覚醒』
    2003/01/08 01:42
       あたしのイギリス留学時代、一度お兄ちゃんから手紙をもらったことがある。日本を離れてから2年目の夏、開封すると目の覚めるような綺麗な字体で、便箋数枚にびっしりと書き込まれていた。
     あたしはまさか手紙が来るとは思ってもいなかったので、ドキドキしながら読んだことを覚えている。要約すると、いろいろ迷惑をかけたこと、雀荘で働いていること、ちゃんとした彼女ができたこと、家族の近況、東京と日本のこと、そして、近くのお寺のお守り袋が同封され、最後に負けるなよと、しめくくっていた。
     その頃、あたしは、すさまじい人種差別をまのあたりにしていたので、その一通の手紙はとても勇気づけられた。帰国後あたしは昼の生活、お兄ちゃんは夜の仕事ですれちがいのまま時は過ぎた。お兄ちゃんが麻雀で食べることに成功したんだなあと感じはじめたのは、高級スポーツカーを乗り出した頃。あたしは地元東京の大学に進学するか、再びイギリスに留学するか、悩み、覚束ない日本語を克服するため、東京のJ大学に入学した。
     合格のお祝い会の時、あたしの机の上にお兄ちゃんからDVDのジャニス ジョップリンLIVEが置かれていた。よくあたしの趣向を知っているなあと、びっくりだった。そのお兄ちゃんが話しだした。
     「エリカ、おまえは10年経っても変わらねぇな。カードでまだ生きてた叔父貴に手玉に取られ、大敗喫した時、3日ほど寝込んでたよな。今回も強いやつに出会ったか? ただな、麻雀ってのは、たかが3か月ぐらいじゃどうにもならねぇ魔性のゲームよ。その魔物を味方にできるかどうかは少なくとも打ち続けて1年、天才肌でも半年はかかるな。ルールにはないからくりが山のようにあるってことよ。そうして、おまえの性に合ってるかどうかがわかる。今さらの話でかっこわるいが、オレがぐれたのはオレの心が今のおまえの頬のようにこけちまったからだ。オレは、しってのとおり路頭に迷った。東大進学って道を失ってあのざまさ。おまえが家を出て、たったひとりでロンドンに行ったって、おふくろから聞いた時は驚いたな。どうやらオレのせいらしいってことでな。たしかに、おまえは早熟だった。それにしたって小学4年生で、ちと一人旅は早いんじゃねぇかとな。そこまで追い詰めたオレはオレなりに悲しんだ。といっても、荒れるしか能はねぇー。そんなときだ。おまえがカードに出会ったように、オレは麻雀に出会った。打ち狂った。三日三晩徹夜して初日の大敗を取りかえした時は、爽快だったな。雀ボーイから代打ちに格が上がってしばらくした頃だ、オレはある組織に首を突っ込んだ。全自動のイカサマ場よ。牌一つ一つに磁気が塗り込められてっから、セットすりゃどんな役満だっていつでも和了できるスーパーマシーンだ。最初、金と暇を持て余した連中にたっぷりと甘い汁を吸わせ、高レートで10倍返しでもぎとっていくしろものよ。金はいくらでも稼げた。知ってのとおり、安月給じゃ買えねぇ車も手に入れた。しかしだ、それは勝負事じゃねぇ、イカサマ遊びってことはわかっていた。でも、やめられるか? 高級官僚どもは国庫金使っていくらでも吐き出してくれる。こんなめでてぇお遊び仕事を手放せるわけがねぇよな」
     お兄ちゃんは、一息つくと、鋭い目であたしに言った。「エリカ、勝負事と遊びの境目が何か分かるか?」あたしが黙っていると、再び話しだした。
     「たまたま、フリーで打ってる時に、おまえもよく知ってる安田先輩、雀鬼流桜井章一の側近に出会った。オレはしびれたねぇ、遊び方もしゃれてるが、勝負事にも強い! オレなんかが太刀打ちできねぇキレってものを指先からプンプンにおわせやがる。連戦打ったって、気が離れねぇ化け物だ。たてちんはってたって、ピタリと相手のタンピン三色の当たり牌を押さえ、雀頭にしちまう。そんな牌のさばきに、おれは目覚めちまった。恐ろしい音色さ、オレの魂が揺さぶられ、ぶるったな。その朝、飲みながらオレは安田先輩にきいてみたのさ、『勝負事と遊びの境目ってなんすか?』と。先輩はにこりと笑ったよ。『勝つことが遊びだ、負けることが勝負事かな、、、』オレはその日から、きっぱりとオレは裏の世界から足を洗ったのさ。エリカ、おまえなら分かるだろ、今のオレの話が、、。」
     あたしはうなづいた。
     「わからないこともある。わかったことは、お兄ちゃんにとっての安田先輩のこと。あたしは7ブリッジのカードで語り合ったように、ネット麻雀だって、ちゃんと牌で語り合っている! そこで知り合った人たちは、あたしにとってかけがえのない宝物なんだ。それにはっきりと気付いたよ。あたしは、あたしでやっていく!」
     「それなら、正気を失うまで、打ち続けろ! 強くなれるぞ!」
     頑張る! と、あたしは、叫んだ。to be continued


    1635   2002年を振り返って、、、第5回『洗礼』
    2003/01/14 01:29
       ああ 抱かれていても 季節を丁寧に ああ 撫でていられない もうすぐ 散るよ 羽は燃え尽きて 空へ帰る  (Cocco 羽根より)

     PCのスイッチを入れJ-gameに接続した。普段何気なく行っていた動作も、この日ばかりは違っていた。心臓が高鳴った。どのRに行こう、、。1か3か、、。友人検索に目がいった時、ちょっと、待ってとあたしの心の声が聞こえた。何?  ときくと、この一週間は長かったでしょう? うんと答えると、再出発だから、何かしなきゃ! と言った。何かって? 何だろう? あたしがとまどってると、元のさやに戻るんだから、、、
     その声でハッとしたあたしは、誰もいない10Rをクリックした。誰もいないRは静寂だ。さすがだと思った。心はあたしのことをよく知っている。彼氏と問題が起こるとあたしは、よく誰もいない砂浜にたたずんだ。イギリスに留学する直前も、あたしは誰もいない浜辺を見つめていた。あたしは、どこから来て、どこへ行こうとしているんだろう? あたしにとって、それは永遠のテーマ。
     10Rには、あたしのHNとptだけがきらめいている。遠く彼方の水平線を思い浮かべながら、あたしはメインボードに、またお世話になります。ありえりか。と書き込み、退室した。
     友人検索をクリックすると、kishiさんの名前が1Rにあった。やっぱり、最初はkishiさんに挨拶しなきゃと1Rをクリックすると、なかなか接続されない。80人を満たしているからだ。
     今日は縁がないかもと思いながら、何度か試みてると、ラジオからあたしの大好きなCocooの『羽根』が流れてきた。あたしは手をとめ耳を傾けた。もし、この世から全ての曲が消えたとしても、ジャニスの『サマータイム』と『羽根』だけは心に刻むとっておきの歌。いつもあたしはこの曲を耳にすると思うことがある。世界中で、いろんな人たちがいろんな考え方や生活習慣で、異なった生き方をしている。その中できちんと家族や人に接して、太陽に接して、緑に接して、小動物をいたわり、弱きものに手を差し伸べる、そうやって、生きてる人たちがいる。でも、たまたま、運命の淀みに足を入れたばっかりに悲しい生活をしいられている人。たまたま、時の流れに逆らって、悔しい思いをしている人。小さなことにつまづいたばっかりに大きなチャンスを逃してしまった人。果たしたかった夢のともしびが消えかかってる人。そんな人たちにこの歌が聞こえたら、もう一度いい巡り合わせがくるんじゃないかって、、、。
     映画にもある。『アメリ』。パリを中心に描かれるこの映画から、とても大事なことが伝わってくる。それは、全く見知らぬ人との出会いと情の積み重ね。愛しさに接してこなかった主人公は、その大発見に向かって突き進んでいく。誰でも、人は不確かなことには臆病だ、と思う。経験のない暗闇だと恐怖すら感じることもある。アメリは心の闇にさまよいながら、何度も転びながら、ついに光を手に入れる。エンディングの彼女の微笑みは、何よりもまさる幸せに満ちている。

     あたしは、アメリになるべく、1Rの扉を開けた。むっとする人いきれが充満している。ネットとはいえ、ラッシュアワーのような空気。いつものあたしなら、この雰囲気は戦場のようでとても好きだが、病み上がりの身には少し重い。
     3tにミーコさんがいた。あたしが打ってきた中でも手強いランキングベスト10に入る女傑。メインボードから、おっは!と声をかけた。おはようとあたたかい声がかえってきた。少し楽になった。きょろきょろと目を向けると、kishiさんのテーブルは15。もう一度、深呼吸して15tの観戦室に入った。クルクルと高速回転でまわるプレー。あたしがおじゃま、おっは!  と声をかけ、「今、戻ってきたんだ。今日から、復帰します。今後とも、お願いします」と素直に告げた。おかえり、^^とkishiさん。久しぶりの顔文字。その一声で心のもやが晴れ、あたしは復帰第一戦に挑んだ。
     1局目、親のkishiさんがはくをぽん、9ぴんをぽんし、7巡目、あたしは中をつかんだ。まだ、になき。ちゅうちょなく、あたしはつもぎった。「ロン!!」小三元混一対々、親の倍満。割れ目だから、48000!!一瞬で決まった。
     思わず、あたしは言った。「洗礼ね」
     kishiさんは、ぶっはっはっはと、にこやかに笑った。to be continued    


    1644   2002年を振り返って、、、第6回『迷走』
    2003/01/20 01:25
       復帰してから、あたしは狂ったように打ち続けた。尋常じゃない日常。夕方、学校からかえって来ると、犬の散歩も忘れて9時頃まで34種類136牌をにらみ続け、午前零時まで熟睡、それから学校行くまでの 8時半まで格闘した。
     講義中も、古本店から手に入れた麻雀戦術書を読みあさった。あたしは、幼い頃から速読と速記法をマスターしている。文庫本サイズなら、一日3冊は軽く読破できる。片っ端から読みふけり、麻雀の核心をつかもうともがいた。そのなかであたしは、あたし流の手作りを確立させようと考え、集中した。
     カードもそうだったように、ゲームで勝つということは、他のプレーヤーよりも先にあがらなければならない。麻雀の場合、和了するには、つもるか、ふらせるしかない。多くの勝負事もそうだろう。肝心なのは、駆け引きと運。あたしが着眼したのは、和了する役の大きさとタイミング。役は大きければ、大きいほどいいだろう。でも、役満手が毎回はいってくるとはかぎらない。ただ、小さな役でも相手が大きな手を作ってるときにさらりとあがると、効果は役満並ということもわかった。さらに、親は子と違って、あがった点数が大きい。この親の特性を利用しない手はないと思った。あたし流の鍵は、ここにある、そう思い、深く考えた。
     この時、ひらめいたのは想像力の活用だ。人は誰でも、未来に対して想像力を働かせる。想像力がうまく働かないと、どんなことでも失敗することが多いと思う。逆に働き過ぎても、自分勝手な思い込みが先行するだろう。となれば、想像力の用い方のバランスが未来のかくある正しい姿を得られると思う。
     普段、あたしは映画を見る時、コミック、小説を読む時、常に物語の先読みを心掛けている。どう、展開していくか? どうエンディングを迎えるか? 陳腐な展開だとすぐ飽きてしまう。陳腐?  閃光のように脳裏に光が走り、あたしはこの考えを麻雀に応用できないか? と沈思した。一見ハイ牌は凡手でも、大きな役は作れないだろうか? カードではあり得ない発想!  あたしは負けず嫌いなあたしの性格を押し殺してある試みをはじめた。
     一体、国士無双という役はどのくらいの確率であがれるんだろう? 平和とは、大きな隔たりのある役。その破壊力は人を奈落に突き落とせる。葛藤もあったけれど、それから全局、国士を狙い続けた。そして、25戦目に、7種7牌から和了した。さらに、その試みを続け、68戦目、3種3牌から成功した。そして、108戦目、1,9字牌が一枚もない配牌から完成した。24連続どべ、やきとり105戦という不名誉な記録は作ったけれど、得る物は大きかった。
     続いて、四暗刻、たてちん、と大きな役をハイ牌から、まったく無関係の状態から作り続けた。この試みから分かったことは、手作りの無限の可能性と、自然さを失うとひどいめにあうこと。さらに、いくら傍若無人なことをしても、場はさほど乱れないということだった。とにかく収穫はあった!
     そうして、経験から得た知識を駆使し、あたしは親の時徹底的に想像力を働かせ、その和了形を想い描き、突き進んだ。5割の確率でその描いた絵のようにテンパイでき、3割の確率で和了できた。あたしが親のときにあがると、その手の大きさに他のメンツは目を白黒しだした。
     Paanさんが名付けた、鬼づものエリカは、こうしてできあがった。11月中旬、新たな問題が起き上がった。麻雀は4人でするゲームであることを思い知らされる問題。つまり、あたし流はなにもあたしだけではなかった。ベテランさんのなかでは戦術書を書けるほどの力を持ったすご腕が、あたし以上に大きな手を作ってくるのである。それもその気配を殺して、さらりとやってくる。あたしは仰天し、おののき、何度も泣いた。悔し涙で目が曇り、打てなくなるときもあった。
     あるベテランさんに、こてんぱんにやられ、落ち込んでいる時、moo_piさんと長く話をした。moo_piさんは、「優雅さが大事かな」と言った。えええ、とあたしがききなおすと、「手だけじゃなく、ホーにも、目を向けるといいかな」と微笑んだ。あたしは何度も、優雅さ? と咀嚼しながら、その日moo_piさんと15連戦つきあってもらった。あたしはmoo_piさんの一挙手一投足、見のがさずに、その優雅さを見極めようと集中した。
     そして、あることに気付いた。1,9字牌が、星のようにちりばめられたホーだと、その役がどこへ向かっているのか、皆目見当が付かないこと。678の三色役でも、序盤に678系の部分がさらりと捨てられていると、そのにおいがかなりうすめられること。そして尖牌である3,7,の切られ方によって、テンパイ速度がわかること。ドラを切るタイミングが絶妙であることなどなど。これらのことは、頭で分かっていても、実際打つとなると難しい。
     あたしは四苦八苦しながら、ホーにも色彩を施すように努力した。2か月半の激闘のなか、あたしは、ようやく麻雀の尾をつかんだ感覚が芽生えはじめた。to be continued


    1672   2002年を振り返って、、、第7回『共感』
    2003/01/27 08:11
       「私はこれまでの年月を通じて、他の人間達と自分を比較して劣等感を抱いたことはない。しかし、かくあらねばならぬ生、というものを漠然と空想していた。かくあらねばならぬ生、は隅から隅まで明快なものではなかったが、それは糞の塊りのようにいつも私の腹の中に在り、私を怯えさせ、恥じいらせていた」      阿佐田哲也、麻雀放浪記より

     11月20日、今日はお母さんの51回目の誕生日。この日とお父さんの誕生日には、食卓に、百合の花が飾られる。お父さんの名前の上の一字、ゆと、お母さんの、りの語呂合わせ。あたしはせっせとアップルパイを焼き、パーティーのデザートを準備した。いつもは午前様のお父さんも今日に限っては仕事を早く切り上げて帰宅した。珍しく、お兄ちゃんも出席し、お姉ちゃん含めた家族5人のめったにない夕食会が始まった。
     お母さんが手によりをかけたオイスターシチューはびっくりするほど美味しく、あたしも飲めないビールをグラス半分だけ口にし、それぞれの近況を語り合った。あたしがネット麻雀に復帰し、日々楽しく打ち込んでいることを話すと、お兄ちゃんが厳しく口を開いた。
     「あとづけ、なんでもありありのルールじゃ、天下はとれねぇぞ。おまえもわかってるとは思うが、麻雀は役作りが生命線だ。そいつをちゃらちゃらした気分でうわついてると、短い勝負には立ち回れても、長く見りゃあ、お先真暗だ。お為ごかしが通じねぇのが麻雀だ。これっぽっちも他人を信用しねぇのがうまくなるこつさ」
     あたしも負けじと叫んだ。「わかってるよ。あたしもネット麻雀は、ゲームとしてわりきってる。リアルで打ち出したら、かんさき、裏ドラなしでいく!」
     「裏無しか、、、うまみがなくなるぜ」と、お兄ちゃんは少し笑った。
     この時、お母さんがうっとりとしたまなこで、昔の想い出を話しだした。「ママとパパは、麻雀が縁なのよ、ねぇ、パパ?」お父さんは気のない声で、ああと答え、あたしはそうなんだと少しびっくりした。
     「パパがW大の学生だった頃、ママは高田馬場の喫茶店でバイトしてたのよ。いつも、パパはどろどろで、店のすみにへたり込んで、くわえタバコをくゆらせていた。モーニング目当てで来る客の中で、ひときわ目立っていたのよ」「どろどろ?」と尋ねると、よっぱ! と、お母さんは、きゃらきゃらと笑った。
     「ちえっ、あの話だろ? 親父が打ってた地獄麻雀!」「なにそれ?」「半荘1回の間に、レッドボトルを一瓶飲み干さなきゃならねぇ、馬鹿げたルールよ。どんなに勝ってたって、一滴でも残ってりゃあ、ちゃらだ。そいつの勝ちはなくなるんだったよな?」
     あっは、とお母さんは笑った。「あの頃は、よく飲んだ。毎日3本は空けたなあ」と夢見るような光をきらめかせて、お父さんはワインを飲み干した。「勝ってたの?」とあたしがきくと、「一年365日、負けたことは覚えてないなあ」「すごいじゃん!」「だめよ、パパ、嘘言っちゃ!」
     ぶあははははは、とお父さんは突然、笑い出した。「パパはね、クマゴロウにはめられて、大敗したのよ。そのお金をいきなりママに借りにきたのよ。知らない仲じゃなかったけれど、その時の言い方には驚いたわよ。これからも毎日来るから、これも縁だと思って貸してくれ。おれたちの未来がたんぽだって」
     「えええ、それって、プロポーズじゃん!」きゃらきゃらとお母さんは笑って、「でも、ママもそう簡単には納得しなかったのよ。お金を借りる、貸すってことはその人と縁が切れるってことよ。ママはこの時こう言ったの。切れるなら、賭麻雀と縁を切るなら、お金はあげるって」
     お父さんは、ああと、微笑んだ。「なあんだ、ほれあってたのね」「ちぇ、ついていけねぇや。のろけ話には」とお兄ちゃんは席を立った。すると、黙っていたお姉ちゃんがあたしに「いい人見つかった?」ときいた。「え、、? うーーーん、だめ、いないよ」「ネットでは?」「先生やボスは、見つかったよ。ライバルも見つけた。でも、ピンとくる人はいない、、」「もういちど、旅をした方がいいのかな?」あたしは、お姉ちゃんの目を見ながら、考えてるよ、わかってるよと小さくうなずいた。

     その夜、あたしははじめて半荘戦を、それも7連戦打った。相手は、以前からあたしのことをがきんちょと呼ぶ、とても変わり者のhayukuさん、映画に携わってる年輩者だ。とても手強い。3ピンドラ、あんこ落しの1,4ピン、三色手を平気で仕掛けてくる。ほとんどなかない。染めるときは、たてて向かってくる。あたしが驚いたのは、東場でいくらだんとつでも、もたもたしてると南の3局あたりでまくられ、さらりと逃げられてしまう。
     得体の知れない緊張感があたしの内部に生じ、さらにあたしのもろさが露呈しはじめ、思わず泣きそうになった時、いきなりhayukuさんが叫んだ。「泣くな! がきんちょ!  ここでおのれに負けたら一生へたれやで!」
     あたしは、びっくりした。あたしの心境を読み取られたからだ。泣くものか! あたしは、歯を食いしばった。しかし、最後の半荘戦で、hayukuさんは8連荘を成し遂げ、あたしは惨敗した。
     終わった後hayukuさんは言った。「気にすんな、がきんちょ! オレは麻雀で食えんかったから、今、映画で食っとる。その程度の男や。日々精進したらええ。そやけどな、東風戦はあかん。半荘にせんと、南の気、勝負どころがつかめんわ」あたしはその声を噛みしめ、「来年からリアルで打つよ!  決めた!」と宣言した。「遅すぎた春やなあ」とhayukuさんは大笑いした。
     「あたしは、まだ18だもん、春はこれからだよ」と何故か晴れ晴れと微笑み、ずっと先の、でも走れば走るほど近くなる、あたしの、かくあらねばならぬ生を見つめた。to be continued


    1689   2002年を振り返って、、、第8回『信念』
    2003/02/03 02:34
       「あのドラ6わんをきるときって、自分を信じてるんですか? それとも、捨ててるんですか?」「うん?、、、、同じことだろ?」「同じこと?」「ああ、、。信じると捨てることは、同じこと、、、。自分の本心にそって執着を整理していくと、いつのまにか、自分を信じ、同時に捨てている。同時だ、、、。分かつことはできない、、!」   福本伸行作『天』より

     11月下旬、はじめて銀痔郎さんと打った。3戦ほど打ち終えた後、司法試験勉強している銀さんは、あたしに興味を覚えたのか、色んなことを尋ねはじめた。その質問のなかで、今まで誰もきかなかったことをきいた。普段、誰と打っているのか?  あたしがざっと20人ほど告げると、幅広いねと笑い、そうだね、そのなかならミーコさんが抜けてるね、守りも堅い、センスもあるよねと言った。「うん、だって、あたしのボスだもん」ときっぱり言うと、銀さんはにこやかに、いいボスをもったと笑った。
     銀さんとの会話に出たミーコさんが、第一打に中張牌を切る時がある。そして、タンピン三色で和了することが多い。決め打ちの一種だ。あたしはこの決め打ちに麻雀の不思議さを解く鍵が秘められていると直感的に思った。というのも、誰だって少しなれれば、決め打ちは容易に可能だ。配牌で一色が8枚以上、風もしくは三元牌が2枚あれば、ほんいつ、ちんいつに決めることは簡単だし、といつが4組あれば、といとい、ちいといつを考える。
     でも、あたしの幼い経験からでも、まんずが1枚もなくても、まんずのたてちんを和了したことがあった。つまり、決め打ちは熟練者ならではの天地を分ける大技だと思う。かん6そうか7ぴんがはいれば、567の三色1シャンテン、誰かが6そうをポン、この時、初心者はあたふたと5,7そうを捨て、ただのタンピンに切り替えてしまうが、確固たる信念があればラス牌の6そうをつもりあげ、テンパイするか、7ぴんをひきいれ、まさかの6そうで和了するからだ。あたしがここで言う信念とは、今トップとの差が何点あるか、どういう状況に置かれているか、それを確実に把握し、実行に移す心の根の強さ。言葉をかえれば、芯の強さ。その信念があれば、予想とは反した意外な展開をするゲームに直面しても、それを曲げない強さが雌雄を決するからだ。
     あたしは、その心の根を大地に付着させるために、いくつかのことを決めていった。たとえば、、一人当たりの親の持ち数は平均1.5回と考え、1回のゲームで6局、この6局の中に誰にでも一度は勝負手が来る、そう考え、さらに、その手が勝負手かどうかをどう見極めるか、、、親でダブトン暗刻、ドラ3枚あればその決断はたやすいが、子で変哲もない平和系、ドラもなく、裏ドラのって2000もしくは3900点の手。闇でさらりと和了すれば親は蹴れるが、.その親が弱ければ1000点で蹴らなくとも大きな勝負手にならないか?
     ある時、ひいいさんと打っている時、親は新人君で、その前に彼が和了した手を見ても、3巡待てば出来合い三色に変わった手をリーピンドラ1であがっている。典型的な弱さがあるとあたしはにらんだ。その彼が親になった3局目、あたしの手に軽いタンピン役が来た。あっという間に、5巡目5,8ピンでテンぱり、しもちゃのひいいさんが8ピンをつもぎった。あがれば2000、しかし、もう一人の新人君との差が12000点、あたしの親はとっくに終わっている。一瞬のためらいはあったけれど、見のがした。理由はある。裏ドラ期待のリーチではなく、トップ目の新人君は既にカンを2回している。先頭ランナーとはいえ、再びカンをするんじゃないかと読み切った。となればこの手は勝負手になる!  そう感じたあたしは、5ピン2枚さらに8ピン2枚を見逃し、来るべきチャンスを待った。幸いにもひいいさんの手が重そうだ。そして14巡目、来た! カン好きの新人君がおたかぜを暗かんした。その新ドラがあたしの雀頭2そうだった。残るは3枚。あたしは、ふた呼吸置いて、2巡後リーチをかけた。来た!  5ピン即づも、裏も2枚のり、倍満を引きあがった。、、、。
     この裏返しがある。勝負手は誰にでも一度は来るって言ったこと。相手がいくら大きい手を作っていても、あたしも勝負手なら問題はない。火花を散らせて打ち倒すか、くみふされるかの、いずれかだ。でも勝負手でなかったら、相手が必要としている牌をしぼったり、べたおりすることは不可欠だ。それが勝負のあやだと思うし、そのささやかな行為は、別の意味で勇気であり、信念へとつながると思う。ベテランさんが、早い巡目にタンヤオ系の食いを入れると、あたしは即座にドラは最低2枚持っていると考え、その人が親ならば1なきテンパイも視野に入れ、徹底的に打ちまわす。仮に和了形がタンヤオのみでも悔いはない。それこそたまたまだったと考える。
     ひいいさんの名言、和了は偶然、放銃は必然、、。あたし流に言えば、信念が必然、無信念が偶然と、なる。きゃっは!あたしの長い旅は続く、、、。to be continued


    1706   2002年を振り返って、、、第9回『覚悟とその死に様』
    2003/02/08 13:35
       12月上旬、高校時代からの友人F子から相談を受けた。「今つきあってる彼氏に援交がばれちゃった、、どうしよう、、」という因果応報、快楽の袋小路的悩み。あたしの周りで、今、援交している友人は少く見ても30人、友人の友人、後輩等をあわせれば、ざっと100人は越えるだろう。お茶につきあうだけでも5万円もらってる子、Hがからめば月100から300という子もいる。
     あたしの家に来たF子は、月70の手当てをもらっている。容姿はspeedのたか子に似ていると言えばわかりやすいかも。しかし下劣だ。友人とはいえ、あたしはこのての連中にはののしることにしている。「あんたさ、10万のフレンチは毎日食べられる、50万のエルメスも買い放題、スイートルームもやさがわりにできるって、誇らし気に言ってたじゃん!  週2のHぐらいへっちゃらだとも言ったよね。そのつけが回ってきたからといって、いちいち泣きいれるんじゃないよ!!」「だって、本当に好きな人ができたんだよ、、」「あたしがさ、どうして援交やんないかわかる?  あたしだってお金は欲しいよ。お金があれば好きなことができるってことぐらいわかるよ。でもね、お金じゃ買えないものが未来だと思うんだ。今、生きてる時間の枠の中じゃなんでも買えるかもよ。でも希望は買えない。夢も買えない。買えるものはただ消費する物という名の絶望だけだよ」「わかってるよ、、。わかってるけどA子もB子もC子もやってて、あたいがやめると仲間はずれになっちゃう、、」「あたしはやってないよ。でも、はみごになってない!」「エリカには才能があるもの。生きる才能が誰よりもあるから、、。キラキラした才能なんてあたいたちにはない、、。でもお金があれば、それに似たようなことが買えるから、、」「だったら覚悟が足りないよ。太陽を年がら年中あびたいなら、彼氏も買えばいい。走れるうちに走ればいいんだ。あたしはそれを否定しない。でも10年後には、あんたもおばんだ。もう、誰も買ってくれない。本当の悲しみは、もう、そこまで来ている。本当に誰からも相手にされなくなる。それでも、覚悟があれば、その時死ねばいいんだ」
     あたしは、このとき既に亡くなった二人の友人のことが脳裏をかすめ、一瞬、目頭が熱くなった。F子は押し黙った。あたしは続けた。「死んだY子もZ子もスピードがやめられなかった。あたしたちはあの時死んじゃうからクスリだけはやめなよって何度も説得した。でもやめなかった。Y子が言ったこと、覚えてる?  覚悟してる。これで死ぬんだったらそれでいいじゃん! こんなに楽しいことやめられないって、、。あたしはだから、Y子もZ子も否定してない。残された家族はつらかったかも、、。でも、あたしはつらくなかった。連中、死を覚悟して、め一杯遊んだんだからさ。快楽と生命を見事に交換したんだ。ぐずって生きてる大人よりかは、よっぽど、かっこいいかもよ。イギリスに行ってるときもHIVで、何人か知り合いが死んだ。死ぬ間際だって、彼女たち明るく笑ってたよ。悔いはないって、、。周りのモラリストがつべこべ言うようなことでも、本人が覚悟して遊べば、犯罪じゃないかぎり何をやってもいいのが人間なんだ。だから、あたしは否定はしない。あんたもその彼氏が本当に好きなら、援交やめればいい。やめて、その男がごちゃごちゃ昔のことを問いただしたら、そいつもにせものだよ。捨てればいい。また援交すればいいじゃん!  それも才能かもよ。期限付きだけど、、」
     涙まみれのF子は、うんうんとうなずき、帰っていった。帰る直前、あたしはF子に言った。「ここは、駆け込み寺じゃないけど、来たくなったらまた来なよ。何もないけど、あたしの心だったらいつでもあげるからさ」

     麻雀に限らずゲームは人生の縮図だと強く思う。そして、そこには必ずそのプレーヤー個人の性格が表れる。3連戦を1勝負と考えるベテランさん、1戦ごとに真剣勝負を仕掛けてくるベテランさん、チャットがメインの方。そういったなか、あたしが最も軽蔑するタイプがある。ドラ切りの問題。役づくりの上で、不要と思われるドラを第一打に切ろうとテンパイ直後に切ろうと、いつ切るのかは、個人の自由だと思う。あたしも、それには異存はない。でも、そのドラがポンされたとき、戦略という大義に隠れて、こそこそと打ち回す人がいる。それも戦法だからと割り切ることは簡単だ。でも、あたしはそんな人とは二度と打たない。だって、ドラをポンされた責任から逃げているからだ。ドラは役ではないが、1枚あれば1ファン上がる。3枚あればマンガン手になる。何がおこるかわからないゲームとはいえ、ドラを切る以上、ポンは予測しなければならない。されることを覚悟しなければならない。覚悟の上でのドラ切りなら、ポンをされても動じず、真っ向勝負するのが当然だと思う。
     あたしの大好きな打ち手、tomochan1は、そのいさぎよさを持っている方。切ったドラをポンされるや、三色くずれでもリーチをかけてくる。手変わりできない背水の陣を示してくれる。おそらく、彼女はリアルの生活でも、そのいさぎよさを胸に生きている人だと伝わってくる。責任のとりかたを知っているからだ。その徹底さは、ゲームの上では弱さをかいま見せるかもしれない。より巧者だと、わざとポンさせる戦略も持ち備えているだろう。しかし、あたしには、ドラポンされたあと、巧みに回避して勝ちを拾う打ち手よりも彼女の方が格段、強さを感じる。言い換えれば、尊敬に値する人だ。
     生きていく上で人は必ず、失敗を重ねる。その失敗に背を向けるか、立ち向かうかが、強い人間としての分かれ目だと思う。大げさと思われるかもしれないが、あたしは1戦ごとにギロチン台に生首をさらして戦う心境で臨んでいる。1戦ごとに死にものぐるいでプレーしている。それに敗れれば、いつも悔しさで涙し、涙が枯れれば、嘔吐する。吐くものがなければ、へたりこむ。妥協は一切しない。ついていないから、といったあいまいな運命論も否定する。負けるということは、あたしの首がはねられることだと常に覚悟している。目には見えない首、目には映らない血しぶき、だからこそ、切り離されるとその前の形にはそうやすやすとは戻らない。死屍累々の心情。足下の大地ですらズタズタに切り裂かれ、宙にぶら下がった生首は次の勝利に向かって、あてもなく浮遊する。あたしの死闘は続く、、。to be continued


    1728   2002年を振り返って、、。第10回『悠久』
    2003/02/15 04:59
       「しかし、今のお前はまだ白く濁っている。本当の闇を知らない」「闇?」「そう、闇の中にこそ真実がある。光は闇によって作られるんだ。分かるか?」「なんだいそりゃあ?」「俺は偽善を憎む。真実の直視を恐れてそいつを身にまとう奴らをだ。連中は真実とはかけ離れた会話であいそ笑いする。心の底に眠る化物を太い鎖でつなぐ。すました顔で善人ヅラだ。潜れ。ひきずり出すんだ。開放しろ!それは純粋で素晴らしく美しい」  松本大洋作<鉄コン筋クリート>

     12月5日、あたしのお母さんの兄、おじさんの命日、七周忌にあたる日。あたしたち家族5人、お兄ちゃんの車に乗って、お墓のある東山霊園に向かった。通り過ぎるどこにでもある日本の風景を見ながら、あたしはおじさんのことを思い出した。
     あたしが3歳の時、はじめてカードを教えてくれた人。空中シャッフルをはじめて披露した人。52枚のカードが風にのったように宙を舞い、あたしはその美しく華麗な動きに魅了され、目に焼き付いた感動を再現しようとその日から練習した。半年目の4歳の誕生日、祝いに来てくれたおじさんにあたしが習得した技を披露した。おじさんは、小さな手のひらよりも大きなカードが舞う空中シャッフルを見るや、おおおと嬉しい悲鳴を上げ、あたしを抱きしめた。ごりごりした髭の感触。それから、おじさんはカードのマジカルな技を披露した。何度シャッフルしてもスペードのエースからクラブのキングまで1枚足りとも順列が変わらないテクニックや相手がシャッフルする場合、その手の動きを注視すれば、どこにどのカードがあるか、その所在を見破るテクなど。あたしが夢中になればなるほど、おじさんは次々と新しいテクを教えてくれた。
     そして、7ブリッジにおける必勝法のいろはを解説し、あたしはまるでおじさんの娘のように日々学んだ。ゲーム会社主催の7ブリッジ小学生部門で、1年生になったばかりのあたしが圧勝した。1回戦から決勝まで1敗もしなかった。その頃から、あたしの周囲は一変した。カードをあやつる天才少女。幾つかの週刊誌も取材に来た。あたしは大人のようにこう言った。「シンデレラ伝説は続くよ。あたしは負けると悔しいから、負けない!」しかし、勝利に酔っていたあたしにおじさんが20連戦の7ブリッジ勝負を仕掛け、あたしは1勝もできず惨敗した。わずか6歳とはいえ、涙はとまらず、3日間何も食べることができないほど地獄の涯てまで落ちこんだ。
     あの強さは何だろう? どうして勝てなかったのか? あたしの何が欠けていたのか? それから、1週間後、迷った末にあたしはおじさんに必勝法を尋ねた。.おじさんはにこやかに、しかし、厳しく言った。「生活サイクルを変えることから始めようか。満ち足りた生活からは何も得られないからね。1日1食、おやつも抜きだよ。睡眠時間は5時間を越えちゃいけない。できるかな?」「おじさんはやったの?」「僕はね、2歳のときから、花札にこっちゃったからね、とても頑張ったよ」「おじさんができたなら、あたしにもできる!」あたしは、まなじりを決してそれを誓った、、。それから12年、1日1食をまもり、睡眠時間も3時間を上回らず、おじさんとの約束を守り続けている。

     霊園はよどみなく、不自然なほど静寂に包まれている。墓前に立ったお兄ちゃんが静けさを破るように抱えていた吟醸酒の栓を切り、おじさんの霊魂に注いだ。「たらふく飲んでくれよな」お兄ちゃんの目から、おじさんの霊の滴があふれだした。7年前、おじさんが死んだ夜、お通夜の席でお兄ちゃんがあたしに語った。「おじきはよ、カードも花札もほんびきもなんでもばくちに関しちゃ強かったが、麻雀もめっぽうも強かった。エリカ、お前が留学してる時、オレは麻雀を覚え、この界隈じゃオレの敵がいなくなった時、おじきと打ったのさ。こいつがあ、とんでもねぇ策士だ。4ピンがドラとしようや。おじきは6、7ピン叩き切り、さらに4ぴん2枚切ってのリーチだ。7ピンが場に4枚見えてやがる。5、8ピンはねぇだろうと切るや、ロンだ。シャボで待ってやがる。役もねぇ、ただのリーのみだ。ちぇ、くだらねぇ、オレは策に溺れて6ピンで和了してるおじきの手を見てあなどったね。ところが、そんな策が次から次へと湧いてきやがる。いえば、こんな手よ。3ワンないての123、2ワンないての123、1ワンないての123。なんじゃあ、そりゃあ、出来上がりいーぺいこうからの3なきじゃねぇか。ふざけてやがる。ところが、ラス1ワンを切ったら、ロンだ。1色4順、役満よ。
     つまり、の手牌から、ばくち打ち特有のインスピレーションでの早仕掛けってことさ。まいったねぇ。あれにはまいった。
          ロン:  【ひいい挿入】
     そのうえだ、一度つもった国士を13面待ちにして、オレの白は見逃し、つもってのW役満和了よ。3人どぼん狙っての大技よ。完敗さ。恐ろしい人がいなくなっちまって、この国もますますつまらなくなっちまったってことよ、、」
     あたしが花を供え、家族揃って合掌した。終始無言だったお母さんが口を開いた。「兄さんが坂上の家を飛び出したのが18の時、手紙も電話もなく10年が過ぎたのよ。11年目の夏の夕暮れに幌付きのトラックが正門から滑り込んできたの。誰かと思ったら、消息不明だった兄さん、真黒に雪焼けした山男になって、カナダから戻ってきたのよ。何百もの熊やミンクの毛皮と一緒に。ママの顔をみるなり、『おっ!生きてたか?』それって、ママの台詞でしょう?  それから、四谷にビルを建てて、あっというまに貿易事業で名を馳せていったわ。地位も財産も築いた兄さん、それでも家族を持とうとはしなかった。ママがママのとっておきのお友達を紹介しても見向きもしなかった。男色じゃないかと疑ったほど、女性に興味がなかったのよ。仕事とギャンブルまっしぐらだった。社員に接するときも家族のように愛し、あなたたちにも我が子のように接した兄さんが家族を持たなかったことは不思議でしかたなかったのよ。いつだったかしら?  理由をきいたことがあったの。兄さんは、孤立無援の美学かなってそう言い、生れる時も独り、死ぬ時も独りかなと笑った、、。その笑顔は本当にきれいだった、、」
     想い出の結晶は涙となって、お母さんの頬を伝った。帰り道、あたしは名もない樹の下に1匹の蝶を見つけた。くるりとその蝶は眼をあたしに向けた。あたしはなぜかはっとして、あふれでるあたしの気持ちをその蝶にぶつけた。「かっこよすぎだよ!  ばかやろう!」あたしの誓いは続く、、。to be continued


    1747   2002年を振り返って、、第11回『艱難辛苦 救う者、救われる者』
    2003/02/19 19:47
       鍋 (食物を煮る器。金属、陶器、ガラスなどで作る) 国語辞典より

     12月8日、あたしのお気に入りのメンバー、まさすうさん、とらのこさん、あきしゃんと何連戦か打った。あたしが出親の時、11種12牌の配牌から5巡目に9ぴんまちの国士リーチをかけた。と途端にバグり、あたしは飛んだ。戻ってみると引き分け終了した3人が待っていた。あたしはバグったことを謝り、それ以上は何も語らず、次のゲームに挑んだ。しかし、そのゲームは全く手につかなかった。バグなる難敵に負けた悔しさで目が腫れていたから。一体、このバグとはなんだろう?  1か月前、このバグに何度も襲われ、多いときで一日20回、2か月弱で計250回、さすがに辟易し、この掲示板に引退宣言したことがあった。
     その後、見知らぬ人からメールがきた。雀帝という名だった。雀帝さんは面識のないあたしあてに、手取り足取りバグ対処法を書き記して下さった。あたしはバグの存在自体を忘れるほどこのメールに感動し、むじかさんやREGUさんに、ねぇ雀帝さんって誰? びっくりだよと言い回り、その見知らぬ人からの応援にも勇気づけられ、引退宣言を撤回した。
     そして、雀帝さんのアドバイスを実践に移した。Rに入って、挨拶を終えたら、一旦書き込みを削除すること。テーブルに入ってもゲーム前にチャットが長かったりすると、一旦退出し書き込みを掃除すること。プレー中のメインでの挨拶は交わさないこと。そうしてバグの回数は激減した。それでも、あたしの家、江戸時代初期、ある老中によって建てられた文化財のブレーカーシステムに欠陥があるらしく、何度も落ちた。落ちる度にあたしの家の歴史を呪った。それと使っているPCが最新式のマックOSX.このデザイン機能は他のPCを寄せつけない能力があるとはいえ、ネットコンディションは圧倒的に劣り、原因不明にバグる。
     もう一度言う。このバグとは一体何か? このバグなるものに似たものに人的なバグ、あらしがある。一時、あたしは親しみを込めてあらしくんと呼んでいた。というのも、破壊力絶大のウイルスに比べ、力もなく、あたしがイギリス留学時代に受けた差別に比べれば、可愛い存在だと持ったから。だって、あらしがやれることは3つしかない。メインボードに過度の書き込みを行い、全体を重くし、プレーを妨げる。2番目に、プレーに関わり、暴言を吐いたり、引き分けを過剰に行い、プレーヤーのゲーム進行を損なわす。3番目はメンツが揃ってるところに割り込み、居座ってプレーを強要する。あるいは、観戦室に入り、待ちをばらしたり、無意味な書き込み、卑猥な発言を繰り返す。あたしはすぐさまガキの稚戯行為と感じ、あえて、くんづけした。
     もう一度言う。あたしがイギリスで受けた差別は尋常じゃなかった。喉元を締め付けるように暴言をじかに言われた。心を削り取られるような悪態を突かれた。たとえばこうだ!留学してからの3か月間、あたしの英語力はイギリス人にとっての小学校低学年並だった。日夜、必死で勉強し、それは、天地万物を最初に創造した神様のような勢いだったと思う。そして一般的な留学生が1年かかるところを5ヶ月目で成し遂げた。あたしは自信を持って、一人で何でもできるようになった。一番難しかった市場での買い物もねぎれるようになった。大人しか知らないジョークもつかえるようになった。コックニー訛りと呼ばれるロンドン地元英語もパーフェクトに使いこなせるようになった。あたしの空は日本晴れだった。
     ところが、このスピードを駆使するあたしの周囲のネイティブ(生まれも育ちもイギリス)スピーカーが異常なジェラシーを突き付けはじめた。あたしのロジカルな発言力が気にさわるらしい。学校に行くと、あたしの机だけがグラウンドに放り出されていたり、昼食時間などの休憩時に席を外すと鞄がトイレに放り込まれていたり、切り裂かれていたり、、。でも、あたしは一度足りとも泣かなかった。ここで涙を見せるとあたしの一生に汚点がつくと思ったことと、これは勝負事ではない、ただのいじめだと思ったこと。だから、こんな差別に動じてなるものか、あたしは極東の島国から遊びにきたのではない、学びにきたのだ、鍛えに来たのだ、そう自分に言い聞かせ、乗り切った。
     それでも、一度だけ涙こそ見せなかったが、2昼夜眠りにつけない事件が起こった。あたしが可愛がっていた5匹の兎が全て毒殺されたときだ。その小屋の屋根にFUCKING JAPと描き殴られていた。許せなかった。でも無力だった。担任の先生もあたしを慰めるどころか、日本に帰りたかったら帰ってもいいよと冷たく告げるばかりだ。それでも、あたしは歯を食いしばって耐えた。おめおめと帰れるものか! そして、さらに3か月、転機が訪れ、あたしは息を吹き返した。校内のポーカー大会に優勝したからだ。その前に兆候もあった。あたしは裂かれた鞄にガムテープを張り、決して買い替えようとしなかったこと。机が放り出されていると、そのまま床に座り、授業を受けたこと。そうしているうちに、机が誰かの手によって戻されていたり、裂かれた鞄の上にオレはもうやらないと、メッセージが残されていたこと。
     話は戻る。あたしは、あらしくんが現れると誰もいないtに呼び出し対話した。理由と他にすべはないのか? を問うために。一人のあらしくんは実際、あたしに誓ってくれた。お前のプレーに支障を来すならやめようと。しかし、他のあらしくんは話はきいてくれても荒らし行為をやめようとしなかった。あたしも粘った。ナウシカのようにヒロインを気取ったのではない。モラルをふりかざすわけでもない。もしかしたら、あたしもあらしになった可能性があったゆえに。差別を受ければ人は必ず、一度はねじれる。ねじれを戻すには強い意志かパートナーが不可欠だと思う。そのどちらにも恵まれなかったら、、、と思ったから。しかし、あるベテランさんから言われた。「あいつらは、もってのほかだ。ねじれたわけじゃない。心がないのだ。エリカ、君があいつらと会話するなら、それは許容とみなし、君とも打ちたくないな」
     あたしが大好きな打ち手、いさぎよさでは天下一品のMelissaさんがある日、あらしに向かって、吠えた。出て失せろ! あたしはびっくりした。あたしの認識が甘いと思わざるをえなかった。
     さらに、バグの時、さあ−3を取り戻そう、くよくよしてても前へは進めないよと落ち込むあたしをいつも鼓舞してくれたなべさんが絶対、あらしの存在を認めなかったこと。あたしは、それ以来悩みに悩み、完全無視とはいかないにしても距離を置くようになった。それまでは、対話によって救うことが、救われた経験のある者にとっての科せられた時間の用い方だと思っていたから。でも、いくら時間をかけても変化がなかったこと、あたしが大好きな人たちが嫌悪している状況を見、あたしの考えは一変した。あるあらしはいまだにあたしのことを裏切り者と呼んでいる。しかし、あたしは叫びたい。君は人の心を傷つけたのだ。その代償ははかりしれない時と変革を必要とするのだ。
     話は戻る。バグのこと。あるベテランさんはくじ引き説を語った。麻雀はそこそこのセオリーをきわめれば、あとは運が左右する。その吉凶をバグることにより、引きにいくという説。あるベテランさんは神のお告げ説をあげた。もう、それくらいにしときなよ、仕事もしなきゃ、勉強もねというお告げだよ。なんでもそこそこにしなきゃ、やめ時を教えてくれるんだから、いいことだよ。しかし、あたしはそんなに楽天的に思考は回らない。ラス親で最後の巻き返し時にバグるものなら、天と地が裂けたように悲しんでしまう。だから、決してバグらないリアルに憧れているのだろう。
     その夜、あたしは夢を見た。あたしがバグりそうになった時、なべさんが叫んだ。「オレも一緒におちる!」あたしは、その言葉に胸を突かれ、涙ぐんだ。あたしの理想はどこにある? to be continued


    1781   2002年を振り返って、、第12回『事故』
    2003/02/28 17:25
       「いいか、オレたちは命乞いしたらしまいなんだ。相手がいっぱいいてな、こっちは一人、どうもがいても勝てない時、そりゃ、当然、締められるだろう。そういうときには、痛えとか、助けてくれといっちゃ、しまいだ。そういうときの態度だけが他人に語られるんだ」 横浜愚連隊四天王 モロッコの辰

     12月10日朝、Paanさん、むじかさんと打った。朝方5時半ぐらいから7時頃まで、ここ最近の固定メンツだ。二人とも打ち筋がよく、鍛練の場としてはうってつけ。
     時々、早起きしたミーコさんが加わると大会モードになる。サンテさんがある時、徹夜で打ってるの? と目を白黒したほど。
     さて、2局目の子の時、の配牌から、第一ツモがドラの3ぴん、あたしは直感的にたてに伸びるといつ場と考えた。1ぴんを第一打にした。第2ツモは西、つもぎり。第3ツモに4ぴん。。タンヤオドラドラ、りゃんぺいこうの目もある。1局目は全員、ノーテンで、流れている。点差はない。
     1わん切りが妥当か? さあ、どうする? あたしは頭の中で牌を並べ変え、ちいといつにしぼってみた。 。迷いを断ち切るため、4わんを切る。
     あたしの先生の一人、moo_piさんは、ちいといつを嫌う。理由もなんとなくわかる。タンピンに見られる優雅さがないからだろう。そのうえ、待ちも筋ひっかけとか、ノーチャンスの壁越しとか、相手の盲点を微妙についていく奇策が多い。確かに王道ではないし、あたしが麻雀を覚えて3か月、間違いなく理解したことは、相手の放銃よりも、自身のツモの回数が多いと、最終的にトップの座にいるということ。調子のバロメーターはツモの回数だと考えている。あたしの調子が絶好調の時は、出親で倍マンを4回連続つもることができる。過去3度成し遂げている。
     ところが、この調子というものが崩れる瞬間がある。相手に放銃した時だ。それも、安全牌と確信した牌をロンされると、その役の大きさよりもメンタルショックが大きい。頭の中が真白になる。となれば、相手に放銃させる手作りやホー作りにも目を向けなければならない。その役の一つにちいといつが最適だと考えた。ドラがからめば、マンガン級に手が届く。優雅さとは対極の卑劣さとでもいうべきもの。この卑劣さに憔悴した頃のあたしはもう存在しない。常勝への道は、この磨き方だ。
     第4ツモが6わん、あたしは躊躇なくつも切った。最終的には、2わんか3わん待ちにしぼっての布石。
     と、この時、むじかさんがこの6わんに和了を宣告した。まんずのたてちん、一通、平和、親の倍マン、24000だ! げ! むじかさん得意のだまとはいえ、まだ4巡目、これは早くて大きい! 事故だよとPaanさんが言った。うんうん、暴牌ではないとうなずきながらも、悔しさのため涙がほとばしる。よく見れば、むじかさんは第2打にドラを切っている。警戒する注意は必要だった。あたしはこの放銃をきっかけに大敗した、、。
     それから、学校へ行き、講義を受けている際もこの放銃が脳裏から離れず、学業に身が入らない。帰路、神田の古書街へ行き、放銃を避けるすべを解く新たな戦術書を手に入れようとバイクを走らせた。靖国神社近くの交差点を渡りかけた時、こちらの信号が青にも関わらず、一台のピックアップトラックが信号を無視して突っ切ってきた。げ!!  あたしは急ブレーキと同時に左へバイクを傾けた。何か凄まじい音がした。体も宙に浮いている。世界が反転し、周囲のざわめきや目に映る全てが消滅し、あたしは意識を失った。to be continued


    1833   2002年を振り返って、、第13回『事件』
    2003/03/10 03:23
       脳の中ではわれわれが考えるよりはるかに永続的な連想活動が行われていると私は思う。意識は持続的なプロセスであり、眠れば簡単に途切れるというものではない。麻酔による強制的な意識の喪失でさえ、必ず意識の流れを妨害するというわけではない。外科医たちは、手術台の上にいる患者には聞こえるはずがないと思って交わした会話に、当の患者が返事をしたり言葉を反復するという、苦い経験をとおしてこのことを知った。  ライアルワトソン 生命潮流より

     頭を路面に強打したあたしは、およそ3時間意識喪失し、その間、通行人の通報により、警察、救急車が呼ばれ、K大学病院に搬送された。臓器移植で有名なこの病院は本来、あたしのような患者は取り扱っていないが、あたしの一族とこのK大学病院の一族が墾意にしてることから、取りはからえたことをのち、お母さんから知った。
     ERであたしは左肩剥離骨折及び左肘膝打撲が判明し、さらに意識不明のまま、脳波、血圧、脈拍の検査が進められ、その間、事故を知った家族全員が駆け付けた。特に、お兄ちゃん、お姉ちゃんは心配したらしい。というのも、あたしのノーヘルメットを知っていたから。べスパ150ccとはいえ、瞬間最速90k/時は出る。そうして、あたしの知らないところで、3時間は瞬く間に過ぎ、ようやく意識を取り戻した。目をあけると、エリカ!  とお母さんの声が聞こえた。いつも、毅然としているお母さんが嬉し涙をこぼしていた。天運を味方にしたなとお兄ちゃんが笑った。メットつけなきゃいつか死ぬよとお姉ちゃんがあたしの鼻をつまんだ。頭蓋骨にひびが入ってるかもしれんとお父さんが重く言った。きゃっはとあたしは上半身を起こそうとすると、左肩が取り外されているように痺れている。だめよ、じっとしなきゃ!  左肩が骨折したんだからとお母さんがあたしを制した。あたしは、うんうんと事の重大さを認識し始めたが、全く別のことに頭の中がぐるぐると、とらわれていた。それから、事故の件で警察官が事情聴取に訪れ、信号無視して逃走した車の特徴やナンバーのことなどを質問されている際も。駆け付けてくれたクラスメートや友人、先輩後輩に接している際も。
     そうして、独りになったあたしは、就寝時間を迎え、真白の病室の天井を見つめながら、あの意識を失った3時間の空白にあたしが目撃したあたしの内的世界を深く思い返してみた。
     そこで起こったことは、事故そのものよりも衝撃的で創造的で破壊的で革命的な事象、つまり、事件そのものだった。
     先ず、漆黒の扉があらわれた。その扉から次々とあたしの見覚えのある人たちがフラリフラリとあたしの手をとった。一人目はG君だった。あたしが幼稚園生の時、江ノ島で水難事故に会い、この世を去ったボーイフレンド。G君お気に入りのラジコンカーを手に、いきなりこう言い放った。「何してたの?ずっと待ってたのに」あたしはびっくりして戸惑っていると「約束したじゃないか。僕の誕生日に銀杏の木の下であおうって!  ずっと、待ってたんだよ」「だって、G君、死んじゃったんでしょう? どうしようもないじゃん!」キャハハハハとG君は笑い出した。「つまらねぇ、生きてなきゃだめなのかよ!」とあたしを睨みつけるや、あとかたもなく消え去った。あたしはG君が残した言葉に震え、咀嚼し、あたしの周りをぐるぐると回り続けるG君のラジコンカーをじっと見つめた。
     二人目があたしの目をのぞきこんだ。おばあちゃんだ。あたしが小1の時、亡くなった。にこにこと数十冊の百科事典を軽々と手にさげ、誕生日おめでとうね、と手渡した。ずしりと重い!  「おばあちゃん、ねぇ、どこかで生きてるの?」納得のいかないあたしは尋ねた。「エリカちゃん、人は死んでも心は生きてるんだよ。あたしのふるさとでは桜が満開さ」とG君同様、消え去った。
     あたしの手には百科事典だけが残り、じっとたたずんでいると三人目があらわれた。あたしのカードの先生、おじさんだった。あたしはあることに気付き、はらはらと涙をこぼした。人は死ぬ間際に走馬灯のように今まで生きてきた日々が脳裏をよぎるという話を思い出した。死とはこんなにあっけなく来るのか!  やり残したことを考えると悔し涙が止まらない。ところが、おじさんは全く予想外のことをあたしに言った。「全国優勝おめでとう! エリカ、やったじゃないか!」えええ!?  あたしは心底驚いた。確かに、高1の時あたしは7ブリッジで国内のトップに立ったが、あの時、おじさんは既に亡くなっていたから。となれば、目の前のおじさんはどう説明すればいいんだろう。あたしは今、どこにいるんだろう?  あたしの困惑なぞおかまいなしにおじさんはにこやかに言った。「これで、僕とも五分五分の間柄だね」と、百科事典をシャッフルし始めた。またたくまにそれらはカードとなり、あたしの手に配られる。カードをめくるとびっくりした。てっきりトランプだと思っていたカードが麻雀カードであり、よく見れば、、一枚目のカードがドラの3ピン!
     げ! 今朝の展開と全く瓜二つ。1ピンに手を伸ばそうとすると、おじさんは静かに言った。
     「同じ轍を踏んではいけない。じゃないと、上達はそこで終わるよ」あたしが、あっと声をもらすと、おじさんはどろどろと溶け去った。手元には1ピンだけが残った。
     もう、次に現れるのが誰であるか察知がついたと同時に、あることがはっきりとわかった。あたしはどうやら生と死の淵をさまよっているらしい。これは恐ろしいことだ。この恐怖には、二重の意味がある。肉体的恐怖と精神的なもの。Y子とZ子が姿を見せた時、あたしはZ子が常時携帯しているバタフライナイフを借り、小指の先を切ってみた。痛い!!  血の滴がこぼれ落ちる。まちがいない。あたしは今、事故後、肉体はもちろんのこと精神とも格闘しているのだ。

     イギリスに留学している際、インドのバンガロールという街から移住してきたナタラ−ジャという名の同級生の女の子がいた。彼女もあたしと同じく小学生でありながら、考え方や行動力が桁外れにきらめいていた。「知ってる?  わたしたち、インド民族がゼロ、このもっとも偉大な記号を発明したのよ。これがなければ、今のハイテクノロジー社会は成立していないんだから」彼女の口癖。
     ある日、彼女の家に遊びに行った。そこで、彼女のお父さん、インド哲学を研究しイギリスでその教えを広めている学者さんからある問題を出された。「今、わたしたちはビルの1階にいる。さて、これから、2階へ行こうと思うが、階段もなければ、はしごもない。どうすればいいだろう?」あたしは、みんなで肩車するか、机などを積んで上がると元気よく答えた。「では、2階までの高さを100メートルにしよう。どうするかな?」あがれないよ。いけない、とあたしが悲しむと「かんたんだよ。今、この世界の意識を閉じる。そして、新しい世界を開く。ほら2階へ上がれただろう!」
     えええ!? あたしは、当時、全く理解できなかった。祈りや願いではなく、意識の開閉。
     それから10年。今、あたしはその謎が少しばかり解けたと感じられた。あたしはまさに2階へ上がろうとしていたのだ、と。
     この時、Y子があたしの手を握りしめ、「エリカ、メットはかぶらなきゃ! かっこもいいけど、身が持たないよ!」Z子もナイフをしまうと「あばよ」と消え去った。そして、けたたましい地響きと共にあたしの肉体も塵のように風化していった。
     気が付くとお母さんの声が聞こえた。あたしは目の前の家族と再会した喜びと同時に、この日を境にあたし自身が大きく変わるだろうと思った。
     あたしにいつでも2階へ行ける意識革命が起こったからだ。実際、4日後、復帰第1戦でそれをまのあたりにすることになる。to be continued


    1849   2002年を振り返って、、第14回『初夢』
    2003/03/17 04:33
       私自身は動物がどんな夢を見るのか知らない。しかし、私の弟子の一人が教えてくれた諺によると、それがわかるという。その諺は「ガチョウはどんな夢を見るか」と問われて「トウモロコシ!!」と答えるのである。このたったふたつのせりふの中に、夢は願望の達成であるという説があますところなく含まれている。  FREUD S. (The Interpretation of Dreams)

     目が覚めた。あたしは、しばし、ここがどこなのか理解できなかった。いつも目にするペコちゃんの目覚まし時計もなく、時間さえわからない。ああ、そうか、事故ったんだと深く再認識した。と同時に額から汗がにじんだ。あたしはじっと天井を見つめた。そして、今さっきまでさまよった世界を思い返そうと記憶の断片を辿ろうとした時、看護婦さんが現れ、おはようエリカちゃんと声をかけられた。はい、おはようございますとあたしはぼんやりと答えた。
     よく眠れた? と彼女はカーテンを開けた。白くきらめく光とともに、遠くに東京タワーがうっすらと見えた。うん、とうなずきながらも、早まる鼓動音に全身が震えていた。あたしの体温をはかった彼女が部屋を出ていく際、思わず叫んだ。夢を見たんです!  え!? と彼女は振り返った。はじめてなんです! あたしはドキドキしながら声を振り絞った。いい夢だった? と彼女はきいた。だから、、、あたしはそれから、押し黙り、はいと小さくうなずいた。もうすぐ朝食よと彼女は姿を消した。右手で額に触れると思った以上に汗が吹き出していた、、。

     信じられないことだが、あたしは生まれて初めて夢を見たらしい。昨晩から今朝にかけてあたしの脳内に訪れたその風景はあたしの想像力や現実を遥かに越えた文字どおり、夢そのものだった。はじまりは、一枚の写真から。見たことのない大きな滝をバックに幼いあたしが笑っていた。その写真をあたし自身が手にとり、意味不明なことを呟いていた。それは呪文のようにも聞こえた。すると、瞬く間に滝が凍りつき、幼いあたしがその水の結晶によじ上っていた。悲鳴が聞こえた。エリカ!  危ない! あたしはその声を無視して一心不乱に滝の源へ向かっていた。ぜーぜーと頂きに着くと、鋭利な風にのって、信じられない光景が目の前に広がった。そこには、見渡す限り、超高層ビルがそびえ建ち、それらはあたしが見慣れている新宿の高層ビル群よりも遥かに大きく、美しい。
     500階とも1000階にも見えるビル群をあおぎながら、大きく息を吸って近寄ると、ガラス張りのエレベーターが現れ、あたしをさらうように招き入れ、あたしを2階へと運んだ。足を踏み出すとその2階は東京そのものよりも大きな面積を持っているかのように、雪を冠った山と湖を背に無数のビルと縦横無尽にハイウェイが貫かれ、最新式のロボットがひしめいていた。それらロボット群は虹色の光線を放っていた。そうかと、あたしは納得した。先ほどビルが美しいと思ったのは、この無数の妖しいビームが織り成すオーロラだったのだ。我を忘れてその光の宴に目を奪われていると、一台のロボットが手招きした。そのロボットには顔をあらわすような特徴はなかったが、螺旋状の合金がゆっくりと回転し、両手両足胴体をおぼろげながら表し、その右手らしき回転するリングをきらめかせていた。その光の屈折が手招きに見えたらしい。あたしは近々世界を覆う未来に触れているような錯覚に襲われながらも、不思議とリアルな匂いと空気を肌で感じ取っていた。だから、そのロボットが突然、あたしに話しかけてきた時もさほどびっくりしなかった。彼はこう言った。「はじめまして、エリカさん。ドリームランドへようこそお越し頂きました」きゃっは!  とあたしは超うれしくなって、思わずロボット君に抱きついてしまった。だって、あたしはこれが夢の世界であることをやっと認識できたし、生まれて初めてみる夢だったから。
     幼い時から、多くの人や友人や家族が夢の話をする度に、あたしはいつも口惜しい思いをし続けていた。きっと、短い睡眠時間の影響もあったのだろう。熟睡こそすれ、夢には全く縁がなかった。夢を見ることがあたしにとって、夢でもあった。その夢が手にとるようにあたしの眼前に存在していることは奇跡のうちの一つなのだ!
     ロボット君は奇跡の化身でもあるかのように続けてこう言った。「どんなことでも、ここでは可能です。どんな願いもかないます。好きなだけ、おっしゃって下さい」あたしはためらわずに言った。「麻雀必勝法、絶対負けない方法を授けて!」「簡単なことです」とロボット君はにこやかに光を放ち、色とりどりの牌を取り出し、「牌にも血は通っています。ひとつひとつに心をこめればいいんです」と、あたしの手のひらにそれら人肌の感触がある牌を置いた。あたしは、どきどきしながら、それらを握りしめた。すると、かつてない陶酔感と絶頂感が体内を駆け巡り、聞いたこともない美しいメロディーが幸せ一杯に響き、あたし自身が牌そのものになったような躍動感を覚え、そして、あたしは気を失った、。

     それから、運ばれて来た、なんの変哲もない朝食を前に、きゃっは! とあたしは事故のことをすっかり忘れるほど、夢うつつだった。to be continued


    1872   2002年を振り返って、、。第15回『休息』
    2003/03/24 03:36
       眺めのいい部屋、それも遠くまで眺められる部屋が好きだね。庭に面している部屋は嫌いだ。むしろ、海が見えるとか、船が見えるとか、あるいは、そういうものが遠くにでも眺められる部屋がいい。妙な話だが、僕はこれまで山の中では一度も仕事したことないよ。   ノーマンメイラー

     朝食を終え、痛み止めの薬を服してから、検査室へと向かった。その一室は今まで見たことのないような精密機械がところ狭しと並んでいた。まるで宇宙船。あたしはその機械の心臓部に入り込む、言い方を変えれば、ギロチン台に載せられるように仰向けになって、頭蓋骨の徹底分析が始まった。左肩の痛みを忘れるほどの緊張感があたしを襲う。というのも肉体的苦痛はないけれど、頭のあちこちに張り巡らされたコードと、顔すれすれに巨大な異物が迫り、鼓膜の隅に聞いたことのないノイズが響くからだ。
     そうして、30分ほどすると、助手の一人が何かを呟き、担当チームが色めきだった。あたしは、即座に事態が逼迫した空気を感じ、嫌な予感が頭をよぎった。というのも、お父さんが頭にひびが入っとるかもしれんと言ったことを思い出したから。その予感が的中したのか、あたしはカプセル状の薬を飲まされた。その前にこの薬の意図の説明を求めると、乾いた声で血液循環の促進をはかり、再検査することを告げられた。そして、10分後、再び、同じ行程が始まった。Jgameで例えるなら、同じプログラムを繰り返す作業、だから、検査そのもの自体には恐れはなかったが、肉体への精神的不安は募った。
     あたしは、国士、四暗刻、大三元を同じプログラムで3回ずつ和了している、でも、ダブ東暗刻の初心者が東を明かんするとそれは、たちまち、狂ってしまう。しばらくすると、異常ありません!  と助手の明るい声が室内に響き、あたしは、思わず、苦笑した。とにかく、解放され、病室に戻された。ふー、、。
     昼食までの2時間、ふたたび窓から見える空を眺め続けた。淡々と流れる雲、時折、横切る鳥の群れ。これら、ありきたりな風景がとっても新鮮だ。こんな時間をここ数年間、過ごしたことがなかったから。海へ行ったときも、山に登ったときも、東京では味わえない空気を全身に浴び、いつもその無重力な新鮮さに驚いてはいたが、それ以上に遊ぶこと、友人達と談笑することなどに夢中になり、風景そのものにこれほどじっくりと接したことはなかった。
     きっと、人は五体満足であればあるほど、その身体を取り囲む環境には無頓着になるのではないか。今こうして少し体を動かすだけで、その不都合さを感じることにより、今まで見慣れてきた世界に驚きを発見することが可能なのだ。あたしはあたかも、勝負事に惨敗したかのように涙を流した。今まで気付かなかった愚かさへの反省と生命に対しての感謝の気持ち。払拭される灯台下暗し。昼食後も、あたしは空を見続けた。お姉ちゃんからの差し入れの音楽、Aba structure、flowchart、Blood Rubyなどを聴きながら。
     雲も人と同じように色んな表情をすることを目の当たりにしたり、風も目には見えないけれど、強かったり、そよいだりと変幻自在。そして、光! 12月だというのに、まばゆさもあたたかさも伝わってくる。この不可思議な時間に染まっていたあたしに、何か閃光のようなものが轟き、無性にペンをとりたくなった。そんな気持ちは今まで、持ったことがなかった。だって、日記ですら書いたことがなかったから。看護婦さんを呼んで、ペンと紙を用意してもらった。あたしは、気負うことなく、ただ自然に詩片を綴った。
     どこまでも続くまっすぐな道、走るにはこのうえない道、まっしぐらに走る、走る、走る、十字路が目に入った、迷いはない、まっすぐ走る、吹き出した汗を風が拭った、風!?  思わず立ち止まった、走ることは知っていたけれど、風のことまで気がつかなかった、腰をおろし、片足を突き出して、風の道を見つめた、風はどこから来て、どこへ行くんだろう、風ばかりじゃない、光!  さんさんときらめく光、光もどこからきて、どこへいくんだろう、そして、空! どこまでも円い空、空はどこまで続くんだろう、風と光と空につつまれ、その一粒、ひとかけら、ひとしずくに耳をすまし、、、。
     これが、あたしにとって生まれて初めての表現となったばかりでなく、麻雀に対しても、『表現』するというコンセプトが生まれた瞬間でもあった。  to be continued


    1881   2002年を振り返って、、。第16回『阿吽』
    2003/03/31 08:03
       そして、ワールドトレード、、あの時も俺は、あのビルの真下でHIP-HOPの雑誌の写真撮影をしていた。.その二日後に、、。つい二日前、俺はあそこに、、信じられないという気持ちとそれを黙って隣で真剣に見ている自分の子供の姿が目に焼き付いている。そして、前作『漸』はアメリカ発売日が9月11日だった、、。相変わらずの崖っぷちだ。自分自身と戦うため、大切な人を守るための崖っぷちだったら、いくらでも俺はそこに立っている。しかし、、。また、始まってしまうのか、、戦争という崖っぷちが、、そんな崖っぷちは俺には必要ない。真黒焦げの子供の姿はもういい、、いやな空気が地球を包んでいる、、。  DJ KRUSH

     夕食前にお母さんが来た。特製のアップルパイと下着の替えや細々とした物を携えて。
     「どう? 痛みは?」「動かさなければ平気だよ」「左肩だけですむなんて、強運よ」「うんうん」「命はひとつよ。大事に使いなさいね」「わかってる、、。いつ退院できるんだろう?」「エリカ、、。退院しても完治するまで2,3か月はかかるそうよ。だから、あせらないこと」「、、、うんうん」
     お母さんが帰ったあと、夕食になった。でも、ちっともお腹がすいていない。もう既に2食も摂っている。これを食べれば過剰摂取だ。じっと、さかなくんを見つめていると「食べなきゃな。非常事態だ。おじきもそう言うぜ」とお兄ちゃんが入って来た。「きゃっは!」持参した雑誌をぱらぱらとめくるお兄ちゃんの傍らで仕方なく、夕食を口にした。
     「退屈か?」「でもないんだ、、。色々発見したしさ」「そうか、、。いいもの見たか?」「え!?」「事故った時だ。見たんだろう?」「、、、」あたしはドキドキしながら、お兄ちゃんの目を見た。「オレも事故ってる。お前が生まれる前だ」「えぇ!!  そうなんだ!」「幼稚園の時さ。バイクにはねられたのよ」「、、知らなかったよ」「たいしたことはなかったが、意識は飛んだな、、」「そうなんだ、、じゃあ、、」「そうよ!  見ちまった、、。じっちゃんが、どでかい穴を掘ってたなぁ」思わず、あたしは焼き魚を丸呑みした。
     「どっさり、その穴に札束を放り込んだな。そして、てめぇの体と一緒に焼いちまった」「げ!」「灰まみれになったじっちゃんが、オレを手招きしたなぁ」
     あたしは戻しそうになるのを堪えながら、意識を失った3時間に起こったことを告白すると、お兄ちゃんはにやにやと口元を緩めた。
     「2階への開眼か、、。わるくねぇな、、。多少、物事が新鮮に見えるだろうよ。但しなオレならそのインドの学者さんにこう言うぜ。上がりたくなったら上がる。他人からは一切強制されない。もっと、いやぁ、2階をすっ飛ばして、3階へ行くかな」「きゃっは!」「あるいはだ、そのまま1階に居座る。2階が崩れ落ちるまで、待つってな」「死んじゃうじゃん!」「死にたい奴は死ねばいい、、」と急に黙り、そして、「ネット麻雀はどうだ?楽しんでるか?」と唐突に口を開いた。
     「うん、勝ったり負けたり、一筋縄じゃいかない!」「東風戦だったか、、。早い勝負だな」「うん」「これは言っておくけどな、こと麻雀に関してはオレはお前に関知しない」「そうだよね、、。でも、なぜ?」「覚悟の問題だな。こいつだけは、ゆずれねぇからな」「うん」「お前がオレから麻雀のことで教わりたいと本気で思ったら、」「うん」「大学をやめて裸になれ!  なら、考えてもいい」「、、、わかってるよ、、」「ネット麻雀のことはとやかく言わないが、%の問題だ。生命削って打ってるのがオレの世界だ。お前にも反論はあるだろうがな、、」
     「わかってるよ、お兄ちゃんの言いたいことは。でも、これだけはきいて! ネットにも真剣勝負はあるんだ。今のあたしがどんなに全力を尽くしても勝てない人には勝てないんだ」「ちっ、、。それを言い切るだけの強いやからがいるのか?」「、、。いるよ。だって、あたしなんか麻雀覚えて3か月だもの。上には一杯いる」「いたってかまわねぇが、やられたらやりかえせ、それができなくなったら、やめちまえ!」
     「きゃっは、先生も5人ほどいるんだ。繊細なデーター重視の人。割れ目好きの、でも、物事の本質を極めた人。打ち方の美学を教えてくれる人。役づくりの底なし沼を示してくれる人。きりがないほど、一杯いるんだ。みんな共通してることは、麻雀を愛してるんだ。それがネットからでもひしひしと伝わってくる」「ちっ!ませたこと言うじゃねぇか」とお兄ちゃんは笑った。「カードとちがってさ、麻雀って、複合的な役、偶発的な勝利、嘘のような展開あって、あたしが言うのも変だけど、それぞれ人が持ってる人生の縮図みたいな、すごさがあるんだ。わかるでしょう?」「でなきゃ、やってねぇよ。そろそろいくぜ。あばよ」「待って!」「、、」
     「ききたいことがあるんだ」と、あたしは真剣なまなざしをお兄ちゃんに向けた。
     「安さんの雀鬼流、どうして、第一打に字牌を切っちゃだめなの?」「ああ、あれか」「うん」「簡単なことだ。雀鬼流てぇのは、桜井氏が作った流派だ。あれはあれで、かたっくるしいが、おもしれぇルールを作ったってことよ。安田先輩が第一打に字牌切らない方がおもしろい、おもしろくなくなったら、やめましょうって、そんなことだ」「え!?」「つまりだ。ある極みを見ちまうと、変わったことをしたくなるってことよ」「きゃっは!」
     「但しだ、あの修行的麻雀もあなどっちゃいけねぇ。たとえばだ、7ピンが手の内にあって、7ピンを引いたときに、だまで張ってる多くの打ち手が、そのまま、ツモ切りせずに手の内の7ピンを切るわな。あれが無意味ってことが、まだまだ知らないってことだ。つまりだ、てんぱっていようがいまいがいらない牌は切ればいいってことだ。小細工をするなら、手作りしろってことだ。それとだ、振り込みは恐れるな。どんな強者でも何百と振り込んでいる。これがやばい!そう思っても振り込む覚悟がありゃ振ったってまくればいいのよ」「うん」「いさぎよさで、言えば、安田先輩があちこちに麻雀のことを書いてるだろう?  先輩は、書く、その瞬間に自己責任を負ってるから、出版されたものには、一切目を通さないのよ。家に送られてくる書籍はただちにゴミ箱行きさ」「すごいじゃん!」「それが、まあ雀鬼流ってことだ。オレはオレ流だ」「きゃっは!」「そうそう、安田先輩から預かりものがあったわ、、。生還祝いだそうだ」「えええ!!!」とお兄ちゃんはリボンで結ばれた小箱をあたしに渡して帰っていった。

     あたしは、高鳴る心臓をおさえながら、ひも解いた。DJ KRUSHのDVD『阿吽』が入っていた。クレジットに目を向けると、演出 安田潤司と記されている。あたしは、あたしの血が騒ぎだしたのを止めることができなかった、、。to be continued


    1908   2002年を振り返って、、。第17回『朝陽』
    2003/04/07 05:17
       DVD、阿吽を手にしたあと、あたしはA子に電話してノートパソを持って来てもらい、二人で安さんの作品を観賞した。HIP-HOP系の音には馴染みがなかったので、不思議な新鮮さが伝わってくる。すさまじいビート、トーンの切り替え、メロディーもテンポもいい。
     A子が突然、かっこいいね!と叫んだ。うんうんとあたしも魅入られていく、、。その彼の表現世界には全くと言っていいほど麻雀とは無縁の世界観が広がっていたけれど、その独特な切れ味があたしの鼓動にマッチした。一体、これは何だろう?  ときめく正体がつかめない。あたしが今まで感じてきたロックブルース系ともサイケロックとかに比べると、完全な異世界! お姉ちゃんが大好きなテクノシンセサイザー系とも異なる。
     麻雀に例えれば、あたしが初めてJgameに参加して、kishiさんと打った時、忘れもしない配牌が国士りゃんしゃんてんだった。ところが、あたしは国士という役を本では読んで知ってはいたけれど、まぢかに接して、あ、ばらばらだと感違いして、本当なら8巡目で役満を和了していたのを、ほんいつにいったばかりに、東をポンして、身動きが取れず、てんぱいすらできなかった。
     あの時に感じたバラバラだけど、何かとてつもない響きを感じさせる超感覚! もしとか、たらなんて言葉は本来、言いわけにすぎないけれど、この音を知っていたら国士って役を知らなくても和了できたかもしれない、、そんな気にさせる。
     見終わったあと、長い沈黙があり、A子が一筋の涙を頬に伝わした。あたしはびっくりして、「どうしたの? また、何か悩んでるの?」と尋ねた。A子は唇をぎゅっとかみしめ、目線を遠くにしながら、「KRUSHみたいな彼氏がほしいよ、、」と、あたしに大きな目を向けた。
     その告白に近い真摯な重い言葉にうなずきながら、「演出した安さんもスキンヘッズだけど、かっこいいんだ」と答えた。「どんな人なの?」「つかみどころがないんだ、、。でも、いさぎよさっていうか、さばさばしてて、その一瞬をとても大事にしてる、、」「彼女いるの?」「いるよ。奥さんと子供もいる! きゃっは!」
     「エリカ!」「何?」「どうして、彼氏つくらないの?」「、、、うーーん、、いないんだ、、。クラスメートから、告られたりしてるけどさ、、。あたし、今ネット麻雀やってるの、知ってるでしょう?」「うんうん」「強い人も個性派も一杯いるし、楽しい人もいるけどさ、でも、あたしのハートにくる人、彼氏候補まではいないんだ、、。ただ、もしかしたらって人がいてさ、わかんないけど、、きゃっは!」「誰?どんな人?」「、、、。内緒だよ。心が通じるっていうかさ、あたしが言ったことにちゃんと答えてくれる人、、。でもさ、これって恋愛感情じゃないかも、、。わかんない。明日は明日の風が吹く、、。きゃっは!」
     A子はじっと、大きな潤んだ目を向けて、言葉を紡ぐように声を出した。「あたい、援交やめたよ。知ってた?」「うんうん、よかったね」「エリカに言われてから、あたいもエリカみたく貞操観念が生まれたんだ」「うんうん、、でも貞操って、、」「純真ってことだよ。だって、こういうことだと思ったの。今まで、どんだけ遊んでいてもさ、本当に好きな人ができたら、お互い過去は関係ないでしょう?  もしさ、昔のこと、ねちねちきくような人だったら、好きにならないもの」「きゃっは! 抜けたね。よかったじゃん!」A子はキャラキャラと中学生時代のように純粋に笑顔を振りまいた。
     このあとも、あたしたちは夜がふけるまで話しこんだ。10代の小話。きゃっは! A子が帰ったあとも寝つかれず、あたしは、ビル群のネオンを見ながら、詩を書いた。

     はずまんばかりに夕陽が落ちていく 真赤な血よりも大きな大陽 大きな光が世界を照らし続ける ひとり、ひとりを支える光 ひとり、ひとりを気づかう光 光が、もしなければ、光を失えば、ひとは、どこに希望を描くだろう 光の存在 光の意味 夕陽は沈むだろうけれど、朝がくれば、また、新たな光を与えてくれる いつまでも、どこまでも、光はつながっていく  to be continued


    1927   2002年を振り返って、、第18回『孟母』
    2003/04/15 03:39
       孟母断機の教え<孟子が学問をあきらめかけた時、母が織りかけていた機糸を断ち切って、中途半端を戒めた故事。修業というものは、途中でやめてはならないという教え>

     スウカンツ、あがることは、至難の技で、おそらく麻雀のアガリ役の中で難度的には一番難しい役だね   小島武夫


     入院して三日目、絶対安静から解放されたあたしは、全自動車椅子に乗って、病院内の探険に走り出した。あとから婦長さんに大目玉を食らってしまうことになるほど、行ってはいけないフロアーにまで行ってしまった。
     最初は、地下の食堂、雑誌売り場と回り、それでは物足りないあたしは、あちこちをうろうろした。オートマの車椅子はスピードこそ出ないけれど、乗りこなすとゴーカートのように左右のカーブが面白い!  ギプスで固定されている左肩のことも忘れ、次第に左を曲がるときは右輪を、右のときは左輪を浮かすとスリルが加速した。キッキッキッとF1ドライバーの心境。
     きゃっは! いつのまにか最上階に来たあたしは、病人であることも忘れ、全速力で飛ばしていると、突然、ボブサップのような大男が立ちはだかった。「どこへ行く?」「えええ!!」「ここは、一般者は立ち入り禁止だ」「うん」「君は?」「えーと、入院してるんです」「そのまま、動かないように」と強い声で言うと、その大男は無線機でどこかに連絡し、大男に見劣りしない大柄の看護婦さんが現れた。「あなたは、エリカちゃんね!」と、声が怒っていた。あたしは、すっかり恐縮して、「はい、ごめんなさい」と頭を下げた。あたしの目をじっと見た看護婦さんは、いきなりにこやかになり、「だめよ。ここはVIPフロアーだから病室に戻りなさいね」と促した。はい、と、あたしはすごすごとあとにした。
     しばらくすると、先程の看護婦さんがやって来た。「だめよ! あの階には、お大臣さんが逗留してるんだから」「えええ! 偉い人がいたのね!」「そうよ、どう偉いかが誰にもわからないほど偉い人よ」ときゃはははと、笑った。「エリカちゃん、あなたのママと私は同級生なのよ」「えええ!  大学?」「高校よ」「げ! あたしの先輩じゃん!」「そういうことかな。はじめまして、ここで婦長をしているミドリです」「げ! はじめまして、エリカです」きゃはははと、ミドリさんはさらに大きく笑った。
     「いろいろ、きいてるわよ。麻雀に夢中だってことも」「げ!! お母さんもおしゃべりだなぁ、、」
     「私もね、エリカちゃんぐらいの時、麻雀してたのよ。お茶の水で、フリーで打ってたのよ」「すごい! プロだったんですか?」
     「いいえ、セミプロって感じ。でもね、カンドラのミドリって言えば、お茶の水界隈で知らない人はいなかったわよ。知ってる? 小島プロって?」「うんうん、何冊か読んだよ」
     「私、小島さんから、スウカンツ和了したのよ」「すごい!」
     「今は、ルールが変わったけれど、昔はスウカンツを決めた時点で役満として、認められたのよ。その4回目のカンを彼からやったってこと。懐かしい話」「にしたって、すごいよ」
     「エリカちゃんは、カンは好き?」「うーん、時と場合による。暗刻からのカンはしたことがない」「私ね、どうしてカンドラのミドリって呼ばれたかって言うとね、一日の最初の対戦で必ずカンをしたのよ」「えええ!!  どうしてですか?」
     「私がね、生まれて初めて上がった役満がスウカンツだったのよ。それも、エリカちゃんのパパから」「げ!! すごすぎ!」
     「それから、私の守護神として、調子のバロメーターとして、その日の運を占う意味で、必ずカンをしたのよ。ドラはのったり、のらなかったり、のった日は、決して負けなかったわ。サンカンツドラ12も上がったわよ」「きいていいですか?」
     「何?」「お父さん、強かった?」きゃはははと、ミドリさんは大きく笑い、「エリカちゃんのパパ、正統派だから、私のようなタイプには弱かったわよ。私ってインスピレーションだけで打ってたから」「うんうん、でも、そういう打ち方もあるんだね。びっくり!」
     「あるある。きっと、世界中で、私だけかもよ、スウカンツを5回、あがったのも!」「げ!!やるじゃん!、、カンをするタイミングって、あるんですか?」
     「あるわよ。ドクターがね、オペをする日を決めることと同じ位、大事な情報量が必要よ」「場を見て、判断するんですか?」
     「うふふ、、。内緒よ」「はい」
     あたしは、ドキドキして、ミドリさんの次の言葉を待った。「暗刻がひとつあれば、先ずポンをするのね。そしてテンパった時にカンをするわけなんだけれど」「はい」
     「とても、重要なことはね、カンをすることによって、相手の手役にドラをのせるって、しゃくじゃない! だから、場が小さいって感じたときに、そしてリンシャンカイホウであがれるって、確信した時、カンをするのよ」「うーん、むずかしい、、はずれるほうが、多そう」
     「そこは、鍛練よ。カンドラはあがったときのご祝儀って、思えばいいのよ」「確率はどれくらいだったんですか?」「リンシャンの?」「はい」
     「そうね、3割ぐらいかしら、3回に1回は成功したわよ。これってアンチオーソドックス。なんでも、あきらめないで、自分の技を磨くことが一番楽しいわよ。一生懸命それに向かえば、誰も到達できなかった境地にはいれる!  決めたことは決して、あきらめないこと。麻雀ってね、強い人は確かに正統派が多いわよ。でもね、イカサマしない限り、100%勝てるってことはありえないから。負けるときは、みんな、負けるのよ。負けたときに沈んじゃだめよ。常に明るく、ハイコンセプトで、誰も考えもしなかったこと、それを極めれば誰もついて来られないわよ」とミドリさんは、きゃははははと純粋に笑った。
     あたしは、唇をぎゅっと噛み締め、ハイコンセプト、、と呟いた。  to be continued


    1948   2002年を振り返って、、第19回『閃光』
    2003/04/21 08:00
       僕らの映画は、プロデューサーとか、カメラとか分けていくものじゃなくて、役者が役者だけやるのではない時代だと思うんですよ。ありとあらゆるものに関して、敏感じゃないと、当然、人間に関しても敏感になれない。誰でも目立つことに関しては、すぐ気が付くんですけども、潜在的に隠されてるものに気付くためには、いろんな角度でその人の考え方、しゃべり方とか、目の見つめ方、耳の良さとか、音楽の趣味とか、全部含めて、映画に絡み込んでいかないと。常に自分をマイナスの状態にしておく、僕は足していくことよりも引いていくことの方が好きですから。  松田優作

     退院後、まだ左肩に激痛が走るけれども、あたしは麻雀に寄せる思いが強く、Jgameに戻るや、徹底的に観戦し続けた。かなり親しい人には、事故の話を説明し、そうでもなければ事故のことは口に出さなかった。所詮は他人の体のことだ。その痛みは事故そのものを経験しないと、全く理解されないから。
     およそ100戦ほど観戦し、肩の痛みも和らいだ頃、PCを右手一本で操作しながら打ち始めた。観戦でえたこと、人には無数のくせがある、配牌に同一色が8枚あれば、必ずたてほん、ちんいつに走る人、もーさんのようにちいといつのてんぱいを崩してでもタンピンにこだわる人、9種9牌がくれば必ずといっていいほど国士を狙う人、攻撃には強いが防御には全く弱い人、yamaneさんのように親をそう簡単に引き渡さない執着心の塊のような人、だまではってれば十分な手をリーチをかけることによってさらに倍加していく人、伸びる手は徹底的に伸ばしていく人、ドラは絶対に切らない人、反対にやすやすと切る人、めったなことではおりない人、シャボ待ちを得意とする人、ある数字にこだわる人などなど。
     復帰第1戦は、むじかさん、あきしゃん、まさすぅさん。時は朝の5時46分。奇しくも阪神大震災が起こった時刻。それもあたしを除いて、全員関西人。いきなり配牌に三暗刻がきた。以前のあたしなら、ある種の強迫観念にとりつかれて、1局目だと早上がりに向かったけれど、ここはじっくり四暗刻へと腰を落ち着かせてみた。四暗刻とは、文字どおり4つの暗刻とあたまで構成されている4倍マンガン、つまり役満だ。
     ドラは3ソウ。あたしの手の内は。5巡後、東が重なった。あたしの風は南。
         【ひいい挿入】
     むじかさんが、9ピンを切った。ロンしますか? の表示にいいえと答え、見逃した。その2巡後、7ピンがきた。8ピンを切るがリーチはかけない。以前のあたしなら、そくりーだっただろう。
         【ひいい挿入】
     すると、親のまさすぅさんがリーチを宣言した。まさすぅさんがリーチを親でかけるときは待ちがわるい。かんちゃん、ぺんちゃん、しゃぼ、単騎のひっかけ。そこにドラの3ソウをつもってきた。
        自摸:(ドラ) 【ひいい挿入】
     さて、どうする? 6ソウはまささんの河に切れているが、ひっかけっぽい。3ソウの待ちは十分ありえる。こっちはつもり四暗刻だ。わずか10秒間の中であたしの頭の回路が全速で集中した。2つの声が聞こえる。おりたほうがいいぜ、と、ドラ待ちはないだろう、ここは勝負だ。以前のあたしなら、ためらうことなく、追っかけリーチだっただろうが、あたしは場に1枚見えている東を切った。
         【ひいい挿入】
     おりたのではない。ドラの3ソウが1枚も場に見えていないから、つもれると思ったから、打ち回した。
     2巡後、3ソウがきた。
         【ひいい挿入】
     ここで、リーチをかけた。これでつもれば、復帰第1戦、いきなり役満だ。げんがいい! と思いきや、あきしゃんが2ソウを切って、まささんがロン! リーチドラ1だ。残念!
     そして、時は巡り、オーラス。トップを走るまささんとの点差は7500。マンガンをつもるか、3900直撃でまくれる。配牌を見て、びっくりした。再び、三暗刻があった。それも、ドラの1ピンが暗刻。これをあがらずして、どうする! すると、予想外に親のあきしゃんが、1ピンを切ってダブルリーチときた。あたしはためらうことなくカンをした。
     生まれて初めての暗刻からのミンカン。
     理由は3つ。一発を消すこと、トイトイドラ4でまくれること。そして、あたしのドラ4とあきしゃんへのドラを増やすことによって、トップを走るまささんにプレッシャーをかけ、べたおりさせ、あきしゃんとの一騎討ちに出た方が分かりやすいと思ったから。
     のち、たれちゃん(Jgame勝率1位)との麻雀談議で、彼が言うには、勝負感は自らが鍛えなければならない、誰も教えられない、非常識と思えることもそれを自らの術にすれば、誰も勝ることができない、そして「私の勝ち方は、勝負に対する直感が全てかも知れません」と言っている。これらを先取りしたといっていい。そして、10巡後、あきしゃんの切った北をロンして、まくることに成功した。
     このことをより客観的に分析すれば、三暗刻ドラ3でもよかったわけだから、カンする必然性はなかったのかもしれない。でも、あたしの勝負に対する直感がひらめき、暴挙に走った。言い訳ではないけれど、ダブルリーチじゃなかったら、ひらめかなかったかもね。あたし流はどこにある? to be continued


    1983   2002年を振り返って、、第20回『目眩』
    2003/04/28 07:49
       夏は嫌いなんだけど、夏の土の匂いが凄い好きで。夏の匂いは土の匂いなんですよ。冬の匂いも土の匂いなんですよ。でも、冬と夏の香り方は違うでしょ? なんか、向日葵のイメージとか土の香りのイメージっていうのは、どこで感じてるかわかんないんだけど、もう、ここら辺にあるものでさ、熱っていうかさ、モワっとしたクーラーから出る、あの目眩な感じ  椎名林檎

     人間の体の機能って不思議。左手が全く使えない不自由さが逆に右手の潜在能力を倍速に引き出していく。めまいのするような、想像を絶する右手の動きが身につきはじめる。軽快にキーボードの上を右手が跳ねる。脳内の思考回路もこの不自由さをばねに活性化され出した。
     ひとりよがりだった手作りも、場が見え始める。牌効率を重んじた正統派的思考、筋道を踏む打ち方も試みた。本来、あたしは確率論はあまり重視していない。といって祈ったり、何かの数字に固執するオカルト的思考もない。つまり無勝手流。すうかんつのミドリさんほどではないにしても、あっと驚かす役作り、待ち方を断然好む。
     でも、それだけでは麻雀道を極めるには不十分だと感じた。ありとあらゆる打ち方を学習してこそ、何か、あたし流への道が開かれるはず。麻雀で食べているお兄ちゃんとは一度も囲ったことはないけれど、昔カード勝負はよくやった。彼特有の死臭をかぎわける、人の不必要なカードを狙い撃ちする戦法を、きっと麻雀にも活用していると推測できる。
     「麻雀ってのは、亡国の遊びさ。本当に強い奴だけが楽しめるのさ」、お兄ちゃんの口癖。のち、みたりんこさんと半荘戦、打った時も彼女は人が最も不必要な牌で待つことに専心していた。あたしが、7ピンをポンすれば、ちいといつの8ピンでちゃっかり待っている。あたしはあたしで、それがあたりだと直感が働いても、半荘戦なら東風戦に比べれば長い目で見られるから、その戦法の裏付けをとるためにも切っちゃったけど。
     12月中旬、もーぱいさんと久し振りに5連戦を打った。あたしがしもちゃ二人の牌が全く見えないバグに苦しんだ時、ひいいさんのHPを教えてくれた方。あとのメンツは新人君たち。
     打ち終えた後、もーさんと30分ほど話をした。「エリカちゃん、強くなったね」「えええ! ほんとうですか?」「打ち筋にまとまりができてるよ」「うんうん、やったね、よかったよ」「あとはね、欲の赴くままに、鳴き過ぎないようにすることかな」「うんうん、すぐ鳴いちゃうんだ」「鳴くとね、その手がさらされるから、2鳴きテンパイまでが限度だよ」「うんうん肝に銘じるよ。そうそう、もーさん、あたし左肩が治ったら、リアル始めようと思ってるんだ。それもね、仲間内とかじゃなくて、歌舞伎町でフリーで打つんだ」「もーもね、昔サラリーマンしながら、あちこちで打ってたよ」「えええ、そうなんですか?  もち勝ってたんですよね!?」「そうなんだけど、一度大敗を喫してね、それで足を洗った」「えええ!! すごっく、負けたんですか?」「そう。外ウマもあったから、賭金が大きくなった」「げげげ、恐ろしい世界」「フリーで打つなら、色々あるから気をつけてね」「うんうん、わかってる。お兄ちゃんからも言われてるよ。コンビ打ち、ぶっこ抜き、エレベーター、イカサマも多種多様みたいだしさ。あたしも、自分の払えるレートでしか、打たないから、、ただ負ける気はないよ、きゃっは」そのあとも麻雀以外の話をし、もーさんは仕事に戻っていった。

     あらためて思うけれど、ネット麻雀の世界は、あたしが未来に出会う新宿歌舞伎町に匹敵するほど、世界中からさまざまな職業、生い立ち、性格を持った人たちが集まってくる不夜城だ。kishiさんも1Rに関して、廃ることのない24時間営業の雀荘だなと言っていたけれど、本当にアンビリーバブルな世界。80人で満室になった1Rに全く知らないHNの方々が9割以上ひしめきあっていることもある。どこから湧いてくるのだろう?  って、朝の5時にふと思う。HNも風変わりな方が多いことにもびっくりさせられる。
     とりわけ、驚かされたのは、19tのオーナーになって、募集をかけたら面識のない新人君達が5秒も経たずに現れ、あたしが出親でハネマンをつもったら、またたくまに消え去り、あっという間に終了したこと。自動君3人では打てないから。そんな同じような展開が、その日は3度続き、怒りの前に目眩が生じた。
     冒頭にあげたりんごちゃんの目眩とは対極的なものだけど、何故かそれに関して感情的になるのではなく、2階から見ればその人の出入りも、ま、ありかなと、仙人面するあたしがいた。事故ったことで、達観できるようになったのかも。いいめまいを求めて、次の対局に集中しようって感じ!
     とにもかくにも、あたしのめくるめくめまいは続く、、。to be continued


    1990   2002年を振り返って、、第21回『実感』
    2003/05/05 21:56
       TVや映画で何回も死体はみたことある。でもそれは生きてる人間が「フリ」をしているだけだ。本物の死体をみるのははじめてだった。でも何か実感がわかない。
     それからあたし達はしばらく死体をみていた。「こわい」とか「恐ろしい」とか「きもち悪い」とかの感情を一応、感じた。でも、やっぱ、実感がわかない。もしかしてもうあたしはすでに死んでて、でもそれを知らずに生きてんのかなぁと思った。 (岡崎京子 リバーズエッジより)


     12月16日、あたしの19歳の誕生日まであと1週間強。麻雀を覚え始めて、3か月と1週間。左肩剥離骨折のため、学校には休学届けを出している。毎日、クラスメートから幼馴染みまで、見舞客がやってくる。これが、ギプスなの?  とか、見舞いにかこつけて、トラブルの解決策を求めてくる。やはり、地球の中心はそれぞれ個人の生活にあるようだ。
     パレスチナ問題を語る人は誰もいない。すこし世界に目を向けるだけで、人としての幅がひろがるのになぁと思うけど。
     この日、ベテランさん3人と打った。一人はうしゃうしゃのうーさん。あたしのお気に入りの一人。麻雀談議はしたことはないけれど、とっても明るく、一緒に打っていて、こっちが振り込んでも落ち込む暇がないほど楽しい人だ。
     そのうーさんが3巡目、親でリーチをかけてきた。早い!! 早いリーチは、たんき、しゃぼ、かんちゃん、ひっかけが多いけれど、うーさんの河にはと手がかりがつかめない牌ばかり。
     そのとき、南家のあたしの手牌は。ドラは7そう。ここに中をもってきた。さて絶対安牌はない。和研さんの河には南と2ワン。北の狼さんの河には、1そうと北。困った。たった10秒間の中でどう判断したらいい?
     めったに麻雀のことで語らないお兄ちゃんが一度、言ったことがあるのは、何がきても、考える時間は3秒以内のリズムを守れ、でなきゃ相手に手牌を読まれるぜ、と。と、いったって、3秒なんか、とても無理。10秒、めいっぱい考えて、あたしは東の暗刻落しに出ることにした。
     のち、kishiさんと打ったときに、kishiさんは親で東タンキの荒技リーチをかけて、へぇそんなこともありかと感心したけどさ。
     そして、東は通った。けれども6巡目、再び苦境。
     。一瞬、安牌を引くためにカンも考えたけれど、やっぱ、その手はない。こちら側に親のリーチを上回る破壊力のある手がなければ、カンは相手にドラをふやすだけだから。2ピンが通れば4回、安牌として切れるけれど、それも甘い。壁もなければ、筋も切れていない。とこの時、もーぱいさんの言葉を思い出した。「早いリーチにはね、一色切りに賭ける方法があるよ。筋を切るより、効果はあるから」
     あたしはピンズの染めを念頭において、6689を含めた超マンズ切り一本で、守るのではなく、攻めていくことに切り替えた。言い変えれば、もしリーチがかかっていなければ、あたしはこの手牌からどんな手作りをするかってことが重要だと考えた。
     そして、もうひとつは2階へ行く発想。つまり、あたしが親ならどんな気持ちでリーチをかけるかってこと。早いリーチに安牌をしぼれないと、確率的にも心理的にも字牌を切る傾向にあるのではないか。となれば、うーさんの待ちはズバリ、しょんぱいの発と中を核にしたシャボ待ちと読めるのではないか。そうして、15巡目、うーさんは発をつもりあげた。裏のって親まん。あたしはきらりときらめく思考の輝きと共に、4000点を支払った。

     麻雀の対局数も増えれば増えるほど、防ぎようのないケースが増してくる。でも、よくよく考えれば、その内の50%は放銃しないですんだと思える。どんなに優れた迷彩リーチにも、マンガン級のヤミテンにも、その手に溺れた弱点が垣間見えてくる。常に相手の立場になって物事を見続けると、なぜ4巡目にドラそばが切れるのか、親なのに東を第一打に切れるのかなどなど。
     また、1334から3を切っての逆切りを何度もされれば、25はあるなぁっと見えてくる。それでも、456のどれかで待つ中筋ひっかけリーチには手を焼く。468とあって、8を切ってのリーチなら、いーしゃんてんのりゃんかん待ちがあるからわかりやすいけれど、三色の決め打ちで早い巡目に28が切られていると注意してても、安易に切ってしまう。振ったときのショックは大きい。
     以前にも書いたけれど、あたしは麻雀を通じて、さまざまな人の人生の縮図を見ている。ひとつひとつの牌に意味を持つ人と打つと、その繊細さ、その大胆さにプレーをしているという実感が生まれてくる。そして、あたしにとってもその牌ひとつひとつにあたしの血を感じ、汗を感じ、息を感じ、骨を感じ、肉を感じ、鼓動を感じる。

     全く、目に見えない時間さえもそのひとつひとつの牌に刻まれている。実感、あたしはこの言葉を深く深くかみしめ、次の牌をつもり、切り捨てる。つもって、切る、これが心からの叫び!  次のつもで世界が変転する。あたしの実感は続く。to be continued


    2024   2002年を振り返って、、第22回『海底』
    2003/05/12 23:44
       ひとりぼっちの浜辺は危険だわ。海の底がいのちをほしがって呼んでいるから。でも、、、、もし、、、、そんなときには、、、、、貝殻をひろって耳にあてて、貝殻たちのおしゃべりをお聞きなさい、気がまぎれて海の底のまねき声をわすれるから、、、、貝殻が美しいのは、いつも夢を追っているからよ、、、、貝殻がしあわせなのは、いつも満たされないからよ   (石森章太郎、『ジュン』より)

     病院での検査のあと、あたしはひどく憂鬱になり、あたかも深い深い海の底に閉じ込められたような気分だった。見渡す限り真暗闇、そして呼吸もままならない。ドクターは静かな口調でこう告げた。「神経損傷の可能性の否定はできません。精密検査を次回、行いますから安静を心掛けて下さい」「しびれの原因なんですか?」「そのことを精査しますから」 
     部屋の明かりはついているはずだけど、あたしの心の目は海の底を見つめていた。水平線を見つめていると心はなごむが、この深い闇は痛々しい。ドクター許可が下りないから、お風呂にも入れず、このいたたまれない感情をいやす方法が見当たらない。お酒もたばこも好きではないので、気を紛らわすこともできない。何人かの友人、先輩たちと電話でおしゃべりしたけど、やりきれない。
     と、そんなとき、家の中で飼っている犬、あーちゃんがくんくんとやって来た。「どうしたの?まだ、肩は痛むの?」と、そんな目をして寄ってくる。「うんうん、やばいよ、困ってるんだ」あーちゃんは、ぺろぺろとあたしの唇や鼻や頬をなめまわし、弧を描いてくるまった。
     骨折からくる激痛はおさまったけれど、断続的にしびれが生じ、打っているときにも支障を来した。クリックを間違えて、切る牌の選択をミスったり、バグったりしてしまう。生綿で首を締めつけられるような、じわじわとした苦しさ。英語でいうなら、hear thingsが、幻聴が聞こえる、see thingsが幻覚を見るとなれば、feel things、しびれがくるとでも意訳できるけど、、、。
     この苦しさに似たようなものが、のち2003年1月、月間トップをとった時襲った。あたしは、ただトップをとるのはつまらないから、さじんちゃ(砂塵の王国)が成し遂げた1000ptを超えようと目論み、死にものぐるいで打ち始めた。
     一日平均20時間PCの前に座り、一日34ptをたたき出していった。ptの高いベテランさんたちと打てば、トップで3ptは獲得できる。でも、そう簡単にはトップをとらしてくれない。新人君と打てば、やすやすとトップをとれるけどpt1しかつかない。バグなる超難敵も阻んで来た。一日平均3回、おちてしまった。48時間打ち続けたこともあった。何かに取りつかれたのだろう。ベテランさんの一人に、きつねがついてるなって、いわれた。楽しさよりも苦しさが、修行中の禅僧のような息苦しさがついて回った。そうして、1か月1055ptをゲットした。達成感はあったけれど、もう一度挑めと言われても二度と行わないだろう。それに似た心境。
     12月18日、ベテランさんたち、面子はキング、いすけまるさん、サンテさん。東3局、巡は進み、あたしは海底を迎えた。この海底、何故か振り込んでいる確率が高い。役がなくても海底で、あたれる、ありありということもあるし、そしてあたしの詰めが甘いんだろう。
     北家のあたしの手牌は、リーチはかけていない。
     ここに、ドラの北をもってきた。げげげだ。現時点であたしは、2着。トップとの差は5500点。このドラがしょんぱい。
     もう、和了することはできない。いすけさん、サンテさんからリーチがかかっている。ざっと見渡しても絶対安牌はない、6のまんずも切れていないから壁はない。どちらかといえば、そうずが高くなさそうだけど、そのそうずが一枚もない。どうしたらいい?  とても、息苦しい。
     悩みに悩んで、4ぴんを切った。14ぴんがないようにって。どっかん! Wろんだ。一人は、456の高目の一通、一人はリーチ裏3の14ぴん、あたしは、ひっくり返ってしまった。海底がついたので、一通ははねていた。キング、北通った?  と瀕死の声できいてみると、ちいといでドラ待ちだったよ、と言った。
     あたしは、ただ、放心状態に陥った。その対局から丸一日、あたしは休養をとることになる。 to be continued


    2094   2002年を振り返って、、第23回『陥穽』
    2003/06/09 03:54
       植物には、インテント(意思)の能力がある。それは植物が欲するものの方に身をのばしたり、欲しいものを探し当てる能力があるからで、そのさまは、空想小説の中に出てくるもっとも幻想的な生物のように神秘的だ。
     植物は人間が何も知らない出来事や現象をーーー人間が知らないのは人間が人間中心的世界観の陥穽にはまりこんでいるからで、そこにおいては世界は人間の五感を通して人間に主観的に示されるに過ぎないーーー絶えず観察し記録し続けているのである。   ラウール フランセ(生物学者)


     つもり四暗刻をてんぱっていながら、海底でWロンを振り込んだ日の翌日、あたしは過去3か月間の麻雀対戦を思い出しながら、記憶の海を必死で泳いでみた。とりわけ突き付けてみたのは、7ブリッジでの実績を引っさげての麻雀、あたしは自身の才能に溺れていなかったかという自問自答だ。
     正直、ルールを把握し、打ち方を一通り理解すると、さほど難しくないのではないか? 考えていたよりも気楽なゲームだ、お兄ちゃんが言うほどではなく、意外と底が浅いのではないか?  とどこかで傲慢になり、あなどっていたのではないか?
     ベテランさん相手に連勝、例えば、トップ率の高いうたた姫さん相手に3連戦3連勝、それもぶっちぎりに勝利を収めると、かなり天狗になっていた自身があったことは否めない。ただ、あたしの場合、性格的に和了した時よりも敗戦したこと、打ち方を強くミスったことを強く記憶にとどめているので、一応、安易なバランスを保てたのかも。
     つまり、こういうこと。あたしは他の打ち手とは絶対的に異なる天から授けられた才能と、それに溺れず打ち込んできた自負、勝利よりも敗けたことに注意を喚起し、それを戒め、努力してきたと考えていたこと。だからこそ、それ自体の落とし穴にあたしは知らぬ間にいつのまにか入り込み、井の中の蛙状態になっていたということ。たった3か月で、麻雀の何が分かるというのだ!  カードですら日本でトップの座をとるのに13年かかったあたしが、何を根拠に麻雀世界を知ったと言うのか!
     気を張っていたあたしは、とうとうなしくずし的に、そして何度も経験してきた涙、透明なのに熱い! にくしゃくしゃになった。
     涙は大嫌いだ! 流したって気が晴れるわけでもなく、ますます憂鬱になってしまう。この日のあたしの涙はいつもと違ったのだろう。涙声を聞きつけたお姉ちゃんが部屋に入って来た。
     「エリカ! どうしたの?」「泣いちゃった」「また、勝負事のことね?」「うんうん」「つらかったら、やめればいいのに、、、、でも、そういうことでもないんだから、、」「うんうん」
     しゃっくりが突然起こり出したあたしの背中をお姉ちゃんはさすってくれた。
     「事故したからさ、少しはおとなしくするかと思ったら、また、始めてるって、よっぽど気に入ったのね?」「うんうん」「兄さんにさ、対抗意識燃やしてるのかな?  それはそれでいいんだけど、体大事にしないと何もかもだめになるよ」「うんうん」
     「参考になるかな? 兄さんがエリカが留学してるとき麻雀始めて半年ぐらいかな? 毎日、壁と扉、殴ってさ、大変だったよ」「えええ!!!また、暴れたの?」「かな、、、。ただ、どっちかというとさ、麻雀に負けて悔しくて、涙の変わりに拳から血を吹き出していたってことかな。行き場のない苦しみを噴き出したんじゃないかな」「知らなかった、、」
     「人ってさ、何をするにしてもさ、どこかで悲しいことにつながってると思うのね。いいことばっかじゃ、逆に、おかしくなっちゃうよね。嫌なこと、苦しいことをさ、幾つも出会ってさ、時にはさ、死にたいほどの穴っぽこに落ちたりしながらさ、やっと本当に目指していること、願ってたことにいきつくから、人っておもしろいと思うよ。苦しみも悲しみも、そのハードルが高ければ高いほどいいことに巡り会うんだよね」「うんうん」
     「文学的になるけどさ、涙って、心に施された化粧を流してくれるんだよね」「、、、うんうん」「きゃっは! なんてね!」「げ!」
     最後にお姉ちゃんとあたしは大笑いした。翌日から一転変わってあたしの快進撃が続く、、。to be continued


    2121   2002年を振り返って、、第24回『流局』
    2003/06/16 02:21
       20歳になるくらいまで、あんまり人とつきあわなかったし、ずっと自分のことばっかり考えているような子だったから、これでもよくわかってるつもりなんだ。だけど、他の人がどんなのかなって、自分と比べてみたら、怖くなったの。だって、わたしって他の人と全然違うんだもの。映画をやってみてやっとわかったんだけど、みんな、ひとりっきりよりは話し相手がいる方がいいし、目が覚めると見てた夢を忘れちゃうんだね。そういうのって、すっごく不思議なの。  ビヨーク(アイスランドが生んだ天才歌手)

     ほんいつでもない、トイトイでもない傾向の配牌から、あたしは、時々、役とは全く無縁のおた風をポンする時がある。さすがに親の時にはこのようなリスキーな仕掛けはやらないけれど、子の1局あるいは2局にあえてやってみることがある。観戦者がいる時は、その手の内を見せたくないのでやらないけれど。
     では何故か? 幼い頃からあたしはカードをやっていた。このことを他人にいってもなかなかあたしの本意は伝わらないけれど、あたしが差し出した52枚のカードをどんなに細かくシャッフルしようが、上から下まで全ての種類と数字をいい当てることができる、それを小学生1年生の時にマスターしたといえば、わかるかも。
     友達とも遊ばず、カードがあたしの心のよりどころだった。さて、ビギナーズ君相手なら平手で自然に任せて役作りしていたけれど、超ベテランさん相手になると、意図的に自然の流れに逆行する仕掛けを行い、相手の手を止める戦法を多々行い、それが成功したからだ。
     のち、安さん(雀鬼流側近)も迷いを生じさせないためにも、つも1秒、切り1秒の2秒打ちがあるといっていたけれど、おた風ポンはその迷いを引き出せる心理戦としては、優位に立てる戦法として、あたしは発見した。この一見ありえない戦法は麻雀というゲームの本質を突いた不可解な領域を探る手立てとしては絶品だ。
     何度も言うように、役が見えないのに手の幅を狭め、かつ、その向かう先が全く存在せず、いわゆるタコ打ちにも等しいからこそ、効果も絶大だし、よほどの打ち手じゃない限り、ベテランさんにも迷いが生じる。おた風を泣くということは、トイトイかほんいつか、役風を持っているのだろうと意識の隅に刻み込まれる。
     ところが、あたしの手牌は依然として、何の役もないまま進行する。ここでのキーポイントは、あとからつもってきたドラと役風は絶対に切らないことだ。19牌はビシビし切る。河の様子から見てもほんいつかトイトイの匂いは保つ。ここで仮に親以外からリーチがかかるとする。このときも第一打から勝負を装っているように危険牌をあえて切る。47そう、25わん、36ぴんが危ないとすれば、一点残しの36ぴん以外は全て切っていく。
     あたしにはマンガン級の役があることを信じ込ませれば、その戦法は成功だ。そして絶対にてんぱいにはとらず、流局に持ち込む。手の内を見せれば、一巻の終わりだ。ここで1000点1500点失ってもそして、仮に自然に打っていて平和で和了するくらいなら、この流局の意味の方が遥かに大きい。のちリアルでもこの戦法を多々活用しているが、きまってこの逆流での流局を達成できると、次の配牌はおそろしくいい!  わるくても2しゃんてん、よければハネマン級の手牌が入って来る。でなければ、引きの強さだけでは、2003年リアルでの3、4月合わせて78万も稼ぐことはできなかった。
     12月21日、moo_pi35さん(あたしにとって先生以上の存在)、hayukuさん(あたしが、はじめてみた8連荘をした強者)、500pt級の打ち手と打った。東1局、ドラ3ぴん、あたしの風は北。配牌を見ると、絵に描いたような屑手。
     、あたしは迷わず流局に持ち込むため、西家のhayukuさんの第一打南をぽんした。
     巡は進み10巡目、もーさんからリーチがかかった。もーさんは南家の子だ。あたしはなんのためらいもなく、あぶらぎった牌をビシビシと切った。hayukuさんから声がかかる。エリカちゃん、大きそうだね。あたしは返答せず、黙々と切り続ける。
     15巡目にから、ここにドラの3ピンをつもり、もーさんの絶対安牌36わんを切り落として、流局に持ち込んだ。奇しくも、もーさんの待ちは白と中のしゃぼだった。
     ニヤリとなったあたしの次の配牌はドラ2枚持ちのほんいつ、ちいといつ1しゃんてん、そして、だまでハネマンを和了し、この対戦は完勝した。
     たしかに、いつもこんな風にうまくいくとは限らないが、確率的には3割3分で流局さえすれば、美しい配牌が来る。これも麻雀という不可思議なゲームのなさる技だ。あがらずにして勝ちに向かう。あたしの流局は続く。to be continued


    2153   2002年を振り返って、、第25回『一性』
    2003/06/24 08:07
       われわれは東洋哲学の源泉からまったく時間を要しない交信(即時交信)のことを聞いている。それらが告げているのは、宇宙は均衡状態にあるということで、たまたまある場所で均衡が崩れても、その不均衡が探知され修復されるのに100光年待つ必要はないという。このまったく時間を要しない交信、一切の生けるものの間の一性(衆生一如)、これが答えとなるかもしれない。    クリーブ バックスター(嘘発見器検査官)

     あと2時間で今年最後の牌王位戦が始まる。あたしにとって、初めての麻雀大会だ。
     先月もむじかさんに誘われたけど、参加しなかった。参加するなら、せめて上位入賞は果たしたいと考え、一カ月間、時が熟すのを待った。明らかになったことは、役を作ることでは、もうベテランさんには、ひけをとらないということだ。もちろん、まだまだ未知の領域は無数にあり、あたし自身も納得していない事柄は多くあるけれども、いつかは天下を極めたいという野心がある以上、経験を重ねることは決して時間の損失にはならない。
     参加者の中に数人、要注意をしなければならない打ち手がいる。雀帝さん、ミーコさん、銀さん、あらまあさん、とりわけ、あたしとは全くタイプが異なる打ち手、s.yamaneさん対策が肝心だ。
     引退した六太郎侍さんも言っていたが、たしかにいやらしい打ち方を仕掛けてくる。親を離さないように手段を選ばず、はやなき、あとづけをしてくることはよく覚えている。のちkyayさんと打ったときも、なんて卑怯な奴だと毛嫌いしてしまったが、この姑息さはあなどれない。
     東風戦は親が一回しかない。ここで連荘するかしないかは勝負の分かれ目であり、あたし流のいさぎよさを売り物にしたって負ければタコなのだ。
     役満を何度てんぱろうが和了できなければ、安手を数回和了されればその差は開く一方だ。
     カードの時もあたしとは全く異なるタイプ、ちまちまと勝ちを拾ってくる相手は難敵だった。ちっとも、かっこよくない、虫でいうなら、だに。小さいくせに動きがやたら速い。しかし、強かった。ヨーロッパ選手権の時に一番感じたことは、だにはいくらでも、血を吸ってくるばかりか、その他人の血を栄養にして手をこまねいていると、破壊力まで備えてくる。そうなると手が付けられない。奇しくもイスラエルのチャンピオン、ダニさんは、その名の通り、ちまちまと手をさらし、連勝を重ね、あたしの体から大量の血をすすりとった。完敗だった。
     今でも忘れないが、試合後、ダニさんは「オレはカードで生活しているのだ。君のような遊び半分のおじょうさんに負けるということは、ありえないのだ」と言い切った。あたしは目をはらして、リベンジすると言い返したが、、。
     さて、7ブリッジ時代がそうであったように、先ずあたしは正座し呼吸を整え、沈思瞑想に入った。麻雀のことを全て忘れ、記憶の隅にこびり付く邪念を切り捨てていった。大会前には必須の時空間だ。亡きおじさんから教えられ、小学生1年から続けてきたこと。
     宇宙から見れば、人間の存在は無いに等しく、しかし、無の心を持つことによって、見えない宇宙の隅々まで見渡すことが可能になり、また、数百光年先の星の流れも感じることが可能になる教え。それは、見えるはずのない相手の心の動きを見れるようになり、勝負にはその力が働かなければ決して生き残れない教え。打ち筋や動作に惑わされないように、常に平常心を保つために心にたまった澱を払拭する時間。
     街のざわめき、置き時計の秒針音、自身の鼓動音も消滅し、かすかな冷気が横切ると、やがて、静寂さが心の隅々に行き渡り、あたしは気を失ったように無となった。光もなければ、暗闇もない、あるのは、無だけなのだ。to be continued


    2171   2002年を振り返って、、第26回『戦場』
    2003/06/30 08:32
       戦争をもって戦争を養う。  (孫子兵法)
     どの道、いつかは花と散る命。 (100対8の玉砕覚悟の戦いに挑んだ柳川組伝説より)


     麻雀にしろ、カードにしろ、勝負事にあたしが魅せられた大きな理由は、やはり日常のサイクルではありえない事象の出現、最初と最後があらかじめ約束された絵巻物のような世界を叩き壊してくれる瞬間に出あえること、、まさか5巡目のリーチで国士とは、、その捨て牌でその待ちがあるのか、、わ、即つも裏3だ! などなど。
     また、52枚のカードと異なり麻雀は136牌もあり、そのうえ王牌と呼ばれるかんをしても正体不明な引けずの山もある。透視能力でもない限り、次に来る牌が読みきれない。
     のち、リアルで恐るべきイカサマを目の当たりにして、動態視力のいいあたしは、そのイカ野郎の左手首をつかむという事件はあったが、ネットではブッコヌキもありえない。
     勝負事特有の心の闘いの最たるものが麻雀である。勝率も4戦打って、1回トップがとれるかとれないかだ。カード時代の勝率は7割を越えていたから、その難しさも半端じゃない。それが麻雀の不可思議なおもしろさにつながるのだろう、、。
     同じような雀暦を持つベテランさんでも、ここぞというときの勝負に弱い人がいる。きっと、決断力、実行力、情報収集力、冷静さ、才覚、先見性のいずれかにおいて、欠けている点があるにちがいない。
     さてさて、15分前に9Rに入り、大会を待ちながら、ある小さなことに気をもんでいた。あたしにとって、大会とはお祭りでもなく、饗宴でもない。戦争だ。だから、相手が和了したとき、おめでとう、あたしが和了したとき、ありがとうを言うべきか言わざるべきか。
     普段から打ってる時も100%真剣勝負のあたしは、この言葉に悩まされていた。切るか切られるかの戦いのなかで、最初と最後の挨拶は礼儀として当然としても、和了に関して心にもないことを言う必要があるのか? という自問自答は常にあった。
     最終的にトップを獲得した人に捧げるおめでとうは、理解できる。役満を和了した人へも同様だ。
     しかし、戦場を駆け抜ける兵士が、おめ、ありを口にするだろうか? 最前線では、敵の中枢に壊滅的打撃を与えるまで、あるいは自らの肉体が滅ぶまで戦わなけれならないのだ。だから、それらは神経を逆撫でする言葉ではあっても、喜ばしいこととは到底思えない。
     少なくともカードの世界では耳にしたことがなかった。逆転を狙った雀帝さんが、和了できずに時々かいま見せる、クソ! と叫ぶ声の方があたしには人間味あふれる言葉として、すがすがしい。
     日本特有の全体主義とあたしが目撃したイギリス流の個人主義のすれちがいか? とはいえ、あたしはまだ、この世界では新人だ。それも大会初参加。いずれ、この件は、あたしたちの世代によって、改革すればいいと考え、また、おめ、ありは次の攻撃準備、銃弾補給用のつなぎの言葉として用いることに決め、本番を迎えた。
     ひいいさんが大会開催の挨拶を述べ、対戦相手が発表された。あたしの面子は向台風さん、LOTO.6さん、ゆかごんさんだ。台風さんとは確か、3度ほど打ったことがあった。記憶の河を遡ってみると、トイトイ系からよく、カンをする方だった。カンドラがのると手がつけられなかったことを思い出した。
     あたしは、鉢巻きを締め直し、背筋を伸ばし、あたし流に考えだした戦法のひとつを試みることにした。配牌から役牌、おたかぜを徹底的にしぼる、名付けてN作戦、なかせない、そして、にこにこに仕上げるの意味。
     あたしは、経験上、例えばシャボ待ちの多いKakaさんと打つときもそうだし、トイトイ好きのベテランさんと打つときには、メンピン系を避け、ちいといつを最終形にイメージする作戦をとると、それは絵に描いたように成功したからだ。
     それに、あたしとって、麻雀は遊びではなかった。カード同様、戦争、あるいは、死闘だ。自分の好きな役を見つけて、気楽に打っていたのは初期の頃の2週間ほど。あとは全て戦いだった。まくれるときにまくれなかったり、まくられたときは必ず、体中のありったけの水分を涙に変えるくらい号泣した。
     そんなに気を張らなくてもと、あるベテランさんから言われたけれど、あたしは、毎日、気だけで生きているといって過言ではない。そんなあたしから気がなくなったら何が残る?  他人がささいだと思うこともあたしにとっては、おおごとなのだ。
     東1局、早い巡目から、台風さんはないてきた。ドラもあるのだろう。あたしはしぼりこんだ。
     。この手から、97まんず、24ぴんずを落としていった。たった2組しかないが、ちいといつに決め打ちした。しかし、自然の流れに逆らってもうまくいかない。
     4局まで、この戦法はテンパイすらできず、トップ取りから遠ざかっていく。ところが光明が射した。
     子の最後の配牌、絶好のちいといつ手がきた。ドラは4そう。
     。ここに4そうを引き、13巡目ドラ待ちでてんぱった。あたしはリーチにうってでた。つもれば逆転だ。その2巡後、4そうをつもり、この回トップをとって終了した。
     幸先良い出だしに思わず頬が緩んだが、第2戦を迎えるにあたって、さらに気を引き締めた。あたしの戦場は続く。to be continued


    2184   2002年を振り返って、、、第27回『躍動』
    2003/07/06 04:49
       人間というものは運動と振動を永久に続ける振子です。人間のスピリット(精神)は肉体の中に捕囚となっており、その肉体のうちでは諸力が心臓の鼓動と同じように脈うち、鼓動しています。しばしば、それらの力は肉体の中に強い情動の雷をとどろかせ地震をひきおこし、人間の肉体的存在の基礎さえもゆさぶります。生命の歩みは、あたたかな愛の感情の時はリズミカルで落着いて鼓動し、激情の嵐の時は滝のようになって落ちますが、それは運動と鼓動こそが生命であるからなのです。   ジョン ピエルラコス精神医学博士

     3C、concentration 集中力、confidence 自信、courage 勇気、が充実していると、骨折していることも忘れ、麻雀に没頭できるから、人間とは不思議な生き物だ。
     この大会の件であたしは、むじかさん(musicadream)にメールを送っていた。骨折した左肩は完治にはほど遠く、右手一本でキーボードを打ちながらの麻雀大会では、本領を発揮できないから、出場を見合わせた方がいいか?  そんな内容だったと思う。むじかさんからの返信では、人生は長い、チャンスはいくらでもある、無理をしないほうがいいよ、とのことだった。
     結局、あたしは鎮痛剤を服しながらでも、参加することにした。大きな理由があった。24日で19歳になるからだ。あたしにとって、18歳、最初で最後の麻雀大会。これを出ないにして、何に出る?
     それと、小さなことだけれども、あたしは決心していた。19歳になればHNを変えようと。ランカー入りしたい夢はあった。トップを走るJBOYさんを追い抜こうと目論んでいたこともあった。3か月間、奮闘、獲得した1400ptをこのまま削除するには少しばかり惜しい気もした。
     でも、19歳なのにエリカ18は矛盾していると考えた。亡きおじさんは、最も矛盾を嫌悪する方だった。一番弟子が矛盾をどういう理由であれ抱え込んでいては、その意志を継ぐことにはならないと。
     牌王位戦、師走杯第2戦が始まった。面子はmasakataさん、Kakaさん、みたりんさん。
     みたりんさん、のち、みたりんこさんと改名する鹿児島の女傑とは半荘戦を通じて、あいさん同様、あたしの姉御的存在になる方。
     第1局、あたしの風は南。8巡目。親のKakaさんがリーチをかけてきた。親でも子でも滅多にリーチをかけないKakaさんがかけるということは、何か怪しい。ひっかけっぽい。河もちいといつ模様だ。
     あたしは、5巡目に切られた6ワンに着目し、3、9ワンの2点待ちにしぼって、あぶらっこいところをびしばし切った。読みが当たっているのか、全て通っていく。
     そうして、あたしの手は、の仮テンとなり、ここにドラの1ソウをつもり、確信的に5ピンを切り、だまを続け、Kakaさんがツモ切りしたドラをロン!  イーペイコウドラドラで和了した。
     そうして、あっというまにオーラスを迎えた。トップ目を走るあたしに絶好の平和手が入り、だまで和了した。あっけなかった。このあっけなさは例えるなら、自宅から大学までバイクで通うときに、いつもは混雑渋滞している道がその日に限って、すいていて、すいすい走れるあの感覚に似ていた。これがツキというものだろう。どんな強者でも、ついているビギナーズには太刀打ちできない。
     のち、リアルの半荘戦で、ビギナーズ君がリーチのみ、それも待ちはかんちゃんで、つもってきた4枚目をアンカンして、りんしゃんつも、カンドラがそのカン牌で、裏にあたまがのって、バイマンで和了。その次にもダブルリーチ、そくつも、タテチンドラ1で三倍満となれば、あたしたち常連はただ指をくわえて見てるしかない、バカヅキってやつ。
     点数計算でひいいさんが入って来た。点数報告後、次もトップとらなきゃとあたしが言うと、ひいいさんはもう充分でしょうと告げた。準決勝進出には、よほどのへまでもしないかぎり、当確したということだろう。となれば、心の準備は次の3戦目ではなく、準決勝にワープしていく。
     3戦目の面子は銀さん、たんどんさん、あいさん。
     あたしはベタおりとしぼりを核に打ち回しながら、準決勝の戦略を練っていた。誰が対戦相手になってもあたしが最も得意とするメンタンピン三色か、ナキホンで暴れてみよう、ただし、ドラだけには注意して。
     そうして、3戦目は無事終了し、予選第2位で準決勝に駒を進めた。
     残念なことがあった。3戦目でPCが固まり、落ちてしまった人がいたこと。のち、そのroboboronさんが金体白色と改名して半荘戦を通じて仲良くなったことは不思議な縁だ。
     それと、むじかさん、雀帝さんが予選落ちしたこと。むじかさんとは初期からの仲良しメンバーであったから特に残念だった。そして、雀帝さん、この恐ろしいほど美しいHN、Jgameのなかでも秀逸のネーミングだ。雀力に自信がなければ命名できないHN。準決勝では是非打ちたかった方だ。
     むじかさん、雀帝さんの分まで頑張るよと心に唱え、いよいよ、あたしはあたしの強運と努力と知恵を発揮しえる第2ステージに駆け上がった。あたしの躍動は続く。to be continued


    2213   2002年を振り返って、、第28回『緊張』
    2003/07/11 05:28
       たとえ どんな犠牲を払っても 俺達はこの苦難を乗り越える、、俺達は自分達が どこを目指しているかも知ってるし どこから来たのかも知っている バビロンを後にして父なる国へと向かうのだ、、  ボブマーリィ

     カード時代からそうであったように、あるレベルに達している人とテーブルを囲むと心地よい緊張感が生まれてくる。
     例えば、ありえない局面でリーチをかけてくる方がいる。親がダブトンをなき、ドラをポンし、ホンイツ模様、オヤッパネは最低でもある状況にも関わらず、そんな鳴きがないかのように、強者が牌を曲げてくることがある。このリーチにさらに場は緊張する。
     もちろん、恐い者知らずのビギナーズ君ならなんでもありだ、リーのみでもかけるだろうけど、場をこなしてきたベテランさんからとなると、話は別格だ。
     では、どういうケースか? 考えられることは、ただひとつ。オーラス、逆転へのリーチだ。リーチをかけなければ、つもっても、直撃しても、点数が足りないとき。これ以上、手が伸びないとなれば、逆転への可能性を賭けてリーチはかけなければならない。仮に、トップ走者以外からロン牌が放出され、それでは点数が届かなかったら、見逃せばいい。
     決して、裏ドラに頼ってはいけない。頼って、たまたま載っかっていて、まくれたとしてもそれでは、のちのち運任せの麻雀に陥ってしまう。それに、肝心なことは、そのリーチのかけかただ。手がそれ以上に伸びないとしても、親のインパチにみすみす振ることはない。相手の当たり牌を2度ほど押さえてのリーチなら、麻雀の神様も許してくれると思う。つまり、最終的に和了できる牌を4人の河と自分の手牌から予見できれば負ける確率は極端に小さくなる。よほどのことがない限り、勝利の女神は微笑んでくれる。それが、強者が強者たる由縁でもある。

     のち、あたしは牌王位戦に限らず、いくつかの大会の決勝戦を観戦し、その当たり牌を止めて手作りするベテランさんを何度か目撃した。
     決して、自分の手に溺れず、といってもベタおりせず、打ち回し、和了する超ウルトラEを。確信的に日々打ち込んでいれば、きっとこういった美技もたやすくものにできるにちがいない。
     ところで、全くの逆の側面から緊張感が走る時がある。あたし流にいう悪霊的牌勢に、はまったとき。このロジカルには決して説明しきれない牌勢なるものも、経験則にのっとって、思考を巡らせると幾つかの点に気付く。
     例えば、親の配牌で、。ドラが1ソウとすれば、100人中95人が1ワンを切るだろう。ところが、次のツモが2ワン、これをツモ切り、1巡置いて3ワンがくると、こりゃあついてないなと誰もが思う。
     さらに、こういうときには悪霊がへばりつき、東が既にもちもちだったり、ドラも誰かに暗刻で持たれ、終盤、東をなくなく頭でつなぎ、窮する場を打開しようと模索しても、3ソウもどうやら4枚とも使われているのか、王牌に眠っているのか、その姿を見せず、とうとう軽い手で蹴られてしまう時。
     この歯ぎしりする展開が不運にも準決勝第1戦にあてはまってしまった。面子はたんどんさん、tsunoちゃん、うたかたさん。
     1局目は流局し、2局目。あたしの風は西。
     配牌にが来た。ドラは7ピン。このマンガン級のイーシャンテンの手牌はどう考えても和了%は90を越えている。ほんの少し、想像力を働かせるだけで整ってゆく牌がイメージできる。
     ところが、厄運に包囲されているとここに3ピンがきて、ツモ切り。3ソウがきて、再びツモ切り。次のツモが4ピン、げげげだ。くいたんも念頭に置きながらも鳴くことすらできず、4ソウ、2ピン、2ソウときて、とうとう、メンツかぶりを2度もおかし、こうなると回復不能で致命的打撃をこうむったことになる。これが響き、応援に駆けつけてくれた雀帝さんの前でなすすべもなく敗れ去った。早い巡目に9ワン、7ワンをはずせば、あんな愚鈍な結果を逃れられたのかもしれない。悔し涙で目が曇る、、。
     涙を拭い、鉢巻きを締め直し、鎮痛剤を飲んでの第2戦の面子はミーコさん、のぶえさん、うたかたさん。
     テーブルが変わり面子が変わっても、あいかわらず手が硬直している。1戦目は振らなかったが、とうとう当たり牌までつかみ出し、お手上げに近い。点数も1万点を割りそうだ。ここで箱れば決勝戦への目はない。
     しかし、まくるぞ! の気合いの一手が3局目で来た。
     の配牌。絶好の大逆転手だ。ここに6ピンつも、打西。
     さらに6ピンつもって、打北。1枚目の白を鳴かずに堪え、つも発、つも2ピンと続き、そして、発ポン、白ポンで、4ピンを切り落とし、手牌は22266中中とテンパった。
           【ひいい挿入】
     あたしは場をじろりと見渡し、ここが正念場だと確信した。6ピンも中も場には切れていない。心臓の高鳴りを押さえるかのように、鉢巻きの隙間から流れ出る汗を拭いさった。
     観戦室には雀帝さん以外に前回の牌王位@nabaさんも事の成りゆきをぎらりとその眼光に焼きつけている。あたしの緊張は続く。to be continued


    2221   2002年を振り返って、、第29回『幻影』
    2003/07/14 22:19
       あっしのしてたような事を真似なすっちゃいけやせんよ、、。サイの目は運否天賦 運、不運は神のみがあずかり知るもの、、。それを愚かしい人間がいじくったりしちゃバチがあたるのも道理でござぁすよ、、。    (ダボシャツの天  政岡としや)

     雀聖と呼ばれる故阿佐田哲也さんが麻雀の打ち過ぎで、ある日、急に右腕が上がらなくなり、病院へ行くと肩の付け根あたりに余分な軟骨ができていたことが判明した。このため、手術によって、この軟骨を除去し、10日間も入院したそうだ。さて、阿佐田哲也さんは根っからの博打打ち。時代は朝鮮戦争勃発前の大不況期。その手術代を工面するため、当然哲也さんは賭け金の高い麻雀を打つことになった。しかも右手は使えないから、左手一本である。
     利き腕が使えない勝負なんて今のあたしじゃ、絶対打てない。りきがはいらないもの。さて、その半荘戦 南3局 負けていた哲也さんは親を迎えたが、西家が中、発をポンした。白をつかむと回し打ちにでたが、、ここに7ソウを引き込んだ。ここが、勝負時と考えた哲也さんは、のち、親友のムツゴロウさんに語るように、人生一度あるかないかのション牌、白切りに出た。
     2003年6月下旬、その日、5連勝をしていたあたしは、絶好調で3Rから、1Rに移り、キング、tomochan1さん、NEETさんと卓を囲んだ。第1戦、ラス親でまくり、6連勝目を飾り、そして、迎えた第2戦、第3局、tomoさんが中、白をポンした。あたしは発をつかみ打ち回した。そして14巡目、あたしは発を遂に切ることにした。今まで、あたしの麻雀哲学の中ではここで発を切ることはありえなかった。こういう展開で仮に発が通ってもそれは麻雀ではない、とあたしは決めていたからだ。
     二元牌をさらされたあとに、残りの一元牌を切るやからがいれば、徹底的に軽蔑したし、切った相手をメインで非難し、物議をかもし出したこともあった。仲間内の時継さんが似たようなケースで切り、新人君にポンされたときは退室したかったぐらいだ。
     では、何故あたしは愚かにも切ることにしたか? 金銭とは縁のないネット麻雀だからではない。さらに強くいえば、賭博性の強いリアルなら迷わずに切ったにちがいない。
     この時、あたしの手は、ここに奇しくも7ソウを引いた。白と発以外は全く同じ牌列。あたしは最も尊敬する打ち手の一人である雀聖の幻影を無性に追いたくなったのだ。
     あたしの亡きおじさんとどこか似ている雀聖。しかし、あたしの心のなかのもうひとりのあたしが、発を切れば、たとえ通っても軽蔑すっからね、さんざん、他人を侮辱して調子がいいのもほどがあるよ、と冷たく言い放った。あたしも負けじと叫んだ。最初で最後だ! こんな展開、二度とあるものか!

     牌王位戦準決勝第2戦、あたしは白と発をポンし、手牌は22266ピンズ中中。
           【ひいい挿入】
     中で和了すれば、大三元だ。ここで役満を上がれば、決勝戦への切符はかなりの確率でつかめる。てんぱってからの3巡後、上家のうたかたさんから、6ピンが切られた。
     げげげ。あたしは息を呑んだ。小三元ほんいつトイトイ、子のバイマン、16000点だ。和了すべきか否か。
     ここで、あがれば、当たり前の話だけれど大三元の夢は塵と消える。しかし、中がもちもちだったり、誰かに押さえられていたら、きっとバイマンすらもう和了できないだろう。
     あたしは観戦室にいる雀帝さん、@nabaさんにききたかった。あんたたちならどうする!
     結局、あたしはなくなく和了した。のち、この和了に関して、雀帝さんにあたしはきいた。中は誰かが持っていたかどうか。雀帝さんは、2枚とも山だったねと告げた。これが勝負の分かれ目だったと今でも思う。第3戦を迎える前に、あたしはあたしの強運を自ら断ってしまったといって、過言ではない。
     18歳、最初で最後の麻雀大会の決勝進出、そして初優勝の夢はついえてしまった。あたしは、今でも、この1戦を教訓にして和了できるチャンスの芽があるなら、最後の最後まで諦めてはならないことを肝に銘じている。
     そして、第3戦目も敗れ去ったあたしは、準決勝を終え、涙目でひいいさんの順位発表を見続け、いつか必ず、牌王位を手中に収めることを決意した。
     そして、縁とは不思議なものだ。自らが断った大三元を4日後、今回の準決勝1位突破、あらまあさん相手にその幻影をつかむことになる。あたしの幻影は続く。to be continued


     
    2225   2002年を振り返って、、第30回『再誕』
    2003/07/18 04:03
       かつては無知がおれたちの無邪気さを強調していた
     かつては自分達が間違うはずがないと思っていた
     かつてはそういう時があったんだ ずっと昔に
     でも俺達は嵐の前の静けさにいる

     かつては自分達の時代はまだだという思想を抱いていた
     思想の呼び名が変わり続けたから 俺達は思わせぶりができた
     その思想が消えてしまったわけではないと
     自分達の叫びが歌に変わるのを聞き また叫びに戻るのを聞いた
     俺達は再びいる 嵐の前の静けさの中に         ルーリード


     あと数時間で訪れるバースデーといえば、忘れもしないロンドンで迎えた10歳の12月24日。
     クリスチャンが多いイギリスには街のあちこちに荘厳な教会がそびえ、傍らの小さな森に入り込むと天使を象った墓石などが、そこが人間の終焉の地であることを教えてくれる。
     あたしは担任のジョアンナ先生が通う教会に案内され、初めて聖歌隊の存在を知った。よくある合唱団ではなく、歌を通じて礼拝に心を捧げる人々と説明された。そして驚くことに彼らは全員あたしとほぼ同年齢の少年隊だった。その彼らの歌声はこの世のものではない美しさ、例えるなら、極楽に住むと言われているカリョウビンガの鳴き声に近いだろう。あたしは、ただ、うっとりと声の結晶態に身も心も溶かされていった、、。

     12月23日、夜11時、あたしはエリカ18を抹消した。三か月と二週間で築いた1455ptは風のように消えた。何故か、さばさばとすがすがしかった。きっと、駆け抜けていった充足感があるのだろう。できないことはまだまだできないけれど、できることをたくさん知った。
     色んなことがあった。色んな人から色んなことを教わった。いつも誰かから、あたしが知らなかったことを授かってきたといっていい。それは麻雀だけに限らず、人生全般に渡る話。
     ベテランさんの中にはびっくりするようなことを打ち明ける方もいた。そういう世界があるんだと、めったなことでは驚かないあたしの目が白黒させられるような話。
     初期メンバーの仲良しグループ、REGUさん、だるまさん、たかぱちさん、Kakaさん、むじかさんらにはあたしの本音をいつもきいてもらった。悔しいこと、悲しいことを受け止めてもらった。
     言葉では語り尽くせないほどの感謝。そして、心が通じ合う人と打つと、牌にも血は通ってるんだなぁと心底感じた。でも、いいことばかりではなかった。
     先日の牌王位戦でもそうであったように、心ない連中、ネット社会独特の稚拙者、通称あらしと呼ばれる連中が迷惑行為を繰り返した。一時は、あたしも彼らに対話を求め、彼らの闇の部分に光を施そうとしたが、無に終わった。さらに、メッセ通しなど、チープなイカを行っている連中にもあきれてしまった。もっとたちのわるいのが、あたしの向上心を平気で踏みにじるやから。
     悪いことばかりではない、とってもいいこともあった。あるレベルに達してきたあたしに対して、容赦なく和了するベテランさんたち。打っていて負けると悔しいけど、不思議な爽快感があった。そのなかの一人、牌王位戦が終わった後、しょげていたあたしに滅多に人をほめないまさすぅさんがあたしの健闘ぶりをたたえてくれた。

     午前零時を回り、あたしは誕生日を迎えた。19歳だ。友人から続々とお祝いの電話がかかってくる。それらの対応に追われながら、1Rにアクセスした。おっは! と声をかけると、ベテランさんたちから嵐のような祝福を受けた。嬉し涙をこぼしたあたしは、ベテランさんのいるテーブルへと向かった。だべるためではない、戦うために。あと一週間で2002年も終わる。to be continued

    2410   2002年を振り返って、、、第31回『神秘』
    2003/09/19 04:59
       人間の精神が地球そのものとその美しさに惹かれるには、深く根ざした、論理にかなった根拠があるにちがいありません。人間として、私達は生命の大いなる流れからすれば、ほんの一部分にすぎないのです。人間の歴史は、おそらく100万年ほどのものでしょう。しかし、姿を変えながら受け継がれる生命そのものは、自分自身や周囲の環境を認識する神秘の存在であり、だからこそ、感覚を持たない岩や土ー生命は数億年前にそうしたものから目覚めたのでありますがーとは異なるのです。人間は進化し、努力し、周囲の環境に適応し、莫大な数にまで増えました。でも、その生命の原形質は、空や水や岩と同じ要素でできています。そこへ、謎に満ちた生命の輝きがくわえられたのです。私たちの起源は地球にあります。ですから、私達の体の奥底には、自然界に呼応するものが存在するのであり、それは、人間性の一部分なのであります。             レイチェル カーソン

     真剣勝負がまともに打ちあえる面子が揃うと、微妙な綾、独特の空気が場を包み、ひと牌毎にその殺気が伝わってくるから、その意は大きい。
     危険牌を察知して、相手がてんぱるまでに切る。どれだけ大きな手作りをされようが、てんぱってなければ、赤子同然だ。だが、不運にも親の相手が国士をてんぱったとしよう。あたしは、くいたんでてんぱってるが、ここに危険牌の9わんを持ってきた。さぁどうする? 絶対的危険牌の予感、もちろん、おりることは簡単だが、ここでこの1000点を和了すれば相手のダメージははかり知れない。トップを走るあたしは楽な立場でオーラスを迎えることになる。ここで、親を残しているのだから無理をすることはないと心の声が聞こえるが、相手の河を見るとテンパイ寸前に8わんを切っている。国士という役は、一直線に突き進むよりもホンイツ、チャンタと平行して手作りすることが多い。つまり、9わんは相手の手中に既にあると読んだ。あたしは、たかだかのみ手だけど、この手を上がればトップはとれると確信し、9わんを叩き付けた。これが、4枚目の1ぴんなら、早い巡目に切られている2ぴんにひっかかり、切らなかっただろう。
     2003年、9月の時点、J-gameで約4000戦、フリー雀荘で1500戦、打っているが、国士に振ったのは忘れもしないKakaさんの5巡目のリーチ、あたしは8ぴんの暗刻の壁を頼りに切った9ぴん、この1戦だけだ。先日も、しゅしゅあにぃと打った時、暗刻の中に4枚目の中がさらに来たときも、西が出尽くすまで決して切らなかったし、カンもしなかった。イーシャンテンかも?とは思ったけど、、。
     リアルでも、中盤、これは怪しいと思ったときは、全て止めて、親満を崩していった。たまたま、相手は13面待ちだったけど、驚くほどでもなかった。あたしは、よく牌にも血が通ってると言うけれど、強者と囲むと気もかよってくる。麻雀暦はたかがしれているけれど、カードでは、死に物狂いの13年を築いてきたから、その気はすぐに伝わってくる。このことは勝負事の修羅場をくぐった人なら理解できるに違いない。
     そういえば、不思議な対局があった。誇張的な言い方をすれば、神秘に近いもの。オーラス、ドラは6ぴん、トップとの差は14000点、あたしの風は北。12巡目、手はリャンシャンテンを迎えた。
     
     といめんのべてらんさんが、7ぴんをポンした。げっと思った次のツモが2ぴん。6ぴんはドラだから、8そうに手がかかったとき、何か得体の知れない戦慄が走った。あたしはそのまま、ツモ切った。そして、南家が7そうを切ると、7ぴんぽんのべてらんさんがまたもや、ポン。げ!!このまま三色にこだわると空テンっぽいなぁと感じながらも7ぴんをつもった。もしやの4そう切り。そして、次のツモが7そう。きゃっは、劇画じゃん! と思いながらも、こうなるとむじかさんが今まで対戦したどの相手よりもあたしの引きの強さは天下一品だよを、実証しなければならないとリーチをかけた。そして、かん7わんをそくつもした。おいおい、7わんは暗刻だったよと、三色同刻をてんぱってたべてらんさんが、苦笑い。やったねと喜びながらもこの3連発の引きにはさすがに、麻雀の底知れぬ神秘性を見い出した気がした。さらに、この神秘とは勝負事の違和感を逆手にとったものと理解した。このことを踏まえ、牌が出尽くすまで決してあきらめない教訓にもなった。
     さて、いいことばかりではない。連敗が重なってくると振りはしなくても、さっぱり、勝てない。2003年9月16 日、親のtomochan1がオーラスでリーチをかけてきた。ドラの白を第一打にした河は、
    でのリーチだ。一見、そうずが高そうだけど、場全体のソウズが高く、5ぴん以下のぴんは、やすい。何度も対戦しているtomochan1の性格上、第一打のドラ、3巡目の5わんから、裏筋14わんと読み切った。ところが、読んでも、つもられ、あっけなく、終わってしまう。
     tomochan1との対戦では、こういうこともあった。どうみても、58ぴんのくいたんでてんぱってる。しかし、場はオーラス。親のあたしはてんぱっているが、ここに5ぴんをつもってきた。つもはもうない。ここで、一考する。相手のあたり牌だと分かった場合、どうするべきか? テンパイを崩して流局すると終了だ。リアルの場合、2確3確も視野に入れないと一日あたり、5から10万の金銭が動くため、こういう時は必ず、おさえるが、さて、J-gameならと思考の暗黒迷路にさまよってしまう。あたし流の麻雀哲学を重んじるなら、流局を選択しなければならない。しかし、てんぱいをとらずに敗北を喫するのはとても悔しい。それなら、放銃したほうがいい。さっぱりする。結果はロンされ、この東風戦特有の結末に歯ぎしりするが、涙は出ない。5、8ぴんをズバリ、読み切ったからだ。この読む力ほど麻雀特有の神秘性の琴線に近付けるものはないだろうと思う。読めれば読めるほど、相手の待ちだけではなく、全手牌も見え始めるし、そうなると、たとえ、かんちゃんでも、相手3人が使ってなければ、リーチをかけてつもることも容易いからだ。2階への開眼とは、意識革命だと切に思う。
     12月26日、前回の牌王位戦予選1位突破のあらまぁさんとやっと、卓を囲むことができた。あたしがとにかく打ちたかった面子の一人だ。ぬるい、サロン化したJ-gameとはいえ、強い人はとにかく真剣に打ってくる。金銭がかかってなくても、そのプライドや麻雀に対しての愛情があれば、フリー雀荘のつわもの、それ以上の方々は存在する。そういった方々と囲むと仕掛けどころや押さえどころがとても勉強になる。さて、他の面子は、雨宮凛、破裂の人形1。初戦はあらまぁさんの打ち筋を徹底的に見た。もし、2戦目がなくても、次の戦いのためには情報収集は不可欠だ。打ち終えた時、あらまぁさんは正統派中の正統派の印象が強く残った。当然のことだが、リーチに対しての暴牌は全くない。まさすぅさん、hayukuさんのような策士でもない。ところが、この手合いが最も強いことはあたしは知っている。カードでも奇をてらうなら、徹底的にその亜流の空間を攻めないと勝ち続けることは不可能だからだ。第2戦目、あたしは、徹底的にだまでいくことにした。さらに、和了する相手もあらまぁさん一人に絞る。これは、勘のよいあらまぁさんなら、生涯通じての宣戦布告と見るだろう。
     東3局、トップを走るといめんの親のあらまぁさんとの差は12000点。あたしは出親だったから点差を考えるとここでマンガン級の手が欲しい。配牌は、
    。ドラは3わん。第一ツモが9そう。ここは、チャンタと国士の2本立てしかないと6そうを切るが、次のツモが5わん。うーん、方向転換に迫られていると思い、中に手をかけようとしたその瞬間、あの戦慄が走った。あたしは、9そうをつも切り、続いて中をもってきた。まさか?と思いながらも8そう切り。破裂さんから、中が出るが見送り、次のツモが白。3ソウを切る。そして、発をつもり、これは、まちがいないと2そう、そして、中をポン。1わん切り。白もポン。1わん、切っててんぱった。
          【ひいい挿入】
     ここで、凛が9ぴんを切るが躊躇なく見逃し、牌王位戦の仇をとるかのように発をつもりあげた。今年最後の大三元を和了したあたしは、この不可思議な戦慄がカード時代にもあったことを思い出し、勝負事の神秘性をいつか、必ずあばいてやろうと唇を噛み締めた。あたしの神秘は続く。 to be continued

    2451   2002年を振り返って、、、第32回『力業』
    2003/09/23 06:07
       悪いが、俺はおまえたちが期待するような過去なんか持っちゃいねぇぞ。10代は不良少年、20代は内気にマジに暗く悩んだ、、、それだけさ、、、。居直ったのは30歳を過ぎてからだ。少々居直りがキツすぎて、元便所部屋の住人になっちまったけどな。別に後悔はしちゃいねぇ。
     無為こそが過激、、、、、、、、何もしねぇでブラブラしてるのがホントは一番、力業(ちからわざ)なのさ。            作 狩撫麻礼 たなか亜希夫  漫画ボーダーより

     12月27日夕方、お兄ちゃんから電話がかかった。今、銀座にいるからつらを貸せとのこと。病院から帰ったばかりなんだと答えると、いいからタクを呼んでさっさと来い、ぐずるなと一方的に切られてしまった。仕方なくソニービル前に駆け付けると、見知らぬ超きれいな女性と一緒にお兄ちゃんがにこにこと待ち受けている。 「どうしたの?」 「紹介するぜ、おれのフィアンセだ」 「はじめまして、ゆかりです」と美しく微笑んだ。 「はじめまして、エリカです」あたしはやや、緊張した。 「どうってことはねぇ、19の祝いだ。寿司をおごってやる。今日しか空きがねぇのさ」とお兄ちゃんはあたしたちの前をすたすたと歩き出した。 「肩はよくなった? まだ、痛む?」と、やさしさが溢れる声

     「もう、2週間がたったんだけど、しびれるんだ。自業自得だもの。そのうち、よくなると祈ってる、きゃっは」 「頑張ってね。応援してるから」
     それから、あたしたちは銀座でも超一流の全席予約済みの寿司屋に入り、夕食をほうばった。あたしのお気に入りは、やっぱ、アナゴ。歯触りと喉越しが群を抜いている。食べている最中、あたしはあることに気付いた。意気のいい寿司職人の手つきだ。その握り方がとても素早く仕上げも鮮やかだ。洗練された動きといっていい。食することも忘れ、あたしの目がその一連のモーションに釘付けになっていると、お兄ちゃんがにやりと笑った。
     「リズムだ。それを支えているのは、修練と無心、そして志よ」 はっとしたあたしは、そういうことなのね、とお兄ちゃんの目をつかむように微笑むと、「そういうことだ。来年からぶつんだろう? 何事も本質は変わりはしねぇよ」とタバコをふかした。あたしは、次から次へと握られていく寿司ひとつひとつに、その人から乗り移った気を感じ、じっと見つめた。
     その夜、んさんらと打っている時、出親のあたしは先ず、リーチそく三暗刻つもドラ3を和了し、続いてタンピン三色つもドラドラ、そして、タテホン一通いーぺいこうつもドラ1を、最後はリーチそくつもちいといつドラ4で久し振りに出親の三人ドボンを成し遂げた。
     しかし、これは片山まさゆきの言うバカヅキハリケーンが吹き荒れただけで、心の中では、最初の三暗刻は四暗刻に伸びなかっただろうか? の自問自答に揺れていた。配牌に出来上がり三面子、といつ2組と順子、この順子を切り崩す手立てはなかったか? というのも、
     で7巡目にてんぱったあと、一呼吸置いてからリーチをかけようとした矢先、3ぴんをつもってきたからだ。ドラは9そうだから、手牌とは縁がない。5ぴん切ってのイーシャン戻しはなかっただろうか?
     結局、目先のてんぱいに目が眩み、リーチをかけ、裏ドラ1わんそくつもの結果オーライに喜んでしまったが、何かこういう麻雀を打っていると肝心な所で力が発揮できないのではないかとひっかかった、、、。
     先日の19期牌王位戦長月杯、応援も兼ねてしゅしゅあにぃの予選などを観戦した。圧巻は準決勝第3戦、みかんさん、うまたんさん、府中さん、しゅしゅあにぃの戦いだ。東の2局、ドラ中、親のしゅしゅあにぃの配牌は
     
    。1ワン切り。続いて、6ピンをつもり、9ピン切り。4ワンつも、8ソウ切り。7ワンつもの3ソウ切り。3枚目の東つもで、4ワン切り。そうして、6ワンが暗刻になったとき、不穏な空気が場を包みだし、続いて切られたみかんさんの7ワンにも目もくれず、しかし、ここでうまたんさんが69ピンでリーチ、高目の6ピンなら、まんがんだが、その6ピンをしゅしゅあにぃはつもり、暗刻にすると、とうとう6ソウをもつもり、出来上がり三色同刻のおまけまでついた、つもり四暗刻をてんぱる。
         【ひいい挿入】
     ここで、ドラの中を切って勝負。ほんいつのみかんさんがそれをポン、場はいよいよそれぞれ1回のつもまで巡り、あたしはドキドキしていると、うまたんさんが海底で9ぴんを引き上がった。まんがんだ。しゅしゅあにぃの待ちとなった白も7ワンも王牌に閉ざされていた。
     そして、オーラス、うまたんさん、またしても69ピン待ちのリーチで府中さんから和了し、トップをとるが、決勝への切符がこのままだと届かないので続行となる。
     そして、このあと、快心の三色をしゅしゅあにぃがつもり上げ、見事決勝への切符を手に入れるのだが、あたしがこの観戦で一番驚いたのは、最初のオーラス、11巡目に純チャン三色ドラ1をてんぱったみかんさんが待ちを3ソウから1ソウ単騎に変え、この手を上がれば決勝へ駒を進めるそのとき、うまたんさんのリーチ、しゅしゅあにぃの連続リーチがかかり、引いてきた、通っていない4ワンを止めたことだ。
     たしかに、しゅしゅあにぃへの入り目であるとはいえ、この押さえは絶賛に値すると思った。力業だなぁ、、と心底、震えた。結果論で言えば、この4ワンは通っていたし、みかんさんは1ソウを引き上げていた。
     しかし、ここでこの4ワンを切るということは、みかんさんの麻雀哲学に反すると考えたにちがいないと。このときのうまたんさんの河。

    しゅしゅあにぃの河。

    ドラはちなみに7ワン。あたしの哲学はどこにある? to be continued

    2458   2002年を振り返って、、第33回『一瞬』
    2003/09/27 04:42
       一番憂鬱な思い出は寄宿学校にいた時期。その頃はすごく矛盾していて、一番不幸だったわ。幸せな状態というのはそれほど簡単に味わえるものじゃない。悲しみが何度も割り込んでくるから。わたし、人生が上向きになってきたって感じるときがすごく好き。責任を感じなくなるときが好きなの。全身麻酔ってすごくいいと思う。液体が血管に広がっていくのを感じるときがいい。自分でコントロールできなくなって、すっかり安心していられる。もっと麻酔にかかっていられたらいいのに。すべて投げ出してしまうのって最高だわ。麻酔が死ぬことと似ているかもしれないけど、わたし怖くないわ。死ぬというのはすばらしい安らぎだもの。死ぬのは恐ろしくない。ほんとに恐ろしいのは、一番最後に死ぬことよ。先に死んでいった人たちが羨ましいわ。夕べ、タクシーに乗ったら、運転手が酔っぱらってすてばちになってたの。死にたいのかしらって、ほんとに思ったわ。だって、自分は不幸だって言いながら狂ったように突っ走るのよ。でも、わたしはすごくいい気分だった。スピード落としてって頼みもせずに眺めていたの。まるで、麻酔にかけられたみたいに、、、。                        ジェーンバーキン

     
    12月30日、いつものようにあたしは面子を変えながら打ち続けた。
     20戦を終え、15勝5敗。7連勝を含んでいるから悪くない結果だ。ノッテいるときは、相手が8ピンを暗カンしても、もうあるはずのないカン8ピンをつもり上げるような自信が湧いてくる。この連戦中、今でも活かされているある重要な戦略に気付いた。
     麻雀のつぼを心得ている方と対戦する場合、その方が親になったとき、どうしのぐか? もちろん、一直線に和了できるなら、それにこしたことはないが、他の二人がドラの使い方もリーチの掛け方も手なりで、麻雀自体をただの数合わせだとしか思っていなければ、その二人の進行状態を見極め、聴牌したと見るや、あえて振り込み、その方の親を一蹴すれば、なんなくトップがとれることを思いついた。
     先日もひいいさんと夜明けの決闘12連戦、あるときは牌を矛に用い、あるときは盾に用い、彼の牌か、あたしの牌のいずれかが欠けて朽ちるまで打ち合った。結果、ひいいさん5勝、あたしは4勝と涙を呑んだが、この4戦目、あたしは出親で親満をつもり、続いて5800を和了し着々と首位固めを進めていく中、その後、手はさっぱり硬直し、ひいいさんの親、3局目を迎えた。配牌を見るとこれがまた、ひどい。
     、ドラは2ピン、ここにおた風の南を引いてきたから、ただ、絶句だ。東、白、発はしぼることにして、手をすすめていくと上家の新人君が3ピンをポン、8ワンをちぃし、なにやら、てんぱったっぽい。
     あたしは、あ、これはチャンスだと新人君の待ちを読んだ。というのも、ドラはあたしが一枚、場に一枚切れているから、この新人君はよくても3ファン、悪ければノミ手だから、振りこむ作戦に変更したのだ。そして、雀頭である7ピンの一枚を外し、捨てると、ドンピシャリだった。
     なきたんドラ1、あ、これで、いただきだと思うや、思わず、せいかい! と叫ぶとひいいさんは絶句していた。つまり、こういった放銃は敗北への放銃には決してならない。2003年2月から6月にかけてフリー雀荘で打ちまくったが、確信的な放銃は逆に手に勢いがつき、決して、トップを取り損なったことはない。無警戒無自覚の放銃だと、次への気力も萎えてしまうことが多い。
     さて、前述したひいいさん、あたしはいじわるじいさんと呼んでいるが、この最もネット麻雀を愛している方の一人と打ち合うと、麻雀の底知れぬ楽しさに触れることができる。このエキサイト感はリアルの半荘戦とはまた別種の昂りが生じてくる。金銭では縛れない緊張感と呼んでもいいかも知れない。聴牌速度によって勝利をつかむ時もあれば、あえてのイーシャン戻しによって勝利に近付くこともある。全ては一瞬一瞬の思考と判断と決断によって勝利はもたらされる。
     ひと勝負に3から5万の金額なぞ何とも思わないスナックのママさんらの方が手作りもリーチひとつにしてもぬるい。確上がりを禁じているトップの会の会員ならではの凄みがある。
     ただ、J-gameには、裸単騎つもはだめとか、小三元つもの大三元バグとか、ドラタンつもバグなど多数の不備な点が改善されていないため、このトップの会について批判的なベテランさんも多い。これは、ゲームだよ、麻雀ではない、ひまつぶしの遊びさといった意見だ。確かにベテランさんの考えも尊重できるが、今、異国の地からJ-gameに参加していると、これこそ21世紀型麻雀の胎児だとあたしは思う。麻雀のルールをほぼ補っていれば、どんな形態であるにせよ、参加者の条件も等しく、その戦いの本質を極めることは可能だからだ。

     さてさて、せっかくだから、ひいいさんの打ち方について少し分析してみよう。今回は攻撃面について。先ず、ひいいさんが親の時、おた風をいち鳴きする時は、イーシャンテンもしくは聴牌と見た方がいい。それもトイトイ、ダブトン、ホンイツ、そしてドラがらみとなるから、どんなに悪くても3ファンはある。つまり、そのアクションが起これば徹底的に打ち回さなければならない。たとえ、こちらがマンガン級の手でテンパったとしても、ション牌の東や役風、ドラを切っての勝負ならイーシャン戻した方がいい。親の相手はてぐすねひいて、へぼるのを待っているから。
     第2にリーチだが、意外と奇策は少ない。ちいといつでもひっかけなんてチープなリーチはかけてこない。ちいといつの場合は、相手が使いにくい牌でだまで待つ方が多い。リーチをかける時はリャン面以上が多く、それも高目が出れば、ハネマン級、例えば、リーピンチャンタ三色などの大きな手が多い。苦肉のカンちゃんリーチもあるが、そういうときは親で役無し、ドラが雀頭などが多い。親の場合、リーチはかけてこないことが多い。じっと、罠にかかるいじわる猟師じいさんなのだ。
     そして、誰かが一色手で仕掛けてきた場合、それもドラが役風、場に一枚も見えていない、絶対リーチはない。ドラをつもってきたケースを念頭に置いているからだ。つまり、超一級のベテランさんなら、あたりまえのことを淡々とこなしているといったところか、きゃっは。
     明日が大晦日、いよいよ、2002年が終わる。 to be continued

    2491   2002年を振り返って、、第34回『希望』
    2003/09/30 06:38
       この期におよんで、まだ希望だと、、、。おまえら、みんなバカか!    作 しりあがり寿  漫画「方舟」より

     12月31日、あたしはA子と一緒に今日で3周忌にあたるX子の墓参りに向かった。
     人影少ない青山墓地には寒々とした北風が吹き荒んでいる。あたかも死者の怨念のような、絶叫のような凍りつく風。桜の樹々もその風を受け、ざわめく中、小道を抜けて辿り着こうとすると、あっとあたしは思わず声を出した。というのも、X子の墓前には先客がいたから。
     どうやら、元彼のT君だ。T君は一心不乱にX子に話しかけていた。どうやら、近況の報告を行っているようだ。あたしとA子は邪魔にならぬよう見守った。
     あたしたちが高1の時、X子とY子はスピードとエクスタシーのオーバーテークでこの世を去った。この時、世慣れた大人たちは自業自得だと蔑んでいたが、あたしは天罰とは対極の心情、つまり、好きなことを好きなだけ楽しんで幸せの絶頂のまま、天に召された、そう思った。
     その最も大きな理由は、お通夜で死顔に接したとき、その表情には一片たりとも苦悶はなかったし、どちらかといえば、微笑んでいるようだったから。
     中3の時、あたしたちはよく渋谷で遊んだ。14歳とはいえ、容姿もセンスも思考も3、4歳上の連中よりも頭3つ分抜け出ていたから、不良たちを翻弄することはあっても、されるって感覚には縁がなかった。犯罪すれすれの遊びを深夜から朝がたまで、毎日毎日、半年ほど続けていた。あたしの中では、不良少女へのあこがれってことより、イギリスよりもはるかに退屈な日本って国に対して反抗していたといえば、わかりやすいか、、。
     あたしたちには、ひとつだけルールがあった。渋谷以外のプライベートには一切、干渉しない、だから、あたしは遊んだ後、学校の授業には一日欠かさず出席したし、遊びに行く前の数時間はカードのトレーニングを徹底的に、し続けることが可能だった。
     X子はあたしのカードには何の関心も示さなかったが、留学時代のイギリスのこと、とりわけ音楽についてはよく耳を傾け、あれこれと尋ねた。ロンドンで一番有名な日本人はオノヨーコだよと言うと、え?誰なの? モデル? って素っ頓狂な声を出したので、きゃははあはははと大笑いすると、てめぇ、ぶっ殺すと本気で怒ってきたことも今となっては懐かしい。より自由でより解放的な半年間だったかも、、。
     T君があたし達に気付き、会釈した。 「ひさしぶりじゃん!元気してた?」 「はい。エリカさん、A子さんも元気そうっすね」 「3年振りだけど、去年も来てたの?」 「はい。忘れられないっすから、、」 「そうなんだ。きっと、X子も喜んでるよ」 「だったら、いいっすね」 それから、あたしたちは、お茶して楽しかった想い出話に花を咲かせた。

     その夜、年が明けるまで、13連戦、打った。面子はうーさん、拓郎さん、REGUさん、元気さん、浪花節さん、サンテ、のぶえさん、英二さん、THUNDERVさん、地獄甲子園さん、mzoneさん、雀帝さん、などなど。
     感傷モードから、戦闘モードに切り替え、トップを5回、2着を4回、ラスは1回とまずまずの成績。ところで、先日、牌王位戦決勝を観戦した時、この大晦日にあたしが和了した全く同じ牌形が雀麗さんに入ったときは驚いた。そして、和了形も瓜二つだった。
     ドラは8そう。ここまではあたしの記憶もうろ覚えだったが、第2つも8そう、第3つも8そうと、来た時、もしやと思い、つかささんの4わん、鳴いてタンヤオドラ3の3、6そう待ちになったとき、げげげ、同じプログラムかぁとひとり納得していた。
     いつも、あたしは、配牌が来たとき、その最終形を5種類ほど想い描く。何局目と点差と親なのか、子なのかによって。
     そして、次に、ここで、東が重なれば楽だなぁとか、カンちゃんが入ればなぁとか。この牌形では、23456の三色、あるいは、ドラの重なりを描いた。それが、続いてきたから、あのときも、タンヤオドラ3に的を絞ったことを鮮明に記憶していた。
     あたしのときは、上家にはつかささんじゃなく、himaxjp君だったから、あたしの関心は何故、4わんを切ることになり、そして当たり牌6そうまでも同じなのかに移った。素早く採譜して、検討してみると、親のつかささんの配牌は、
     ここでまず、2わん切り。9そうつも切り、続いて、ドラの8そうで、5わん切り。発南つも切り。そして、4ワンが来たからつも切り。ここで、謎が解ける。つかささんもhima君もタンピン志向よりもトイツ系の破壊志向だったのだ。つまり、トイツ系の方は和了する時、とにかくやたら大きい。リーチをかけて裏が乗るとドラ3が多々起きる。リアルでもこのタイプは連勝し出すと止まらない。この思考回路はあなどれないなぁと。
     さて、この決勝戦、しゅしゅあにぃの打ち筋を徹底的に研究してみた。自動君がリーチを5巡目にかけた時、打ち回しながらの三色を和了するが、ただ、2ぴん切りに根拠がなかった、それよりも、和了できなかった時に、二枚ある東を役として用いるのではなく最終形のタンピンに向かって、終盤の安牌とする方法など、参考になることが多々あった。

     除夜の鐘が鳴り響き始めた時、1Rの1tで、あたしは雀帝さんと新人君二人と打っていると、配牌に絶好の手が来た。
     第1つも、ドラの8わん。9ぴんに手をかけようとしたその瞬間、あの戦慄が走った。そうか、そういうことなのねと、あたしは勝負事の神様ににこりと微笑するとそのまま、8まんをつも切った。そして、9ぴんをつもり、打3そう、1わん、ポン、9そう、ポン、1ピン、ポンで清老頭を11そう99ぴんで聴牌し、新人君の1そうで和了した。48000点がきらめいた時、麻雀に出会ったことを感謝し、嬉し涙が頬を伝った。

     「可愛いアメリ、私は子供の頃から絵の中で生きてきた。そこにいれば、自分を傷つけなくてすんだからだよ。、、、だから、私にはわかる。おまえもずっと、自分の作った世界の中で生きてきたんだろう?だがね、おまえは私じゃない。おまえの骨は私と違って、ガラス細工じゃないんだ。人生にぶつかったって壊れるものか。チャンスが来たときには柵を乗り越えなきゃいけないよ。乗り越えて、転んだって大丈夫さ。おまえがもしもこのチャンスを逃してしまったら、おまえの心はきっと、私の骨のようにひからびて、脆くて壊れやすい、ガラスの心になってしまうだろう。、、、二度とチャンスはないぞ。さぁ、アメリ、思い切り人生にぶつかっておいで。彼をつかまえるんだ」            映画アメリより

    THE END

     続編:エリカエッセイ集2「歌舞伎町番外地」

ホームひいいの麻雀研究ホーム メールhiii@pd6.so-net.ne.jp